〜大極殿狂人〜
棚田嘉十郎は、皇居の堀端に立ち平城宮跡保存の請願書が承認される事を願い手を合わせた。立派な皇居を眼にすると、昔の皇居が荒れたままに放棄されていいはずはない。議員に心があれば、平城京七朝の皇居を保存しなければならない事に気がつくはずと、請願書が帝国議会にて承認されることを期待しているのである。
その翌朝、悲愴な表情で議員と中立ち役の今武次郎が旅館に訪ねて来た。「請願は却下」されました。「なぜ・・・・?」嘉十郎は思わず問い返した。日露戦争で保留されたものから予算が優先され、新規のものは後日に延ばされたというのである。今回にすべてを賭け、奈良の期待を一身に背負ってきただけに、みんなに会わせる顔がないとの思いで心が苦しく、悲しくてたまらなかった。
「えっ!・・・」宿泊費の請求書を見て、嘉十郎は息を飲んだ。かろうじて支払う金はあったが、残った金では奈良へ帰る汽車賃が足らないのだ。誰かにお金を借りるべきか、だが、これっきり上京の機会は無くなるのかもしれないと考えると、又、うらぶられて笑いものになるような気がして、自虐からか、嘉十郎の足は自然に奈良へと歩き始めたのだ。
東京からどれほど歩いたか分からないまま夜を迎えると、不意に冷たい雨が降りはじめてきた。傘もないまま夜は深まり、空腹とあいまって寒さが募っていく。嘉十郎は米屋を見つけると、空俵を分けてもらい、それを頭から被ると、いくらか寒さはしのげた。富士山が高く美しく見える間は、奈良は、まだまだ遠く箱根連山が行く手を遮ると、歩く気力を失った。駅舎を見つけると、汽車賃の足りないことを忘れて思わず汽車に乗ってしまった。
やがて木津川を見ると奈良に帰って来たという安堵感なのか、嘉十郎は深く眠り続けたのだ。「しっかりしろ!」人の励ます声が耳にこびりついた。奈良に着いて改札口で倒れていたとのことだが、嘉十郎はなんの記憶も残っていなかった。
一年が過ぎた。来年があるといっていた平城宮跡保存会も、わずか1年で自然流会のような形で消滅してしまったのである。それどころか、請願が却下されて以来、嘉十郎に好意を抱かなかったものたちの反感が露骨になり「大極殿狂人」呼ばわりは日常茶飯事になった。