2008年の山旅 (1月〜4月) |
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天理・竜王山 【登 山 日】 2008年2月28 日(木) 【コースタイム】 長岳寺10:00…不動尊石仏10:40…田竜王社11:07…頂上(南城跡)11:15〜11:50…長岳寺13:05 ![]() 寺の境内を過ぎた辺りから霧氷が現れ、地肌にもうっすらと白く雪が残っている。久しぶりの登山靴に足元がやや不安だが、思いがけぬ雪景色を楽しみながら快調に登る。滑りやすい急坂を登って頂上の南城址に着く。長岳寺からノンストップで1時間15分だった。山頂からは大和三山や金剛葛城、生駒山系、大国見方面と、まずまずの展望が楽しめた。昼食を終える頃、先程のパーティ、続いて単独行の男性が登ってきた。最初は笠へソバを食べに行くつもりだったが、弁当で満腹したので帰ることにして下山開始。僅か1時間ほどの間に暖かい日差しで雪が溶けて、帰り道は濡れた落ち葉を踏んで下った。 |
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高 取 山 【登 山 日】 2008年3月6日(木) 【コースタイム】 壺坂寺10:10…五百羅漢10:30…高取城址11:25〜11:30…壺坂寺 高取山は高市郡高取町、西国三十三カ所第六番札所・壺坂寺の東方にある標高584mの山である。この山の天嶮を利用して、南北朝時代に越智氏(南朝方)が城を築いた。のち戦国時代の本多氏を経て、江戸時代寛永年間に植村氏が大改修を行い、明治の廃藩置県まで高取藩二万五千石の居城だった。(今の高取町長はこの植村家のお殿様の子孫)よく晴れた春の日、壺坂詣でを兼ねて何十年振りかに訪れた。 ![]() |
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大原山(生駒越え) 【登 山 日】 2008年3月16日(日) 【コースタイム】 元山上口駅9:00…生駒山口神社9:15〜9:20…千光寺行場道入口9:50…千光寺10:00〜10:10…鳴川峠10:55…大原山(522m)11:15〜11:50(昼食)…三角点(514.2m4等)12:00…暗峠12:10…神津嶽(315m)12:40…展望台12:47〜12:52…枚岡梅林13:10〜13:25…枚岡神社13:30…枚岡駅13:35 ![]() 縦走路に引き返し暗峠に寄り道。「らくらく登山道」を下り、木の階段を上って神津嶽の神前に詣でる。少し下ったコンクリートの覆屋のついた展望台からは、東大阪から大阪に続く市街地の展望が開ける。梅見の客でにぎわう枚岡梅林に下り、「元春日社」の枚岡神社に詣でて帰る。元山上に元春日。こんなことからも、大阪と奈良は古代から縁が深かったことが知られる。約10キロ、疲れも感じぬ楽しいハイキングだった。 |
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宝 珠 山 宝珠山は赤穂市の古い港町・坂越の背後に連なる丘陵の一ピーク、182mの低山である。うららかな陽春の一日、浦上さんに案内してもらって、この丘陵を歩いた。 【登 山 日】 2008年3月22日(土) 【メンバー】 浦上夫妻、ペンギン夫婦 【コースタイム】 坂越駅09:45…大避神社10:25〜10:30…打見山10:50…宝珠山11:20…高代との分岐11:40…280.3m三角点12:00〜13:05…小島との分岐13:35〜13:40…小島14:35 ![]() 点名「高代」280.3m三角点は暗い林の中にある。少し先の笹原に露岩が散らばる所から大展望が広がった。ゆるやかにカーブする千種川の左に辿ってきた打越山からの稜線、川向うには御鷹台山から高山に続く低い山の連なり。下りは分岐から、海を見下ろす明るい尾根道を小島集落に下りる。 R458横の「海の駅しおさい市場」レストランで新鮮なカキを焼いて生ビールで乾杯。港から坂越大道に入り、白壁の郷土館や妙道寺を見ながら駅に歩いた。 |
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播州・新龍アルプス 新龍アルプスは兵庫県たつの市新宮町と龍野町を結んで揖保川の西岸に300〜400mほどの低山が連なる丘陵である。陽春の一日、播磨の山に詳しいSさんの案内でJACの有志と歩いた。 【日 時】2008年4月2日(水) 【コースタイム】播磨新宮駅 09:55…上堰堤休憩所10:55〜11:00…十字路峠11:25…祇園岳…11:30〜11:45… 亀池(きのいけ)12:15〜12:50 (昼食)…亀山(きのやま・城山458m)13:15…古代城址…亀山13:33…P382.7m(点名・佐野)14;22…的場山15:00…聚遠亭15:50…竜野公園16:00 ![]() 十字路峠に帰って雑木林の急坂を登り、亀石で稜線を離れて西へ数分の亀ノ池(きのいけ)に下る。古くから灌漑用に利用されてきた大きなため池の畔に腰を下ろし昼食。午後は近畿自然歩道を4等三角点458mのある亀山へ。山頂は樹林に囲まれて展望は今一つである。この山は古代と中世に山城が築かれたので「城山」の別名を持っている。少し西に下り、奈良時代の遺構である「門の礎石」を見る。赤松満祐の山城跡、嘉吉の乱で倒れた人の供養塔を過ぎると、杉の植林帯を抜け出し、遠くに見える的場山へ続く明るい尾根道になる。、何度かアップダウンがあり、最後の登りは丸太の階段道で三等三角点394.2m的場山(点名・龍野)に着く。頂上に立つ3基の無線中継塔がやや目障りだが、眼下には緑の原生林に覆われた鶏籠山や、揖保川を挟んで竜野市街の眺めが美しく展開する。 南の尾根を下る道は予想外に厳しかった。かなり急な傾斜に小岩が階段状に連なって、朝からの長丁場に疲れた足が悲鳴を上げる。野見宿弥神社(地形図では墓)にきて思わず階段に腰をおろした。市のパンフレットによると、宿弥が大和から出雲に帰る途中、この地で病死し、出雲からきた大勢の人が川からリレー式に石を運んで墓を建てた。「野に立つ人」→「立つ野」→「龍野」となったという地名伝説である。松平定信が眺望を絶賛したという聚遠亭の一角で、見上げると桜の花越しに的場山が高かった。全行程約16km、低山とはいえ起伏に富んで結構しんどい、しかし充実した6時間の歩きだった。 |
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葛 城 山 【日 時】2008年4月29日(日) 【コースタイム】石筆橋8:30…ベンチ9:18〜9:23…山頂三角点10:15…ツツジ園…自然観察路…キャンプ場11:40…ベンチ12:10〜12:20…石筆橋12:45 ![]() 自然観察路もカタクリ目当ての人たちが大勢カメラを構えていた。ロープ越しながら存分に花を鑑賞して、元の天狗谷道を青崩に下った。ちょっと花期は過ぎていたが、カタクリにもショウジョウバカマにもたくさん出会えて満足のハイキングだった。 |
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2008年の山旅(5〜8月へ) | ||
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