リングワンダリングと幻覚

白馬岳から南下する後立山連峰稜線は、不帰のキレットを越え唐松岳を過ぎるとY字形に分かれ、縦走路は南東に向きを変えます。この分岐点は、夏でもガスが濃ければ迷うかも知れないところです。晴れていれば稜線上の唐松小屋がすぐ目の下に見えますが、霧や風雪でも在処が分かるようにと、小屋の軒下にはベルが吊されていました。

私の初めての北アルプス行は、3月に八方尾根から唐松岳を目指す 、夏山の経験もないことを思えば実 に無謀なものでした。しかし、リーダー、サブリーダーはこの山域にも 経験が深く、他の二人・I とKともある程度の実績がありましたので全くの初心者は私ひとり、しかし快くパーティの一員に加えて貰えました。1959年のことで、たしか初めて八方尾根にゴンドラが敷設され、リーダーはお陰で取り付きがずいぶん楽になったと言っていました。雪に埋まった八方池で不帰ノ険を眺め、左手には鹿島槍の双耳峰や五竜岳の御菱を仰ぎ、重荷にあえぎながらも次第に高度を上げて行きます。主稜線に出る手前に大きな岩が立ちはだかり、リーダーが鹿島側に回り込むようにステップを刻んで、トラバースルートを作りました。最後は大きな雪庇が張り出していて、今度はサブリーダーがピッケルでそれに穴を空けて、やっと主稜線に出ました。とっくに日が暮れた19時20分、穴から顔を出した途端に月光を浴びて神々しく輝いている剣、立山の姿と正面から向かい合いました。この光景は、40年経った今も忘れることが出来ません。

さて、この時期に夜、剣岳が見えるのは天候悪化の兆しだそうですが、案の定、翌日は朝から猛烈な風雪が半ば雪に埋まった小屋を襲いました。さらに次の日、風雪が弱まった隙に山頂を目指しますが、夏なら10分位のピークにもたどり着けず、おまけに下りでは小屋の位置まで失いそうになり、また停滞です。午後になり、やっと小康状態になったので急いで下山開始。しかし、尾根が少し広くなる頃から、またもの凄い風雪です。ザイルに繋がれた前の人の背中は見えても、その前の人は隠れる位の密度の雪で、登りであれほど頻繁に立ててきた竹竿の赤旗も見失うようになりました。風が強いときは、雪面に打ち込んで身体を託すピッケルが撓うようです。山中が吼えているような轟音に包まれて、大声を上げてもお互いの声がよく聞き取れません。気温も下がり、雪面はアイスバーン状態になっています。大きなケルン状の岩があり、そこで小休止。お互いに顔を見ると睫毛も眉毛も凍り付き、ヤッケの口元にはツララがブラ下がって、それは面白い顔です。そのときは、まだ顔を見合わせて笑いあ う余裕がありました。それから何分歩いたでしょうか、リーダーが「あれっ!さっきのトコ(所)や」と言い、立ち止まりました。私には何のことか分からなかったのですが、なんとせっかく苦労して歩いて来たのに、元のあの特徴ある大岩に戻っていたのです。

 人間は目隠しをして広い場所に置かれると、まっすぐ歩いているつもりが必ず左右どちらかの方向に曲がり、円を描いて歩くといいます。完全なホワイトアウトの中で、私たちはこれと同じことをしていたのでした。後でこれがリングワンダリング(輪形彷徨)と教えられましたが、実に不思議な、怖ろしい気持ちでした。正しい方向を見定めるために、Kがザイルをほどいて斜面に一歩踏み出した途端、あっという間に滑落。真っ白な雪の幕の中に姿が見えなくなりました。皆で必死に叫んでいると、しばらくして登ってきましたが、その顔色はまるで死人のものでした。ここに至ってリーダーは、雪洞を掘ってビバーグすることを決意しました。その長い長い夜の間に、私は生涯ただ一度の奇怪な幻覚を経験することになるのですが、長くなりますので別のページに記します。(2)に続く