Ivo Pogorelich Piano recytal

'97 November 13 at THE SYMPHONY HALL

〜 曲目 〜

J.S.バッハ/平均律クラヴィーア曲集 第一巻より第15番、第21番

J.S.バッハ/イギリス組曲 第3番

シューマン/トッカータ

ショパン/24の前奏曲

〜アンコール(以下5曲)〜

ブラームス/3つの間奏曲op.117-1,2,3

グラナドス/スペイン舞曲 第5番(アンダルーサ), 第9番(マズルカ)

イーヴォ・ポゴレリッチももう今年で39歳になる。演奏はもちろんの事、俳優のような甘いマスクに魅せられた女性ファンが彼には多数ついている。私が初めてその存在を知ったのもファッション雑誌の特集記事だった。こんな風に取り上げられる演奏家は初めてだったし、またショパンコンクールでの有名なエピソードに驚き、一度聴いてみたいと思ったのはもう10年以上も前の話しである。

今回実は初めて彼の演奏をコンサートホールまで聴きに行ったのだが、一言で言うならキャリアを積んだピアニストの演奏会だった。
安定したテクニックと途切れる事のない集中力。その演奏に観客は水を打ったように静かに聞き入っている。選曲も技巧を見せ付けるようなものは見当たらず、一つ一つの音の響きを味わいながら進んでいくようなものが多い。若い演奏家の場合しばしば技巧を駆使した(誇示した)曲を数曲入れている事が多く、聴いている方も時折余計な心配をしながら聴いてしまうのであるが、今回の公演は前述した様にプロフェッショナルな演奏で、終始心地の良い緊張感があった。

ポゴレリッチの演奏は言うまでもなく個性的で、曲の演奏時間が非常に長くなる傾向があるのだが、今回の演奏会ではCD録音時より更に長くかかるようになっている。
ゆったりとした曲では鍵盤に指を降ろしてからハンマーが動き、弦に触れて音が発してホールに響くのを確認してから次の音に移るといった演奏をしている。といっても間延びしている訳ではなく、それは彼が必要と考えている音の長さであり、響きなのであるがとにかく長い。

まずバッハだが、これは不思議なバッハとでもいうか、ポゴレリッチの「バッハ」だった。時にはメンデルスゾーンの曲かと錯覚するような華やかさがあるのだが、この曲を何処で聴いている気分がするかと言われると、やはりコンサートホールではなく教会がしっくりくる様に感じられるのである。
ピアノでバッハを演奏する場合、大ざっぱに言うと二つに分かれる。まずはバッハが作曲した当時ピアノが無かった事を考え、チェンバロに近い演奏を目指そうという考え方。そしてもう一つはピアノフォルテで弾く以上ペダルも使うなどその性質を活かして演奏しようという考え方である。ポゴレリッチの場合は言うまでもなく後者なのであるが、今まで聴いたこともない程彼のバッハは華麗だった。

それに対してシューマンは華やかではあるがシューマン特有の対位法的な楽曲の構成がバロックの雰囲気をだしており、バッハが終わると拍手をさせる間もとらずに弾き始めたせいか、曲が「トッカータ」であるせいか、バロックとロマン派という時代の違いをあまり感じさせない演奏だった。心地良い緊張のうちに前半が終了。

そして後半のショパンが始まった。スタスタと歩いてきて頭を下げ、座ると時間をとらずに弾き始めるというスタイルは後半も同じだった。
ショパンの「24の前奏曲」はCDと同様曲の切れ目がなく続いていく。まるでループだと思いながらその楽曲の構成を聴いていた。
当たり前の話しなのだが、24曲で一つの楽曲として成り立っているのだという事が、彼の演奏からはダイレクトに伝わってくる。一つ一つの曲が終止線を持ち独立して成り立っているのではなく、24曲が連なる事によって一つの作品として存在しているのだという演奏。
「24の前奏曲」は単独で演奏される事の多い名曲が含まれており、その長さから抜粋で演奏される事もプロのコンサート意外では案外多い。それに慣れてしまっている聴衆には彼の演奏は新鮮に感じらただろう。途中テンポの速い曲ではホールの音響のせいか、聴き手の耳のせいか、少しメロディーを見失ってしまうようなバランスの乱れも感じられたが、彼の演奏は安定しており、新鮮味を失わず、聴衆を飽きさせないものであった。

アンコールでも彼の楽曲に対する考え方は貫かれていた。いくつかの曲で成り立っている作品はたとえアンコールであろうと完全な形で演奏されるべきだと思っているらしく、彼はブラームスの「3つの間奏曲」を途切れる事なく弾ききった。続くグラナドスの「スペインの舞曲」はさすがに抜粋になったが、どの曲をとってもテクニックで人を圧倒するのではなく、表現力で聴衆を魅了する選曲、そして演奏であった。

年を重ねるごとにますます円熟味を増していくであろうポゴレリッチのピアノが、これからどう変わっていくのか。次には何を選曲し、どう弾くのか。それを楽しみにさせてくれる一日だった。

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