〜平城遷都1200年祭〜そのA
空は朝から晴れ渡り、祭式にふさわしいさわやかな日和であった。明治四十三年(1910年)平城遷都1200年祭は11月19日より三日間にわたり、会場を三ヶ所に分けて盛大に開催された。
祭式は、春日大社の宮司を中心にすすめられ、参列者は、県内外の署名人、興福寺、東大寺、唐招提寺、法華寺の各管長、門跡も出席。各学校の生徒も出席し、一般参列者も含めると1万人を越える盛大さであった。保存運動を共に尽力をしてきた溝辺又四郎と玉串を捧げると、感激に震えながら眼頭を熱くした。祭式は午前11時に終わり、午後からは招待者ならびに5円以上の寄付者を招き、奈良公会堂において酒宴が催された。
この日、京阪神から5万人を超える人出で賑わい、平城遷都1200年祭を記念して建設された奈良公園春日野運動場では明日の開場式を控えて全国自転車競争が催され、大神楽、花街の芸者衆が踊りを披露して華やかさを盛り上げた。
夜には奈良ホテルの1200の電燈をはじめ、各所でイルミネーションが輝き、三千人を超える提灯行列が奈良の街を浮きたたせた。嘉十郎にとって、生涯でもっとも充実した一日であった。だが、夜も更け、いつしか提灯行列の群れが解散し、暗がりのなかにとりのこされていくと、華やかさあとにくる侘しさからか孤独感に包まれた。
この日の盛況さでもって宮跡の保存が忘れ去られるような不安な思いが心の底から滲み出てくるのだ。「この祭典が終われば、この盛り上がりを次の宮跡保存に結びつけていかなければならない」と、まずは宮跡の保存会を組織することを決意するのだ。