I87
支離滅裂になっていく「男女平等」、機会均等に反する大阪大学の教員「女性限定」募集 (その2) −21世紀は脱線した「男女平等思想」が暴走して消滅する世紀−
2月2日の読売新聞は、「阪大教員 女性限定で募集 文学部20年度12人」と言う見出しで、次のように報じていました。
----------------------------------------------------------------------------------------------
阪大教員 女性限定で募集 文学部20年度12人
20200202 0600 読売
「研究者の道支援」
大阪大は、文学部で2020年度に新たに雇う教員12人全員を女性限定で国際公募する方針を決めた。同学部の教員に占める女性の比率は21%(2019年)で、「積極的に女性を登用して女性研究者のロールモデルを示し、研究者の道に進む学生を育成したい」という。国連が30年までに世界で実現すべきだとした「SDGsエスディージーズ(持続可能な開発目標)」の一つには「ジェンダー平等」があり、成果が注目される。(編集委員 沢田泰子)
(中略)
一方で、学部の学生は60%が女性だ。福永伸哉・文学部長は「優秀な女性を計画的に採用して研究・教育を進めてもらい、キャリアアップしていってほしい。後に続く女性が増え、いい循環を生み出せる」と期待する。女性限定公募をするのは、20年度に新規採用する教授、准教授、講師、助教のポスト全て。順調に採用が決まれば30%に近づく。
経済協力開発機構(OECD)の資料(2011〜17年)によると、日本はデータのある国の中で女性研究者の割合が最も低い。米ハーバード大学院を修了し、海外での勤務経験が長い村上由美子・OECD東京センター所長は「社会でリーダーシップを発揮するのは男性という偏見を子どもの頃から刷り込まれ、企業のトップや政治家、大学教授になる女性が増えない日本の現状を変えるためには、積極的な改善措置が必要だ。男性教員とは価値観の違う女性教員が増え、外国や産業界など多様な考え方の人を受け入れる心構えができれば、大学の国際競争力も高まるだろう」と指摘する。
女性教授少なさ目立つ 工学系は1割未満
(中略)
同ネットワーク実施責任者の工藤真由美・大阪大理事・副学長は「分野を問わず、採用や登用を決める教授のほとんどを男性が占めており、女性の上位職増加に向けた積極的な取り組みが必要だろう。理工系では女子中高生らに関心をもってもらう対策も不可欠だ。多様な人々が力を合わせてこそ社会変革につながる研究が実現できる」と話す。
----------------------------------------------------------------------------------------------------
記事は、「・・・海外での勤務経験が長い村上由美子・OECD東京センター所長は『社会でリーダーシップを発揮するのは男性という偏見を子どもの頃から刷り込まれ、企業のトップや政治家、大学教授になる女性が増えない日本の現状を変えるためには、積極的な改善措置が必要だ・・・』」と有りますが、学問や職業の分野によっては、男女の能力・適性に差があると言う認識や、今までの実績に基づく判断は、果たして「偏見」でしょうか。また、「刷り込み」と表現していますが、そういう非難に値する実例や根拠は何か有るのでしょうか。もし、特段の根拠がないのであれば、この非難は当たりません。村上さんもかつて誰かに「女性大学教員を増やすべきだ」と直接あるいは間接的に「刷り込まれた」結果、現在のご自分があるのではないでしょうか。
異なる考え方に対する、「偏見」、「刷り込み」という感情的な言葉の乱用は説得力がありません。
更に続けて、村上由美子さんの発言は「・・・男性教員とは価値観の違う女性教員が増え、外国や産業界など多様な考え方の人を受け入れる心構えができれば、大学の国際競争力も高まるだろう」とありますが、多様な価値観の存在が、常に好ましいとは限りません。価値観は多様である事よりも、その中身が問題です。「価値観は皆平等」という訳ではありません。相反し、相容れない価値観の乱立が、混乱をもたらす恐れがあることは否定出来ません。
また、価値観は男女で異なるという主張は、村上さんが男性から自分の価値観を批判され、反論に窮した時に、「女カード(自分が女である事を前面に出す)」を切って逃げるという、逃げ道の構築であり、新たな男女“差別”思想の出発点のような気がします。
大学の教授の選任に当たって、能力・適性・実績を基準にした実力本位の選考をせず、「女性限定(あるいは優先)」の採用を続ければ、大阪大学のレベルダウンは必至であり、“国際競争力”が高まることはないと思います。
そのような観点で考えた時に、近年わが国で日本文学の分野に於いて大学の文学部で女子学生が増加し、芥川賞、直木賞などの文学賞で、女性作家の受賞者が増えるのに反比例して日本文学の地盤沈下が進み、日本文学が社会から顧みられることがなくなって行った(受賞作品がベストセラーにならない)現実を直視すべきだと思います。
記事の最後で、「・・・工藤真由美・大阪大理事・副学長は『分野を問わず、採用や登用を決める教授のほとんどを男性が占めており、女性の上位職増加に向けた積極的な取り組みが必要だろう。理工系では女子中高生らに関心をもってもらう対策も不可欠だ。多様な人々が力を合わせてこそ社会変革につながる研究が実現できる』と話す」とありますが、「教授のほとんどを男性が占めており」と、「女性の上位職増加に向けた積極的な取り組みが必要だろう」とは、どのように結びつくのでしょうか。
「教授のほとんどを男性が占めている」から、「女性の上位職への道が閉ざされている」と言う主張であるかのように聞こえますが、そういう趣旨なのでしょうか。もしそういう主張であるならば、説明が不十分だと思いますし、「不十分な説明で、誤解を誘導しようとしている」のなら、大変けしからん話だと思います。
十分な説明が出来ないのであれば、「女性の上位職増加に向けた積極的な取り組み」とは、「男性の上位職減少に向けた積極的な取り組み」に他ならず、「雇用機会均等」の原則に反します。
「理工系では女子中高生らに関心をもってもらう」については、確かに基礎的な部分については、職業の如何を問わず関心を持って貰う必要を否定出来ませんが、「専門的分野」になれば、話は変わります。
毎年の自然科学分野のノーベル賞受賞者は、ほぼ100%男性です。理工系に於いては、男女の能力・適性の相違は歴然としています。
関心を持って貰うためにする事があるとすれば、それは高校の授業においてであり、大学の教官人事でする事ではないと思います
今回の記事で意見を述べているのは、読売新聞の編集委員・沢田泰子、大阪大文学部長・福永伸哉、OECD東京センター所長・村上由美子、大阪大理事・副学長・工藤真由美の4人で、福永さん以外はいずれも女性ですが、言うまでもないことですが、この3人は男女を問わない役職者の一人として登場しているのであり、女性の代表という立場では有りません。しかるにこの3人は役職者として、かつ女性として意見を述べているように見受けられますが、そうだとしたらそれは誤りであり重大な逸脱です。
この問題が女性対男性という次元の問題であるとすれば、それには何らかの方法で、女性の代表と、男性の代表を選任した上で議論する必要があると思いますが、そのような制度は実在しません。
女性記者、女性教授、女性官僚達は一女性に過ぎず、(男性の文学部長が男性の代表でないのと同様)いかなる意味に於いても女性の代表ではありません。そういう誤解を招かないように彼女達の業務上の振る舞いは慎重である事を要します。
今まで、この種の議論がそういう視点を持たず、男女を問わない役職にある一女性の意見が、あたかも全女性の代表意見であるかのように取り扱われ、結果として一部の(少数)意見が全体の(多数)意見として取り扱われる傾向が顕著であったと思います。
この記事に見られるように、最近の男女平等の議論が脱線・暴走し、支離滅裂の傾向が顕著となっているのには、以上のような点が原因だと思います。
このまま突き進んでいけば、20世紀が「社会主義(共産主義)思想」が暴走して消滅した世紀であったように、21世紀は脱線した「男女平等思想」が暴走して消滅する世紀となるでしょう。その傷(後遺症)が浅いことを祈るばかりです。
令和2年2月10日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ