岐阜お城紀行(2)

岐阜城(稲葉山城)登城記
[登城日] 1999/7/21    [所在地] 岐阜市金華山     [建造] 天文7年(1538) 斎藤道三    [遺構]郭、堀切、復興天守
[交通] JR 東海道線 岐阜、名鉄 新岐阜駅よりバスで岐阜公園へ
[歴史]
両白山地が 濃尾平野に接し、東山道を制する要地 金華山の急崖に位置。形態を整理したのは、天文7年、斎藤道三。城下町を整備し、巨大な縄張りをもつ山城にした。永録10年(1567)織田信長が、岐阜城とした。フロイスの日本史によると、山上に三重の天守、山麓の千畳敷に 四層の天守をもつ 壮大なものだった。天守閣は、道三、信長、池田輝政、模擬重閣(明治43年)、現模擬天守
(昭和31年)と五代に亘るが、輝政当時に 加納城御三階櫓として移築したものが、絵図として残っている。
[登城記]
長良川を金華山目指して、ウロウロ走り、岐阜公園に辿り着く。ロープウエイで登城。せめて 大手道(七曲道)を、徒歩で登るべきだが、炎天と時間の関係で はしょってしまう。公園の 千畳敷に 信長の住居跡が 発掘整備されており、桝形の虎口が 復元されている。石積も立派だ。
山上駅から、七間櫓跡ー太鼓櫓跡(気象庁観測所になっており、立ち入り禁止だが、ここに入れば、天守展望できそう)を抜け天守へ。職員のおっさん曰く信長像が、里帰りするが、(そう見寺から)すごく似てますよと。見てきたような嘘を聞きながら、天守に入る。二重入り母屋に、望楼をのせた 天守、信長感覚で結構。天守台脇の石垣はかなり 往時の面影。やはり、ショートカットでは、巨大な山城の 感じが分からず、残念。