−天皇の想い−
草壁皇子の母である鵜野皇后は、皇太子には我が子を指名するように夫の天武天皇に強請したのであろうが、天皇は迷っていた。抜群の才能と人望を持つ大津皇子を政治からはずすのは危険と思ったのか、大津皇子を政治の中心に置いたのである。
天武十二年二月一日「大津皇子、始めて朝政を聴く」と書紀している。実は、大津皇子の朝政への参加が、大津皇子自身を窮地に追い込む事になるのだ。本来なら皇后となる母の大田皇女は大津皇子が5歳の時に亡くなっており、天皇は不憫と思ったのであろう、大津皇子を草壁皇子より激愛していたのだ。ところで草壁皇子と大津皇子との関係はどうであったのか、万葉集に興味深い相聞歌がある。