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日本の領土問題(竹島、尖閣、千島)とアメリカの関与

1.歴史的経緯

 尖閣・竹島について
歴史的な経緯を確認することは、非常に重要で有意義なことです。しかるに、日本のマスコミはほとんどこれを報じません。
 韓国の大統領が
竹島に上陸したとか、韓国軍が竹島で訓練をしたとか韓国側の動静のみを報じ、「大変だ、大変だ」と騒ぐだけで、日本の立場を報じることがありません。結果的に見れば韓国の挑発行為の宣伝をしているだけと言うのが実態ではないでしょうか。
 従って、多くの日本人は
「日本固有の領土」という政府の立場を繰り返し聞かされるだけで、不安感を払拭できないのが実態ではないかと思います。
 その意味からもこの竹島・尖閣の歴史的経緯が対外発信だけでなく、
日本国民に広く知られることが重要です。

2.尖閣と竹島の違い

 ここで尖閣・竹島問題と言われますが、この二つの領土問題は共通するところと共通しないところがあります。

 
共通しないところ
 
竹島は17世紀中頃(江戸時代)に日本の領有権は確立しており、1905年の島根県編入によって領有したものではありません。一方、尖閣は1895年当時無主地であったものを、日本が国際法に則った手続きにより、日本領土に編入したものであると言うのがわが国の立場です。
 従って議論の対象となる
過去と言えば、尖閣については日本の領土編入当時(1885年の調査開始)から領土問題発生時(1960年代前半)までで、竹島過去と言えば、17世紀中頃から領土問題発生(1946年SCAPIN指令677〜1952年対日講和条約発効)までと言う事になるでしょう。

 
共通するところ
 どちらも
敗戦後のある時に突然生じた領土問題で、それ以前には全く存在しなかった問題であることと、発生時は両島とも日本の主権下、施政権下ではなく、アメリカの占領下、施政権下(韓国はアメリカの軍政下)に発生した問題であることです。従ってアメリカの動きが一つのカギになると言えます。

 
「火のないところに煙は立たず」と言うことわざがありますが、もし、火の気(領土問題の原因・予兆)のないところから突然煙(領土問題)が出たらまず何を疑うか。それは放火(第三者の悪意)です。放火を疑うのが常識です。
 特に竹島は領土問題が発生した
だけでなく、当事者である日韓両国が第三国(アメリカ)の占領下でした。アメリカは何でも出来る(反対に阻止することも出来る)立場だったと言って良いでしょう。
 以下、竹島・尖閣それぞれについて、日本の領有、領土問題発生から今日までを振り返ってみます。

3.竹島について

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外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_ryoyu.html

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外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/takeshima/page1w_000022.html

 上記以外にも韓国人の
いい加減な地図古文書を根拠にした主張に対しては、逐一的確な反論がされており、一読の価値があります。

 竹島領土問題の
最初の一手となる、SCAPIN第677号(1946年1月29日)
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若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書 (SCAPIN677)

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国際法から見る竹島問題 http://takeshima.cafe.coocan.jp/wp/?page_id=286&album=4&gallery=8

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ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/SCAPIN

 下記の図が示すように、
マッカーサーライン李承晩ラインはほぼ一致し、竹島はマッカーサー(アメリカ)によって日本から切り離された領土である事は明らかである。(令和3年7月31日追記)

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「戦後韓国はどうやって竹島を奪ったか―竹島問題の現位置」より
https://ironna.jp/article/1771


      韓国の要求に対する、アメリカのラスク国務次官補の回答
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外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_sfjoyaku.html

(1)この指令文を見て気がつくことは、
1946年1月SCAPIN677号でなぜ、竹島を鬱陵島、済州島と共に日本国から除外したのかと言う点です。

 まず、
記載の仕方からして、鬱陵島、済州島の2島を「朝鮮」に含めず日本の一部としたことが不自然です。これはわざわざ日本領の竹島と韓国領の鬱陵島・済州島をセットにすることが目的だったとみられます。

 これは同じような位置関係にある、
台湾と澎湖島の取り扱いを見ると異常さがよく分かります。澎湖島は当然ながら台湾の一部として扱われて、日本の一部と位置づけられておらず、付近の日本の島(例えば尖閣諸島)とセットで記載されるような扱いもされていません。竹島の扱いと好対照を成しています。

 占領軍に
特別な意図がなければ、鬱陵島と済州島は朝鮮の一部として記載されるはずです。仮に竹島を朝鮮の一部として誤認していたのであれば、竹島は鬱陵島・済州島とセットで朝鮮の一部として記載されるはずです。

 さらに占領軍がSCAPIN677号発令
直後の日本側との打ち合わせで、「従来日本に属していたが、日本と朝鮮の漁業水域を画する無原則な線を引いた最近の占領命令はトクトを朝鮮ゾーン内に置いた」と無責任な発言していることを合わせて考えれば、占領軍が竹島を日韓領土紛争の地にしようと意図したことしか考えられません。

 さらに続いて1946年6月の
SCAPIN1033号竹島だけを指定して日本人の接近、接触、漁業を禁じたのはこの見方を裏付けると言えます。

(2)米軍が竹島を
射爆場にしたのは、最初は、1947年9月の SCAPIN−1778「リアンクール岩爆撃訓練場」による指定、次に1951年7月の SCAPIN−2160「リアンクール岩(竹島)爆撃訓練場」による指定などによりますが、いずれも竹島を日本の範囲から除外したSCAPIN677号、日本人の接近を禁じた1946年6月のSCAPIN1033号以後であり、射爆場が理由とは考えられません
 SCAPIN677号で1946年1月29日に早々と日本からの分離を実施すれば、朝鮮人が当然
アメリカの意図“誤解(理解)”することは目に見えています。

(3)「小島嶼の
最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」などの条項が多く、必ずと言って良いほどSCAPIN指令ごとに付帯されていますが、これは将来の紛争を予想(予定)しているように見受けられます。それは将来の紛争の種となるような指令を連発していることになります。少なくともSCAPIN指令による将来の紛争の種を最小限にしようとする姿勢は見受けられません。

 SCAPIN指令が
最終決定とは異なることを知りながら、しかも最終決定と誤解されることを予想しながら、次々とSCAPIN指令を発令したのはなぜでしょうか。
 そして、実際これらの
SCAPIN指令が日韓両国の紛争の原点になったのではないでしょうか。

(4)米軍射爆場に実際に使用されたのは、アリバイ作りのようです。
竹島を日本から分離して、日本人の接近を禁じた理由は不明で、不可解です。

(5)ラスク次官補は韓国領との主張を否定していますが、日本領である事には触れていません。慎重を期すと言うよりも、
争いの火種を温存しようという意図が感じられます。

この点は1965年の
日韓国交正常化交渉に於いても見受けられます。竹島問題という懸案解決の好機のはずだったが、最初から議題から外されていました。

(6)外務省は「サンフランシスコ平和条約において竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかです」と言っていますが、ラスク書簡は「竹島が韓国の領土でないことは明らか」とは言えても、残念ながら
「日本の領土である事が明らかにされているとは言えないこともまた明らか」と言わざるを得ません。要するに曖昧で“二枚舌”なのです。(米政府機関の「地名委員会」は竹島を韓国領と表記しています)

 自らの施政権下で理由もなく曖昧なことをして、曖昧なままどっちつかずの説明を繰り返し、決着を付けずに
火種を残したまま手放す施政権を返還する)。これがアメリカの常套手段であり、日本の領土問題に共通する点である。これに対して日本政府は何も言わない(言えない)。


(7)適度な日韓反目はアメリカの利益(双方がアメリカの言うことをよく聞くようになる)。
   竹島(独島)や日本海の呼称一つで、
韓国人は一喜一憂する。
   韓国にはアメリカが必要とする時に、
日本の足を引っ張るという大事な役割がある。
   
日韓友好はアメリカの不利益、利益よりも不利益の方が大きい。双方が一緒になってアメリカにたてつく。

4.尖閣領有の経緯について

 日本政府の立場を振り返って再確認すると、
基点は1895年で、それ以前は問題にしていません。
 もとより、
「昔そうであった」と言う事は必ずしも、「本来そうであるべきだ」とか、「だから今もそうあるべきだ」と言う事を意味しません。昔は昔、今は今と言うケースも当然あり得ます。しかるに周知のように中・韓両民族昔に遡って議論するのが大好きです。彼等の議論は時として、遡り競争の観を呈します。大昔に遡る議論に巻き込まれることは、何の利益もありません。

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外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/senkaku/page1w_000016.html

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外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/pdfs/senkaku_pamphlet.pdf  

 中国人の「昔はそうだった」、
「大昔からそうだった」式の議論については、同じ中国人の中にも、それを非論理的な主張であると批判する冷静な意見があります。

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2012/08/28(火)  広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏

 上記のように中国人の中にも、日本が中国の統治の有無を確認した
1885年から1895年の認識(無主地)自体について、異議は出ていないようです。そうであればなおさら、こちらから発信してまで議論の争点を1885年以前に持っていくのは得策ではありません。

5.戦後の尖閣とアメリカ

戦後の尖閣の動き(領土問題の前兆から現実の領土問題となるまでの経緯)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.98.8E.E6.B2.BB.E7.B6.AD.E6.96.B0.E4.BB.A5.E5.89.8D

アメリカの占領、サンフランシスコ講和条約、アメリカの施政権下と変化するが、
領土問題は生じていない。領土問題の前兆が発生するのは1960年代からである。
1940年 
無人島になる。

1960年代後半より、
台湾漁民の不法上陸が発生する。
1969年 国連が尖閣の付近に膨大な
石油資源が眠ることを報告。
1969年 台湾(中華民国)当局が、青天白日旗(国旗)を尖閣諸島に掲揚
1970年 早くも
アメリカは「主権の対立がある場合は当事者間で解決すべき」と、
      
“中立宣言”をしている。
1971年 
台湾が尖閣諸島の領有権を主張
      沖縄返還協定調印 
アメリカが領有権に関して中立を表明
      
中国が領有権を主張

 1895年に日本が尖閣諸島を日本に編入して以来、1960年代後半に至るまで、
尖閣に領土問題は全くなかった
 1960年代になって台湾漁民の不法上陸が頻発するようになったのは、
施政権者としてのアメリカの国境警備に手落ちがあったからと言える。初期の段階で施政権者自らが尖閣諸島に海軍(または沿岸警備隊)を常駐させるなどの対応をすべきではなかったか。アメリカは火種が大きくなるのをじっと見守っていた。

6.領土問題発生後のアメリカの対応

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 JBpress 2012.10.31(水) 古森 義久

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The Huffington Post   http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/11/senkaku_n_3424555.html
早稲田大学大学院の春名幹男客員教授

 この
沖縄返還協定調印の10日前の1971年6月7日の段階での「中立宣言」は、日本に対する背信であり、中国・台湾に「ゴーサインを出した」に等しい「他意あるもの」と考えるべきである。
 
領土問題が「話し合いで円満に解決した」例があるか。尖閣でそのような見通しがあったのか。無いことが分かっていてこのような2枚舌を使ったことは他意あるものと考えるべき。
 北方領土は日本領(アメリカは明言)で、尖閣が日本領でない理由は何か。
アメリカの施政権下でこのような問題が発生したことに対して、日本への
返還直前になって曖昧な対応をして、無責任な返還をしたことについてもアメリカには大きな責任がある。

 アメリカは今(1971年の沖縄返還協定締結の時)になって、“中立”などと言える立場であろうか。施政権供与も返還も日本が尖閣を含む沖縄の主権者(領有権者)である事が大前提では無いのか。

 台湾と「良い関係を続けたい」と言う善意の解釈は甘い。アメリカの本音は「
“日本と中国の半永久的な解決不能の反目・敵対”を実現したい」というものではないのか。

7.アメリカの目的

 
日本の周囲を敵だらけにして日本を孤立させ、日本をして対米依存・従属のやむなきに至らしめ、日本を半永久的にアメリカの保護国状態に置くこと。

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産経ニュース http://www.sankei.com/world/news/161205/wor1612050013-n2.html

 
北方領土もヤルタの密約ではアメリカはソ連の対日早期参戦の見返りに、“千島をソ連に”と言った。ところが1956年になってアイゼンハワー政権は、ヤルタの密約はルーズベルト個人によるもので、無効であると宣言したが、個人の密約などと言う言いわけが通用するだろうか。

 アメリカの言うとおり、ルーズベルトの行為がアメリカ国内では違法・無効だとしても、それによってアメリカがソ連の早期対日参戦と言う利益を得、日本が北方4島の喪失という不利益を受けたことは厳然たる事実である、これに対して何らかの
回復措置を講じるのはアメリカの義務ではないのか。言いっ放しで終わるのであればアメリカそのものが、単なる悪質な二枚舌国家と見なされてもやむを得ないのではないか。

 日ソ間の交渉がほぼまとまり、日本は歯舞・色丹だけで諦め、国後・択捉を放棄することで国交正常化をすることとしたが、
アメリカのダレス国務長官が横やりを入れてきた。国後・択捉を諦めるのなら、沖縄は返さないと言って日本政府を脅迫してきた。国後・択捉をソ連領として認めるのは、ソ連に対してサンフランシスコ講和条約以上のものをソ連に与えることになる。日本の領土だから、諦めてはイカンと言ってきた。それで、平和条約は締結できず、日ソ共同宣言になり平和条約は未締結のまま今日に至った。

 アメリカは国後・択捉は日本の領土だとは言ったものの、その後
その実現のために何かをしたと言うことはない。要するに日ソ間の国交正常化、関係改善を阻止することが唯一の目的だったのである。
(参照 E4 日本の領土問題とアメリカ(北方領土問題とアメリカ)

 アメリカの言うことにもう少し
疑惑の目を向けるべきだ。
 日米に同盟国の一面がある事は否定できないにしても、 
第二、第三の竹島・尖閣を引き起こさないためにも、アメリカの実像を直視することが必要だ。親米一色は危険だ。

平成29年7月22日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ