−草壁皇子−

天智天皇を祖父に、同腹の姉妹を母に持つ草壁・大津皇子であるが、鵜野皇后を母とし、序列第一の草壁皇子18歳より、年は一歳下で序列も下の大津皇子のほうが才能も人望も上であったことが漢詩集「壊風藻」にみえる。

「皇子(大津)は浄御原帝(天武)の長子なり、状貎魁悟、器宇峻遠。幼年にして学を好み、博覧にして能く文を属る。壮に及びて武を愛し、多力にして能く剣を撃つ。」とある。体格もよく、頭脳も優れ、文武両道に通達し、性格もよくて偉ぶらないから目下の者にも大変好かれる相当の好人物であったと言う。

対して草壁皇子の性格や才能についての資料が少ないのは、比較的平凡で温順な人柄であったと思われる。実は、この事が天皇を悩ませ、大津皇子自身の運命も変えることになる。

続く