−川島皇子−

大津皇子に謀反の計画はあったのだろうか?鵜野皇后や草壁皇子周辺の厳しい監視網の中では、それは不可能である。しかし、大津皇子を謀反の罪に陥れることは十分にありえる。

川島皇子と大津皇子は莫逆の友であり、親友中の親友である。大津皇子は川島皇子に伊勢行きを相談していたと思われる。川島は大津皇子に草壁皇子に対する挑発的な行動は慎むように説得していたと、書紀されているのだ。

大津皇子、皇太子を謀反けむとす。殯の宮が宮中南庭に立てられ、誅が奉られた九月二十四日、川島皇子の密告により、大津皇子は危険な行動を取る人物とされ、十月二日、大津皇子は謀反の罪で捕らえられたのだ。

川島皇子は天智天皇の第二子で母は忍海造小竜の女・色夫古娘で、宮人である。宮人とは、采女やそれに類する下級女官であり、皇子の序列としては高くなく生母の身分から皇位の順位は第4位となる。皇位継承問題の中、草壁と大津との間をいかにして向き合うのか、もし大津皇子が謀反の計画を抱いて、草壁皇子側に察知されたら、川島皇子も大津の一味として逮捕されるおそれがある。

愚かな行動は慎むようにと、川島は大津皇子に忠告をしたが、大津皇子は受け入れなかった事に、川島は強い危機感を覚え、身の保全を考えたのも当然と言えるだろう。

続く