(二)草薙剣
熊襲をうって、都へお帰りになった倭健命(日本武尊)は、其の後、東の國の悪者を平らげよという勅を、お受けになりました。そこで尊は、わずかの供人を連れ、東をさして御出発になりました。途中、先ず、伊勢の皇大神宮に参って、ご武運をお祈りになりました。皇大神宮に仕えて居られた尊の御叔母、「倭姫命」は、尊が二度の大任をお受けになったのを、勇しくも、又いたわしく思いになったのです。特に、大切な天叢雲剣を尊にお授けになり、又一つの小さな袋をお渡しになって、「もしもの事があったら、忘れずに、この袋の口をお開けなさい。」とおしゃいました。尊は、東へ東へと進んで駿河の國にお着きになりました。
此の國に居た悪者のかしらは、かねて、尊の御勇運を、聞き伝えで知って居ましたので、一通りではとても勝てない、だまし討ちにする外はないと思いました。そこで、尊をうやうやしく迎えて、いろいろおもてなしをしながら、申しました。「この國の野原には、大きな鹿がたくさん居ります。おなぐさみに、狩りをなさってはいかがでございます。」尊は、「それはおもしろかろう。」とおしゃって、野原へお出でになりました。そうして、身の丈にもあまる草を分けて、だんだん奥へ入っていらっしゃいました。すると、かねてから、此の野原を囲んで待ち構えて居た悪者どもは、一度に、草に火をつけました。火は、ものすごい勢いでもえて来ます。
「さては、だましたのか。」と、尊はしばらく考えていらっしゃいましたが、ふと御心に浮かんだのは、御叔母、「倭姫命」のお言葉です。急いで袋の口をお開けになると、火打石がありました。尊は、すぐに、お悟りになりました。天叢雲剣を抜いて、手早くあたりの草を薙ぎ払い、
火打石で火をきって、其の草におつけになりました。
すると、ふしぎにも、今まで燃え迫って来た火は、急に方向をかえて、向こうへと、燃え移って行きました。あわてたのは、悪者どもです。火に追われて、逃げようとする間もなく、片はしから、焼き立てられ、焼き殺されてしまいました。あやうい御命をお助かりになった尊は、生き残った悪者どもを平らげて、なおも東へお進みになりました。此の時から、此の御剣を、草薙剣と申し上げることになりました。
後記
☆古事記では「倭健命」、日本書紀では「日本武尊」
☆草薙剣 (天叢雲剣とも呼ばれ、三種の神器の一つ)
☆熱田神宮(名古屋市熱田区神宮坂町)祭神は草薙剣・天照大御神・
倭健命や國造の娘(美夜受比売)などが併祀されている。
☆焼津神社(静岡県焼津市元町)倭健命を祭神とする。
焼津の地名は「野原の焼き討ち」の故事にちなんだ。
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