−斎主参向−

草壁と大津が対立状態にあるこの時期、686年9月9日に天武天皇が崩御。宮廷には皇位の継承をめぐってさまざまな憶測が広まってきた。それとともに鵜野皇后は草壁皇子の周辺に宮中の優秀な舎人を据え、大津皇子への監視を更に厳しくする。そんな時、大津皇子は後に大問題となる伊勢神宮へひそかに下向する。

大伯皇女と大津皇子は天武天皇を父に鵜野皇后の姉、大田皇女を母に持つ姉と弟。大伯皇女は天武2年の14歳の時に父、天武天皇が壬申の乱での勝利を神に感謝するため、伊勢神宮に斎しめる斎女となっていた。

父である天皇の大きな後ろ楯を失った大津皇子は、我が身の危険を感じとったのだろうか、最後に姉に逢いたいとの思いは理解は出来るが、実はこの密かな行動が自らの命取りとなるのだ。

続く