春の坂道
滝坂ノ道(柳生街道)は、1971年放送のNHK大河ドラマで、柳生但馬守宗矩の生涯を描いた山岡壮八の小説「春の坂道」に登場する。能登川沿い、当時柳生から作物を都に運んだのであろう荷車の車輪跡が残る石畳を歩くと、夕日観音、朝日観音と、石仏が山側の岩に彫られている。時計は昼の12時を回っており、大和郡山藩指南役の剣豪荒木又右衛門が試し斬りしたと伝えられている「首切地蔵」にて昼食となる。トイレ付の休憩所は団体の方が食事中で、我々は木の根っこに腰を落とし、頂いたお弁当を開ける。休憩すること40分、リックを背負い一般では入山禁止の高山(こうせん)神社へ登る。高山神社は能登川の水源地に鎮座される水の神様で、御祭神は、春日四座・若宮・祓戸・水谷の神様。社前の水源には、鎌倉時代(1315年)に奉納された石船が現存している。「大祓詞」の後、鳴雷(なるいかずち)神社へ、佐保川と能登川の源流である春日山分水嶺に鎮座されるこちらも水の神様。社前には直径5メートル程のコンパスで描いたような丸い「龍王池」がある。お話によると、猿沢の池に住んでいた龍は、采女の入水自殺により、池が穢れた事を嫌い、この池に移り住んだが、この池に死体が放り込まれて、ここでも住まいを失い、違う場所に移り住んだとの、神秘な龍神伝説を聞けば、この場所は「雨乞いの儀式」がおこなわれていたと想像する。明治8年以前は一般に「香山龍王社(こうぜんりゅうおうしゃ」と呼ばれていた。
春日山周遊路を歩くと汗が、鶯ノ滝にて汗ばんだ肌は清涼を感じる程に、天候は暑くなっていた。朝方は雲り空で、雨具も用意したが、それは嬉しい荷物となった。観光でこられている方々に出会うと、やがて「若草山」の頂上に辿り着く。若草山の頂上からは奈良盆地が一望に見渡せる。向こう側は矢田丘陵に生駒山が、北の方向には上ツ道と呼ばれる京都方面の国道24号線が、平城宮跡の南にまっすぐ眼を向けると、遠くに大和三山を見渡せ、大峰山系がうっすらと見える。聞くと、前日までは黄砂と曇りで見晴らしが悪かったとの事、良い日に巡り合わせて頂いたと、御蓋山をバッグに全員で笑顔にて記念撮影を終える。