ニューヨーク旅行記〜上陸編〜 



<10/31>

 1997年のイタリア行き以来、2度目の成田で友達と合流してNYへ。 その日、私は朝5時起きで一人伊丹空港から成田へ向かいました。

 日ごろにはない早起きで、既に国内時差ぼけをおこしそうになりながら成田に到着したのは午前8時。東京に向かう途中、窓から見えた富士山に感動し、たまには飛行機もいいものだと思いつつ無事成田に到着。そして、1997年にウィンザー城を一緒に訪れて以来会っていなかった友人と合流しました。今回はANAの直行便でJFK空港に向かいます。
実は二人とも初めてのアメリカ、そしてNY。どんな旅になるのか、期待を胸に飛び 立ちました。

 ヨーロッパに行くよりも短いフライトで、いつもよりダメージは感じず、アメリカ に上陸。
何回目のアメリカ来訪か、薬物中毒ではないか、精神に問題はないかなどの質問が 並んだ記入済みカードを手に、入国審査に向かいます。
そう。ヨーロッパではないのですが、アメリカ入国時には、こんな質問書を書かさ れるのです。うーん、既にいつもと違うと感じながら長い行列に並びます。

 ここを通過してから荷物を取りに行くのですが、ガイドブックによると早く荷物を 取りに行かないと盗まれることもあるとか。
早く受け取りに行かなきゃと焦る思いとは裏腹に、私たちが並んだ係員の列は、いっこうに短くなりません。何をしているのかと眺めると、ここでまたアメリカならではのドラマが展開されていました。

 アメリカでは帰りのチケットがないと、旅行者はすぐに強制送還されることがあ る。そして、宿泊先が決まっていないと空港から出してもらえない・・・私たちは往復のチケットを持ち、宿泊先もしっかり決まっているので問題ないのですが、あちこちのレーンで問題が発生。
格好だけはブラザー系の英語が分からない人たちが居るブースの係員は、イライラ を前面に出して、
「ANA!」
と叫んで通訳しろ!と呼びつけています。それも、かなりご立腹。
うーむ。凄い所だ・・・ときょろきょろしつつ、どんどん経っていく時間に焦りま す。今ごろ荷物はどうなっているのだろう。でも、まだ私たちは呼んでもらえません。そして、なぜか同じ便で来た人たちの中で私達二人が最後の組になってしまいました。

 もう、何でこんなに遅いのよっ!と腹を立てながら漸く呼ばれたので二人そろって係員の所に行くと、
「一人づつ!英語がしゃべれないのか?!」
とぶっきらぼうに言う係員。
「しゃべれるけど」
と答えると、私は隣に行けといわれました。

別レーンに移動し、バスポートとカードを渡して漸く質問が始まります。
「アメリカは何回目?」
「初めてです」
「どれぐらい滞在するの?」
「一週間」
「どこに泊まるの?」
「チェスターフィールドへ」
と、ここでまた、
「どれぐらい滞在するの?」
だからっ!というのをぐっと飲み込み
「一週間・・・」
そこで、スタンプがポンポンと押され、はいっとパスポートを返されました。 荷物、荷物と後ろを振り向くと、まだ友人はつかまったまま。
「きれいな発音だね。イギリスに居たの?」
なんて、入国と全く関係ない事を話す係員・・・ そんなことをしてるから、一番最後になっちゃったのねと怒りを覚えつつ友達を待 ちます。
漸くしてから係員の気がすみ、漸く開放されて荷物置き場へ。

 果たしてまだ我々の荷物は無事なのか?!とどきどきしながらたどり着くと、これ もまたアメリカ。漸く荷物が出始めたところでした。

 無事各々の荷物を回収し、空港を後にすべく行動を開始します。
荷物をガラガラと引っ張って移動する途中、背が高く、肉付きの良いアフロアメリ カンの空港スタッフとすれ違いました。 その瞬間、聞こえてきた歌はコール・ポーターの「I Get A Kick Out Of You」。
口ずさんでいるだけなのだけれど、その味のある声と独特のリズム感に、
『うわ〜っ。本当にアメリカに来たんだ〜』
と体全体で感じ、ここで初めて喜びとアメリカ上陸の実感を覚えました。

 私の好きなコールの曲を早速空港で聴けた事に驚き、これから出会うであろう未知 の世界にますます胸を膨らませて、私達はタクシー乗り場へと向かいました。

 空港のタクシーは、ちゃんと乗り場から乗らなくてはならない」という教訓を胸 に、隙あらばと声をかけてくる怪しげなタクシーの勧誘を無視して二人、ごろごろと荷物を押して乗り場へ向かいます。

 空港の外は思ったよりも静かで人もまばらなのですが、乗り場にはちゃんと 係員が居て、『空港からマンハッタンまでは、一律30ドルと定める』とNYで定め られたタクシー料金を紙に書いて乗客に手渡しています。観光に力を入れているNYな らではのサービスです。
でも、これはあくまでも到着の時だけで、マンハッタンから空港へ向かうタクシー はメーター通りです。
何かあったらこれを見せるんだよと、係員が私たちにも料金を書いた紙を手渡して くれました。

 行き先を告げ、思ったよりもクッションのいいシートに深く腰かけてシートベルト を閉めます。いわゆるイエローキャブに乗り、アフロアメリカンのドライバーの背中を見ながらNYの街に滑り出しました。

 マイル表示なので今どれぐらいの速度で走っているのか分かりませんが、大丈夫 ?と少し心配してしまうようなスピードで、車は高速道路を進んで行きます。何の変 哲も無い高速道路。
そして、橋を渡った時、見えました。マンハッタンです!
あの映画「ウェストサイド・ストーリー」のオープニングに出てくる絵の通りの ビック・アップルが見えました!
またまた、NYに来たんだという実感に包まれます。おおっ!と思っている間に、車はどんどんマンハッタンへと進んで行きます。

 街中に入り信号で止まった途端、ドライバーは窓を空け、隣のタクシーのドライ バーとおしゃべり。どうやら知り合いのようで、今日は何時あがりだというような事を話しています。
その間、私は相変わらず見るもの全てが物珍しく観察モードで周囲をきょろきょろ。

 まず、車道沿いにある空き地にはバスケットボールをする少年たちが居ます。いか にもアメリカ!
そして、路上駐車している古びた車には窓に張り紙が。 見ると、「車売ります!」の張り紙でした。走行距離と連絡先が記載さています。 なんと路上で車を売っている!!驚きです。

 再び動き出した車窓から、ますます興味深々でNYの街をのぞきます。季節はもう秋。色づいた木々の横を通り、高層ビルの間を抜けて車は進みます。
と、急にトンネルのような所を潜りはじめました。後でわかったのですが、これは セントラルパークを横切るトンネルでした。

 車に乗る事数十分。漸く目的地、ウィークリーマンションのチェスターフィールド に到着です。普通なら通れるはずのマンション前の道が閉鎖されている為、少し手前でタクシーを降り、トランクから荷物を出してもらいます。
高速道路の料金とトランクに入れた荷物の料金を上乗せされ、結局チップを入れて39ドルを支払い漸く自分の足でNYの大地を踏みしめます。

 降り立った場所は、マンションの立ち並ぶ静かな道。アッパーウェストサイドの高 級住宅地エリアなので、ごくごく普通の地味な雰囲気です。
歩道に張り出したテントに表示されている番地を確認します。入り口には24時 間ガードマンがいるという説明通り、一人の男性が立っていました。
見るからにお客だと思われたらしく、全く質問なく入り口をパス。聞く前から7階 が事務所だよと教えてくれました。

 言葉通りにエレベーターで7階へ。到着したところは、いたって普通のマンション の部屋が並ぶ廊下。
T字型の廊下に同じドアが並んでいます。言われた通りに来たものの、一体どこが事 務所?早速迷い始めたのでした。


・上の写真は、成田から我々が乗った飛行機(ANA)です。(著者撮影)


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