C101
堕胎と断種を制度化(合法化)した優生保護法。新憲法が堕胎は容認しているが断種は厳禁しているという解釈は説得力に欠ける。―「三権分立」、「国会は国権の最高機関」などが有名無実化して司法の独裁が進む。「ケンポー」の一言で、司法に出来ないことはない民主主義死滅の世界―
この判決は憲法第51条、憲法第76条の3に違反する-
憲法第51条「議員の発言評決の無責任」
両議院の議員は議院で行った演説、討論または評決について院外で責任を問われない。
憲法76条の3「総て裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」
7月3日の読賣新聞は、「旧優生保護法「違憲」、強制不妊で国に賠償命令…最高裁が「除斥期間」不適用で統一判断」と言う見出しで、次の様に報じていました。
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旧優生保護法「違憲」、強制不妊で国に賠償命令…最高裁が「除斥期間」不適用で統一判断
2024/07/03 22:33 読売
旧優生保護法の下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は3日、旧法を「違憲」とし、国に賠償を命じる判決を言い渡した。国会議員の立法行為自体を初めて違法とも認定した。
C101-2
判決は15人の裁判官全員一致の意見で、最高裁が法律の規定を違憲としたのは戦後13例目となる。
C101-3
最高裁の前で、「勝訴」と書かれた紙などを掲げる原告ら
(3日、東京都千代田区で)
大法廷は、不法行為から20年で賠償を求める権利が自動的に消滅する民法(当時)の「除斥期間」について「著しく正義・公平の理念に反する場合は適用されない」と初判断し、1989年の最高裁判例を変更。高裁段階で割れていた除斥期間の適否について、「重大な被害を受けた原告への適用は許されない」との統一判断を示した。
旧法は48年、戦後の食料不足への危機感を背景に、「不良な子孫の出生防止」を目的に議員立法で成立した。障害者らに強制的に不妊手術ができると規定され、96年に母体保護法に改正されるまで約2万5000人が手術を受けた。
2018年以降、被害者ら39人が全国12の地裁・支部に提訴し、この日の判決は、22~23年に札幌、仙台、東京、大阪の各高裁で判決が言い渡された5件の訴訟が対象となった。
判決は旧法について、「障害者の出生を防止するという目的は、当時の社会状況を勘案しても正当とはいえない」と指摘。「障害者を差別的に扱い、不妊手術によって生殖能力の喪失という重大な犠牲を強いた」として、個人の尊厳や人格の尊重をうたう憲法13条と法の下の平等を定めた憲法14条1項に反すると判断した。
判決は、違憲性が明白な法律を成立させたことは国家賠償法上、違法とも判断した。国の政策として不妊手術を積極的に推進してきたことなども踏まえ、「国の責任は極めて重大だ」と述べた。
さらに、「国は、1996年に旧法が廃止された後も、不妊手術は適法だと主張し、補償もしなかった」と批判。「訴訟が除斥期間の経過後に起こされたということだけで、国が賠償責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反する」とし、国が除斥期間の適用を主張することは権利の乱用にあたると結論付けた。
判決は、原告勝訴とした4件の高裁判決に対する国側の上告を棄却し、被害者1人あたり最大1650万円を支払うよう国に命じた司法判断が確定した。原告敗訴の仙台高裁判決は破棄し、損害額を算定させるため同高裁に審理を差し戻した。
◆ 除斥期間 =改正前民法の「不法行為から20年を経過した時は損害賠償請求権が消滅する」との規定について、最高裁が1989年、「除斥期間」と判示し、判例として定着した。2020年施行の改正民法で、事情によっては請求権が残る「時効」に統一された。
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この判決は優生保護法は憲法違反である事を主な根拠にして、原告勝訴としているが、日本国憲法は1946年に成立し、優生保護法は1948年に衆議院で満場一致で可決成立した。
いずれも当時の日本はアメリカの占領下で、両方ともアメリカ占領軍の強い意向で、日本政府はこれを拒否することは出来なかった。
憲法も優生保護法も、成立の過程ではGHQの強い圧力があり、日本政府は抵抗したもの、受け入れざるを得ず制定となった。優生保護法には不良な遺伝子の断絶(断種)の他、日本政府が反対し、当時のアメリカでも(現在のアメリカの一部でも)禁じられていた堕胎(人工妊娠中絶)の合法化も含まれていた。
堕胎と断種は類似している。生命の軽視・無視という点では共通している。であれば、優生保護法の2年前に制定された憲法が、堕胎は容認しているが、断種は禁じているという解釈は説得力に欠ける。
現代に於いて、妊娠中の胎児の遺伝子検査等で先天性の異常が発見された場合は、当然のように父母の同意の下で、堕胎(妊娠中絶)が行われている現状を見れば、優生保護法の精神は決して「非人道的」ではない。
憲法、優生保護法のどちらにもアメリカが密接に関与していて、特に優生保護法には日本の人口増加を警戒するアメリカは強硬であった。しかるに判決はそれらの点に一切触れず、「憲法」を称賛し「優生保護法」を罵倒している。違憲性を判断する時に不可欠であるアメリカの存在と関与の事実を完全に無視している。憲法と優生保護法は“一対”のものであり、片方を称賛し、もう片方を罵倒することは矛盾し相反するものである。
当時の日本は占領軍による公職追放、検閲等で、日本国民には学問・教育の自由、言論・報道の自由、立候補の自由等がなく、憲法改正では国民投票もされず、そのような中で制定された憲法は合法性、正当性を満たしていないと言うことになる。
これは断種が違憲である事を認定するに必要な前提(憲法の合法性、正当性)が、満たされていないと言うべきだ。現在の価値観で、“憲法”を根拠に過去(当時)を断罪するのであればそう言わざるを得ない。自分にとって都合の良いところだけを断罪して(反対に憲法を賛美して)「正義の味方」を装うのは「日本罵倒」、「アメリカ礼賛」であり、「司法は卑劣(愚劣)な日本人の集まり」と言わざるを得ない。
では仮に制定当時憲法は合法・正当であったとすれば、どう考えれば良いのか。
当時の欧米諸国では、優生保護思想は主流であり、それによる断種手術も行われていた(優生保護法 - Wikipedia)。 優生保護思想、断種手術に対する批判が高まってきたのは、それよりずっと後である。
しかし、その欧米での優生保護批判の中に“違憲論争”があったとは聞いたことがない。つまり違憲かどうかの議論ではなく、その後の思想の変化により、政策が改められたものとみられる。
思想の変化、法律の改定により、かつては合法だった施策が“違法”となった時に、その変更の効力は“過去”に遡ることが出来るかどうかは、一概には言えないはずであるが、基本的には遡らないものと考えられる。
新憲法制定の2年後に“著しく正義・公平の理念に反する”優生保護法が議会で満場一致で可決成立するとは考えられない。新憲法が2年後に制定された優生保護思想に基づく“断種”を禁じているとする解釈は当たらないと考えるべきだ。総ては判事達の後付けの屁理屈に過ぎない。
憲法判断はもちろん、司法の判断は証拠に基づいてされるべきだが、証拠は何も提示されていない。
① 「除斥期間」について「著しく正義・公平の理念に反する場合は適用されない」
何が“著しく”、“正義・公平”なのか、何の基準も示さず結論を出すのは、司法の暴走としか言いようがありません。
② 「重大な被害を受けた原告への適用は許されない」
何が“重大”なのかその基準がなければ話になりません。総ては判事(司法)の胸先三寸では法治国家ではありません。
③ 個人の尊厳や人格の尊重をうたう憲法13条と法の下の平等を定めた憲法14条1項に反する
法律は人に強制するものが多い。特に病気に関するものは伝染病の感染防止の為に、患者やその他の国民に対して“強制”する事は少なくないが、それをもって人権侵害、憲法違反とする主張は無い。「個人の尊厳や人格の尊重」で議論していたのでは、余りに曖昧で明確な基準がなく、総ては判事(司法)の判断一つで決まるという事になりかねず、法治国家とは言えません。
このようなことが容認されれば、三権分立、「国会は国権の最高機関」などは有名無実化して司法の独裁が進み、“ケンポー”の一言で、司法に出来ないことはない(民主主義死滅の)世界が実現する。
「善悪の基準」は時代と共に変わる。100年前の事件を現代の価値観で判断するのは誤りである。“時効”が意味するところはそういう点でもある。
判決は時効について「不法行為から20年で賠償を求める権利が自動的に消滅する民法(当時)の『除斥期間』について『著しく正義・公平の理念に反する場合は適用されない』」、「重大な被害を受けた原告への適用は許されない」とし、さらに、「『訴訟が除斥期間の経過後に起こされたということだけで、国が賠償責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反する』として、国が除斥期間の適用を主張することは権利の乱用にあたると結論付けた」としていますが、これは憲法76条の③「総て裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」に反します。民法の除斥期間を定めた部分が“違憲”では無い以上、除斥期間は拘束力があるものと判断すべきです。憲法が定める「拘束」に従わなかった判事達は“無法者”と言わねばなりません。
司法が単に法律の違憲判断だけでなく、「国会議員の立法行為自体を初めて違法とも認定した」、「・・・法律を成立させたことは、国家賠償法上、違法とも判断した」に至っては、それこそ「議員の院内の発言・評決」について、院外(法廷)で賠償責任を指摘したもので、憲法第51条「議員の発言評決の無責任」を否定する暴挙(愚挙)と言わねばなりません。
仮に国家賠償法の適用が可能であるとしても、司法が法廷でその法律制定に賛成した議員の責任を指摘して断罪することは、「議員の院外無責任」を定めた憲法に違反します。
憲法に違反しているのは法廷のお粗末判事達の方です。
法律上の“時効”を否定するのは、違憲判断で無い限り司法の“越権”行為である。司法は法の番人であり、“正義の味方”ではない。独断で法律を否定する事は「法治国家」、「民主主義国家」では許されない。
令和6年7月7日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ
令和6年7月8日 追記
この問題はそもそも“違憲”の政治問題では無く、改める必要があるかないかの議論にするべきだった。
日本以外の国では、「違憲」問題では無く、「断種の是非」問題だったのではないか。そうであれば日本もその道を歩むべきだった。
本来であれば、違憲、賠償金の前に、“断種”措置が遺伝的・先天的病の子孫の出生を減らす効果があったかどうかも重要なことで、これは統計的な調査が可能の筈だが、全く話題になったことがなかった。もし、何の効果も無かったのならば、彼らは声を大にして効果が無かった、無意味な無駄な断種だったと言うだろうが、それをしなかったのは、もしかしたら、ある程度の効果が確認出来たのかも知れない。そうすればその点を含めた科学的な議論が出来たはずだ。
賠償金の話しが中心になった理由は、一つは弁護士、司法関係者中心の議論になったことが大きいと思われる。
(参照) I43 医学と人類の将来 -阿久根市の竹原市長が提起した問題-