ニューヨーク旅行記
〜メトロポリタン・ミュージアム編・2〜 



<11/3・午前>

 最初に見た絵を忘れてしまいそうになるほど、次々に登場する名だたる画家達の絵を目にしながら歩き続けていると、突然ロダンの彫刻が現れました。いつの間にやら「19世紀ヨーロッパ絵画・彫刻」エリアに足を踏み入れたようです。

 急に現れた彫刻、そして急に現れた子供たち。小学校低学年ぐらいに見える地元の小学生達が、画用紙を持って彫刻や絵画の前に陣取り、思い思いの絵を描いています。まあ、なんて贅沢な!そして何と幸せな子供たちなのでしょう!ヨーロッパでも何度も感じた事ですが、こんなに小さな頃から人類の宝物に囲まれ、慣れ親しんで育って行くのです。
 白い紙にクレヨンで思い思いに描かれた絵。思わずどんな絵なのか興味が沸き、上からそれとなく覗き込んでしまいます。あはは。自由で楽しい。思い思いの色で、友達とぺちゃくちゃしゃべりながら、楽しげに、時には面倒くさそうに手を動かしています。
 東京上野の西洋美術館でロダンの彫刻には慣れ親しみすぎた私の目には、子供たちの姿の方がとても新鮮に見えてしまいました。

 彫刻の置かれた通路を横切り、展示室に足を進めます。次に入った部屋は、印象派の部屋でした。まず現れたのはモネ、そしてセザンヌ、ルノアール。いつもの彼らの「色」が並んでいます。
モネは上野の絵の方がいい絵がそろっているなと思い、セザンヌは相変わらず好きになれない質感だと感じ、ルノアールに至っては何を見ても受ける印象はいつも同じ、「珠玉の名曲ピアノアルバム」の表紙だと思ってしまいました(笑)。

 さて、その中で印象的だったのはゴッホです。何が印象的だったかと言うと、数点ある自画像の中の「麦わら帽子の自画像」。これが、思っていたよりずっと小さな絵だったのです。絵を見てサイズが印象的とは、見るべきものが見えてないと怒られそうですが、約40cm×32cmというサイズだと聞くと、あれっ?と思いませんか?それに額縁がつくので、絵はもっと小さく見えるのです。
 燃え立つような「糸杉」は約93cm×74cm、「アルルの女」で約91cm×74cmあるので、やはり彼の絵にしても小さいのです。印刷物で見るのと、実際に見るのとは絵は違うものだとまたここでも思わされました。

 どこに行っても必ずあると思っているゴーギャンのタヒチの前を「一体彼はそれで、何枚タヒチで描いたのかしら」と突っ込みをいれて通り過ぎ、だから、はっきりしなさいよ!と言いたくなるスーラの筆遣いにいらついている内に、またモネに戻ってしまいました。

 仕方なく再びロダンの前を通り過ぎ、まだ見てないと思われる部屋に移動。ロートレックの絵の少なさに、もっと見たいと思って足を進めると、ドガが登場しました。「踊り子」か・・・余り好きじゃないんだけど・・・と心の中でぼやいて少し暗い小さな部屋に歩を進めると、出た〜っ!!私の周り、全部がドガの踊り子の彫刻だらけっ!!!絵も彫刻も一堂に集めました!な部屋に入ってしまったのです。
 ううん・・・オークションでよほどセットで売られてたのか(おや、失礼っ)アメリカ人が踊り子好きなのか分かりませんが、もうこうなったら笑っておきましょう。足早に立ち去ります。

 今のは凄かったと次の部屋の展示物に目を上げると、今度はマネが待っていました。「女とオウム」はともかく、「スペイン人の歌手」はいただけません。
写真のような質感でも、カラバッジオは好きだけど、マネは嫌いだと、またはっきり好き嫌いを心の中で断言してしまいます。
 同じ「女とオウム」でも、こちらは随分官能的なクールベの絵で一息つき、ミレーとドーミエは嫌いなの〜と頭の中で歌いながら、モローの「オイディプスとスフィンクス」を見て、相変わらずのモロー・ワールドを感じてこの「19世紀ヨーロッパ絵画・彫刻」から出てきました。

   次はどこに行くべきか。悩みつつ写真の展示が続く通路を通り過ぎます。アンリ・カルティエ・プレッソンをはじめ、メープル・ソープなんていう過激な人も含めて写真は結構好きなのですが、とにかく本当に見たいものを見ないと時間切れになると判断。 どこをどう進んだのかは謎ですが、20世紀美術に辿り着きました。


・上の写真はメトロポリタン・ミュージアムです。(著者撮影)


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