南都七大寺

東大寺(華厳宗)の創建は、743(天平15)年、聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発する。745年、金鐘寺(大和国金光明寺)の寺地に大仏の土台の原型が造られ、その後東大寺と改称された。752(天平勝宝4)年4月9日、大仏開眼供養会が行われ、インドの渡来僧「菩提遷那」(ぼだいせんな)が開眼の筆墨をとった。1180(治承4)年12月、平 重衡による南都焼打に遭い、1567(永禄10)年には、三好三人衆と松永久秀との戦いで、再度焼失したが、重源、公慶それどれの尽力により、現在の大仏殿は1709(宝永6)年に落慶供養会が行われている。<資料>大仏殿(東西約57m南北約50m高さ約47m)大仏の高さ約15m

<南大門>

寺院の南にある門は、正門として他の門より大きく造られている。東大寺の南大門は、1199(正治元)年に再建された。高さ26mの入母屋造、本瓦葺きの南大門の両脇には、東大寺を守護する「木造金剛力士立像(国宝)」が1対安置されている。口を開けた「阿形(あぎょう)」口を閉じた「吽形(うんぎょう)」は約8.4mもある日本最大の木彫仁王像である。それぞれ約3000個の部材を使用した寄木造は、1203(建仁3)年運慶、快慶らが率いる奈良仏師総勢20名が分担して製作を開始し、僅か69日後の10月3日に開眼供養会を行った。

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