大阪でのマンドリン活動と私4  橋本 等


昭和42年

三好楽器から紹介された。と、会社まで面会に来た宮崎 輝世という人が「職域によるギターマンドリン 音楽愛好会を作りたい。その為、まず松下電器マンドリンクラブが賛同して一緒にやってくれないか」 と、話を持ち掛けられた。
幾ら三好楽器さんの紹介とは言え、初対面から突然言われても戸惑うばかり。 しかし、二回、三回と熱心に説得してくるその言葉の中に、ひょっとすると大阪でのマンドリン界の発展 を純粋に考えているのではと、ついに賛同してしまった。
そして彼を理事長とし、松下電器マンドリン クラブを事務局として『日本ギター・マンドリン音楽振興会』を発足させた。多くの会社のマンドリンクラブ が横の連携をとり、助けあいながら良い意味での競争をしていくようにすれば、お互いのレベルの向上に つながると共に、大阪でのマンドリン界に少しでも寄与することになると考え、事務局を引き受け、率先して リーダーシップをとっていった。


昭和42年10月

設立記念演奏会を毎日ホールにて開催、職域12団体が参加、盛大に発足させた。
昭和44年からは、毎日チャリティーコンサートをあのフェスティバルホールにて開催。特に45年12月 には服部 正氏を迎え、職域13団体350名が参加、あの大きなフェスティバルホールを一杯に、盛大な チャリティーコンサートを開催した。
又、心斎橋のヤマハ楽器のホールを借りて、年に数回、地道に小さな 発表会を行い練磨していた。

戻る |次へ