高天原(たかまのはら):天上の國(天つ神)
天と地が初めて開けたときに、天つ神(あまつかみ)が誕生した場所。最初、三柱の神が出現、次いで陰 と陽とが別になり、伊邪那岐神、伊邪那美神の男女二神が現れる。そして、その子、天照大御神がこの高天原を治めるようになる。
葦原中国(あしはらなかつのくに):地上の國(國つ神)
葦の生い茂る原の意味で、伊邪那岐神、伊邪那美神から生まれた日本國のこと。 中つ国とは、天上の高天原と地下の黄泉国のとの中間を意味するとも言われている。この国に住む神は、高天原の天つ神に対して、國つ神と呼ばれる。出雲の大國主命が支配する。
黄泉の国(よみのくに):死者の国
火の神を生んだ際、火傷で亡くなった伊邪那美神が住む、
淤能碁呂島(おのころしま):淡路島の南にある沼島とされる
水に浮いている脂のような状態で、クラゲのように漂っているものを伊邪那岐神、伊邪那美神が天の浮橋から天沼矛でかき混ぜて、その矛の先からしたたり落ちた潮水が、つもり積もって出来た島。この島に伊邪那岐神 伊邪那美神は降り立って、柱を建て、御殿を建て、国産みの儀式を行った。その後、淡道之穂之狭別の嶋(淡路島) 伊予之二名の嶋(四国)天之忍許呂別(隠岐島)筑紫嶋(九州)伊岐嶋(壱岐)、津嶋(対馬)、佐渡の嶋、最後に大倭豊秋津嶋(本州)この八嶋を先ず生みたまへるによりて、大八嶋國と呼ばれた。
八咫鏡(ヤタノカガミ):三種の神器の一つ
天照大御神を天の岩屋戸から出ていただけるようにと伊斯許理度売命が作った。
八尺勾珠(ヤサカノマガタマ):三種の神器の一つ
天照大御神を天の岩屋戸から出ていただけるようにと玉祖命が作った。
草薙の剣(クサナギのツルギ):三種の神器の一つ
須佐之男命が退治した八岐の大蛇の八の尾の一つに入っていた。
神武東征ゆかりの地「神武天皇聖蹟頸彰碑」皇紀2600年(昭和15年)記念奉祝事業選定された全国19ヶ所の内、奈良県下には全国最多の7ヶ所が所在する
@菟田穿邑(うだのうかちむら)宇陀市 菟田野宇賀志
A菟田高倉山(うだのたかくらやま)宇陀市 大宇陀区守道高倉山頂
B丹生川上(にふのかわかみ)東吉野村 (丹生神社北側)
C磐余邑(いわれのむら)桜井市 吉備 (春日神社の北側)
D鵄邑(とびむら)生駒市上町 (出垣内バス停の東南)
E狭井河之上(さいがわのほとり)桜井市 茅原(狭井神社の北側)
F鳥見山中霊畤(とみやまなかのまつりのにわ)桜井市(等弥神社の南側)
漢風諡号(からふうしごう)主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る諡
神武天皇という呼称は、奈良時代の後期に文人で大友皇子のひ孫に当たる淡海三船が歴代の天皇の漢風諡号を一括撰進した時に付された。唐の時代の正史「新唐書」日本伝に、「初めの主は、天御中主と号し、彦瀲(ひこなぎさ)に至りおよそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。彦瀲の子、神武が立ち。改めて「天皇」を以て号とし、大和州に移って統治する。次に綏靖(以下略)」とある。
神武天皇系図 天照大御神(日本書紀では天照大神と記する)から5代
天照大御神⇒天忍穂耳命⇒邇邇芸命⇒火遠理命⇒鵜葺草葺不合命⇒神倭伊波礼毘古命
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