2007年の山旅 (1月〜4月)



葛城山

【登 山 日】  2007年1月10 日 晴れ    
水分橋に車を置いたのはすでに9時40分。それでも車を降りると寒さが身に沁みます。 ゆっくりと天狗谷(青崩)道を登りました。 788mピーク近くまで来ると、うっすらと雪が残っていました。途中で5分程休んだだけで11時20分、頂上に着きました。二人だけの貸し切り状態で、真っ青な空の下、しばし360度の大展望を満喫しました。 つつじ園の上で金剛山を眺めながらランチタイム。気温が低く沸かしたお湯がすぐにぬるくなります。12時10分には早々と下山にかかり、13時30分、駐車場所に帰りました。去年の夏以来の葛城山でしたが、とても快調に歩けて、「やっぱりペンギンには冬の方がええなあ」と言いながら家路につきました。


二度目のマレーシア最高峰・キナバル山


【登 山 日】 2007年1月20 日〜21日
【メンバー】 千日山歩渉会  計11名



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20日 Power Station 登山口08:25…第1シェルター8:58~09:07…第3シェルター10:00~10:08…2q標識10:20…第4シェルター11:03~11:15…ラヤンラヤン(昼食)11:55~1220…第5シェルター13:35~13:50…5q標識14:23…ラバンラタ小屋15:15
21日 ラバンラタ小屋02:23…サヤッサヤッ小屋04:20~04:27…8q道標06:01~06:10…ロウズ・ピーク06:45~07:05…サヤッサヤッ小屋08:13~08:35…ラバンラタ小屋09:55~10:43…第5シェルター11:45~12:10(昼食)…ラヤンラヤン12:50…第3シェルター14:05~14:12…第1シェルター14:50~15:00…登山口15:15

六甲山

【登 山 日】 2007年2月13 日(火) 
【コースタイム】 芦屋川駅09:05…高座の滝09:30〜09:34…風吹岩10:25〜10:30 …雨ヶ峠11:20〜11:30…本庄橋跡11:45…一軒茶屋12:30…六甲最高峰12:40〜13:10
……有馬バス停14:30

思い出を辿りながら高座ノ滝へ。ロックガーデンの懐かしい中央稜を登る。真っ青な空の下、白い花崗岩がまぶしい。見下ろす神戸の街は春霞に煙っている。ちょっと荒れた感じの谷間を登って風吹岩に来る。12年前の震災の影響か形が変わったように思う。
猪除けの扉を開けてゴルフ場を通り抜ける。なんと水道が設置されていた。急な石段で住吉谷の左岸へ登る。大きなダムが出来ていて、この辺りの変わりようが一番激しいようだ。七曲りが楽に登れたのは、道の整備が進んだことよりザックの重さが違うせいだろう。お城の様な石垣の豪壮さに目を見張りながら一軒茶屋に着く。最高峰は6年前は真新しかった標識も古び、電波塔の建物が新しくなっている。3連休明けの頂上は人影も少なく、のんびりとランチタイムを楽しむ。魚屋道を有馬に下りバスで帰った。

二上山

【登 山 日】 2007年2月21日(水) 晴れ
【コースタイム】 ふれあい広場10:17…祐泉寺10:33〜37…馬の背11:03〜11:07…雄岳頂上11:17〜11:25…馬の背通過11:36…雌岳11:36〜12:06…岩屋峠12:16…竹ノ内峠12:35〜12:45…(大阪側)登山口12:55…鹿谷寺跡13:07〜13:13…岩屋峠13:30〜13:50…祐泉寺14:02…ふれあい広場P14:20


祐泉寺から最短距離の岩屋道を馬の背へ登る。ベンチで汗を拭って雄岳へピストン。ぐ引き返して雌岳に登り返す。昼食を済ませ、葛城山を見ながら岩屋峠に下る。竹ノ内峠へは小さいピークを二つほど上下していく。急な下りになると、次第に車の音が高まり広い車道に降り立った。竹内街道は飛鳥時代には最初の官道として栄え、浪華と大和を結ぶ中間の宿駅がここ竹ノ内峠にあった所で、「是より東奈良県、大和国」と書かれた府県境標と「鶯の関」跡の碑がある。『我おもふこころもつきず行く春を越さでもとめよ鶯の関』と平安時代の「明玉集」に詠まれたことが記されている。激しく車が行き交う国道166号線脇を大阪側に10分程下る。「二上山登山口」の車用標識から急な木の階段道を登り、脆そうな凝灰岩が現れると鹿谷寺に着く。日本最古(八世紀)の十三重石塔は凝灰岩の地山そのものから掘り出したものという。岸壁を削った石窟のなかに三体の如来座像線刻もあった。雌岳へのは登るにつれ眼下に河内平野の風景が拡がりミニ・ロックガーデンの趣で楽しい。最後は急登でダイトレ道にでて岩屋峠に帰る。

白猪山  

標高819.7m.。堀坂山、局ヶ岳とあわせて伊勢三山と呼ばれる。何本かの登山道があり、1998年1月に都登山口から二人で登った。今回は夏明から登る。

【登 山 日】 2007年2月25 日(日) 晴れ
【メンバー】 フェアレディ、のりか、
        ペンギン夫婦
【コースタイム】 夏明登山口09:37…御所平分岐10:03……二の峰<石尊大権現社>10:45〜10:56…白猪山山頂 11:08〜12:00…矢下・都分岐12:23…夏明登山口12:50


夏明集落からコンクリートの急坂を登る。御所平という地名は何か南朝とゆかりがあったのだろうか。次第に谷が近づき不動小屋を過ぎると、傾斜が緩み左に小さな滝を落とす谷を見下ろすようになる。やがて小さな祠のある広場に出た。祠の屋根には「菊のご紋」がついている。再び急坂のジグザグの登りになり石尊神社に着く。横の草地の丘(二の峰)からは、素晴らしい展望が開ける。目の前に聳える急坂を登ると懐かしい展望台があり、右に折れるとすぐ先に819.7mの二等三角点があった。前に来たときに比べると、ずっと展望が良くなって目の前に堀坂山、東に伊勢湾が見える。特に北側は良く晴れて鈴鹿の山々が美しく望めた。昼食を取り、食後のコーヒーで暖まる。
正午に頂上を後にする。二の峰からは南に溝状に掘れた道を下る。往路のコンクリート道と違って、ふかふかの落ち葉に覆われた土の道が足に優しい。雑木林やスギとヒノキの植林帯を行くと路面にコンクリートが現れ、新しい道で直接、夏明に帰れた。

竜王山(天理)

【登 山 日】 2007年2月27 日(火) 晴れ
【コースタイム】 長岳寺10:33…不動石仏11:12…竜王山三角点(南城址)11:48〜12:10…北城本丸跡12:45〜13:15…南城址との分岐13:25…長岳寺14:25


長岳寺に車を置き、楼門を潜る。門前に「えにしあれや長岳寺の法の水 むすぶ庵もほど近き身は」という竜王城主・十市遠忠の歌碑があるのを始めて知った。柿畑の中を登っていくと、柵の中に白い馬がのんびりと春の陽を浴びていた。お不動さんと筺仏が並んでいる辺りで山頂までのほぼ半ばになるが、休まず登り続ける。竜王山の頂上は南北ふたつあり、かってはそれぞれに十市氏の山城が築かれていた。まず藤井田竜王社の前を通り南城址へ。アスレチックの遊具が置かれ、二等三角点(586m)が埋まる。で大和三山が浮かぶ大和国原の向こうに、金剛・葛城から二上山、矢田丘陵、信貴・生駒と見慣れた山々が並んでいる。

柳本竜王社の方に下る。。山を挟んで東西に位置する藤井と柳本の集落が、それぞれ水神を祀っていたことが分かる。トイレの前に出て、ダムの方に舗装路をゆるく下る。馬池跡を過ぎた大きな案内板を左へ、荒れた林道のような広い道を登る。最後は踏み跡で崖を急登すると広い本丸跡にでた。何年か前に来たときの、ワラビが無数に生えていた草原の面影はなく、無人の野面一帯に枯葉が散り敷いていた。トイレ前に帰り、崇神天皇陵の方に下る。長い階段道と露呈した小岩がゴロゴロして少し歩きにくい道である。円墳・横穴あわせて600といわれる竜王山古墳群の一つを覗いたりしながら下る。やがて川沿いの舗装路になり、下流に来るとダム工事が行われていた。山辺の道に出合って御陵のお堀沿いを長岳寺に帰る。

矢頭山

津市にあり、役行者が蔵王権現を勧請して開山したといわれている。 標高731mの低山ながら、鋸の歯を連ねたような山容で登行欲をそそる。

【登 山 日】 2007年 3月2 日(金) 晴れ
【コースタイム】 中宮公園駐車場09:53…不動の滝10:02〜10:07…椿小屋10:20〜10:28…稜線11:00…大日拝展望台11:15…矢頭山三角点11:40〜12:10…矢頭峠12:50…中宮公園駐車場13:03

中宮公園キャンプ場に車を置く。目の前に樹高42.5m、胸高での周囲9.65mという「矢頭の大杉」が聳えている。峠の方に引き返すと沢を挟んで道が二つある。左岸は散策路の滝見コースで、右岸の御峰コースを登る。少し先の不動滝へは急な木の階段を下る。小振りだが三段に落ちる形のいい滝で、左の岩壁に不動明王の線刻画が残る。不動休憩小屋、四阿(椿小屋)を過ぎてスギ植林の山道に入る。最初から厳しい急登である。椿小屋から20分登ったところで大岩が現れ、乗り越すと木のベンチがあり下の展望が開けた。さらにロープの付いた急登で稜線に出た。何度目かの急登で牛ヶ峰(大日拝)のピークにでる。秋葉大権現の石塔があり、かっては展望が良かったのだろう。今は木の間から本峰らしい頂が見えるだけで、うっそうとした樹木に囲まれている。少し下ると南と西側の展望が開け、近くに大きな山容の髯山、その左遠くに鋭い局ヶ岳が見えた。緩やかな起伏で次のピーク(不動ヶ嶽?)を越すと、髯山への分岐があるピーク(風尾ヶ嶽?)で、これまで南西に向かってきた道は北西に変わる。露岩の痩せ尾根を標高差60mほど下り、急坂を一気に登り返す。ちょっと面白い岩場を通過して、大きな岩を回りこむように明るい頂上に飛び出した。御峰と呼ばれる最高峰で、蔵王大権現の祠があり三角点が埋まっている。西側には高見山の尖峰の右に古光山、大洞山、倶留尊山が並び、形のいい尼ヶ岳に続いている。ずっと南には局ヶ岳や白猪山が見え、東には津、松阪の市街地の彼方に伊勢湾が霞んでいる。豪華な眺めを欲しいままにしながら、ぽかぽかと暖かい日を浴びてお弁当を食べた。

下り道もアップダウンが激しく、決して楽ではない。最後の地蔵嶽を越えて下を覗くと、嫌になる程の傾斜で木の階段が続いている。この下りは地蔵の尾というらしい。大きな岩が数個並んでいる所からようやく傾斜が弱まり、しばらく先で県道が見えて通行止の林道横で矢頭峠にでた。かって関所があったということだが、昔を偲ぶよすがもなく荒れた感じである。登山口同様、去年9月にここでクマが出たという注意書きがあった。舗装路を下ってもとの矢頭大杉の前に帰る。天候も展望も申し分なく、誰にも出合わない二人で貸し切りの静かな山を楽しめて、大満足の一日だった。

猪ノ口山から千丈寺山

【猪ノ口山】丹波市春日町と市島町の境。地形図では城山となっていて356.8mの標高と黒井城跡の記入がある。地元では黒井城山、天神山、保月城祉、保築城址など様々に呼ばれているようだ。

【登 山 日】 2007年3月7 日(水) 晴れ    
【コースタイム】 登山口11:00…石踏の段跡11:23…猪ノ口山11:35〜12:18…兵主峠12:40…千丈寺山13:00〜13:10…兵主峠13:27…氷上高校入口14:00…興禅寺14:15




興禅寺駐車場からすぐ「黒井城址」の石標と「保月城址」登山口標識があった。こちら側からは西側の尾根を登ることになる。落ち葉を踏んでしばらく登ると尾根に出て、見下ろすと春日の町並がもうかなり低くなっている。東側からのコースに合流し、赤く塗られた門の建つ「石踏の段跡」に着く。本城を囲む防御陣地・曲輪のひとつで、正面に大きく向山が横たわっている。多田への分岐のすぐ上が東曲輪で、野面積みの石垣の跡がある。このような石垣は山中のあちこちに残っていた。次の段の三ノ丸から芝生の広場続きで、本丸のあった山頂に着く。
黒井城は南北朝時代の建武二年(1335)、赤松則村の次男、貞範が山頂に築城したのが始まりである。戦国時代の天文23年(1554)、荻野直正が大改修して現在の規模になったが、天正7年(1579)、明智光秀の丹波攻めによって落城した。現在に残された城跡からも往時の偉容を偲ぶことができる。本当に素晴らしいロケーションに城を構えたものだ。かなり遠くまで周囲遮るもののない大展望に恵まれた。これまでに登ったことがある山を二人で指さして懐かしんだ。西の方角遠くに見える形のよい山は笠形山、その右に続く山並みの中央に千ヶ峰が横たわる。北西にはこれから向かう千丈寺山の右上に五大山、さらに右に五台山が高い。この二山はもう一昨年になるが、たぬきさんらと歩いた懐かしい分水嶺の山である。反対側の東には多紀アルプス。三嶽を挟んで左に小金ヶ岳、右に西ヶ岳。北の方に白い山が見えたが、長老ヶ岳だろうか?

猪ノ口から北西へ続く尾根道は急な下りで始まる。西ノ丸跡の小ピークに登ると、先程までいた山頂が思いの外高く見えた。新しい鉄ハシゴを下ると兵主峠で「戸坂道・山ノ神道」の標識が左は黒井(氷上高校)、右は戸坂への道を示している。千丈寺山へは直進して小さいピークを二つ越えていく。藪山だがよく手入れがされて、道迷いの心配は全くなく安心して歩けた。最後の急坂を登ると千丈寺山山頂である。南側が切り開かれていて、正面にどっしりとした向山連山が屏風のように連なっていた。振り返ると木の間から猪口山が、ほぼ同じ高さに見える。微かに砦のあとの石積みも望めた。兵主峠に戻り、抉られた溝状の道を10分程下るとヒノキ植林となり、青いビニールテープが氷上高校東側に導いてくれる。マンサクが鮮やかな黄色の花を咲かせていた。


中山連山縦走

【登 山 日】 2007年3月16 日(金) 晴れ 
【コースタイム】 阪急山本駅09:40…最明寺滝10:05…361ピーク11:00…中山最高峰12:00〜(昼食休憩)12:40…奥の院13:00…夫婦岩13:33…中山寺本堂14:10…中山駅14:20


駅から住宅街を抜け、沢沿いの道で大聖不動寺の山門を潜る。まず「最明寺滝」を見に行く。高さ15mほどの滝の名は、北条時頼(鎌倉幕府第5代執権・晩年出家して最明寺入道と号した)がその形を愛でて、近くに庵を建てたことによるという。分岐に戻るとようやく山道らしくなり、ダムの横を長い階段で登る。満願寺への分岐に来ると、住宅の屋根がすぐ側に見えるのに驚く。ロックガーデン風の急な岩場の登りになり、一気に100mほど標高を稼ぐ。頭上に見える送電線鉄塔を目指し快適に登る。左手に六甲の山並みを背にした市街地の展望が大きく拡がった。鉄塔が立つ小ピークで急登は終わり、ゆるい登りで631mピークに出る。急激に下り、最低鞍部から何度か稜線上のアップダウンを繰り返す。空の青さとマツの緑が白い山肌に映える明るい縦走路である。尾根が北西にから西に向きを変え小さい岩場を過ぎる。両側に金網が張られた自然林の中の道になると、縦走路のすぐ側にある最高峰に出た。二等三角点があり、北側は切れ落ちた断崖になっている。北西側手前になだらかな検見山、その右「山」形の大船山、奥に三国ヶ岳、ずっと右に三嶽。北に深山や剣尾山、半国山…。反対側の南東には大阪市街の向こうに、いつも見慣れた生駒から葛城に連なる山々が霞んでいた。
 昼食後、曇り空に変わり寒くなったのでヤッケを着込んで奥の院へ向かう。小さなピークを二つ越して行く。20分程で奥の院に着く。お堂に手を合わせて石段の参道を下る。鬱蒼とした林の中に、宇多天皇御自彫の天神や聖徳太子御修行の地などがあり、丁目ごとに丁石や石仏が置かれて神秘的な雰囲気が漂う。夫婦岩に来ると甲山を背にした仁川の町など、ようやく明るい展望が開ける。旧道を下り、梅林横から中山寺の境内に入る。本堂の観音様に手を合わせ、今日の山歩きが無事終わったことを感謝した。久しぶりの中山さんは修復工事中で、参道も広くなり、周囲の塔頭もすっかり新しくなったが、古びた山門だけが歴史の重さを語っているように思えた。

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