この次はこの街で

煙草の煙を眺めながら 激しく燃えた月日を絵にすると
自分の身体から 魂が抜け出して
勝手に野や川を 我が物顔に散歩しやがる

あの街のあなた お元気でしょうね
岩手の雪を 今でも追いかけてますよ
日本の唄が 若者たちを呼び初め
彼らそのものが 唄へと歩き始め

何が何だか解らないままに
それでも歌おうと自分に言い聞かせ
優しいあなたを 覚えています
辛口の酒で いつかまた一杯 気分がのったら
「雪」でも唄いましょうよね

生まれは鹿児島 育ったのは広島
故郷はいずこ 今東京ど真ん中
戦禍のあとも 痛々しい街で
若者たちは 唄を愛し初めました

キザでいうんじゃ 決してありません
広島にフォーク村 確かにありました
ひとが思うほど 格好良くはないけれど
何かに向かって ただ走りたかっただけなんです

あの街のあなた お元気でしょうね
多くのトラブルを自分一人でしょいこんで 
素晴らしいあなたを 忘れはしません
瀬戸内の魚で いつかまた一杯 気分がのったら
「マーク2」でも唄いましょうよね

関西からも多くの唄が生まれ
それらが今日の 若者たちの唄のルーツでしょう
言葉も知らず 音楽にならず
それでも己の全てをぶちまけて

愛だの恋だの どれひとつ取ってみても
それまでのものとは 一味違いましたよ
京都のあなた お元気でしょうね
東京にいても 僕は京都が好きやったんや

あの頃はフォークソングも それなりに見栄っ張りで
そのくせ飲むときにゃ お互いを探し求め
京都の河原町で 行きつけの焼き鳥屋で
女の娘でも呼びますか そしてまた一杯 気分がのったら
「ともだち」でも唄いましょうよね

北の街では もう悲しみを暖炉で
それ程いとしい 大好きな街なんです
寒い国程 人々は暖かく
そして時には それなりにつめたくて

ここからもこの頃 新しい唄が生まれてますね
他人が何といおうと ただ突っ走ればいいんです
こだわり過ぎると イヤミにもなるけれど
それより何より 押しつけがましいのだけはいけませんよ あなた

雪だるまなんて とっても手がかじかんで
日本の子供たちよ もっと素朴であれ
のれんをくぐって ホッケなどいいですね
吐く息は白く いつかまた一杯 気分がのったら
「春だったね」でも唄いましょうよね

九州からも 多くの唄が生まれ
そう忘れちゃいけません 四国の唄だって
沖縄のあんちくしょう 今どうしているか
鳥取の20世紀も 忘れちゃいけませんよ

日本中から唄が沸き始めましたね
勿論僕の住む東京だって まだちゃんと生きてます
どうしてこんなに長い唄になっちまったんでしょう
こうやって都道府県を全部あげてると明日になっちまう

あぁそうなんです それなんですよ実は
何も俺ごときが こんなにもったいぶらなくても
君たちは唄に 溺れてませんか
唄が多すぎてアップアップ アップアップしていませんか

1979年頃のコンサートで歌われた歌です

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