野球歴(学生時代と50歳超えてから)と私の愛犬 1)学生時代 私は甲子園球児??でした(当時捕手) 兵庫県では甲子園球場でも予選がおこなわれた) 新聞の掲載 1968年 2年生(甲子園球場です)の会心のレフトポール際のファール 1969年 高校3年生 1回戦延長14回勝利(捕手道具つけている左端が私) 2回戦7−0で7回まで勝っていたが12-7とひっくり返された 対 市立尼崎(ヤクルト池山選手の母校) 大学では投手 西医体2回優勝 全医体1回優勝 ほぼ毎年全国選手権(医学部ではない)に出場 初戦はほぼ勝っていた 24才、母校でサード前バンド処理(ランナー1,2塁) 2)50歳超えて |
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2006年(53歳)秋より、グンゼスポーツで一日2時間くらいの運動を始めてから、野球が再びできる体になってきた 62歳以降は体力もついて毎週試合できるようになりました(毎回投手) 15年くらい全く野球をしていなかったが、患者さんから誘われて参加 (その後、2009年からチームfamilysの監督兼エースになりました 2024.5病気で引退) l 60代にジャンプ l 70代にジャンプ |
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2009年 |
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2010年(57歳) |
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2011年 |
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2012年 2013年(60歳) 2014年 3月ピッチング(ホットモット球場) ピッチング連続写真(ホットモット球場) 筋トレなどで1か月に一度の登板から毎週登板できるようになった (試合数が劇的に増加) 2015.12投手守備(うまい! ホットモット球場) 2016年 2017年 9月3日高校生相手に1イニング、軟球6イニング 0に押さえる 2018年 2019年(66歳) 2019.9.1
西君を三振に 2019.9.1
もう一人の強打者をパームで三振に 2020年(67歳) 二塁牽制アウトにする 2021年(68歳) |
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2022年(69歳) ダブルスチール(背番号47) 女性打者を三振に(その1) 女性打者を三振に(その2) バッチング(会心の一塁ライナー) 2023年(70歳) |
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1月のピッチング(これならピッチクロック5秒でもOK) 2月のピッチング(経験者の若者と:内角のツーシームは通用した) 会心のレフト線二塁打(自分のイメージとは違い爺さん打ちだ) |
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2024年(71歳)
2月くらいからカーブをうまく投げられなくなり、デッドボールとなることが多くなった。箸の使いにくさを感じてきた。
尺側神経の障害(担当医は10年間、300イニングス投げればなりますといわれた)
まだ野球をしたいので5月1日に肘部管の手術
4月末の最後の試合(以前より投げ方がおかしく見える)
手術後もゆっくり進行。ギオン管での障害を考えて再手術(10/23)。
じいさん投手は普通の71歳の爺となり、多分今後野球はできないだろう。