Adam Cooper Interview by L.A.Times 1997.5.2

アダム・クーパーを批評家達が「最もセクシーなしぐさをする白鳥」と言うようになるとは、彼自身全く予期せぬ事だった。

ロイヤルに居た7年間、彼は分別を持ち「代役で一番の王子」になろうとがんばって来た。事実、彼は3月にロイヤルを辞めるまで、「白鳥の湖」の王子を踊っていた。しかし彼は今、もう一つの仕事に熱中している。そしてそれは信じられない程の大成功を収めている。

 マシュー・ボーンが白鳥と黒鳥を男性に置き換え、徹底的に作り変えた「白鳥の湖」は、現在ロサンゼルスでロンドンを凌ぐ大成功を収めている。 「こんな役が巡ってくるなんて、考えてもみなかった」とクーパーは語る。「これはクレージーな思い付きだ。君がこの舞台を見るまではそう感じるだろう」彼は今、ロスのアーマンソン・シアターの楽屋で座っている。彼の横には数日前の初日に貰ったいくつもの花束が置かれている。そして、彼の側には白鳥の衣装がかかっている。 (はかない白鳥の衣装は細かくちぎったガーゼのついた膝丈のパンツで上半身は裸、宮殿の招かれざる客、素行のよろしくない黒鳥の衣装は黒のレザーのアンサンブルだ)

1995年の秋、「白鳥の湖」が初演された日からクーパーはロイヤルで得たのとは比べ物にならない程の人気を得るようになった。
ロンドンのあるダンス・ライターは、クーパーのオールラウンドなダンスをニジンスキーと比較し、人間がイメージする「カリスマ」を体現する力を持った、もう一人のダンサーだと彼を評価している。
 ある時彼はパーティーでアン王女に呼び止められた。王室では誰もこの白鳥を見ていないのだが(この作品は痛烈なロイヤルジョークに満ちている)王女はこの話しのコンセプトに「大変な興味」を持っているようで、30分もの間、彼と会話を交わしたとクーパーは語っている。

 この新解釈の白鳥が、クーパーを急激に大物にする手助けをしたという事は、間違いない。
「道やレストランで人々が僕にサインを求めるようになったんだ。こんな事は以前にはなかったんだよ。実はちょっと戸惑ってるんだ」と彼は言う。

クーパーは踊っている時や写真では猛々しく見えるが、舞台以外での顔は優しい。彼は長年サウスロンドンなまりをなくそうと頑張っているが、ほんの少しなまりが残っている。少年の様に見える25歳である。彼のほほ笑みは魅力的で、手は絶えず形良く短くカットされた頭のあたりを動き回っている。

 今夜、もう一人の(2番目の)主役が踊り始めてから、彼はずっと一人きりで緊急事態に備えて楽屋でスタンバイしている。(クーパーは週に3、4回踊っている) その時間を使って彼はインタビューに答えているのだ。
「最初にこの舞台の話しがあった時、僕はおもしろそうだという思いが半分、誰がこんな話しをまじめに聞くんだろうという思いが半分だった。と言うのは、普通はみんなすぐにチュチュを来てタイツを履いてる姿を思い浮かべるだろう?たとえ僕がそうじゃないと知っていたとしても、思い浮かべてしまう。一度我々が言葉を生み出すと、その言葉は独り歩きを始め、物事を単純化してしまうんだ(言葉は固定観念を生み出す)」

 スワンに関する限り、クーパーは彼独自の解釈をしている。
「あなた方は始終ホモセクシャルの恋愛について考えてる人になるだろうと思う。観客は、白鳥は間違いなく男であるという現実問題を抱える。しかしそれは男ではない。それは白鳥だ。男か女かなんて、気にかける事だろうか。白鳥は性別を持たない生命体だ。僕にとっての白鳥は、王子の想像上の産物なんだ」とクーパーは続ける。
「王子は白鳥をとても男らしく、パワフルで自由な生き物として見ている。一方の王子は制限された生活に閉じ込められている。彼は白鳥の世界に引き付けられ、接近することを切望している。白鳥は常に彼の一部であり、その白鳥の受け持つ部分とは、彼が実生活では決して打ち砕くことができないものなんだ」

 当初、クーパーは白鳥をロイヤルの仕事をしたうえでのアルバイトとして、マシューボーン率いるカンパニー、アドベンチャー・イン・モーション・ピクチャーズと始めた。最初のロンドンでの短い公演の間、そして更にウエストエンドでのソールドアウトによる公演延長の間中ずっと、クーパーは彼の時間を一晩は白鳥に、次の日はロイヤル・オペラハウスのクラッシックのレパートリーへと分けなければならなかった。ロス公演にあたって彼はロイヤルに休暇を願い出たが、交渉は何度も引き伸ばされ、彼は希望している条件をあきらめ、退団した。

 彼はロイヤル・バレエ学校を卒業後入団し、ロイヤルで着実に伸びていた。
彼が得意とする役--ドラマティックなマクミランもの、鋭いナイフのようなウィリアム.フォーサイスもの--を失う事について、クーパーはフラストレーションを感じている。

「いかに深く役にのめり込んで一生懸命踊っていても、正当に評価されないと感じる事に疲れたんだ。大きなカンパニーでは、踊れる機会は多くはないし、常に同じ仕事が出きる他の人がいるから、自分は必ずしも必要ではないという感覚がある。それは何だか打ちのめされたような感覚で、二度とベストをつくして踊れなくなるんだ。ロイヤルから離れる事はちょっとした冒険だった。だけど僕は長年ロイヤルを離れる事を考え続けていたし、現実が僕を後押しした。育った所ではビックネームにもなれないし、成功も出来ないっていう事は、紛れもない事実だ。今日有名になっているダンサーは皆、自分の育った所を去っている。」とクーパーは言う。

ヌレエフやバリシニコフのような亡命者(離脱者)が彼にそう思わせたのだろうか?「そうだ」とクーパーは笑ながら答えた。
「伝統的なバレエからの離脱者だ。僕がまだバレエを踊りたいと思っているという事を除けばね。僕は再びクラッシック・ダンスの仕事の要請が来ることを願ってクロス・フィンガーズ(厄よけや幸運を願うしぐさ。人さし指と中指を交差させる)をしているんだ」

踊る事に加えて、彼は将来振付もしたいと思っている。彼は17歳の時振付で賞を貰っているし、最近ロンドンの小さなカンパニーに小品を作った。
彼は子供の頃、バイオリンと声楽を習っていたのだが、音楽家の父親の影響で、最終的には指揮を学びたいと思っていたらしい。
クーパーには後、ソーシャルワーカーの母親と、兄のシモン(バレエ・ランバートのダンサーで、1月にクーパーがけがをした時3週間ほど白鳥の代役を務めていた)という家族がいる。

 ロスにいる間、クーパーは読書(犯罪小説)をしたり、博物館や買い物(ロンドンよりロスは洋服が安い)に行ったりして過ごすつもりらしい。
「僕はアウトドア派じゃなくインドア派なんだ」と言っている。
 ロイヤル・バレエ団のソリスト、サラ・ウィルドーと一緒に住むために最近購入したロンドンの家では、ガーデニングを始めた。

サラがロイヤルバレエ団とオレンジ・カウンティー・パフォーミング・アーツ・センターに2.3週間来る時には、彼は高速道路を使って出きるかぎり会いく予定らしい。

 白鳥の役が、彼の人生を変えてしまったのでは?と聞くとクーパーは
「僕はロイヤルにいる時より随分自分の仕事をコントロール出きるようになったよ」と答えた。
「バレエ団に在籍中は、たった一つの事でも自分では決められなかったけど、今は自分で決断できる。ロイヤルでは一日12時間もの猛特訓をして、ちゃんと踊れると確信していても、結局は踊らせてもらえなかったりしていた。でも今は僕がいつ、何の役を踊るのかを決める事が出きるんだ。」

 今後彼はAMPとニューヨーク、日本そしてオーストラリアをまわる予定だ。彼はまだしばらく白鳥を踊ろうと考えている。

クーパーは今、シートベルトをしっかりと締め、長く満足のいくフライトを続けているのだ。

                                  日本語翻訳:なつむ (1997. 5 /15)

    ・このインタビューは、Los Angeles Times (1997年5/2) に掲載された記事を翻訳したものです。

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