G20
家永三郎氏の評価

 12月2日の各紙に教科書裁判の家永三郎氏の死去が報じられていました。

 朝日新聞は
「・・・旧文部省が検定制度を『簡素化・重点化』するなどの見直しをはかった背景には、80年代の検定に対する国際的な批判とともに、家永訴訟の影響があるといわれる。教育にとどまらず、平和や人権をめぐる憲法運動の歴史にも大きな足跡を残すものでもあった」と、肯定的に評価していました。

 産経新聞は、
「・・・昭和40年代以降の教科書は、家永氏の裁判闘争の影響を受け、日本の過去をことさら暗く書こうとする記述が増えていく」、「・・・家永氏は裁判の目的について『勝敗を度外視して正論を世間に訴えることだ』と言っていた。その意味では家永氏の裁判闘争は政治目的を十分達成したと言えよう」と、否定的に論評していました。

 彼は学校の教科書について独自の主張をし、裁判で争ったのであって、歴史観や歴史認識について、学会や世間を相手に論争を巻き起こした訳ではありません。一般の著作として世に訴えた訳ではなく教科書の適否として争った訳ですから、その評価は学校教育の現状に照らしてなされなければなりません。彼の評価は、彼の教科書あるいは裁判闘争が学校教育にどのような影響を及ぼしたか、という観点からなされるべきだと思いますが、朝日新聞の記事にも産経新聞の記事にもそういう視点はありません。

 今年の1月22日の朝日新聞は、「日本の中学生は歴史に感心低く」という見出しで、筑波大学の遠藤誉教授のグループの調査結果を報じていましたが(A86「朝日新聞の思考停止」参照)、その結果は惨憺たるものです。日本の子供たちは自国に誇りを持てず、歴史に興味がなく、自分の将来にも希望を持てず、目的意識もなく学校生活を送っていることが明らかにされています。この結果と家永氏が進めた教科書裁判とは何の関わりもないのでしょうか。私は密接な関係があると思います。この子供たちの悲惨な現状を無視して家永氏を論評することは全く意味がないと思います。

平成14年12月8日     ご意見・ご感想は こちらへ     トップへ戻る     目次へ