2009年の山旅 (1月〜4月)


伊勢・朝熊ヶ岳

伊勢志摩国境に位置する朝熊ヶ岳(555m)は神宮の鬼門鎮守、また死者の鎮魂の場とされた信仰の山である。
「伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と言われ、低山ながら日本名山図会にも描かれた。一等三角点は最高峰の経ヶ峰山頂より西650mにある。

【登 山 日】2009年1月20 日
【コースタイム】 金剛証寺駐車場13:33…冠木門13:43…経塚群13:55…朝熊ヶ岳山頂(555m)14:05〜14:20…朝熊峠14:30〜14:35…三角点14:40〜14:45…分岐15:00…極楽門15:13…奥ノ院15:20…金剛証寺駐車場15:45


伊勢参宮を済ませて、伊勢志摩スカイラインの金剛証寺の駐車場に車を置き、奥の院への途中の冠木門から山道に入る。この岳道は古くからの金剛証寺への参詣道で、峠までは各山麓の村からいくつかの岳道が通じている。枯れたススキの中にさまざまな形の石塔が散在している「国史跡・朝熊山経塚群」を緩く登りつめていったん舗装路に出て、再び山道を登ると八大竜王社、山頂碑、無線中継所の建物と電波塔が立つ山頂広場にでた。ベンチに腰を下ろし、伊勢湾を見下ろしながら小憩後、一等三角点まで往復する。
 林を抜けて再び舗装路に合流したT字路が朝熊峠で、北側の五十鈴川や二見ヶ浦辺り展望が大きく開ける。ここから宇治岳道を進む。所々で古い石垣に囲まれた森もあり、内宮から続く道と聞くと、思いなしか神々しい雰囲気が漂う。電波塔の立つ小広場の小高い処に三角点があった。一等だが無展望で殺風景なのですぐ引き返す。
 冠木門に帰り、左の奥の院へ向う。極楽門を潜ると両側にずっと背の高い卒塔婆の列が続く。近辺の集落で江戸時代から続く、葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する「岳参り」「岳詣」と呼ばれる風習が、今も近在で守られている。なんとも寂しく不気味な雰囲気だ。急いで抜けて奥の院に参詣した。

牛 松 山

京都府亀岡市保津町にあり、標高636m。
丹波富士とも呼ばれる美しい姿の山である。古くは石松ヶ岳と呼ばれたが、雨乞いのために牛を生贄にしたことから牛祭り山となり、転訛して今の名になったという。


【登 山 日】 2009年1月27日
【コースタイム】登山口(福性寺南の鳥居)10:00…金毘羅神社11:20〜11:30…牛松山(636m)11:35〜12:00…三角点(629.2m)12:07〜12:12…愛宕神社12:55〜13:05…北保津バス停13:35…登山口13:45


 福性寺上の鳥居横に「牛にゆかりの牛松山登り口」と書かれた「保津百景みちしるべ」が立つ。ここから山頂の金毘羅神社まで十八丁の参道が始まる。幅広い丁石道をゆっくり登って行く。二丁には文化年間の文字が見える美しいご神塔、三丁近くには明治時代建立の鳥居があった。ここを過ぎると勾配が弱まり、松の木が並ぶ快的な尾根歩きになる。少し急な勾配と緩い登りが繰り返され、全く疲れを感じずに高度を上げる。十一丁の石のご神塔には、たくさんの杖がもたれ掛けてあった。十三丁からしばらく急坂を頑張ると十七丁で、すぐ、なだらかな広い道になった。鳥居を潜り、56段あるという石段を登る。小広場の右手に絵馬堂、その奥に金毘羅神社が建っている。絵馬堂には保津川下りの安全を願って奉納された舟二艘が天井に吊るされていた。
 正面の踏み跡を2分ほど登るとパラボラアンテナのある建物横に出た。背後の東側には、愛宕谷川を挟んで愛宕山から南に延びる稜線が、屏風のように連なっている。ここが最高点らしく、風もなく全く寒さを感じない山頂で昼食を済ませる。
 国分に向けて3分ほど下ると左手に三角点があった。林の中で展望はない。ここからはジグザグの急坂続きの下りで、登りよりも足が疲れる。しかし、みるみる眼下の風景が近づき、送電線の通る分岐から小さい赤テープのある踏み跡に入り、壊れた古い祠や苔蒸した石鳥居を見ながら愛宕神社に出た。
 神社は「全国1000社の愛宕神社の本宮」で拝殿の前に大きなイヌマキ、右手の社務所の前に大きなスギの木が聳え、いずれも「亀岡の名木」と書いた札が下がっていた。神前に詣で、しばらく境内を見学して神社を後に、県道を歩いて駐車場所に帰る。

四 石 山

【登 山 日】 2009年2月12日
【コースタイム】山中渓駅前「わんぱく王国」駐車場09:30…ゲート09:40…尾根に出る(330mPとの分岐)10:12…沢に下り立つ10:23…四石山11:00〜11:45…ゲート12:50


阪和線山中渓駅前の国道と紀州街道に挟まれた「旅籠とうふや」跡の駐車場に車を入れる。「わんぱく王国」のゲートを潜り、坂道を登ると巨大な恐竜に出会う山の斜面を使った大滑り台で、すぐ上で園内の道は終り、山道に入る。がらがらの岩屑に落ち葉が積もって、やや歩き難い。かなり勾配が強い雑木林の道を登り、関電の巡視路が通る尾根に出る。30mほど右に行くと谷に下るようになる。心配になるほどぐんぐん下り、細い流れの沢に出る。沢を渡り、ところどころに虎ロープの張ってある急坂を登り返す。短い間だが木の幹にすがらないと、ずり落ちそうなきつい傾斜である。ウラジロが密生する中の細い道を登りきって別の尾根に出る。この尾根は泉南市と和歌山県岩出町の府県境となっている。傾斜が緩み、道は大きく左にカーブする。灌木にアカマツが交る植生で、木の間から左前方に目指す山頂らしいピークがちらちら見える。
 何度か小さな高まりを過ぎるが、どれも見通しのない林の中で休憩場所を探しているうちに山頂に着いた。山名板がやたらに付けられた雑木に囲まれ、わずかに西側の木の枝越しに関空方面が眺められるだけ。それも今年初めての黄砂に災いされて、ぼんやり霞んでいる。広場反対側に埋まっている二等三角点の後で昼食をとり、45分間を山頂で過ごし元の道を帰る。
 登山者の多い山と思うが、今日は終日誰にも出会わない二人で貸し切りの山だった。ザックを車に置いて紀州街道をしばらく散策した。

葛 城 山

【登 山 日】 2009年4月16日
【コースタイム】石筆橋9:40…中間ベンチ10:25〜10:30…山頂11:20〜11:30…ツツジ園、自然観察路を経てキャンプ場12:35〜13:15…石筆橋14:10  【同 行 者】岩本幸子


 葛城山へショウジョウバカマを見に行く。いつもの駐車場所に、今日はなぜか車の数が少ない。青崩からの道は植林に入った所から整備中で、最初の沢を渡るとすぐ木の階段が設けられている。大岩の鎖は取り替えられ、真新しいカラビナがピカピカ光っていた。水場で顔を洗って歩き続け、中間ベンチで一息付く。右手に金剛山が見える抉れた道のところも、新しい木の階段に変わってずいぶん歩きやすくなった。道がなだらかになると、右手斜面にポツポツとショウジョウバカマが咲いている。この分では…と期待しながら弘川寺との分岐にくる。右の涸れた沢沿いの道を行くと、左手斜面には予想通りショウジョウバカマの大群落が待っていた。ただし、まだ背が低く蕾も多かったので、見頃まではもう少し時間がかかりそうな感じだった。
 白樺食堂で缶ビールを買って山頂に登る。きれいに刈り取られたカヤトの原にもポツポツとカタクリが咲いていた。いつの間にか頭上は雲ひとつないな青空になった。三角点の前で乾杯。久しぶりの山でのビールの味は格別だった。
 ツツジ園からロープ駅の方へ歩き、自然観察路を下るとまた三人きりになった。カタクリはもう蕾が少なく、殆どの花が開いている。しかも昨日の雨のせいか、葉もつややかで花色もとても鮮やかに見える。どうも今年は、開花の順序がショウジョウバカマと逆になったらしい。たっぷり観賞して、ダイヤモンドトレールに登り返す。ところどころの山肌にはヤマザクラが咲き残り、最後の花見を楽しませてくれる。いつものコブシの木の所に来ると、春の妖精・カタクリたちが地面が紫色に染めるほどの見事な乱舞で私たちを歓待してくれた。素晴らしい花たちの競演にすっかり満足して元の道を帰った。

讃岐富士・飯野山

讃岐平野の中央部にあり丸亀・坂出両市にまたがる。茶碗を伏せたような円錐形の美しい山容で讃岐富士と呼ばれ、香川の誇る低名山である。標高421.9m。

【コースタイム】 飯野登山口9:40…三合目10:00…八合目10:20…頂上10:25(巨石群、天狗周回路、昼食)〜11:25…(イチリンソウ群生地)…三合目12:05…野外活動センター12:20〜12:30…登山口12:40

 伊勢神社駐車場に車を置かせて貰い、新興住宅地のアスファルト道を登って行くと、左手の草原の中に「登山道」と書かれた古い木の板が見えた。雑木林の中を数分登ると野外活動センターの広場上の金網に沿う道になる。二、三分で「信貴山讃岐別院本殿跡」の石標。真っ二つに割れた大石のうしろの広場が、讃岐平野を見下ろす展望台になっている。坂出らしい市街地と低いが形のよい山が見えた。さらに数分登ると三叉路になり、直登道と右に延びる広い道に分かれる。移り変わる景色を楽しみに、山腹を鉢巻状に巡る広い道に入る。五合目や六合目では、木の間から讃岐平野の展望が拡がる。それにしても人の多い山で、ペットボトルだけ手にした毎日登山らしい人から、しっかりした登山靴にストック、ザック姿の人まで。年齢層も手を引かれる幼児から相当な年輩の人までと多様である。45分で頂上に着いた。
 頂上の広場中央に薬師堂が立ち、周囲に多くの石仏や歌碑ベンチ、サクラの木などがある。三角点標識は昭和天皇歌碑の左にひっそりと埋まっている。薬師堂の横には一回り小さな十一面観音堂が立つ。ヤマザクラの花は散っていたが、満開のヤエザクラが美しい。早くもシャクナゲが咲いていた。「おじょも桜」の横から細い道が暗い林の中へ下っている。ちょっと険路でトラロープなども張ってある。穴不動や石槌などを見て崖の上の細い道を行くと、急な岩場の登りとなり「おじょもの足跡」横の展望台に出た。「おじょも」は山を作るのが得意だった大男で、飯野山と象頭山との間に足を広げて小便をしたときの足跡が残ったのが、この岩とか。横に大きな展望台があった。すぐ上の頂上広場に帰って、昼食を済ませる。
 下りは歌碑の横から細い道を下ると、登って来た道を横切って「飯野、坂出へ」という標識のある道に続いていた。けっこう急な道をどんどん下って、大きく道がカーブするとやや傾斜が緩む。山頂で天狗周回路を教えてくれたオジサンが、同行の女性に大きな岩でトラバース技術を見せていた。勧められて、ユキワリソウ群落を観に登り返しす。白い大きな花が何輪も咲いていた。トラバース岩のすぐ下が三合目で、私たちが降りてきたのが直登道だったと知る。元の道をのんびりと下って、神社下の駐車場に帰る。色んな美しい花や親切な人たちに心を和ませた楽しい低山歩きだった。

大 麻 山

おおさやま。中腹に金刀比羅宮が建つ象頭山の最高点。サクラ並木の奥、TV中継塔横に616.3mの三角点がある。

【登 山 日】2009年4月19日  
【コースタイム】金刀比羅宮参道入り口13:15…本宮13:40〜13:47…奥社14:15…竜王社14:45…大麻山15:15〜15:30…竜王社15:40…本宮16:10〜16:35…参道入り口17:00

 
飯野山登山のあと琴平へ走り、宿に車を預けて大麻山に登る。大門を潜り、いくつもある摂社などを写真を納めるだけで先を急ぎ、785段の石段を登りきって本宮に着く。社殿前高台の展望台から見下ろす讃岐平野に、箱庭に作った砂山のように飯野山が浮かんでいる。僅か1時間ほど前にあの山の上にいたのが不思議に思え、はや懐かしさを感じる。奥社に向かう広い参道に入ると急に人影が少なくなった。初めなだらかな道は次第に急になり、いくつか摂社を過ぎて赤い休憩舎から左に折れると、胸を突くような急傾斜の石段となる。本宮から583段を登り終えて着いた奥社は、残念ながら改修工事中で、真っ赤な社殿の屋根に覆いがかけられていた。
 参拝を済ませ、社務所の裏をしばらく下ると自然林の中のほぼ平坦な道になり、二つ目の分岐は直進すると「葵の滝」とある。「竜王社」へは、短い草地を過ぎると急に山道らしくなり、崩壊地の急斜面の上をへつったり沢を渡ったりする。最後はかなり長い木の階段の折り返しで暗い雑木林を抜け、竜王社入口と書かれた明るい草地に出る。道が左右に分かれ、左は草原の中を行く道で「桜並木」、右は再び林に入る道で「大麻山」を示す道標が立っている。降りてきた女性二人に勧められ100mほど緩く登ると、林道の走る稜線にでた。左は「象頭山」、右は「大麻山」を示す道標が立っている。林道の両側はボタンザクラの古木がずっと並び、やや濃いピンクの花が青い空に浮かんで、何ともいえず美しい。有料駐車場から頂上へ最後の登りでは、何組もの花見に来る人と行き交う。殆どの人は南側の琴平、北の善通寺から車で登ってくるらしい。山頂付近だけはテレビ中継所施設の専用道路になっている。竜王社へ下る分岐を過ぎると赤く塗られたアンテナが近づき、建物横の一番高いところ、見事なサクラの下に二等三角点があった。展望は全くないが、ピンクの海のような桜を見るだけで十二分に満足して、この時期に来ることができてよかったと、つくづく思った。
 竜王社に下り、元の道を帰る。葵ノ滝分岐ですっかりお馴染みになった箱庭様の景色を眺める。次の分岐を左に下ったので奥社へは登り返さずに赤い休憩舎の横にでた。本宮に帰り、改めて参拝する。神官や巫女が賽銭箱をひっくり返して、紙幣や硬貨を山にしていた。社務所で「こんぴら狗」を授かり、五人百姓さんが店じまいの掃除をしている大門をでて、長い石段をホテルに下った。一日で讃岐の二山に足跡を残して、「おもじょ」になったような大らかで爽快な山旅だった。
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