星野之宣先生の「宗像教授・飛鳥取材記」 平成12年5月2日

 奈良県 『 明日香村 』 其の弐

月刊「歴史とロマン」編集部  


 
 
 ● 「亀型石造物」 ← クリックすると写真が見られます。


取材予定の道筋にあると言うタクシーの運転手の話で、亀型石造物の発掘現場へも寄る事にする。 ここでも星野先生は階段や土手など高所を探しては登って、なるべく発掘現場全体をカメラに収められるよう努力されておられました。

ただ、この亀型石造物は万葉ミュージアムの建設工事中に発掘されたものなので、広い建設現場の中、しかもかなり奥まった所にあり、 青ビニールが掛けられていることもあって、様子を伺う事はかなり困難のようだ。
その余りの見えなさにか星野先生は、「あの鉄骨の上に登れないですかね」と、隣接する鉄塔を指差しておられました。 お気持ちわかりますけど、無理ですってば先生。

 「古代史好きのおじさん2」

さて、そんなやり取りをしながら取材をしておりますと、初老の男性が近づいてきました。どうやら古代史ファンのおじさんのようです。 そんなおじさんが我々に訊ねた事は、「泊まってる旅館で、今日から亀の石造物が一般公開されてると聞きましてんけど、知りまへんか?」 と少々衝撃的な事でした!
「ホンマですか!?」と本誌記者E。「いえ、わかりませんねぇ」と星野先生。 皆で発掘現場を振返るもそんな気配はこれっぽちも見えません。「保存の為に埋め戻されたと聞いたんですけど」と答えると、 「はぁ、そうでっか」と、ちと残念そうな表情のおじさん。「なんや、聞き間違いやったんかなぁ・・・」と、 その古代史ファンのおじさん2は去っていきました。こころなしか、その背中は寂しそうでした。

しかし!後日に分かった事ですが、実はこの取材をしていた次の日から、何と亀の石造物が一般公開されていたんですね。
それまでは、「保存の為に埋め戻された」との情報が流れていて、てっきり一般公開は終了したものと思っていたのですが、明日香村のスポークスマンの話では、 「保存の為、(石造物の)周りは埋めた」と、何とも微妙な言い回し。"敵もさるもの"とは北海道の飛鳥ファンの某主婦(^^; の言葉ですが、 ああ、公開が一日早ければ、と本誌記者Eが悔やんだのは言うまでもありません。もちろん星野先生も、でしょうね。  

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 ● 「天武・持統天皇陵」 ← クリックすると写真が見られます。

この後、取材は当初の予定通り「天武・持統天皇陵」へと移動を開始します。 車窓の外は、春から初夏へと移り変わり行く飛鳥の風景が流れていき、ゴールデンウイークという事もあってか、家族連れの姿が目立ちます。 遠目に「石舞台」の周りで戯れる子供達の姿を横目に見ながら、タクシーは「天武・持統天皇陵」を目指して走ります。

だが、快調だった車がここに来てちょくちょく止まるようになった。運転手さんも辺りをキョロキョロ。星野先生も不安そう? 選んだ道は、車が一台がやっと通れるほどの道。「おいおい、こんな細い道 大丈夫?」と心の中で呟いておりましたら、 運転手さんが「ここですかな?」と着いた先は、どうみても天皇陵とは思えぬ怪しい場所。星野先生と手分けして辺りを探索して見つけた掲示地図を見ると、天皇陵はどうも一山向こう側になる模様。 道すがら名所を見せようとサービスし過ぎたのか、どうも道に迷ってしまったようだ。頼んますよォ、運転手さん。あんたが頼りなんだから。
気を取りなおして再出発。まあ、お陰で先の「石舞台」に「亀石」や「鬼の雪隠」、「鬼の俎板」も見られたし良しとしますか…。

『藤原宮』を建都した二人の天皇、天武・持統天皇はご存知のように夫婦です。 天武天皇が健在の頃は、恐らく内助の功で支えていた持統天皇でしょうが、よもやの夫の死で大役が我が身に降りかかるとは予想だにしなかったでしょう。それともそれは覚悟の上、承知の上での事。そんな時代だったのでしょうか。
いずれにせよ、夫婦で考案・建都した都という事で、壮大な夫婦の絆が見えてくるような、そんな気がします。

「天武・持統天皇陵」は小高い山の頂きに有り、その雄姿をを現代に留めています。 長い階段を登り切ると、ようやくそこに天皇陵が現れてくる。前に少し広場が設けられているが、これは観光客用だろうか。 陵の前面には鳥居が立てられているものの、そこから先は立入禁止になっていて中を伺うのは困難な様子。 ここでも星野先生は素早くあちこちに移動され、見える限りの天皇陵の全てをカメラに収められていました。

帰りがけ、階段を降りていると遠足の小学生達だろうか、またも大勢の子供達が賑やかに通り過ぎて行きます。そんな中、ふと足を止めて天皇陵を振返る星野先生。何か新たなストーリーを思い付かれたのだろうか。果してその胸に去来するものは…
この長い階段の途中から周りを見渡すと、小さいが山であるがゆえ結構なパノラマの景色を楽しむ事が出来ます。訪問の際はお試しあれ。  

つづく 

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