岡山・兵庫地区お城歩き



03年3月11日、曇天の中、大阪10時半発新快速で姫路ー上郡ー佐用12時35分着。大原町宮本の義弟とドッキング。上月城へ向かう。北側のお墓の位置から、約20分登る。小手調べとしてはややキツい。本丸に上がるが、非常に質素なお城という実感。お目当ての石垣遺構は殆ど認められず。佐用に移動途中、福原城(佐用城)に立ち寄る。
【福原城】
建武年間(1334〜)佐用兵庫介範家築造の平城。天正5年(1577)黒田官兵衛、竹中半兵衛らの攻勢で12月落城。城主、福原則尚は城に火を放ち菩提寺の高尾山円福寺で自刃。現在、本丸に首部(こうべ)神社として首級を祀ってある。私の妻の実家(福原家)ではこの神社の祭礼を行ってきたようだ。本丸の南北は田畑になっているが、西に土塁がはっきり認められ、西から北にかけて大空堀が認められる。佐用ICを越えてR373を北上する。
【利神城】
平福のかなり手前から、雑木を伐採した利神城がよく見通せるようになった。平福から北に回りこみ、駐車場へ。本丸北にアプローチ。好天と伐採効果で、かなり歩き易くなった。二の丸東の虎口、三の丸から大坂丸への虎口風なポイント。二の丸東の高石垣、素晴らしいポイントになった。晴れ間が出てきたが風が強く、カメラの風ぶれが心配。あちこちにある崩落危険の看板、私有地への立ち入り禁止など規制は多く、整備が進むと不自由になりそうだ。一応ポイントはカバーできほぼ満足な登城になった。R373に戻り一路、宮本武蔵生家の向かいの福原家に走り、お世話になる。
3月12日 8時半スタート。美作町役場に教育委員会石田氏を訪ね、三星城大手に案内してもらい英田郡周辺の城郭説明を聞かせて頂き大手から屋敷跡まで登り、案内板を読む。(急坂でここまででもヘバる)10時過ぎ津山城着
【津山城】
大手駐車場に車置き、予定通りに搦め手に歩く。ところが北御門の入口はシャットアウトでガッカリ。幸い、工事関係の人が入った鍵のあるフェンスを、失礼してついて入れた。搦め手入場は初めてだが、大手の単調さとは違い非常に感激であった。粟積櫓の南から入城、(ここまで工事シャットアウトになっている)裏下御門、裏中御門枡形、裏鉄御門から大戸櫓台あたりまで、変化の妙を楽しめる。本丸を南に歩き、天守台、備中櫓工事現場へ、備中櫓工事、骨組みほぼ完成の状況。切り手御門下の完成予想図単調ながら端正な外観、創建時の小倉城天守を彷彿とさせるイメージだ。
院庄ICから中国道ー岡山道で鬼ノ城へ