岐阜お城紀行(1)

墨俣城(一夜城)登城記
[登城日] 1999/7/21   [所在地] 岐阜県安八郡墨俣町[建造] 永録9年(1566) 木下藤吉郎[交通] JR 東海道線 大垣駅より 車で20分
[遺構] 模擬天守(大垣城にそっくり)
[歴史]
築城当時、河川の流れは 現在とかなり違っており、古くから 長良川渡河点として、重要な位置で った。織田信長は、美濃制圧の為、稲葉山城主斎藤義龍を討つべく 稲葉山攻略拠点として、墨俣に 築城を 計画したが稲葉山と大垣に挟まれた場所の築城は 難事中の難事で、佐久間信盛、柴田勝家が 失敗を重ね、木下藤吉郎が 「長良川左岸で 工事準備を行ない、渡河して完成させる」という 策略で、三日で完成させた。
[登城記]
名神高速 岐阜羽島で降り、長良川にそって 約20分北上。大垣城風、四層の割と格好いい 模擬天守。遺構には見るべきものは ないが
「前野家古文書」に、一夜城の 建築記録が る。(引用)

築城之事
一、高ヤグラ 五棟 是ハ 弐階ニテ、高サ 三間半
一、平ヤグラ 三棟 是 長屋也 平屋也 高サ 弐間半
一、土居 弐百伍拾間 是ハ 高サ 壱間也
一、高塀 壱百参拾六間 高サ 伍尺
一、馬柵 壱千八百間 是ハ 高サ壱間是有
一、井戸 弐個所
一、 堀 参百六拾間 是ハ 川水ヲ引入レテ、深さ 壱間半位、幅弐間
一、殿様御屋敷 壱ヶ所 是ハ 横三間半、奥行 弐間半
一、棟梁 拾人
一、下職 是ハ山家衆受
一、木戸 弐ヶ所 大手ー 搦手ー
右、条々 廻文通り
ハチスカ 彦右衛門
永録九年七月三日