A277
今頃になって「選択的夫婦別姓」がもたらす、“親子別姓”、“兄弟姉妹別姓”などの本質的問題点を指摘する読売新聞

 1月6日の読売新聞は、「石破政権の課題 ポピュリズム横行が目に余る」と言う社説で、次の様に論じていました。
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社説 石破政権の課題 ポピュリズム横行が目に余る
2025/01/06 05:00 読売

◆難局の舵取りを任せられるのか◆

 少数与党が、政策を実現させるために野党の協力を仰ごうとするのはやむを得ない。

 だが、政権の維持に執着するあまり、財源の確保を棚上げして減税などの要求を唯々諾々とのんでいたら、国力は低下してしまう。そんな政治をいつまで続けるのか。憂うべき事態である。

 衆院で与党が過半数を失った昨年の臨時国会は、石破政権の低姿勢ぶりが際立った。

(中略)

 内外の課題は山積している。ポピュリズム(大衆迎合主義)的な政策を進めるだけでは、難局を乗り切ることはできない。

(中略)

 立憲民主党など野党は、選択的夫婦別姓を実現するための法案を提出するとみられる。

 首相も同調姿勢といわれるが、選択的夫婦別姓は、社会や家族のあり方に大きな影響を与える。

 夫婦が別々の姓を名乗る場合、子どもが、父親か母親と別姓になるといった問題を軽視すべきではない。国会運営への配慮で判断を間違えるようなことがあってはならない。慎重に議論したい。

(以下略)
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 社説は「夫婦が別々の姓を名乗る場合、子どもが、父親か母親と別姓になるといった問題を軽視」と批判しますが、長年にわたる読売の報道もこの問題を軽視どころかほとんど無視し続けてきました。

 夫婦別姓は単に“職場”だけの問題では無く、家族にも大きな影響があります。子供がいる家族では、子供の姓をどちらにするかという問題が生じ、必然的に親子母子父子別姓が生じます。子供が2人以上いれば、子供の姓をどうするかに拠って、兄弟姉妹間でも別姓が生じます。
 一番親族家族である夫婦、親子、兄弟姉妹間で、姓が異なるとなると、一体、「姓」は何のためにあるのかと言うことになりかねません。

 自宅の玄関には二つの表札(郵便受け)が必要です。もし、これを実行しなければ“偽名”を使っていることになりかねません。

 さらに周囲の人に思わぬ迷惑を掛けることが予想されます。例えば、まさか2人が夫婦であるとは知らずに、別々に接触していた男女2人が,ある時夫婦である事を知って驚いたというようなケースが出てきます。
 学校で1年生の〇〇君と、3年生の××君兄弟とは知らなかった、などと言うことが起こり得ます。

 (参考 I138 夫婦別姓と“通称”使用の可否は別問題。“通称”使用の実態は“公私別姓”ではないのか -“制度的夫婦別姓”の国、中国と韓国を“女性活躍の国”と認識する人はいない-

 今まで読売を含む「オールド・メディア」が、この夫婦別姓問題を報じる時に、この点(親子、兄弟姉妹の別姓)に触れた報道を見た記憶がありません。

 この問題に熱心で、夫婦別姓の熱烈な支持者である経団連十倉会長も、自分には関係ないと思っているのか、この点に触れたことがありません。

 読売にしろ経団連にしろ、この問題点に今頃気付いた(あるいは未だ気付いていない)とすれば,異次元の愚か者であり、気付いていたにもかかわらず、今まで沈黙していたのであれば、異次元の悪党です。

 夫婦の姓に関しては、世界には歴史的に“選択的”では無く、“制度的夫婦別姓制度を堅持している国家、中国韓国の存在がありますが、今まで彼らが男女平等先進国と称賛されたことも、彼らがそれを誇っていることもありません。むしろその反対です。なぜでしょうか。夫婦(親子、兄弟姉妹)同姓こそがまともな社会なのです。

 記事は石破政権の施策を「ポピュリズム」と批判する中で、夫婦別姓の問題点を指摘していますが、言うまでも無く「選択的夫婦別姓問題」は石破政権の遙か前から生じていた問題であり、また、経団連が強力に推し進めようとしている点を見ても、さらに(“18歳成人”で大きな誤りを犯した)法務省、厚労省などが“別姓”の方向に向けた動きを続けていることを考えても、“愚か者”、“悪党”、との非難であれば的を射ているとしても、「ポピュリズム」の非難は全くの的外れです。

 読売新聞の社説はお粗末です。“ポピュリズム云々”としたのは、“官”に対する批判を避ける為なのでしょうか。今各界で“オールド・マスメディア”が批判を浴びているのにタイミングを合わせたような社説でした。

令和7年1月14日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ