AWADAGIN PRATT Piano recytal

'97 December 7th at THE SYMPHONY HALL

〜 曲目 〜

J.S.バッハ/プラット パッサカリアとフーガ

ブラームス/ ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ

ムソルグスキー/展覧会の絵

〜アンコール(以下2曲)〜

ラフマニノフ/ 前奏曲op.23-4

シューマン/リスト編曲 献呈

 初めてプラットを見る人は、彼がクラッシックのピアニストだとは恐らく誰も思わない。プラットはこの世界では珍しいアフロ・アメリカンだし、髪はドレッドヘアーで胸のあたりまでのばしていて、どちらかと言うとレゲエ・ミュージシャンに見える。
演奏スタイルも変わっていて、演奏会であっても彼は燕尾服を着ることはなく、カラフルなシャツにパンツといった格好で登場する。そして椅子はホールにあるものではなく、いつも持ち歩いている組み立て式の、友人が作ってくれたという小さな椅子を使う。椅子の小ささは並ではなく、床からの高さはせいぜい40cmという低さである。椅子の4本の脚は差し込んで回して止めるという形になっているらしく、今まで演奏中に壊れた事はないらしいのだが、見ている方は少し不安になる程の簡単な作りだ。その低い椅子に座り、彼はピアノの鍵盤にぶら下がっているような格好で演奏する。しかし一端彼の演奏が始まると、観客はその音に魅了され、椅子の事も彼の服装も忘れてしまうのである。

 開演時間を少し過ぎてから、彼は一年前と全く変わらない姿で登場した。変わっているのはホールだけで、前回よりも大きくなったホールに彼は堂々と登場し、座るとすぐに自分の世界に入り込んだ。

前回の演奏会で私は彼の弾くバッハの「シャコンヌ」に魅了されたのだが、今回も彼はしっかりとバッハをプログラムに入れていた。
最初の曲からいきなり、かなりの集中力を必要とするバッハの「パッサカリアとフーガ」を彼は何のためらいもなく弾き始める。天井が高く響きのいい教会の中で弾いているような演奏効果を出したかったのだろう。終始ペダルを踏み続け、その絶妙なペダリングで濁す事なく神々しい音を生みだし続ける。
この曲自体は演奏会の始めに演奏するには長すぎ、緊迫感があり、本来なら2曲目ぐらいで聴きたい曲なのであるが、彼の音は実にあたたかく優しく私たちの耳に届くので、聴衆は緊迫感ではなく安らぎをそこに見出す。プラットの音は哲学的なのだが、それは優しさとあたたかさで包まれているので聴き手の心にソフトに語りかけてくるのである。

 続くブラームスは古典の音を持つロマン派の曲にしっかり仕上がっていた。バッハの時とは違う音、違う弾き方に彼は容易に変化する。当然の事なのであるがこれはなかなか難しい事で、プロのピアニストであっても時折何を弾いても得意とする作曲家の作品を連想させる音を出してしまう人がいる。言うまでもなく、作曲家が変われば音も変わるのが自然である。
プラットの曲へのアプローチは深い。そして彼の思い描くその曲の姿を的確に表現し、語りかけてくる。それは決して押し付けがましいものではなく、包み込むような懐の深さを感じさせるものだ。だからどんなに緊張感のある、息抜きのないプログラムを組んでいても、聴衆に疲れを感じさせないのである。

 20分の休憩の後、組曲「展覧会の絵」が始まった。ラヴェル編曲のオーケストラ版があまりにも有名なこの曲は元々ピアノ組曲なのであるが、その長さ故にピアノの音だけで演奏されるそれを飽きずに全曲聴き通す事はなかなかを難しい。私は今まで「展覧会の絵」はオケ版が一番だと思っていた。しかし今回の演奏を聴いてからは、やはりピアノで演奏するというのがこの曲の本来の姿なのだ思うようになった。
同曲ではポゴレリッチの「展覧会の絵」も素晴らしいが、彼の演奏がオーケストラの響きを連想させるのに対して、プラットのそれはこれがピアノ曲であるという事を認識させるものだった。各曲ごとの絵がプラットのピアノの音で、聴衆の頭の中に次々と再現されていく。時に力強く、時に優しく美しく。
特に「チェイルリーの庭」の時などは、陽の光を感じさせるようなその音のきらめきにハッとさせられた。それに続く「ブイドロ(牛車)」は何事が起こったのかと思う様なオケ版の大仰さはなく、牛車がでこぼこの土の道を少しづつ進む様子を連想させた。 「展覧会の絵」全曲がこれほど短く感じられた演奏は初めてだった。

 疲れた様子もなく彼は軽やかに立ち上がり、観客の拍手に答える。3曲全てが大曲だったにもかかわらず、私には疲労感がなかった。むしろ穏やかさとあたたかさが心に満ちていた。
アンコールは案外あっさりしていたが、プログラムを見れば彼の疲労感は相当なものである事がわかる。得意とするラフマニノフの前奏曲を弾き、シューマンを弾いたところで彼は舞台を去って行った。

揺るぎない集中力と大地のあたたかさを持ち、空間を感じさせる彼の音楽。決してスターにはならないだろうが、彼は確実にファンを増やしていくだろう。プラットはデビュー2年目でまだその存在をあまり知られていない。そのせいか今回のコンサートは7割ぐらいしか客席は埋まっていなかった。しかし、彼には会場を満員にさせる力がある。
昨年よりも深みが増した彼の音楽。次の来日コンサートでは、増えているであろう観客と共に、彼のピアノに包まれたいと思う。

<Memo>

現在出ているCDは東芝EMIから2枚だけで、下記CDの他にベートーベン・ソナタ集があります。

アワダジン・プラット EMI CLASSICS<TOCE-8864> 
  収録曲:J.S.バッハ「シャコンヌ」ブラームス「バラード集作品10」他

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