G35
教師の「働き方改革」は悪平等の根絶であるべき −“聖職者”なのか労働者なのかはっきりせよ いいとこ取りは許せない−

 1月22日と1月25日のNHKニュースは、それぞれ「教員の
時間外労働 法整備での制限求める署名提出」と「教師の長時間労働 首相『高度プロフェッショナル制度』関連法案成立に全力」というタイトルで、次のように報じていました。
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教員の時間外労働 法整備での制限求める署名提出
1月22日 15時23分  NHK

 
教員の長時間勤務が問題となる中、過労死した教員の遺族などが文部科学省に対して、法律で教員の時間外労働に上限を設けるなど、より実効性ある取り組みを求めておよそ50万人分の署名を提出しました。

 署名を提出したのは過労死した教員の遺族や教育分野の
研究者らで作る団体です。

 一行は、文部科学省を訪れ、
教員の時間外労働に法律で上限を設けることなどを求めたおよそ50万人分の署名を丹羽副大臣に提出しました。

 教員の
時間外労働については、「過労死ライン」とされる月80時間を超えるケースが6割に上ることが明らかになり、文部科学省の審議会は先月、教員の勤務時間に上限の目安を設けることを決めました。22日の申し入れは、国のこうした方針は評価しながらも、法律を整備するなど、より実効性を持たせるよう求めています。

 中学校の教員だった夫をくも膜下出血で亡くし、その後、過労死の認定を受けた工藤祥子さんは「署名してくれた教員の中にも『署名しても変わらない』という声があった。実効性のある政策が、学校現場に届くように根気強く訴えていきたい」と話していました。
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教師の長時間労働 首相「高度プロフェッショナル制度」関連法案成立に全力
1月25日 18時40分   働き方改革NHK



 安倍総理大臣は衆議院本会議で、働き方改革をめぐり、働いた時間ではなく成果で評価するとして労働時間の規制から外す「高度プロフェッショナル制度」は、残業代ゼロ制度との批判は当たらないと強調したうえで、関連法案の成立に全力を傾ける決意を示しました。

 この中で、公明党の井上幹事長は、働き方改革に関連し、「
教員の長時間勤務の実態も危機的状況にあり、看過することはできない。昨年、公明党は、教職員定数の拡充や学校現場での業務の適正化などの提言を行った。教員の処遇の在り方を検討するなど、教員の働き方改革をさらに進めるべきだ」と指摘しました。
 これに対し、安倍総理大臣は「昨年末に、適正な勤務時間管理の実施、業務の効率化などの緊急対策を取りまとめ、必要な経費を平成30年度予算案に盛り込んだ。今後とも、勤務時間の
上限の目安を示したガイドラインの検討など、教職員の長時間勤務の是正にしっかり取り組んでいく」と述べました。

(以下略)
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 二つのニュースを見てまず気がつくことは、一体
何故「長時間労働」になったのだろうかという疑問です。そもそも、教師は一般の公務員や企業の労働者と異なり、一種の“聖職者”と位置づけられており、時間労働制ではないため、正確な労働時間の把握は困難なはずです。

 また少子化により、平均で見ればどの学校も以前より
生徒数が減少したはずだし、部活は昔からある事で今に始まったことではないし、一体何故長時間勤務になったのかその原因が分かりません。訴える方からその説明がないし、報道する方からもその説明がありません。教師のレベルが低下した可能性も排除は出来ません。

 これでは原因について
何の議論もしていないことになり、本来まともな議論など出来るはずがないと思います。議論を省略して、結論だけ出すのなら出来るかも知れませんが、それは正しい結論を出す道ではないし、民主政治ではあってはならないことです。

 この点に関連して、昨年11月29日の読売新聞が、「登下校見守りや給食費徴収、学校以外が担うべき」と言う見出しで、次のように報じていました。
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登下校見守りや給食費徴収、学校以外が担うべき
2017年11月29日7時50分 読売

 教員の働き方改革を議論している中央教育審議会の特別部会は28日、児童生徒の登下校時の見守りや、
給食費、教材費の徴収・管理などの業務は学校以外が担うべきだとする改革案をまとめた。

 12月に開かれる中教審総会などを経て、林文部科学相に報告される。

 改革案では、
教員の労働時間を減らすため、学校の業務を教員が担う必要性に応じて分類した。

 「学校以外が担う」業務としては、登下校時の見守りなどのほか、放課後の地域の見回りや
地域ボランティアとの連絡調整をあげた。

 文科省の抽出調査では、登下校時の見守りに小学校教諭の約9割があたり、約4割が負担を感じている。そのため、自治体や保護者、地域が連携して対応する体制をつくるよう求めた。

 給食費などの徴収・管理も、教員が放課後に未納の家庭を訪問するなど、負担を訴える声が強く、事務職員への移譲や、自治体が一括管理する「公会計」制度の導入を提案した。

 また、「必ずしも教員が担う必要のない」業務としては、
部活動、校内清掃の指導など、「負担軽減が可能」な業務では、授業準備や学校行事の準備・運営を示した。部活動指導については、外部の人材の活用に加え、複数校による合同部活動や地域のスポーツクラブとの連携を求めた。
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 なにやら
「部活」「給食」「清掃」を目の敵のようにしている様子が窺えますが、本来の議論はこれらの指摘について、一つずつ個別にその可否を議論して行くべきです。

 学校は、特に小学校は地域(その学区)の教育他の1単位としての役割を果たしてきました。学校は授業だけの単なる“学習塾”ではなく、それ以上の役割を果たしてきました。

 教室での授業の他に、
部活給食清掃がある事、さらに文化祭体育祭などの学校行事があるのは、日本の学校教育(義務教育)の優れた点として、しばしば外国の教育関係者から賞賛されてきました。それらのほとんどを止めてしまおうというのが文科省の提案です。それで良いのでしょうか。彼等は、そのうち遠足修学旅行も止めようと言い出すのではないでしょうか。かつては盛んだった林間学校臨海学校も止めてしまったのですから、その可能性は十分あると思います。(G3 30人学級への疑問)
 要するに
彼等の提案は止めることばかりで、何かをしようと言う前向きの提案は絶対無いのです(そのうちいじめの問題は教師が対応する問題ではないと言い出すのではないでしょうか)。

 
部活給食清掃も、文化祭学園祭昔からあったもので、何故それらを廃止しなければならないほど多忙になったのかの説明がありません。今までやってきたことを中止するなら、その理由を明らかにすべきです。今まで出来てきたことが、なぜできなくなったのかを明らかにすべきです。
 それにしてもこのような
学校のあり方を一変させるような提案が、「働き方改革」の問題でしょうか。働き方の問題ではないと思います。

 今行われている議論は、もっぱら教師の
労働問題の視点からだけの議論ですが、本来学校は誰のためにあるのかを思い起こす必要があります。言うまでもなく、学校は児童・生徒の為にあるのです。ところが、今の議論では生徒・児童のためにという視点が完全に欠落していて、父母の意見は全く無視されています。

 今の教師は確かに
超過勤務手当はないものの、その代わり一般労働者、公務員よりも優遇されている部分があるはずです。例えば一般公務員よりも優遇されている給与水準大きな裁量権長い夏休みなど少なくないはずであり、この議論に際しては、当然考慮されるべき点であるにもかかわらず、教師側はおろか新聞・テレビがこの点に沈黙しているのは、生徒の側に対してはもちろん、国民に対しても不誠実との非難は免れません。

 教師は一種の
“聖職者”の様な扱いをされてきました。労働時間に制約がなく(上限だけでなく下限もない?)、能力・実績が劣っても昇給・昇格に差が無く、職務に関しても細かい制約がなく、偏向教育をしても咎められることはまれで、自身の裁量の余地が大きかったと言えると思います。彼等は“聖職者に勤務評定はなじまない”と主張して、一般労働者との違いを主張していました。

 その
聖職者扱いの負の反面が、遅くまで仕事をしていても、早く帰っても、部活の指導をしていても、しなくても、いじめに真剣に取り組んでも、放置していても、一律待遇と言う悪平等主義だったのです。その結果、教師に向上心が芽生えず(向上心の欠ける人間が集まり)、仕事を楽にすることしか考えなくなる人間が増える職場になっていったのです。今回の教師の「働き方改革」のアピールは、そうした傾向の延長線上にある動きです。

 
努力しても、成果を上げても待遇に於いて報われることがない。反対に意欲がなくても、ミスを繰り返しても待遇が維持される。向上心があるものがそれを発揮する動機付けが乏しい、この悪平等の根絶こそが教師の「働き方改革」の目指すところであるべきですが、今の動きはこれとは正反対の方向です。

 今の教師の「働き方改革」が
職務範囲の削減労働時間の制約を主張するなら、少なくとも教師の「聖職者扱い」は止めることをはっきりさせるべきです。学校を顧客(児童・生徒とその父母)目線で見ることを徹底し、顧客満足度第一を徹底し、聖職者気取りの妄言を許さず、その視点での評価制度を実現すべきです。
 すなわち
いじめを放置した教師は降格・減給とし、部活で成果を上げた教師は昇格・昇給すると言う、厳格な能力、成果の査定を行い、その結果による昇給、減給を行い、労務管理に遺漏無きを期さなければなりません。また不合理な身分保障制度は廃止すべきで、わいせつ教師、偏向教師、「ブラック教師」の懲戒免職をためらってはなりません。

 もしこのような「労働者扱い」を望まず、誇り高き「聖職者扱い」の継続を志望する者には当面それを認め、労働時間の制約なしで勤務を継続してその働きぶりを観察し、「聖職者」扱いが妥当と判断された場合は、それを認めてそれなりの待遇をすれば良いと思います。つまり
「聖職者コース」「労働者コース」の選択をさせれば良いと思います。そして教師がどちらのコースに属しているかは、生徒・父母に分かるようすべきです。

平成30年1月30日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ