万葉集が語る歴史
〜悲劇の大津皇子

−異腹の兄弟−

天智天皇の子、大友皇子に対して、天智天皇の弟である大海人皇子は反乱を起こす。これが壬申の乱である。

戦いは大海人側の勝利に終わり大津宮は亡びた。大海人皇子は大和に都を遷して、翌年の673年飛鳥浄御原宮で即位し、天武天皇となる。

壬申の乱で有力な豪族の力は衰え、皇位を手にした天武天皇は大きな権力を握ったが、宮廷内部の皇族の複雑な勢力関係に頭を悩ます。特に皇位継承問題は大きな悩みとなっていた。

679年(天武8年)5月5日、天武天皇は吉野宮に行幸する。同行したのは鵜野皇后と、高市・草壁・大津・川島・忍壁・志貴の六人の皇子である。天皇は「朕、今日 汝等と倶に庭に聖ひて、千歳の後に事無からしめんと欲す。いかに」と言い、皇子らは「理実、灼然なり(仰せの通りです)」と答えた。そして草壁皇子が天皇の前に進み出て、「我々は母がちがう異腹の兄弟だが、互いに争うことなく助け合う」と誓い、以下5名の皇子がつぎつぎに同じように誓った。次に天皇が、最後に皇后が、皇子たちを抱いて、お前たちをこれからは同じ母から生まれた子として慈しもう、と聖約した。これが後に言う「吉野会盟」である。

続く