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説明抜きで“女子特別枠”社会に暴走する文科省 −男女の性別を“背景”と詭弁を弄し、理工系学部に「女子枠」創設 説明責任は大学に丸投げ−

 8月13日の読売新聞は、「理工系学部に
「女子枠」、文科省が創設促す…名古屋大工学部は学校推薦定員の半数を女子限定」と言う見出しで、次の様に報じていました。
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理工系学部に「女子枠」、文科省が創設促す…名古屋大工学部は学校推薦定員の半数を女子限定
2022/08/13 17:24 読売

 文部科学省は2023年度入学の大学入試から、
理工系分野「女子枠」を創設するよう各大学などに促している。理工系専攻の女子学生が少ない現状を変えたい考えだ。

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 文科省によると、21年度は大学で
女性が理工系を専攻する割合は7%で、男性の28%よりも低い水準にとどまっている。

 6月に文科省が通知した大学入試実施
要項では、「多様背景を持った者を対象とする選抜」を工夫することが望ましいとし、その例として「理工系分野における女子」を明記した。一般入試ではなく総合型選抜(旧AO入試)学校推薦型選抜での活用想定しているという。名古屋大工学部は同省の通知に先立ち、23年度入学の学校推薦型選抜で募集定員の半数を女子に限定した。

 ただ、
医学部の不正入試問題を受け、文科省は入試での性差別には厳しく対応している。このため同省は、各大学が女子枠を導入する際には、導入の必要性や選抜方法について十分に説明するよう求めている。

 この他にも、文科省は学部設置基準を緩和するなどし、女子大の理工系学部の設置を後押しする方針だ。
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 「『多様な
背景を持った者を対象とする選抜』を工夫することが望ましい」と言っていますが、多様な背景とは何なのでしょうか。男か女かは“背景”なのでしょうか。それなら、貧困家庭か億万長者の家庭か、“母子家庭”か否かは“背景”ではないのでしょうか。国籍の違いはどうなのでしょうか。それらは“背景”ではないのでしょうか。

 いずれにしても、現状では
女子の理工系受験に不利益な扱いをしていない以上、多様背景を持った者を対象とする選抜」既に実現しているのであり、今回の文科省の提案は逆方向と言わざるを得ません。

 
“背景”と言う言葉は官僚原因・関係を明確にせず(出来ず)、曖昧にしたままで発言・提言するためによく使う言葉で、極めていい加減です。
 (
“少子化対策”の議論に於いても、少子化の“原因”よりも“背景”に議論が飛んでいき、少子化対策は破綻しました。参照 I71完全に破綻した厚労省の少子化対策 その原点は1994年の「エンゼルプラン」にある(その2) −少子化と保育所はもともと無関係−
 その“背景”の定義・基準が法令で
明確でなければ、この実施要項は公平なものとは言いがたく、不公平が氾濫する可能性が高いと言えます。

 
“女子枠”、“その他の枠”が“差別”に当たるか当たらないかの基準が明らかではありません。もしあるならばなぜ文科省はその基準を公表しないのでしょうか。
 「同省は、各大学が
女子枠を導入する際には、導入の必要性や選抜方法について十分に説明するよう求めている」とありますが、もし基準がないのであれば、基準がないものについて、大学側に“十分に説明する”ことを求める意味はありません。その基準の可否は誰が判断するのでしょうか。

 
東京医大の入試などの女子冷遇(男子優遇)は差別で、理工系女子優遇(男子冷遇)は差別でないと言うのは根拠がありません。
 理工系とは反対に
文学系女子が多く男子が少ないと思われますが、文学系には“多様性”は不要なのでしょうか。最近の芥川賞・直木賞などの文学賞は女子の受賞が連続しているようです。文科省が「文学系専攻の男子学生が少ない現状を変えたい」と考えないのはなぜでしょうか。

 
男女の違いが“背景”の違いとして説明され、多様化を口実とした差別的選考方法が正当化されるのであれば、今後は入学選考に限らず、社会の様々なシーンで男女別採用が進行し不公平が拡大する可能性があります。

 文科省の「実施要項」は何の基準も適用範囲も明らかでない変更であり、“
差別”に該当しないという根拠を明らかにしていません。そうした中でその説明責任を大学側に丸投げするのは、無責任の極みです。そして、“多様な背景”の適用の例としてあげているのが「女子の別枠」だけであると言うことは、真の狙いは「女子の別枠」だけであると思われます。

 ただ、女子だけに的を絞ると、性差別ではないと言う「説明」がしにくいので、
「女子」一例としただけで限定とせず、“背景の違い”と話しをすり替え、しかも説明責任を大学側に丸投げしたものと思われます。

 いくら
丁寧に説明しても、十分説明しても誤りは誤りであり、高等教育・研究の分野における「男女(性別)を問わず」社会から「男女別枠(定員)」社会への逆行は、正当化出来ない露骨な愚行である事に変わりはありません。
 「男女別定員(同数)」が許されるのは、
普通教育の高等学校までです。なぜなら普通教育は本人のための教育ですが、高等教育・研究は国家・社会の為のものだからです。“多様な背景”よりも能力の優劣・適性の有無が優先するのです。

 このような
男女の機会均等(平等)の原則に関わることが、法律によらず、官僚の一存で進められ、その問題点を自覚しているにも拘わらず、その説明責任を大学に丸投げし、それを“十分に説明する”だけで実現させんとするのは、かつての悪名高い“行政指導”を彷彿とさせるもので、到底法治国家のする事ではありません。

 これが
問題官庁・ワーストスリー(文科省、法務省、厚労省)に輝く文科省の官僚のすることです。

令和4年8月22日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ