−我が背子−
「我が背子を 大和へ還ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし」。 大津皇子が、姉の大伯皇女に会いに伊勢へ下り、ひと晩語りつくしたのであろう、翌朝、大和へ還る弟の大津皇子を送る場面での歌である。
本来「背子」とは「夫」「恋人」を意味するが、12年振りに見る弟は、男らしくて、たくましく成長しており、そこに異性を感じたのであろうが、斎女としての身の哀れみを感じる。この歌で大伯皇女が、弟の死を賭けて大和へ帰る覚悟を感じ取ったのは間違いがない。
弟の最後の姿を見送ったのだ。身分の高い者が畿外に赴くときは事前に天皇の許可がいる、まして異性が斎宮への参向は天皇以外許されていない。天武天皇崩御の後、立太子として、草壁皇子が天皇としての祭事を任されていた。草壁皇子に伊勢行きの許可を願う事は、草壁に忠義を誓うこと、それは大津皇子にとっては死と引き換えるに値する屈辱に違いない。したがって「密かに」であったと思われる。