〜保存会発足〜
奈良の棚田嘉十郎です!お待ちしておりました「さあ、どうぞ、こちらへ・・・」執事は低姿勢で案内した先に、徳川頼倫侯爵の和服姿があった。徳川侯爵は、田安家から徳川御三家紀州藩徳川茂承の養子に迎えられ、侯爵を継ぐと共に貴族院議員でもある。「棚田さんの名は、岡部子爵より聞いております。「大極殿狂人」とまで渾名されているとか、続いて「棚田さん”大極殿狂人”の渾名を誇りにされたらいいですよ、文化意識の高い欧州では、誰しもが棚田さんと同じ心で史跡名勝を大切にして保存していると、徳川侯爵は得々と欧州における史跡の保存について語り、日本での史跡保存の必要性を話された。
嘉十郎は新鮮さに充ち、感激し、ここで若林知事の依頼で「保存会の会長は徳川侯爵」に引き受けていただきたく上京した事と、訪問の目的を話した。「保存会の会長に・・・?」徳川侯爵は苦笑したが、嘉十郎の熱心さが通じたのか、「わかりました」棚田さん、保存会の結成は、わたしが責任をもって組織します。との自信にあふれた徳川侯爵の言葉に、嘉十郎は声を弾ませ早速岡部子爵に報告した。岡部子爵は満足気にそれは、よかった!を連発すると、新たな添書を用意した。
次の日、前の西園寺公望内閣の大蔵大臣阪谷男爵を訪ねた。ここで思わぬ進展に嘉十郎は驚きの声をあげた。宮跡保存は徳川頼倫侯爵が熱心で、岡部子爵が世話人を引き受け、徳川達孝伯爵をはじめ、財界の有力者である三井八郎右衛門、三菱財閥の礎を築いた岩崎弥太郎の嗣子である岩崎久弥、渋谷栄一などが保存会の結成を協議し、すでに発起人になることの内諾を得ていると教えられたのだ。
平城宮跡保存は棚田さんの狂人的努力によるものだと、新しい発起人にあなたを引き会わそうとされているのですよ、岡部子爵の真意を伝えた。嘉十郎は、岡部子爵の暖かな思いやりに胸を熱くした。