PLAY・狂言「八句連歌」能「菅丞相」
DVD・「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間 エクスペンデッド・エディション」
10月に本編のみのDVDが出ましたが、絶対に!映像特典付きスペシャル版じゃなきゃ嫌〜っ!と我慢して待ちに待ったのが、このDVDでした。そして、本当に待ったかいがありました。
まず、本編。劇場版ではカットされた映像が山のようにあったのだと驚かされます。まず、最初からして違うのです。ホビット族の住むシャイア。人々の生活を描いたシーンが劇場版ではカットされていたのです。何ともいい風景で、こんなに平和だったのにねと、これから始まる悲劇を見る側に痛切に感じさせる、人々の苦しみ、悲しみを我々に理解させる為の素地となる、大切なシーンです。そして、アラゴルンに出会ってからフロド達が続けていく旅のシーンもカットされていました。
そしてそして、何と言ってもこれは大事。ガラドリエルが旅の仲間に一つづつプレゼントを手渡すシーン。とっても大事なシーンなのですが、劇場版ではカットされていました。映画ではいきなりプレゼントを貰た後になり、即、出発してましたからね。ひとつひとつのプレゼントが、続く物語で意味を持ち重要な役割を果たすのに、劇場版では、何かもらったというのが分かるだけでどんな力を持つ物なのかが分からず、ちょと雑になっています。そして、カットされた事により、ガラドリエルの人物像が少々分かりにくくなっていました。
と言うわけで、見終わった瞬間、「何だ。DVDを見ないと本当の話しは分からないじゃないか」という結論に達しました。長けりゃいいってもんじゃないという作品も多いですが、この作品に関しては、漸くこれで物語の全体が良く分かる。これをみなくちゃね、物語りに本当の説得力が出たわというものになっていました。絶対にDVD、一度は見て下さい!
そして、映像特典。これが凄い!いかにこだわった凄い作品か、もう驚きの連続です。ウェタ・ワークショップとピーター・ジャクソン監督の幸福な出会い。そして、ニュージーランドの自然。全てが揃わなければ、この映画は出来なかったでしょう。
それにしても、美術はもうため息ものです。鎧にまでエルフ文字を本当に刻んでいたり、ちゃんと手にフィットして指が曲がるように精巧に作られた甲冑とか、もう、とにかくここまでやるか?!というこだわりで、想像を絶する作品です。
そして、出演者たちの色々なエピソードも楽しいのです。ボロミア演じるショーン・ビーンのヘリコプター嫌いとか、ショーン・アスティンのお父さんぶりとか、色々楽しませてもらいました。
ところで、最近気付いた事なのですが、どうも私は長身の男性の背中に弱いようで(笑)色々素晴らしいメーキングの映像を見たにも関わらず、アラゴルンの衣装合わせで、ヴィゴ・モーテンセンが黒い衣装を身に付けた背中に一番騒いでいたかもしれません(笑)。とにかくかっこいい!!!くらくら来てしまいましたって、これだけ色々書いて、ラストの感想がこれ?って突っ込まれそうですね。でもいいの。とにかくかっこ良かったから(笑)
第二部にあたる「二つの塔」、公開前からDVD特別版が楽しみです!
生まれて初めて、能の舞台を見に行きました。そして、初心者向きでは恐らくない「復曲能 菅丞相」を見てきました。何故って、岡野玲子『陰陽師』ファンなら絶対気になる「菅公」ですし、それに茂山千作、千之丞三十年ぶりの兄弟上演「八句連歌」がついているとなれば、見に行くしかないと思ったからです。という訳で、なかなか渋い舞台でございました。「菅丞相」は大槻文蔵さんが演じられました。
まずは狂言からスタート。借金を返せない男に貸主が催促にいき、その相手が連歌をたしなむ事を知り、すっかり上機嫌になり歌を詠みあうというお話し。なかなか渋い舞台で、大御所の醍醐味(いい感じで力が抜けている)を堪能させてもらいました。
そして、いよいよ能が始まります。今までテレビでちらっと見た事はあっても、実際に見た事はない能の世界。まず気付いたのは、狂言よりずっと舞台にあがる人数が多いと言う事。そして、登場の瞬間から、形式美、様式美を感じます。能楽堂に、たちまちのうちに異空間が出来上がりました。そうか。能の魅力はこれなのだと、日本人でありながらカルチャーショックを受けます。そして、海外でも能に魅了されている人が多いという事にも納得。特異な世界観です。
ですが、初心者は初心者。狂言と違い、いかんせん難しい・・・あらすじは知っていても、年末の多忙と寝不足も災いして・・・白状します。次第に睡魔が私に容赦なく襲い所々記憶が・・・(苦笑)まだまだですね。
それにしても、激しい内容でも一定の静けさを持つ能の世界。そして、きらびやかな衣装、とうとうと続く唄い。そして、何とも言えない様式美。今回はまだまだ私の修行が足りず申し訳ございませんでした、と出演者の方に謝りたい状態でしたが、そのうちにまた、今度は勉強した後、再度能楽堂に赴きたいと思います。
BOOK・ライラの冒険シリーズ『黄金の羅針盤』
カテゴリーとしては、児童向けファンタジーにカテゴライズされるようですが、「ライラの冒険シリーズ」はその質、量ともに大人でも十分楽しめる、というより大人向けの長編小説です。それを裏付けるかのように、2002年には最終章となる『琥珀の望遠鏡』がファンタジーでは初めて、ブッカー賞と並ぶ英国の二大文学賞といわれるウィットブレッド・ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
シリーズは3冊から成り、なかなか複雑な構造をしています。ライラの世界は一種のパラレルワールド。この世の中と非常に良く似ているのですが、微妙にずれているというか、違っているのです。地理的なものは我々が住む世界と同じようですが、何とも摩訶不思議で怖い闇の世界が広がっています。更に、一冊ごとにその世界が微妙に違うというのです。
さて、最初の物語『黄金の羅針盤』は英国オックスフォード大学からスタートします。大学で教授に囲まれ、その寮で育った孤児ライラ。彼女の数奇な運命、そして彼女が住む世界を、読者は一緒に冒険しながら一つづつ紐解いていくのです。
まず最初に慣れなければいけないのは、「ダイモン」という存在。人間には一人づつ、「ダイモン」がついているのです。例えるなら守護神のようなもの。でも、人とダイモンは密接に繋がっていて、誰の目からも見え、生死をともにしています。ライラのダイモン、パンタライモンはライラを慈しみ、守り、励まし、時にライラに守られながら旅を続けていくのです。
この物語の大いなる謎は「ダスト」。そして、運命を指し示すのは「真理計」。大きな運命の波に流されながら、ライラは遥か彼方へと旅に出ます。
子供をさらうゴブラーが出没する水のある街においては、映画『ロスト・チルドレン』を思いだし、美しい家での夢のような生活のくだりを読んでは、ふと昔読んだ『ポリアンナ』を思い出す。そして、雪の中を行けば『氷の女王』の記憶がよぎる、と色々連想させられるのですが、とにかくフィリップ・ブルマンの生み出した世界は連想させはするものの、そのどれとも異質で、何とも不思議な力と闇を持っているのです。
「羅針盤」「ダスト」「魔女」「クマ」「よろい」「オーロラ」等、その言葉に目新しさはありませんが、フィリップ・ブルマンワールドでは、どれも別の意味を持っている。つまり、シニフィアンは一緒ですが、シニフィエが違うのです。
数年来のファンタジーブームで、日本でも次々に『ハリー・ポッター』や『ダレン・シャン』など海外ファンタジー物の翻訳が出版されていますが、このシリーズは他と一線を隔し、シンプルに事は運ばず、その世界は広大で、かつ、底知れぬ恐ろしさと力強さを秘めています。そうそう。先にあげたハリーとダレンがアメリカで映画化を決定、企画されているのに対し、ライラはドイツで映画化が決まったと言えば、どんな内容なのか、ぴんと来る方が多いかもしれませんね(笑)とにかく、物事は勧善懲悪では無く、複雑にそれぞれが絡み合っているようです。
一気に読むと完読までに腱鞘炎になる事確実の、全部で何Kg?と聞きたくなるボリュームですが地味に読み進むつもりです。
DVD・「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」/PLAY・狂言「N狂言」
BOOK・「西洋骨董洋菓子店 4」/BOOK・「小説ハッシュ!」
この本を読む前に、まず映画を、そして次に小説を。絶対にこの順で。と言っても、小説「ハッシュ」はこの本だけでも十分読み物として成立していますし、映画の原作ではないので、映画は「原作のあるものを映画化」した訳ではなく、ありがちな「原作を映画は越えられない」にも「珍しく原作を越えた映画」にも成り得ません。リンクしている個々の作品がこの「ハッシュ!」です。
小説はまず、主人公三人それぞれの独白から始ります。まずは一人一人のバックグラウンド、心の中を読者は本人の言葉で知り、その上で「春」が始り、三人が一つの流れとなって動き出すのです。
微妙に映画と違う展開を見せるところもあるのですが、映画は客観的な視点から描かれていますから、この独白はなかなか興味深く、そうか。この時はこんな風にこの人は思っていたんだとか、そういう事だったのねと、発見があり、橋口監督の何とも細やかな目に再び驚きを覚えるのです。この人、本当にじーっと人を見てる人なんでしょうね(笑)
映画を見て、何か心が動かされたら、次は小説「ハッシュ!」をどうぞ。
よしなが作品にして最長編となった「西洋骨董洋菓子店」の最終巻。普通ならもっと続くと思うのですが、そこはよしながさん。すぱっと終わってくれました。
まあ、終わるとしたらこんな感じかな、適切な長さかなと思いつつ、もっと読んでいたい気もしたりして。
さて、この巻は橘の過去が明かになり、エイジの一種の旅立ち、そしてちーちゃんの独り立ち(笑)そして二人が残って形的には振り出しに戻ります。あくまでも、一応そういう事です。一区切りついたという感じです。
でも、独り立ちしたように見えてもちーちゃんは相変わらずだし、エイジはすぐ帰ってきそうですから、変化があるようで、実は余り変化はないのですけどね。しかし、変化は確実に起こっていて、小野と橘は非常に落ち着いた関係、安定した関係になりました。
それにしても!絶対に橘は認めないけど、恋愛感情は抜きにして、基本的に小野の事が好きなんでしょうね。小野の妹が登場しますが、モロタイプだったというのも裏付けのような気がします。
エイジのフランス語の先生(でもフランス人に見えない)コンスタンス(女)のあごが割れてるとか、小野が自分で「歳かなぁ」とつぶやいて自分で自分の言葉に立ち直れないほど傷付いてたり、あちこちで笑わせてもらいましたが、非常にまじめな内容で、まあ、人生色々あるけど生きていこうかという、なかなか大人なお話しでした。
それにしても、一度小野の作ったケーキが食べたい!!参考文献じゃなく、参考にしたケーキ店の資料求む!
余談
よしながふみの「こどもの体温」にローザンヌに出場するバレエダンサーの話しがあるのですが、笑えます。「バレエ王子」だって。くくくっ
すっかり狂言にはまっています。という訳で、NHK大阪ホールに行ってきました。今日の番組は「止動方角」「鶏聟」「おばんと光君」の3つ。逸平君プロデュースという事で、聟とほたる源氏(笑)は逸平君が演じます。
さて、最初の「止動方角」。何も持っていない主人が「茶競べの会」に出ると言い、太郎冠者に全ての道具(お茶、太刀、それに馬まで!)借りてこいといいつけて調達させ、お礼も言わない主人がやっつけられるという話し。とにかく、馬の山下守之さん、ご苦労様!!!という(笑)重労働な話しでした。馬、馬はね。人が一人で四つん這いになって着ぐるみつけて、観客の爆笑の中、大奮闘するんですよ。ちゃんとたてがみもつけてね。いやあ、本当におつかれさまでございました。
さて、「鶏聟(にわとりむこ)」。こっちは婿入りの日、聟が知人にその作法を教えてもらいに行くのですが、聞いた人が悪かった。鶏の真似をするのが作法と指南され、えぼしまでトサカそっくりの赤いものを貸してもらう聟殿。そして、相手の家についたら、玄関で、「コッココココココココキャーっっ!!!!!!」と思いっきり叫べと教えられるのです。もー、ぜんそくが出るかと思うぐらい笑わせてもらいました。また、それを迎え撃つ姑の千作じーちゃんが、こっちもちゃんとやらなきゃならんと、鶏になって迎え撃つのです。と言うわけで、聟と姑二人で向かい合って、両手両袖をバタバタバタバタはためかせて、「コッコココココココココキャー!!!!コーキャー!!!!!!」と真剣に!!鳴いてくれました。
千作さんといい、逸平君といい、この二人の笑いのセンス、絶妙な間には脱帽です。
残るは新作「おばんと光君」。光源氏ならぬ「ほたる源氏」と、頭中将ならぬ「とうふの中将」が、源典侍ならぬ「おばんの典侍」にちょっかいを出して、全員がその使用人3人にやり込められるというお話し。ほたる源氏に支えるのが「あれ光」、とうふの中将に支えるのが「それ光」と、とことんパロディーになってます。
もー好きになる女は全て手に入っちゃってあきちゃった〜という罰当たりなほたる源氏が、かわったのを探してこいという所から話しは始まります。さて、このおばん。千三郎さんが演じていましたが、この方、年嵩の女性担当というか(笑)とにかく、強烈なおばさんのキャラクター作りがうまいです。
あれ光、それ光、それにおばんに支える、あだしの。この三人が灯りを消して三人を同じ部屋に入れてしまうのですが、暗いので見えない、手さぐりで動いてるところが、絶妙な鼓の音と全員の動きの妙で笑えました。何せ、ほたるととうふが抱き合って、あれ???ち、違う!!!とかね。更に灯りがついた後、おばんの顔を見て逃げ出す二人。まあ、とにかく笑いの中にも悲哀がございました。
それにしても、逸平君。その声の通りといい、間といい、企画力といい、これからが非常に楽しみです。
DVDプレイヤーを購入してからというもの、気に入った映画があると「今度はメーキング付きDVDが楽しみ〜」と思うのが定番になってしまった感がありますが、これもまた、初回特典にすっかりやられて購入してしまったDVDでした。
最初は友達のを借りて見ただけだったのにおかしいなぁ…いつの間にか我が家にもワンセットきちゃったなぁ…ポスター付きで(笑)貼ってないけど。カンバッチも使ってないけど。え?聞いてない?
さて、本編は以前映画を見た時にこのコーナーで既に語っているので、今回は映像特典の方を。とにかく、このメーキングを見ずして「ヘドウィグを語るなかれ!」というほど、彼の歴史がぎゅっと詰まったのが、このDVD。この作品はもともと舞台だった訳ですが、その初演からの映像が何と!残っているのです。そして、ジョン・キャメロン・ミッチェル以外のヘドウィグも垣間みられてしまうのです。
この作品がどう誕生し、どう成長し、どういう変遷を経て、どうやって映画になったのか。それが全て見られちゃうなんて、贅沢すぎだと思いませんか?JCM(ジョン・キャメロン・ミッチェル)がかなり偉い軍人の息子さんだった、しかも両親ともDVDにご出演!なんていうJCMファンには見逃せない映像に加え、来日当時の記者会見にインタビュー(字幕翻訳はひどすぎですが。『プラトンのシンポジウム」って・・・プラトンの『饗宴(シンポシオン)』だろうが!とほほ)までついて、大満足のDVDでございました。本編の曲だけピックアップインデックスサービスもGoodでございました。
最後に余談ですが、数年前に英国ウェストエンドに行った時、何気なく持ち帰ったチラシに「ヘドウィグ」の舞台があった事に先日気付きました。うーん。今の私だったら劇場に足を運んでたかも。ヘドウィグはJCMじゃなかったけど。
PLAY・歌舞伎「三国一夜物語」/狂言「野村万作萬斎狂言会」/BOOK・ダレンシャン・6
BOOK・「木曜組曲」
映画化されたなんて、知らなかった。というより、映画化されるから文庫になったのでしょうが、恩田陸だから文庫を買ったら映画が撮られていた物語でした。だからといって、映画を見たいとは思わないんだけど(笑)
恩田陸という作家を語る上でキーワードになるのは、ノスタルジー、学生、美少女たち、美少年たち、憧れ、恐れ、嫉妬、残酷、集団狂気、シークエンスなど、ちょっと考えただけでも色々出てくるのですが、この話しにもいくつかそのキーワードが登場しています。
これは一人の女流作家をめぐる女たちの物語。今は亡き耽美小説家、重松時子の家に年に一度は集まってくる女達。そして語られるのは、女流作家の死は自殺だったのか、それとも他殺だったのか。
彼女がその人生の幕を閉じた日。その日も今日と同じメンバーがこの家に集まっていた。彼女と彼女達の間で何があったのか。それを軸に物語は展開していきます。
ミステリアスな雰囲気作りは恩田陸の18番。そして、どこか女子高のような女達のグループを描くのも恩田陸の18番。これを太宰あたりが書くと、背中が痒くなる少女趣味、あるいはどこにも存在し得ない男の幻想(あるいは妄想ノ笑)の中の少女達という、独特な居心地の悪さ(短編「女学生」のような)が発生してしまうと思うのですが、そこは女である恩田が書いているせいか、そんな女がこの世の中にいるかい!という突っ込みを入れるほどではなく、平常心で読める範囲で適度に戯れているのです。
それにしても、私はえい子さんの料理を食べてみたいのでしたって、この本の感想になってないなぁ(笑)でも、恩田陸って絶対食いしん坊だと思います。
ものすごく!気になる終わり方をした5巻の続きの6巻は、言うまでもなくバンパイア・マウンテンを中心に展開していきます。何でも、4、5、6巻はシリーズものだそうで、そういう意味では本作がシリーズ最終巻になります。(もちろん、ダレン・シャン自体はまだまだ続きますが)
さて、大ピンチで終わった5巻の後、ダレンは一体どうなったのかっ!!って、このシリーズが続く限り彼は死なないに決まってる(こういう読み方は面白みがありませんねぇ)のだけど、やはり読んで確認してしまうのが人情というもの。しかも、発売日に買発売日中にね。何だかんだ言って、やっぱりこのシリーズ好きなんじゃないという突っ込みを自分で自分に入れておきましょう(笑)
さて、6巻は思いっきり雑駁に説明すると、予想通り「裏切り者の、私が皆を裏切った理由」と、「試練に失敗したダレンの命を、掟破りをせずにいかに救うのか?」この二つに集約されます。
強運の持ち主ダレンは、思わず「えっ?そんなのあり?」と笑いながら読んでしまう解決法により、7巻へと命を繋ぎます。(これってちょっとネタバレ?)それにしても、バンパニーズ大王って、私が思うに、既に登場している人物かと。うーん。誰だろう。一巻の彼かしら。
狂言の家生まれた子供達の初舞台。何でも、野村家では初舞台はこの「靫猿」、茂山家は「いろは」と決まっているそうで、現在活躍している両家の人達は、全員この洗礼を受けています。 そして、今回の主役は野村萬斎さんの長女、彩也子ちゃん。親子三代の舞台とあっては、それは見なくちゃねという訳で、大阪にある大槻能楽堂に出向いて参りました。
まず萬斎さんのレクチャートークがあり、野村万作さんの小舞「海女」。これは竜の玉を奪い、お腹を切ってその中に隠して戻ってくるという、なかなか凄い内容でした。岡野玲子の「陰陽師」を読んでる人は、ああ、あの話しかと思うかもしれませんね。
舞の後は「文荷」(ふみにない)という狂言。これは稚児に思いを寄せる主人から恋文を預かった家来二人のお話し。衆道色の濃いというより、ずばりそのもので、結構珍しいというか、ある意味色っぽい、でも該当者同士の話しではなく、その周辺の人達の普通の反応を描いた「狂言」でした。
さて、メインの「靫猿」。日替わりで万作さんと萬斎さんの役が入れ替わっていたのですが、私が選んだのは猿曳が万作さん、大名が萬斎さんの日でした。理由は簡単。おじちゃんに負ぶわれて帰る小猿の彩也子ちゃんが見たかったから。
話しは非常にシンプル。ある日大名が猿回しに遭遇し、自分の矢を入れるウツボに丁度いいから、その連れている猿の皮をくれと言います。それに対し、必死で命乞いするという話しなのですが、この猿自身の命乞いがもう、キュートすぎっ!!!てな訳で、とにかくかわいいのです。
「キャーキャーキャーキャー」というセリフもちゃんとあります。
「良く、子供と動物には勝てないといいますが、子供が動物を演じる。つまり最強なわけで」と萬斎さんが言った通り、そして共演者はおじいちゃんとお父さんだけに、いくら「小猿」彩也子ちゃんに食われても悔しくない、どころか、むしろ嬉しい!な舞台となりました。
来年(?)には彩也子ちゃんの弟が猿デビューだそうで、こちらもまたチェックです。
市川染五郎、片岡愛之助、そして市川亀治郎の若手3人が夏の大阪で大暴れ?!ってな訳で、松竹夏の歌舞伎は浦島太郎なお話し、「三国一夜物語」を見て参りました。
とにかく、痛快。何が痛快って、全員にちゃんと見せ場があって、平等かつ明るい!とにかく出演者が楽しそう!そして、出演者が舞台でやりたい事はちゃんとやっている!あの浦島太郎のやたら大きい良く出来た亀しかり、お堂が焼け落ちるシーンしかり。
4人が主役のはずなのに、一人が目立って、気づいたら一人舞台に皆が付き合わされてたなんていう、前に京都で見た誰かさんの舞台とは違って(過去のFeeling Noteを探してもらうとすぐわかります。笑)非常にすがすがしく、また趣向を凝らした舞台でした。
亀治郎は決して美人ではないけれどかわいいし、染五郎はめちゃくちゃ嬉しそうでかわいい。そして、愛之助はしっかり悪役の色男を演じていて、こちらも本当に楽しそう。男の子たちがやりたい事をたーっぷり詰め込んだ、皆のオリジナル玉手箱。正にそんな感じです。来年はどんな舞台を作ってくれるのかしら。(多分やってくれるでしょう!)
BOOK・図書室の海/BOOK・萬斎でござる/PLAY・Swing!
数年前にトニー賞を受賞したブロードウェー発ミュージカル「Swing!」そのブロードウェイキャスト引越し公演が、2002年夏、日本で行われました。
記憶をたどってみると、このショーがスタートした頃、NYではSwingブームの 真っ只中でした。その昔流行したように、あちこちのダンスホールでニューヨーカー 達がSwingのリズムに乗って踊り明かす。そんな映像が日本にも届いていた頃、この舞台の幕が開いたのです。
さて、スウィングと聞いて連想するのはジャズですが、この"Swing!"は体育階系のノリで、ヒールもありですが、主流はスニーカーやブーツでくるくる回って、飛び跳ねるスィング。確かにニューヨーカーが踊っていたのもこのアクロバティックな踊り。でもちょっと大人の洒落た味とか、洗練された雰囲気からは程遠く・・・おかしい。
こんなはずじゃなかったのに。トニー賞で見た時はもっと違ってたはず・・・と、思わず舞台を見終わって帰宅してから、トニー賞のビデオをまわして確認してしまいました。
・・・シンガーが違う。ダンサーが違う。なーんだ。そうか。オリジナルキャストだとこの舞台面白かったんだ。オリジナルは、あんなまとまりが悪い事はなく、体操ではなかったんだ。 ワールドツアーのキャストは、まあ、こんなものなのかと、一応納得。
でもまって。いやいや、納得しちゃいけません!今日の舞台、出演者の一生懸命は伝わるけど、プロの舞台はそれだけで全てOKな訳がない!!去年の「フォッシー」はもっとちゃんとしてたのに、今日のSwing!は本当にキャストがダメでした。あれがブロードウェイだと皆さん、思わないでねって、舞台の後異様な盛りあがりを見せていた客席を思い出し、一人嘆いてしまいました。
今をときめく野村萬斎の子供の時から今までが全て分かる!と言っても過言ではない一冊がこの『萬斎でござる』です。写真もちゃんと出ていて、なかなかファンサービスもしてくれています。(笑)特に幼少の頃の写真が印象的でございました。
さて、一冊読み終わって一言感想を述べよと言われたら、「何て恵まれた人なの!!」この一言につきます。才能もさることながら、とにかくついてる人としか思えない。憎いぐらいに全て揃ったこの男。これからどんな展開をしていくのか気になると同時に、いつかどこかで何かに悩む日がくるかもね、なんていじわるな事を言ってみたかったりして(笑)
でも、好きなんですよ。本当に。
恩田陸は、時に感覚の作家である。その感覚はノスタルジーとも置きかえられる。高校の頃を思い出して欲しい。あの長い廊下。あの教室。そして、図書室。
もうその記憶は断片でしかないけれど、そしてその記憶はリアルなものではなく、ノスタルジーが生み出したイメージの断片であるのかもしれないけれど、恩田陸の紡ぎ出す物語は、いつも我々をあの時代の、あの時の、あの光の中に誘ってくれる。
表題の「図書室の海」は彼女のデビュー作「6番目の小夜子」の姉妹編である。小夜子を読んだ人なら、誰もが興味を持って読んでみることだろう。しかしこの一冊、この短編集は、彼女の作品しては出来が良いほうではない。未読の方には、文庫になるまで待つか図書館で借りるのをお薦めする。
BOOK・ドミノ/BOOK・狂言役者-ひねくれ半代記/PLAY・オイディプス王
蜷川幸雄演出の舞台を初めて見たのは、松本幸四郎の『リア王』。そして、2回目が今回の野村萬斎の『オイディプス王』となりました。
さて話は少しそれますが、以前NHKBS2の深夜、狂言『法螺侍』の放映の前に野村萬斎の演劇評論家との対談が放送されました。この内容がなかなか面白いものだったのです。
基本的には、萬斎の今までの活動について話していたのですが、まずロンドンへの留学。「狂言は日本のもので、お前は狂言師なのに、ロンドンに行って何をするのだ」と周囲から言われたと笑って話していましたが、この時に狂言の基礎である「型」の凄さを認識したそうです。まあ、留学した先で狂言のレクチャーをする、つまり教えて帰って来た人というのは珍しいでしょう。
そして、色々な分野に進出している彼に対して、野田秀樹はどうか?と聞くと「彼の舞台は言葉の消費。あえて"消費"と言わせて頂きますが」と、思わず笑いながら頷いてしまう回答の後、いつか一緒に仕事がしたいと答えていました。そして、新劇などの舞台については「演者があまり感情移入してしまうと、演技がべたつく」と、これまた興味深い発言。「舞台を見て感じるのは客席にいるお客さまであって、演者が感情移入しすぎると良くない」と彼の見解を率直に語っていました。
さて、話しを元に戻して『オイディプス王』です。実は、今の一見関係ない話しが、これからこの舞台を語る上で、関係してくるのです(笑)
その昔『リア王』を見た時は、私もまだかなり若かった為(笑)何が何だかのうちに終わったような記憶があるのですが、今回この舞台を見て、物凄く実感した事がありました。蜷川幸雄演出って、とっても分かりやすい舞台!でした。こんなに分かりやすく親切に出来てるのかと、驚いてしまいました。
舞台は正面が鏡で覆われ、その中央にドアがあり、そこから出入りが出来るようになっています。役者は時に客席から現れたり、舞台中央のドアの向こうから出て来たりと動いているのですが、基本的に物語の舞台となっている場所は動きません。
さて、その閉鎖的とも言える空間に麻実れい、山谷初男、そして主演の野村萬斎などが出て来て多いに語って行くのですが、ここで気になる事が出てきました。これは彼自身気付いているかもしれませんが、声の響きが良くない。かつ舌も良くない。故に少し台詞が聞き取りにくい。そして、「感情移入しすぎると演技がべたつく」から、どこか客観的に眺めているような彼がそこには居るのです。「型」がない舞台は、それだけ決まり事が少なく無から生み出す作業というのが必要ですので、客観的になってしまうとなかなか辛いものがあると思います。
という訳で、蜷川の舞台でそれは、非常に浮いてしまう。何せ脇を固めている人たちは、「あめんぼ赤いなあいうえお」でしーっかり訓練されたような太いはっきりした声を持つ人たちですし、思いっきりべたついてる(笑)しかも、蜷川の舞台にそれは必要な要素だと私は思います。べたついてねばっている演技こそ、この主人公には必要な気がするのですが、いかがでしょうか。
忙しすぎて声の調子も悪かったのかもしれませんが、どうもこう、線が細い。麻美さんが相手という事でも分かるように、まわりはしっかり太いだけに、その細さ、声の細さまでも露見してしまいました。白い長いケープのような衣装をバサッ、バサッとその裾を翻している様は確かにかっこいいのですが、どうもこう、この舞台での彼は異分子なのです。
舞台の最後、野村萬斎ファンで埋め尽くされた劇場前方はスタンディングも出て凄い盛り上がりを見せていましたが、冷静に考えた時、そこまで素晴らしい舞台だったかしら?と皆さんちょっと考えてみてください。彼の一ファンとして、私にとっては結構課題が残る舞台でした。
今時代は狂言ブームで、「狂言」の世界はすっかりお馴染み。いつ会場に足を運んでも、空席は目立つ事なく、安泰な雰囲気が漂っていますが、このブームは野村萬斎や茂山逸平、宗彦、ついでに一応、泉元彌(笑)の登場で巻き起こったものではなく、実は地道な努力、先達の狂言にかける思いが漸く結んだ集大成が今であるというのが、この本を読むと良く分かります。何事も一日にしてならず。地道な積み重ねと才能の上に成り立っているのです。
さて本書の執筆者、茂山千之丞さんは、実にユニークかつ、多才な方で、次男であることもあいまってか、いい具合に力の抜けた得難い存在です。私の大好きな人間国宝、茂山千作さんの弟で、未だに精力的に活躍されていますが、実はもう来年80歳になる方なのです。
そんな彼が自分の幼少の頃から今までを綴ったのがこの一冊。今でこそもてはやされている狂言の不遇時代、それを支えた人達、狂言師としての行き方が口当たりの良い文章で、しかし、しっかりと書きこまれています。
個人的に印象に残ったのは、新京極のストリップ劇場から出てきた谷崎潤一郎と、たまたま通りかかった千之丞さんがばったり出くわした話し。大きなマスクで変装した谷崎が「あまりおもしろくないよ」とバツが悪そうに教えてくれたのが、非常にらしい話しでおかしかったです。
その他、皆さんもにも経験があると思いますが、学校で狂言(私は歌舞伎でしたが)を見せる巡回公演をしていた時の話しが印象的でした。悲惨な環境でもとにかく遣り抜き通した茂山家の皆さんには、本当に脱帽です。その努力が今、結実している。並大抵のことではありません。
本書は狂言に興味のない人でも、至るところにユーモアがちりばめられていて、思わず笑いながら楽しく読んでしまう事でしょう。文化の伝承、存続、世界観、人生観など、色々考えさせられる非常に興味深い一冊です。
「ドミノ」というからには、ドミノ倒し。そして、それが小説というからには、物語が「ドミノ」なのです。という訳で、これはてんでバラバラな、お互いに全く関係の無い物語が何の因果か一つのゴール目指してなだれこみ、最後は一つに集約されて解決する!というお話し。
それぞれがコメディータッチで描かれ、抱腹絶倒、そして追いこみに入ってからの巧みなストーリー展開に、ストーリーテラーとしての恩田陸の力量に唸らされ、面白かった!に至るのです。
まあ、これは個々の筋立てもさることながら、どうドミノのピースが倒れて連鎖を起こし、ゴールに辿り着くのか、それを操っている作家の力量を楽しむ物語です。後に何かが残るというものではありませんが、とにかく、その集結する様は気分爽快、あー楽しかったと思える一冊でした。
BOOK・ダレン・シャン 5
もはや5巻目になってしまったダレン・シャン。前回に引き続きというか、最近の傾向として、すっかり「少年ジャンプ」化しています。(笑)
火攻め、水攻め、鍾乳洞登りに獣との闘いと、どー考えても余り意味のない体育会系の試練がダレンの前に立ちはだかるのが、この巻の全てです。うーん。作者の男の子ぶりが良く分かる一冊だわ。試練を一つクリアーする度に、経験値があがり、不死身度が増すっていうか(笑)次々に繰り出される試練を読んでるうちに、こっちの方向に行くんだったら、だんだん飽きてきちゃうかもっと思った途端、いきなりドンデンがあり、やっぱり6巻も読まなきゃと思わされてしまうのでした。もー、上手いんだから。
MOVIE・ハッシュ!/PLAY・妖怪狂言/DVD・ムーランルージュ
MOVIE・エトワール/PLAY・狂言「唐相撲」/DVD・アルゴノーツ
MUSIC・オペラ「清教徒」/MUSIC・オペラ「セヴィリャの理髪師」
まあ、出し物が面白いからとりあえず行ってみよう。なんて、甘い考えで行って度 肝を抜かれたのが、この舞台でした!
レオ・ヌッチにヴェッセリーナ・カサロヴァだから、まあ、間違いはないか、なんてとんでもない。前日の「清教徒」のグロベローヴァもどこかに飛んで行ってしまうほどの衝撃!それが、アルマヴィーヴァ公爵役のファン・ディエゴ・フローレスだったのです。
もう、これほどまでに自由自在に、げに楽しげに、そして揺るぎ無く、ロッシーニを歌う為に
生まれて来たと人に納得させてしまう人が今までこの世に居たでしょうか?彼にかかると、あの技巧を凝らした装飾過多に聞こえるロッシーニが、何とも新鮮でみずみずしく、今の僕の心を表すには、こう歌うしかないのです!という喜びと説得力に満ち、観客はその、どこまでも伸びやかな歌声に一時の奇跡を見、その醍醐味を味わい、至福の時に包まれるのです!!(褒めすぎ?)というほど、フローレスは素晴らしかったのですが、さて、ゆっくりきましょう。
まず、指揮者が若かった。これは、オーバチュアが始った時から既に露見してしまいました。例の有名なメロディーが始った瞬間。いえ、コンダクターがしゃくって叩いた瞬間、「うっ!早い!!」と私は気づいていました。そう、とにかく、テンポが速すぎる。だから、細かい音の刻みに入る頃にはオーケストラ団員の必死さが伝わってきてしまいました。観客に、このテンポでつっきると、この先のあの細かいフレーズは破綻を来すのではないか?と不安に感じさせてしまう演奏といいましょうか。みずみずしい演奏というより、若い。この一言に尽きます。
フローレスの歌い出しは、まあ、すがすがしい若者という感じで、声ものびのびしてて非常に青年らしい。かわいい。若い。すがすがしい。と、まだそう印象は強くありませんでした。
一幕目の関心事。それはやっぱり、フィガロのあの歌。さっきの序曲があのテンポ でしたから、例のフィガロが歌う名曲、「私は町の何でも屋」は一体、どうなってし まうの?としょっぱなから不安にかられる私。そして、いよいよレオ・ヌッチが登場 。有名なフレーズが始りました。が、やっぱり予想通り早い!!そしてレオ・ヌッチの第一声。あれ?歳取ってる。。。のびが、声量が思ったほどない・・・そして、彼は別の意味でも歳をとっていました。早いフレーズは適当にごまかしてる・・・そう 。そうなのです。年の功と申しましょうか。流す事を覚えた大人な歌いっぷりに、駄 目じゃん。と、突っ込みを入れてしまいました。それでも「ブラボー!!」「ブラビ ッシモ!」って叫んでしまう日本人って、どうよ。どうなのよ?また、満足げに頷いてるレオ・ヌッチもどうなのよっ!!と心が思わず叫び出してしまいました。
でもまあ、レジーナ役のカサロヴァが居るじゃないか、と「今の歌声は」に望みを繋ぎます。これまた有名なフレーズが劇場に鳴り響きます。どんな声が出てくるのか。 緊張と期待に胸が高鳴ります。そして、カサロヴァの太くてたっぷりとした、落ちつきのあるやわらかな声が響いてきました。バルトリと良く比較される彼女ですが、バ ルトリがおきゃんでパワーで押してくる、ヴィヴァーチェ(生き生きとした)なら、カサロヴァはハスキーとも言える、アルト寄りのメゾでドルチェ(柔らい)な感じ。決して甘いドルチェではなく、柔らかで包み込むようなドルチェ。いいです。ビロードのような声です。さすがです。彼女もロッシーニを自在に歌いこなし、なかなかのアクトレスぶりです。さすが、今世界中でもてはやされているカサロヴァです。ロジーナの、なかなかしたたかで強い、でもかわいらしくおきゃんな雰囲気がよく出ています。
でも、私が次にしびれたのは、バリトン陣でした。いつもやられたっ!と思うのは低音。バリトン、バスに弱いのです。今回もバルトナ役とドン・バジリオの歌にやられました。特にドン・バジリオ役のジョバンニ・バッティスタ・パローディ。 物凄いインパクトです。この役は相当の歌い手でなければ無理です。聞き惚れる。そう、聞き惚れました。
でも、その感動は次の幕でフローレスに全て飲み込まれてしまいました。今、今日の舞台は彼にとっても絶好調に違いない。何処までものびる声。ギフト以外の何物でもない、この歌声。もう、彼を誰にも止められないという感じ。演技もかわいい、ユーモアもある、そして歌は完璧。凄すぎです。そして、極め付きは、難曲ゆえにほとんど歌われることの無いアルマヴィーヴァ伯爵の最後のアリアでした。フィナーレで歌われるこのアリア。メロディーは「チェネレントラ」(シンデレラ)でシンデレラが最後に歌うアリアと同じだと私は思ったのですが、とにかく、技巧を凝らし、音域が非常に広く、男性が歌えるとは思えないほど高い音も出てくる難曲なのです。それを、最後の最後で見事に歌いきったフローレス。
その声は疲れを知らず、まだこれからもう1つオペラを歌っても平気だよと言わんばかり。全ての観客はこの日、この時、この場に居合わせた幸せを感じたのでしょう。歌い終わった途端、会場は歓声とどよめき、拍手に包まれ、しばらくオペラに戻れないほどの興奮に包まれました。こんな細い体のどこに、このエネルギーと響きを隠しているのかと不思議になります。 いつまでも続く歓声に包まれながら、私は今や観客は「今日はフローレスの舞台を見に来た」に変わってしまったと確信していました。
ハ 至福の時が終わりを告げ、幕が下ろされます。今日は意気込みを余り持たずに来たのに、何という日になってしまった事か。フローレスを見つけてしまった。そう、この日は注目の歌手が見つかった素晴らしい日になったのです。まだフローレスは28歳。これからどんな活躍をしていくのか。次はいつ日本に来てくれるのか。どんな風に成長していくのか。これからがますます楽しみなテノールです。
いつの日か、エディタ・グロベローヴァのオペラを観たい。そう思いつづける事数年。2002年ボローニャ歌劇場引越し公演で、遂にそれが実現しました。正直なところ、彼女ももうだいぶお歳ですので、今のうちに観ておかなくては!と思っているのは私だけではないはずです。
ボローニャの琵琶湖ホールへの引越し公演は、今回で2回目。前回も実は通っていて、その時はフレイニの歌に聞き惚れ、若いホセ・クーラに青さを見て(笑)帰ってきたのですが、今回も他の引越し公演とは違う奥行きを持った舞台を観ることが出来ました。(東京なら色々引越し公演がありますが、関西の場合なかなか来ないのです)
さて、グロベローヴァ。百発百中と言われる揺るぎ無い音程、声ののびと響きに酔いしれました。劇場に響き渡る声量はもちろんなのですが、ピアノ、いえ、ピアニッシモでも彼女の声は一人存在感を持ち、オーケストラや合唱の音の中にあっても、我々の耳に届き感動を生む力を持っているのです。これほどまでにギフトを持った人が居るのかしらと驚き、その圧倒的な存在感にしびれてしまいました。素晴らしい。かわいらしさの中にある、揺るぎ無い貫禄。この相反するものが彼女には同居しているのです。
オペラの筋なんて、もうどうでもいい。多少おかしくたって、かまわない(笑)だって彼女の歌が聴けたんだから。そして、予想以上に素晴らしかったんだから。という事で、満足な舞台でした。リッカルド・フォルト役のカルロス・アルバレスも素晴らしかった。
欲を言えば、彼女のルチア、ヴィオレッタ、夜の女王、そしてオランピアも劇場で聴いてみたいです。(欲ばりすぎ)
「アルゴノーツ」の物語は、昔から良く知られている「アルゴ探検隊」な訳で、何の変哲もないギリシャが舞台の冒険たん。レンタルに並んでても、普通なら素通りしてしまう作品です。
ところが、この作品。アダム・クーパーが「エロス」役で出ているのです!物凄く小さく、物凄く短く(笑)ご出演でございます。何せ手の平サイズ。小さな画面だと、絶対にアダムとは分からない!そして彼がするのは恋の矢を放つことのみ。金色のエフェクト付映像の彼は、ファンでなければ絶対に見落としてしまいます。
見終わった後、「何故アダムをキャスティングし、何故彼がこのオファーを受けたのか謎だ・・・」と頭を悩まされることしきり。ビデオ版ではカットされてしまうぐらいのチョイ役なのに、何故???
という訳で、アダムファンの人は、レンタルビデオでDVDを(ここがポイント)借りて来てチェックしてください。話しの内容は、まあそこそこに面白いです(笑)
『茂山家のお家芸とも言える「唐相撲」。この機会を逃すと、この先25年間は見るこ と が出来ません』と、言われたら、やはり行かねばなるまい。平日、会社を休んででも 。でも振り休でね、と一応言い訳をしておきましょう。(笑)という事で、かの有名 な(?)「唐相撲(とうずもう)」に行って参りました。
なぜ今、見ておかなければならないのか。それは「唐相撲」という作品の、登場人
物の多さにあります。とにかく、人海戦術なのです!まあ、出てくる出てくる、
どんどん出てくる。大人のみならず子供まで、これでもか、これでもかというぐらい
、ぞろぞろ、ぞろぞろ出てくるのです。その数は40名を超えます。
これだけの人数を、「茂山家一門」で固めるのは、それはもう大変なこと。だか
ら「今だから」出来る作品「唐相撲」なのです。なーんだ、そんな事と言われそうで
すが、本当にそうなんです。そして、見れば分かりますが、あの人数とあれだけの衣
装を揃えられるというのは、今この一門に勢いがある、安泰している現れでもあるの
です。
さて、まずは「唐相撲」についてのレクチャーがあり、「察化」という狂言を一 番上演。これには千作さんが登場。相変わらず80歳を過ぎた方とは思えない軽い身 のこなし、そして絶妙な間。素晴らしいです。
そして、いよいよ「唐相撲」が始りました。お話しはいたって簡単。唐の国に滞在
した日本人が母国へ帰ろうとしたところ、唐の帝王が帰る前に自国民と相撲をとって
いけと言います。それを日本人が一人でばったばったと打ち負かし、唐の人たちは完
敗に終わると、それだけのお話し。
でも、ばったばったと打ち負かすのは一人の日本人ですから、一対大勢で日本人役の狂言師は出ずっぱりで大変です。結構体力勝負の舞台です。今回は茂山正邦さんが演じていました。
まず始りは鳴り物入りの帝王行列。客席から鮮やかな唐風衣装を身にまとっての登
場です。本当にあの舞台に全員座れるの?と心配になるほど長い行列が、舞台目指
してぞろぞろと練り歩いて行きます。
既にこれだけで目が楽しい。中国風鳴り
物も雰囲気出てます。そして、いいかげんな「唐語」。中国人が聞いたら「ばかにし
てるのかっ!!」と怒りだしそうなほどいいかげん。何せ脚本なんてないそうですか
ら(笑)そして、彼等の言葉は、そう、名づけるなら「茂山風唐言葉」別名、中華屋
メニューめちゃくちゃ読みチック言語。
そして、非常にアクロバティックな相撲の試合が繰り広げられるのです。これは演技力より運動神経。集中力より体力な舞台です。そして、その行司を務めるのが、千之丞さん。この人が、またおかしい。更にかぶっている帽子が、とってもキュート!この衣装。茂山家を支える狂言師の奥様方が丹精こめて揃え、縫われたそうですが、そのデザインといい、素材といい、見事です。
結局唐側の誰が行っても日本人には歯が立たず、最後には帝王自らが闘うぞという
事になるのですが、実は気弱な帝王が土俵に出るまでがまたおかしい。
「相撲かぁ。痛そうだなぁ。とりたくないなぁ。どうせ負けちゃうんだろうし。でも皆の手前があるから、わしが逃げるわけにはいかないし・・・でも、怖いのよねぇ」
と、帝王の揺れる心が手に取るようにこちらに伝わってきて、笑いを誘うのです。帝王を演じる千五郎さん。いい味出してます。
舞台の最後は観客も巻きこんでの大合唱。我々観客が参加するのは、歌の最後の一
節だけ。レクチャーの時に振りつきで(といっても、最後に両手を広げてパーの手を
前に出すだけですが)練習済みです。
せっかく練習したからには、絶対に参加しなきゃ損。という訳で、俄かに客席に、歌に入るタイミングを間違えるまいという緊張が走ります。舞台の上では40人もの狂言師が歌っています。そして、それを日ごろにはない真剣さで見つめる観客。
小さな小さな子供狂言師の声が、大勢の大人達の声にまざって、しっ
かりこちらに届いてきます。こんな小さい頃から、歌もしっかりと覚え、発声がちゃ
んとしている。凄いのねぇ〜と感心してしまいましたが、のんびり聞いている場合で
はありません。さあ、そろそろです。乗り遅れてなるものか。さあ、我々の出番。そ
して、劇場中の人間が、声をそろえて歌います。さあ、ここだっ!
「チンナイチンナイ、ステレケパァパァ〜」
そして、お祭りのような狂言は終わったのでした。
『パリ、オペラ座。300年以上の歴史をもつバレエの殿堂の舞台裏に初めてムー ビー・カメラが入った。』
今まで英国ロイヤルオペラハウスやアメリカのメトロポリタン歌劇場の舞台裏を撮ったドキュメンタリーは見たことがありましたが、今回始めてパリオペラ座のドキュメンタリーを見る機会を得ました。
シルヴィ・ギエムのドキュメンタリーでオペラ座のレッスン室や舞台稽古を見たことはあれど、パリ・オペラ座バレエ団に所属する多くのダンサーにスポットをあて、それを支える人達にも目を向けたドキュメンタリーはこれが初めて。パリ・オペラ座全体に目を向けたドキュメンタリー。それが『エトワール』です。
さて、見た感想はと申しますと、時間に限りがあるというのは分かるのですが、私としては「もっと一つ一つをゆっくり見せて欲しい!!」というか、もっと具体的に言うと「ルグリの”やさしい嘘”を最後まで見せて!!」という、ここまで見せておいて途中で終わるなんて、まるで生殺し状態じゃな〜いという、ちょっと辛いフィルムでした(笑)
今更私が言うまでもありませんが、ルグリはやはり素晴らしいダンサーです。
まあ、それはおいておいて、一番意外だったというか、このフィルムで発見、そし
て認識させられたのは、パリ・オペラ座におけるヌレエフの存在、影響力でした。
私が過去に見たヌレエフのドキュメンタリーでは、もう病に負けつつあった頃だったせいもあるのでしょうが、随分弱い印象があり、バレエ団とうまく行っていないのかもしれないという雰囲気が漂っていたのです。しかし、今回のドキュメンタリーを見ると、彼の存在がいかに大きかったのかが良く分かりました。ロモリのドレッサーに今も置かれているヌレエフの写真も、非常に印象的です。
印象的と言えば、オーレリ・デュポンの言葉。「エトワールになったからといっ て、昨日の私と今日の私は全く変わらない。」この言葉は、エトワールという冠 の厳しさ、辛さを物語っています。
華やかな舞台の裏で何が起こっているのか。夢のまま、舞台で見せてくれるものだ
けしか見たくない人には必要ない作品かもしれませんが、『エトワール』はそれを、
わずかですが垣間見せてくれる、非常に興味深い映画です。
こういうものの上に舞台芸術が成り立っているのだという事を少し知ると、また舞台が今までと少し違う視点からも見えて来る事でしょう。機会があれば、見てみてくださいと言いたい作品です。
それにしても、「ラ・シルフィード」の昔の衣装って、孔雀の羽根がついてたのね。ちょっとびっくりしました(笑)
このディスクが発売されるのをどれだけ楽しみにしていた事か!
昨年の秋、劇場で見た時に「こんなに凝りに凝った、もうこだわり以外の何ものでも
ない衣装とセットを組んだこのシーンが、こんなあっという間に終わってしまうなん
て!」と落胆したムーランルージュのダンスシーン。あのバズが、たったあれだけの
カットで、あれだけこだわった物をおしまいにしてしまう訳がない!!絶対にDVD
でじっくり見せてくれるに違いない!
と、半ば期待し半ば祈るような気持ちで待ちつづけていたかいあって、映像特典は何
と6時間付きの初回プレミア版DVD2枚組みが発売されました。
言うまでもなく、もう、大満足でございます。まず、メーキング・オブ・フィルムに始り、アクターとスタッフのインタビュー、ミュージックビデオクリップ集、マルチアングル機能付きダンスシーン各種、ダンスのリハーサルシーンにコスチュームデザイン、アートギャラリー、未公開シーン集などなど。もう至れり尽せり。更に、ファ
ット・ボーイ・スリムのインタビューまでついています。
彼があんなおじさんだったなんて、ちょっと驚きでした。しかも、15年前から使っているこのシステムでしか僕は音を作れないんだと告白。これが駄目になったら、僕は作れないね、ですって。
ジャンルとしてはクラブですし、出来あがってくる音はバリバリデジタルで、最先端です!的印象なのに、何てアナログな彼。好感を持ってしまうじゃないですかって、既に「Weapon of Choice」で参ってたけど(笑)
さて、改めて本編です。最初見た時にはゴージャス!な美術、音の魅力に目がくら
んで物語よりも他のところばかりを見ていたようですが(映画版のFeelingNote参照
していただければ)これは立派な恋愛物でございました。
何とニコールの魅力的な事か。何とユアンの表情が胸ときめいている事か。そして、そんな二人の心を表現するには、音楽しかないのです。台詞ではなく、歌しかないのです。突然歌い出す事に、違和感はないのです!
思わず心から出た言葉が歌だった。溢れる感情は歌でしか表現できないのです!もう、もう本当に、いいっ!!!繰り返し繰り返し見てしまいます。
それにしても、メーキングを見てもわかるように、映画というのはただ事では無い
思い入れと才能、そして資金の上に成り立っています。それを主演俳優達は全て背負
って演じる訳で、それに耐える、それを活かす、それを更に花開かせる才能、存在感
、精神力が必要です。
これを見事にクリアーしているニコール・キッドマン。女優とは実に特異な存在なり、不思議な生き物なりです。まさしく、スパークリング・ダイヤモンド!いつの間に彼女はこんな変貌を遂げていたのでしょう。
後はもう、見てくださいとしか言いようがございません。絶対に!2枚組み、特典付きをご覧下さい!!レンタルでは入手できませんが、はまります。
しかし今更ですが、歌の力は凄いわねぇ。
今は亡き番組『NHKトップランナー』に京極夏彦が出演した折り、「今度妖怪狂言をする」と言っているのを聞き、いつもながら何でもやる人ね〜とその時は聞き流していましたが、その数ヶ月後。狂言にはまるという変化が起こり、気がつけば「妖怪狂言」を見ていました。うーん。京極の呪にかかったのかも(笑)
さて、妖怪狂言というからには、テーマは妖怪。京極夏彦作「豆腐小僧」「狐狗狸 噺」そして、古典の「梟」の3番組。相変わらず幅広い年齢層の観客が揃っています が、心なしか女性が多いような。。。京極、茂山と重なると当たり前といえば当たり 前でしょうか。出演者の語り入りCD付きパンフレットを購入し、開きながら「京極さ ん、太りすぎ〜。ぷくぷくだわ〜」といつものように全く作品に関係ない事を言いな がら開演を待ちます。
まずは古典「梟」からのスタート。あるところに兄弟が住んでいて、ある日山から 帰ってきた兄が梟にとりつかれたようなので、弟が山伏にお払いを頼む・・・という お話です。結局いつものように山伏は全然駄目な奴で、結局全員が「ホウホウ、ホウ ホウ」と鳴きはじめる・・・つまり梟にやられちゃう、ミイラとりがミイラになった という結末です。が、これがまたおかしい。予想が出来る結末なのに、なぜかとって もおかしい。
あっという間に「梟」が終わり、いよいよ京極狂言の始まりです。「狐狗狸噺」は 狐と狸の化かし合い。しっぽ、耳というコスプレのような衣装もかわいかったです が、繰り返しの妙!これに尽きるお話です。続く「豆腐小僧」これはもう、非常に京 極好みなお話しというより、京極の趣味の世界!必須アイテムの妖怪を軸に、こう、 枠の中でねちねち転がして(笑)語りでつなぐという、京極ワールド。何故私は豆腐 小僧が好きなのかという説明を長々と見せてもらっているような展開。結局何も出来 ない妖怪「豆腐小僧」が、京極さんはかわいくて、かわいくて、好きで好きでたまら ないというのがこちらに伝わってくる作品です。これはもう、京極夏彦からの豆腐小 僧へのラブレターのような(笑)作品でございました。
まず、豆腐小僧の定義を説明。「丸盆、その上に豆腐、壊れた笠をかぶっている」これしか無いのが豆腐小僧なのです。何をするわけでもなく、豆腐を持っているだけの存在なのに、なぜか「妖怪豆腐小僧」。彼は一体何ものなのか?何故に妖怪と考えられ、妖怪になったのか。他の人にはどーでもいい事ですが(笑)これはもう、京極堂のライフワークのようなもののようで、新潮OH!文庫『妖怪馬鹿』でも熱く語っておられます。
さて、その豆腐小僧を演じたのは茂山千之丞さん。千作さんの弟で、79歳という
お歳ですが、全体に丸い感じの衣装といい姿といい、とってもキュート!!
「豆腐小
僧でござります」「じじいなのに、小僧!小僧と申したか!!!どう見ても、じじい
じゃっ!!」には会場中笑いの渦になっておりました。
会場がシンフォニーホールと、音楽用ホールなので少し響きすぎで台詞の聞き取り が辛いところもありましたが、本当にどんな場所でも狂言は出来るのねと関心させら れた舞台でした。まあ、とにかく3作とも楽しませていただきました。古典の完成さ れた型、練れた心地よさを楽しみ、新作の斬新さ、京極ワールドに遊ぶ。また別の機 会にこの組み合わせの新作を見てみたいと思いました。
私が橋口亮輔監督を初めて知ったのは、まだ学生だった頃。デビュー作『二十才の
微熱』に絡んで雑誌「ぴあ」がインタビューした記事でした。
ゲイであることをカミングアウトした監督という事で、当時私は「日本も変わって
きたのね〜」と驚いたものです。その後橋口監督は『渚のシンドバッド』を撮り海外での評価を高め、5年の時を経て漸く今回三作目となる『ハッシュ!』を撮りました。本作は第54回カンヌ国際映画祭監督週間正式招待作品となり、非常に高い評価を受けました。
デビューした頃から話題になるのは彼のセクシュアリティであり、周りもそして本 人もそれを中心に据えて今日に至るという感じなのですが、本作は前二作とは違い、凄くいい感じに力が抜け、僭越ながら「橋口さん、大人になったわね〜」としみじみ喜んでしまいました。
今までの作品は、何と言ったらいいのでしょうか。万人受けは絶対にしない、見る
人を選ぶ映画で、特にデビュー作はこう、自分の中にあるものをとにかく吐き出すかのように、ぶつけるように作り上げた作品でした。観客に見せる為のものというよりも、自分の為に撮ったという印象を受けたものです。何だか痛い、そして煮詰まってるというのが画面からダイレクトに伝わってくると言いましょうか。音声も映像もまだまだこれからという状態で、作品そのものが見づらかったのを覚えています。
それが二作目では画面が整理され、描き方も随分落ちついて来たのですが、そ
れでもまだ内容的に見る人を選ぶ映画だったのです。
しかし今回は違いました。とにかく『ハッシュ!』は、物凄い成長の跡が見える、
そして見終わった後、見て良かったなぁと思えるいい映画なのです。前二作をゲイ・ムービーとカテゴライズするなら、『ハッシュ!』は橋口流ヒューマンドラマ。いや、いつだってヒューマンドラマなのですが、ミクロがマクロになったというか、とにかく描く世界の視野が広がりました。
結婚はしないで子供は欲しいシングル女性と、彼女に父親になって欲しいと見込ま
れてしまったゲイカップルを中心に物語は展開していきます。そこにそれぞれの家族
、友達、職場の人達が絡んできて、社会と個人、人と人との関係、それぞれの立場と
いったものが描かれていくのです。
それにしても、キャスティングがパーフェクトです。以前から知っている役者がほ
とんどですが、この人、こんなにいい役者だったんだ!と驚きの連続でした。特に、片岡礼子、田辺誠一、高橋和也、秋野暢子。
その中でも特に、田辺誠一には驚きました。こう言ってはファンに怒られそうです
が、「田辺誠一って本当に役者だったんだ〜」と驚いたのです。あの誰も傷つけたく
ないと言いながら、自分が傷つきたくないからはっきり言わずに逃げをうち、最終的
に「ずるいよ」と突っ込まれて頭を抱えるというキャラクター勝裕。彼にぴったりで
あつらえたかのようです。
田辺誠一演じる勝裕と高橋和也演じる恋人、直也との日常の光景も非常にナチュラルというか、変な 意味でなくリアルで驚きでした。本当のカップルみたい。
そして、朝子を演じる片岡礼子!いいです。得難い女優です。一児の母でもある彼女は、この映画の後、脳出血で倒れたそうですが一命を取り留め、随分良くなってきているとの事。先日テレビのインタビューに出ていましたが、元気そうに見えほっとしました。これからの日本映画界の為にも、お子さんの為にも一日も早く良くなって仕事に復帰して欲しいと思っています。
そして直也を演じる高橋和也。実生活では5人の子供のお父さんらしいのですが、もう、映画の中の彼はどこから見てもゲイでした。と、私は感じました。あの感情の揺れ動き方、優しさ、佇まい。非常にナチュラルに演じています。本人は撮影中なかなか大変だったようですが、彼にとってこの作品はとても大切なものとなったのではないでしょうか。
さて次は、秋野暢子。フランスで上映したときに一番笑いをとったと言わ
れる、世論、常識、諦め、保身を体現しているような、でも時々本音が垣間見える兄
嫁、を演じた彼女の演技は特筆物です。
そのシーンに必要とされる要素をちゃんと体現してくれる「女優、秋野暢子」という
感じで、彼女がこんな人だったとはと、その演技力に驚かされました。
また、突然息子を尋ねてきて部屋のチェックをしながら「いずれ手術するんだから。胸とか、こういうふうにするんでしょ」と息子に迫る母親、富士眞奈美もいい味です。その質問に「しないよ。勝手に決めないでよ」と息子直也は答えるのですが、このお母さんの台詞、橋口監督のお母さんが実際監督に言った言葉だそうです。
という事からも分かるように、直也のモデルは橋口さんご本人との事。じゃあ、最後直也が作った料理を前に、勝裕と朝子に「おいしそう」と言われたのに答えて繰り返し何度も言う「そうさ、うまいさ、あたりまえさ」というのも監督の口癖?とか勝手に思ってしまいました。「そうさ、うまいさ、あたりまえさぁ」は何だか耳に残るのです。そうそう。あのバービー人形コレクションももしかして、監督の持ち物なんでしょうか。多いにありえそうです。腹が立つとアイスクリームをむやみに食べちゃう癖もそうなの?とか、色々気になってしまう・・・
『ハッシュ!』は生きて行くこと、家族というものを、一人の立場に肩入れするこ
となく、それぞれのキャラクターに万遍無く愛情を注ぎ、非常に優しい眼差しでしっ
かりと見つめ、考えた作品です。そう、橋口監督の優しい眼差しが隅々まで行き渡っ
ている!以前には考えられない余裕と客観性が非常に上手くこの物語をコントロールし、観客の心を引きつけるのです。
「何があったんだ?!橋口監督!!!」と大声で叫びたくなるほど大きな変化です。
プライベートが充実しているのか?と思いきや、僕は何でもてないんだろうって雑誌
でぼやいてるし(笑)良く分かりません。
私がこう言うととっても偉そうですが、彼はいい監督に成長しました。わくわくし
ちゃうほど、うれしいです。この作品はミニシアター系としてはヒットを飛ばし、随分橋口作品も日本でかなり浸透してきたかな?と思いますが、もっと評価されてもっと観られるべきだと思います。
家族って何だろう。その問いかけを堅苦しくなく、押し付けがましくなく、非常に自然に、そして深く問いかけてくる『ハッシュ!』橋口監督の次回作が、今回のように5年後ではなく、一日も早く観られることを期待しています。
今のところ、私の今年の邦画ナンバー1は『ハッシュ!』です。
PLAY・狂言の会
狂言ブームと言われて久しいですが、漸く私も初めて狂言を観に行ってきました。高校のカリキュラムで伝統芸能を観るというのがありますが、私の時は狂言ではなく 歌舞伎だった為、きっかけがなく今日まで観ずに来てしまったのです。
さて、オペラ、バレエ、ミュージカルといわゆる「洋物好き」な私がなぜゆえ今、狂言なのか。事の起りは、非常にありがちなのですが、野村萬斎の存在です。
まあ、彼がNHK「あぐり」で騒がれ始めた頃、私は全く興味が無かったのですが、
NHKハイビジョンで放送された「今はだかにしたい男達 野村萬斎」を見て、萬斎自
身にも、狂言にも興味を持ち始めたのです。
関東が野村家なら関西は茂山家。前々から友人が人間国宝、茂山千作さんがとても
いいと言っていたので、いい機会だから見に行こうと決めたのが茂山狂言会、記念す
べき大阪松竹座初お目見えの『狂言の会』でした。
さて、演目は「蝸牛」「武悪」「花折り」の3演目。最初の「蝸牛」は有名な狂言だけに名前は聞いたことがあり、蝸牛(かぎゅう)がかたつむりだというのも知っていました。が、一体どんな話しなのかは知らず、また狂言は果たして分かりやすいのか?と初めてなだけに少々緊張気味。板と松だけのシンプルな舞台に山伏、主人、太郎冠者、3人だけの出演者。そして、「蝸牛」は始まりました。
話しは有名ですから私が説明するまでも無いのでしょうが、ざっと語りますと、主 人が不老長寿の薬となると言われている「蝸牛」を取って来いと太郎冠者に言いつけ たところ、「蝸牛を知らない」というので「腰に貝がついていて、角があり、藪に居 る」と教えられます。そして、早速彼は藪に探しに行き、そこで昼寝していた腰にほ ら貝をつけた山伏を「蝸牛」と間違え連れかえると、まあこれだけの話しなのです が、これが、最高におかしいっ!!!もう、分かるかしら?なんて不安はすっとん で、お腹を抱えて笑っていました。 その分かりやすさ、時代を超越する笑い、そして、その発声、括舌の良さ。そして、 セットが無いのに今どこにいるのかが分かる不思議。これは、はまる!!!もう病み つきになってしまうかも。
続く「武悪」。いよいよ千作じーちゃん(国宝なのにこう呼んでしまう(笑))の 登場です。武悪はある主人に仕えていますが、欠勤ばかり。遂に怒った主人は太郎冠 者に武悪をこの刀で切って来いと申し付けます。困ったのは太郎冠者。結局武悪に 切ったことにするから逃げてしまえと言うのです。と、ここまでは良かったのですが、武悪がもたもたしているうちに、武悪と主人がばったり会ってしまうのです。そこで、太郎冠者が一計を案じ、武悪を幽霊に仕立て上げ、どうにか乗りきろとする・・・という のがあらすじです。 この主人を演じるのが千作さん。武悪を演じるのが千之丞さんで、太郎冠者が千五郎 さん。これが、もう凄くいい味でした。千作さん、なんてかわいらしい方なんでしょ うか。幽霊だと信じ込んでる武悪を恐々見るその姿、素敵過ぎで可愛すぎです。80 歳を超える大御所をつかまえて「かわいい」とは失礼かもしれませんが、その佇まい といい、所作といい、舞台に立っているだけで、観ているこちらの顔がほころんでし まうほど、かわいらしい方なのです。そして、笑いを引き出すのも言うまでもなく上 手い!間が、存在感が、とにかく他の人とは違うのです。80歳を超えているとは思 えない身の動きにも驚かされますが、本当に何故この人はこんなにかわいらしいの か。もう、凄すぎです。もうご高齢ですので、出来る限り機会がある限り、千作さん の舞台は観なくてはと思った次第でございます。そして、千之丞さん、千五郎さんも いい味。先の蝸牛も良かったですが、この武悪はベテランの凄さを実感させてくれる ものでした。
さて、最後の「花折り」これは茂山狂言会、総出演です。今度は華やかなセットが 組まれています。京都の町の背景に、桜の花。舞台の中央にも桜の木。お話は京都の お寺の住持が満開の寺の桜を前に、出かけてくるから桜を見せてくれと人が来ても居 れてやるなと新発意に言って出発するところから始まります。これを聞いて、「昔も 今も京都の寺の坊主はけちね〜」と思ったのは私だけではないはず(笑)さて、そこ へ花見の衆11人がぞろぞろと登場。茂山一家の皆さんです。寺の入り口で、「見〜せ てっ!」と言うと「駄ー目っ!」と言われ、中に入らなくても見えるもんとばかりに 花道に座って宴会をはじめるご一同。その楽しげな様子と酒に我慢できなくなった新 発意は結局寺に招き入れ、全員でよろよろなるまで、ぐいぐい、どんどん飲みに飲 み、最後には「お土産だ!」とばかりに桜の木を一枝ずつプレゼントまでしてしま い、そこに住持が帰ってくるという物語です。これがまた、おかしい。3つ、全部を 見終わる頃には、すっかり狂言ファンになっておりました。
それにしても、私がしびれてしまったのは狂言の世界観、その表現方法です。まず、物語の始まりはいつも「このあたりのものでござる」。そう。狂言はとにかく、「この辺りにいるものです」という言葉から始まるのです。つまり、時代と空間が実は設定されていないっ!!日本でやってようが、ロンドンでやってようが「この辺り」なのだそうで、この世界観が非常に日本的で面白いと私は思うのです。しかも、登場人物は「太郎冠者」「次郎冠者」「主人」というような名で、「この時代のこの人」と限定される事がない。ここにも時空を超越する仕掛けがある。
そして、3人ぐらいの出演者で物語が見事に展開、完結していくこのミニマムさ。更に、セットが無くても場所がわかるという不思議。藪の中、山の中、家屋の中、今一体何処に居るのか、セットは無く人が演じているだけなのに分かるというのが素晴らしい。その空間表現力の高さ、型に非常に魅力を感じます。
そして、いつの時代もそういう人たちって居るよねという、時代を超越した笑い。
笑って見終わった頃には、とっても心がすっきりしている。不況の世の中だからこ
そ、狂言が受けるのかもと思うほど、鑑賞後が幸せなのです。
という訳で、茂山さんの舞台だからこそかもしれませんが、客席が老若男女、非常にバランスがとれている!本当に広く愛されている茂山さんちの「お豆腐狂言(※)」。これからも足しげく通ってしまいそうです。
※茂山家では茂山狂言を「お豆腐狂言」と言っています。「広く愛される飽きの来な い、味わい深い狂言」を目指すという意味だそうです。
MOVIE・ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ/MOVIE・ピアニスト/BOOK・ダレン・シャン4/
DVD・チェブラーシカ/DVD・The Car Man
映画のタイトル、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を直訳すれば「ヘド
ウィグと怒りの1インチ」。これだけだと何のことやらさっぱり分かりませんが、彼
の歌を聴いた途端、観客は驚きを持ってその意味を理解するのです。東ベルリンで生
まれたヘドウィグは性転換手術を受けてアメリカ軍人と結婚し、渡米する決心をしま
す。
しかし、手術が終わって彼を待っていたもの。それは手術の失敗による「怒りの
1インチ」。自ら切り捨てたはずのものが1インチだけ彼の体に残っていたのです。
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」はオフ・ブロードウェイで上演され、
ロングランを記録し、デビッド・ボウイやマドンナといった著名人も劇場に足を運ん
で話題になった舞台。それを映像化したのが本作です。
全編に渡りヘドウィグは魂の歌を歌い、叫び続けます。その姿を見ていると、「ロックンロールって本当はこうだよね!」といつの間にか忘れていたロック魂のようなものを強烈に思い起こさせられるのです。ロックとは、もって行き場のない感情をぶつけるもの。それを爆発させるもの。
今日、ロックはいつの間にか莫大な富を生み、ロックスターはお城にだって住める お金持ちに変わり果ててしまった感がありますが、本当はもって行き場のない魂の叫 び、自分の心を率直に歌うもの、心からあふれ出て歌わずには居られない人の音楽な んだ!と今更ながら目から鱗が落ちる思いがしました。
それにしても、主役のジョン・キャメロン・ミッチェル!とにかく彼なくしてはこの物語は成り立ちません。ドラッグクイーンの外見はけばけばしいのですが、とってもピュアで、エレガント、そしてチャーミング!世の中にこんなにしなやかでチャーミングな人っているのかしらと驚かされ、すっかり「彼の」ファンになってしまいました。お化粧を落すと普通の細身のおじさんで、来日記者会見の時のスーツ姿なんて、映画での彼は全く想像できないほど物静かな印象です。
しかし、あの衣装をつけてあのメークをすると、細身の体に信じられないぐらいのエネルギーを内包した、そして包み込んであげたくなる弱さを持ちつつも、彼女は一人でも大丈夫と相手に確信を持たせる芯の強さを持つ「ヘドウィグ」に変身するのです。本当に驚くべきアクターです。
この映画は「セクシャリティとは?愛とは?」を問いかけ、ありのままの自己を受け入れるに至るまでの物語。見終わった後、しばらくはヘドウィグの歌声が頭の中に響き続けることでしょう。
もう劇場で見ることは難しくなってしまいましたが、ぜひ機会があれば劇場で、無ければビデオで音を大きくしてご覧ください。因みに、DVDが9月6日に発売されるそうです。
「どうだった?」と聞かれたら、「見に行こうと誘った方が言い訳したくなるだろ
うから、カップルで行くのはやめておいた方がいい」と答え、「これは一人で見るも
んだね」と続き、最後に「朝からは見る映画じゃない」と締めくくります。
そう、一人で見に行ったのでそれは良かったのですが、モーニングショーで見た私は朝からどーんとくる重さを味わってしまったのでした。レイトショーがいいとは言いませんが、これは間違い無く朝より夜が似合う映画です。
2時間半の濃密な影像。というより、主人公エリカと観客との時間。そして、それ が終わった後、傍観者であった我々は、少なからず彼女の事をあれこれ考えてしまう のです。あれは、何だったのかと。なぜああなのかと。
この物語は一人の「ピアニスト」としては成功しなかったが「教師」としては成功 している歳を重ねた女性エリカと、その娘に異常なまでの執着をみせる年老いた母 親。そして、ある日突然エリカの前に現れた魅力的な青年クレメールの3人を軸に展 開していきます。こう書くと、非常に平凡な話しなのかと思いますが、この物語はエ リカの特異なパーソナリティーによって、今まで見た事もないような展開を見せるの です。
まず、母と娘の関係を冒頭いきなりカメラは白日のもとにさらします。少なくとも
40代と思われる娘の帰宅が遅いと怒り狂い、鞄の中まで調べ上げ、あげくの果てに
買ってきたばかりの洋服を破いてしまう母親。そして、「おまえには派手だよ」と言
い募りつつ掴み合いのけんかをした後に訪れるのは、泣きながらの和解。恐らくこの
母子はこれを繰り返しているのだろうと、見ている者は暗黙のうちに認識させられま
す。
次にカメラはエリカの昼間の顔、ピアノの教師の姿を映します。これはあくまでも
ピアノ教師をした経験のある私の私見ですが、ピアノ教師というのはある意味世界と
隔絶された世界で、来る日も来る日も個室で生徒を待ち、その個室で存在するのは自
分と生徒の2人でしか有り得ないという、一種の窒息感があります。エリカも恐らく
それを感じているはずです。家では母親と二人。そして日中も生徒と二人。一見外界
と繋がっているように思いますが、完全に輪は最小限の社会で閉じているのです。
なぜこの物語に「ピアニスト」という名前が与えられているのか。それはこの物語
のキーワードが「コントロール」だからではないでしょうか。ピアノを弾く。その
日々の練習は自分の体を思い通りにコントロール出来るようになる為にかなりの時間
を費やします。頭でイメージした通りに指がコントロール出来るようになる為の練習
を日々続けるのです。
思い通りに自分の体をコントロールする。これは非常に難しい事です。主人公のエリカは恐らく幼少の頃から、くる日もくる日もこの「コントロール」の練習を続け鍛錬を続け、いつの間にか演奏上での、そして実生活での心の発達が置き去りにされてしまったのでしょう。その事も合間って彼女はピアニストではなくピアノ教師にしかなれなかったのではないでしょうか。
彼女の母親はエリカをコントロールしようとし、エリカは自分の身体をコントロー
ルしようとする。そして、遂には愛を打ち明けて来た相手とのコミュニケーションを
もコントロールしようとするのです。彼女はかなり歪んだ闇の部分を持っています
が、流石に歳を重ねているだけあって、それが普通でない事も彼女はちゃんと知って
います。それ故最初クレメールを拒絶し、次に勇気を持って打ち明け、更に痛々しい
までに追いかけてみるのです。
歳を重ねた中年女性エリカ。その行動は驚くほど極端で常軌を逸しているとも見えますが、その中に垣間見えるのは、驚くほど子供のままの、心が未発達なままの少女エリカです。そして、自分でも押さえる事が出来ない「女」エリカも同時に存在しているのです。
人の感情はコントロール出来ないと漸く身をもって体験した彼女は、この話しの最
後に今までの自分を断ち切る、抹殺する行動に出ます。それが唯一の救いなのです
が、とにかく、ここに至るまでが重くて、重くて。
「ブノワがいいらしいよ」と、軽い気持ちで見に行ってしまうと、バチがあたったのかというぐらい、ズドーンとヘビーな世界に突き落とされてしまいます。
それにしても、キャスティングが素晴らしい。この映画、この人達無くしては撮る
事が出来なかったに違いありません。特にエリカ役のイザベル・ユペール。女優魂
を見せられた気がします。
そしてブノワ・マジメル。彼も間違い無く特異な個性を持った得がたい男優です。そして、エリカの母親アニー・ジラルド。彼女も実に上手い。
この映画が好きかと聞かれたら、私は好きだとは返せませんが、カンヌ映画祭でグランプリ、最優秀主演女優・男優の3冠を達成したという事実には、頷ける作品で
した。一度見てしまうと、気付くとエリカの事、この映画の事を考えてしま
う日が数日続きます。
最後に。間違っても疲れている時に見ないように。世の中の重力が3倍ぐらいに感じられますから。
ハリー・ポッターと違い、大手出版社が手がけているせいか、話しがハリーに比べ ると短いせいか(両方とも当たってると個人的には思っていますが)順調に巻を進め ているダレン・シャン。その4巻が、4月発売の予告をあろうことか前倒しにして! (日本で出版される翻訳物で予定が早まるなんて、嘘みたい)3月29日にシリーズ 4作目が発売されました。
今回のお話しは、「バンパイヤ・マウンテン」の名の通り、バンパイヤ・マウンテ ンへの旅と、到着後の物語です。といっても、これはほんのさわり。今回は今までの 一巻ごとの一話完結というスタイルではなく、これから数巻はこの山での物語になる そうです。
さて、3巻の「バンパイヤ・クリスマス」から6年の時がたち、ダレンはクレプス リーと、そしてミスター・タイニーの有無を言わせぬ申し出に従い二人のリトル・ピ ープルとの4人で、平穏なシルク・ド・フリークを離れ過酷な旅に出ます。目指すは バンパイア総会が開かれるバンパイア・マウンテン。 先の巻を読んできた読者にとって4巻の冒頭は、結構驚きの連続です。いきなり6年 後という時間の飛躍、そして、前回の物語では命がけで救おうとした親友エブラと意 外にも疎遠になっているというダレンの告白に、少なからぬショックを受けます。で も、相変わらずなのはクレプスリーとダレンの微笑ましいやりとり。更に彼等は絆を 深めていきます。
特筆すべきは今回、実に魅力的なバンパイヤが次々に登場することでしょう。「バ ンパイヤ総会」というぐらいですから、とにかくあっちもこっちもバンパイヤです。 謎だらけだったクレプスリーの過去を少し垣間見ることも出来ますし、前回登場した カブナー・パール将軍の登場もうれしいところです。更に、今回今まで何気なく読ん できたの事が複線だったというのもわかり、ますます物語りは深みを持ってきました 。ハリー・ポッターの3巻ほどの「複線の衝撃」(あえてこう呼ばせていただきます )はありませんでしたが、なかなか、どうしてどうして。4巻は1巻から読みなおし てみようかと思わせるぐらいの力を持つ内容になっています。
本書はこれからダレンはどうなっちゃうの?!というところで終わっていますが、 6月には5巻が出るそう(本当に早い)なので、それほど酷な話しではありませ。し かしこの話し。これからどういう展開をみせるのでしょうねぇ。。。行きつく先をあ れこれ想像してしまいました。
最初にチェブラーシカを知ったのはある新聞記事がきっかけでした。しかも最初に興味を持ったのはチェブラーシカそのものではなく、チェブラーシカを日本に紹介した一人の女性だったのです。
これが、なかなか面白い話しで記憶を辿ってざっと説明しますと、ある一人の女性が吉本興業に勤めていて、一時はタレントについていた事もあったらしいのですが、映画館の担当になった彼女はある日、旧ソ連で作られたアニメーション(といっても絵ではなく人形が動くのですが)「チェブラーシカ」に出会いました。
この作品、ロシアでは非常に親しまれていて、誰でも知っているものだそ
うです。その作品を何とかして日本に紹介したい。そう思った彼女は会社に持ちかけ
ますが聞き入れられず、結局会社を退職。退職金と出資者からの資金、合わせて一千
万円(だったと思います)で「チェブラーシカ」の版権を購入。そして2001年。
東京と大阪、単館ロードショーに何とかこぎつけたところ、これが大ヒット!一躍話
題の映画、話題の人となったわけです。
私が見た新聞記事が出た時には、既に映画館での上映は終わっていて、作品を見ることは出来ませんでした。でも、Yahoo!の映画読者ランキングでは上映後しばらく経っているにもかかわらず、読者評で高得点をマーク。それに公式サイトを検索して出てきた「チェブラーシカ」は、とーってもキュート!!!もう、絶対に、絶対に見たい!見たいっ!!!見たいのよっ!ともがいていたら、そう思っていたのは私だけではなかったらしく、DVDが発売されました(笑)
といういつもの長い前置きが終わり、漸く本編のお話しです。謎の生物チェブラーシカ。茶色くて耳のおっきなこの生物は、おさるさんにも、熊にも見えるます。でも チェブラーシカは、「チェブラーシカ」なのです。ジャングル生まれの彼は、オレン ジの箱にもぐりこんでオレンジを食べているうちに眠ってしまい、気づいたらソ連の 果物屋さんに辿りついていました。 目が覚めたものの、まだまだ眠くて眠くてまともに立っている事が出来ず、ぱた ん、ぱたんと倒れる始末。そんな彼を見て果物やさんのおじさんがつけた名前が 「チェブラーシカ(ばったり倒れ屋さん)」なのでした。
このDVDは全部で4話収録されています。劇場公開時には3編しか紹介されな
かったのですが、今回DVDにだけおまけの「チェブラーシカ学校へ行く」が入って
いるのです。更に、当然のことながらDVDだと本編がロシア語日本語字幕か日本語
吹き替えかどちらか選べます。吹き替えのスタッフもとても上手く味があるのです
が、何と言ってもワニのゲーナの歌は原語に限ります!!もう、哀愁があって哀愁が
あって、アコーディオンを弾きながら人生を語る彼の歌にはしびれてしまいます。ま
たこのゲーナとチェブラーシカとのコンビネーションがもう最高!友達っていいもん
だなぁと誰もが思うはず。
他にもシャパクリャクばーさん、そのペットでネズミのラリースカなど色々出てくるのですが、私が生まれる前に作られた(一作目の製作は何と1968年!)アニメとは思えないほどちっとも内容が古くなく、とっても素敵なこの作品。あのソ連時代にこんな作品が作られていたなんて、本当に驚きです。
一話目では字が読めるチェブラーシカが何で4話目では字が読めないんだ!?というようなちょっとした突っ込みは入れたくなりますが、仕事で疲れた人、心をリフレッシュしたい人はぜひご購入のほどを!って別に営業してるわけではありませんが(笑)、とにかく心温まる、子供だけでなく大人も必見の作品です。
2000年ウェスト・エンドで観て以来久々の「The Car Man」。AMPにとっては
「SWAN LAKE」以来久々の映像作品です。
スタジオで収録されたという事で、どんな風になっているのだろうと興味深々で購入
しました。映像版の主要キャストは私が見たウェスト・エンド・オリジナルキャストと全く同じです。
まず見始めて最初に気になったのは、カメラアングルでした。何だかどんどん切り替わって行って、ちょっと見づらい感じ。最初に舞台を観たときに感じた、スピードがありすぎて話しについていくのに必死になってしまう!というのとは全く別の忙しさを感じます。
これは、私の目ではなく他人の目でみる映像作品だから感じるものです。明らかに私の目で観た「The Car Man」とカメラが追う同作品は視点が違い、観る速度が違います。舞台では不可能なそれぞれの表情のクローズアップはとってもいいんだけど・・・
特にスコット演じるディノの表情、しぐさ、行動はこの作品をより分かりやすくしてくれています。でも、何だかせわしない感じがしてしまう。うーん・・・なかなか映像は難しいですね。
しかしそれも叙叙に慣れて来るにつれ、最初ほど気にならなくなってきました。次
に思ったのは、この作品を舞台ではなくフィルムを先に見た人は、一体どうやってこ
んなに場面展開するものを舞台で演じているのか?と疑問に感じるに違いないという
事でした。これがレズ・ブラザーストーン・マジック!本当に改めてレズの素晴らし
さを感じさせられます。
DVD特典でマシューも語っていますが、本当にセットのベースは変わっていないのに、自動車修理工場、ダイナー、キャバレー、刑務所に舞台はどんどん変化するのです。白鳥、シンデレラと作品ごとに彼の才能は見せつけられてきましたが、このCar Manも本当に冴えてます。衣装も全くそう。レズの頭の中は一体どうなっているのかしらと毎回感嘆させられます。
さて、いよいよキャストの話しへ。オリジナルキャストだけに、皆各キャラクターにぴったりはまっています。
ルカ演じるビンセントは砂埃のたつアメリカの田舎の町にふらりと立ち寄った流れ者にぴったりの雰囲気ですし、ラナ演じるカーティンは冴えない夫にうんざりしている、男好きで魅力的な女性を好演しています。そして、ウィル・ケンプのアンジェロ。白鳥のウィルしか知らない人は、このフィルムで絶対にウィリアムの成長に驚くはずです。得に刑務所での手錠で両手の自由を奪われた状態でのダンスシーン。こんなに感情のこもったダンスを踊れるようになるなんて、本当に大人になったわね。
もうお姉さん、ヒナとは言わないわっ!ごめんね、ウィル。ヒナだの七五三だの書いちゃってと言いたくなるほどに。(笑)そして、エタ・マーフィットのリタ。相変わらず、恋人というよりお姉さんな感じです。それにしても、もう40近いなんて、絶対に思えない!相変わらず美人でキュート。で、足がちょっと太め。(笑)でも、本当にいいダンサーだと思います。最後にスコット演じるディノ。もう、やっぱりはまり役。この人は相変わらず役者です。本当に大好きなダンサーです。もう、ねぇ。あのゾンビ踊りなんて、上手すぎです。
ここで一つ私の考える、オリジナルキャストでの主要キャラクター4人の分析を書 いてみようと思います。
まず、今までのAMP作品にはないタイプのマッチョな流れ者、ルカ。彼はラナにもアンジェロにもちょっかいを出し、二股をかけ挙句の果てにはディノを殺害するという悪役イメージがありますが、それほど悪にはなりきれないキャラクターです。
流れ者だけに、生きていくすべを知っていて、弱いものいじめをされているアンジェロを助けディノの信頼を得て、メカニックとして雇われるといった要領の良さを持っていますが、人を意味も無く人を陥れようというタイプではありません。自分が魅力的な事は知っていますから、恐らくバイセクシャルな彼は心の赴くままにラナとアンジェロ二人と関係を結びますが、ラナを利用してディノの財産を狙おうなどという事は考えていません。
後にあくまでも成り行きでディノのお金が彼には転がり込んできますが、彼は流れ者ですから適当にその町で快適に過ごせればいいという感覚でしょう。行き当たりばったりで刹那的とも言えます。根っからの悪でない証拠に、ディノの死後、ラナは平気ですが彼はディノの亡霊に悩まされ、アルコールを浴び、以前の勢いを失っています。
次にラナ。ハーモニーという冴えない田舎町にしては美人で垢抜けた彼女は、お金
は持っているディノと結婚したという、かなり打算的な女性。でも自分の若さ、魅力
を知っているが故に若い男に色目を使い、退屈な毎日に彼女なりに変化を持たせて
日々を過ごしています。
そこにまさしく、「ワーオ!」と思う今までには無いタイプの男ルカが登場。自由奔放に見える彼女ですが、そう見えても所詮は田舎で暮らす女性。ある意味すれていない部分を持ち合わせているようで、ルカと最初の関係を結ぶ前に、かなり緊張しパンをこねる粉をせわしなくふりかけます。あの粉が彼女のドキドキを表していますよね。
しかし一度境界線を越えてしまうと、どっぷりと漬かっていき、次第に悪女の道を突き進んで行きます。何せディノに最初の一撃を与えたのも、アンジェロに罪を着せたのも彼女ですから。ルカがディノの幻覚に悩んでいる最中も、彼女は罪の意識に苛まれるのではなく、すっかりくたびれてしまったルカに以前の輝きを感じられず、またこの人もディノと同じなのね・・・とそっちの方に絶望を感じ嘆いています。
大切なのはあくまでも自分という感じですが、それは最後に決定づけられます。あれほどまでに愛していたはずのルカを、自分の罪をリセットするために葬り去ってしまう。初めて見たときに、これは結局「女は怖い」という話しなのかもしれないと思ったラナの行動です。
でも、同時にハーモニーという町の怖さ、
アメリカの片田舎なら実際にありえるだろうという恐怖が我々に襲い掛かってくるのですが。
さて、アンジェロです。これにはリタも登場してもらいましょう。アンジェロとり
タはカップルですが、「好き」から先には進めない初心なカップルなのかしらと最初
は思うのですが、ウィルの舞台でのアンジェロを見ると、どうも違います。
ウィル演じるアンジェロは、どう考えても自覚がないゲイです。母性愛を感じさせるエタ演じるリタのことは大好きですが、彼女に欲望は感じていません。実際私が見た舞台では、誘うリタにアンジェロは「駄目なんだ」と首を振ります。でも二人とも、ルカが現れるまでアンジェロがゲイである事に気付かないのです。
付き合いは長いのに関係を結べないでいると推測されるこのカップル。リタは歯がゆさを感じながらも、アンジェロがその気になるのを忍耐強く待っていますが、それはアンジェロが性的に未発達なのではなくて、性的嗜好が女性に向いていなかったという、彼女の想像外の理由であったという事実が物語が進むにつれて明らかになります。現にアンジェロはいとも簡単にルカと寝てしまうのですから。
リタは非常に普通の女の子で心根は優しく、同時に芯の強さを持っているキャラクターです。アンジェロは非常にピュアでとっても一途。本当に一途、ウィルのアンジェロはこの一言に尽きます。刑務所に入れられても、体中に悲しみと憤りを感じながらも、ルカの為にこの現実をどうにか受け入れようとしています。でも、リタの話しを聞いてから、彼は自分が騙された、はめられたと怒る以上に、ルカとラナの関係に対する嫉妬が爆発し、脱獄に至るのです。
「人殺し!」とシャッターに書きながらも、最後の最後までルカに未練が残り、キスをするアンジェロ。あの素手で殴り合うシーンも、騙したなという怒りというより、僕を裏切ったなという思いの方が強く感じられます。見ているこちらは、ここまでされてまだ未練があるなんて、何て一途な子なのかしら!とウィルだけに胸がきゅんと締め付けられてしまうのです。
それをぶった切るラナ。やっぱり女は自分の身を守る為なら、案外簡単に大切なものを切って捨てることが出来ると言われているみたいですが、ラナのキャラクター設定なら、まあ納得も出来ますね。でもカーティンのラナは弱さも持っていますから、完全なる悪にはなっていませんが。
それにしても、言葉は無く、演技と踊りだけでこれだけのキャラクター像を見る側に描かせるマシューは本当に凄いと、改めて思わされてしまいます。
最後に、フィルムでの心残りは、キャバレーアクトのカットです。本当に残念。私の大好きなシーンだけに、とっても残念です。何故カットしてしまったのでしょうか。クリスマスシーズンにイギリスのテレビで放映されたので、番組枠があったせいかとも思いますが、ビデオ&DVDではカットせずに収録しておいて欲しかったです。最初に見た時の衝撃はかなりなものでした。
「何故マーサ・グラハムがないのっ!!!」ってね。
かなりアクセントになっているのになぁ・・・DVD特典のマシュー・ボーンインタ
ビューはとってもGoodですけどね。
とにかく、「シンデレラ」の時には「ドリームワークスと一緒に撮る!」と話しが大きくなって逆にぽしゃってしまった過去があるだけに、よくぞ撮ってくれましたという「The Car Man」。
このフィルムがなかったら、日本のファンはウィルのアンジェロが見られなかったというおまけまでついてしまいましたが、見るたびにカメラの速度にも慣れ、味わいが出る一本です。
BALLETT・ロメオとジュリエット /BOOK・秘められた掟
久々に、「全幕もの」のクラシック・バレエを観に行って参りました。今回私に足 を運ばせたのは、「マラーホフのロミオ」だったのですが、実に見ごたえのある舞台 でした。
まず一番驚いたのは、意外にも舞台美術と衣装です。こんなにスムーズに場面展開
していく舞台は久々でしたし、舞台と衣装の関係が非常に美しいのです。
特に黒とゴールドを上手く使ったキャピュレット家の舞踏会のシーンが圧巻です。女性陣のドレスの裾の広がりが本当に美しく、基本的には歩いているにすぎない動きが、感心させられる程美しいものになっていました。
また、2幕目の道化たちのシーンも、色使いが実に素敵。とにかく、観客を別世界に連れて行ってくれる舞台なのです。とある街の広場での光景・・・ヨーロッパならではの演出という印象を受けました。
更に、振り付けと舞台美術の調和も素晴らしい。「この動きを可能にする為のセッ
ト」が次々に現れ、緻密な計算をされた舞台だと、美術・衣装担当のユルゲン・ロー
ゼの才能に唸らされました。特に、バルコニーのシーンは特筆すべきでしょう。
ロミオが階段を上っていくなんていう野暮な事はなく、「愛の翼で僕はここまで飛んで来た」という雰囲気が漂う素敵なシーンに仕上がっています。幻想的とも言える振りつけ。そして、それを可能にしたセット。もちろん、それにはそれを演じられるマラーホフというダンサーが必要不可欠なのですが。
という事で、漸くキャストの話しに移ります。マラーホフがいいダンサーであるの
は、今更言うまでもありませんが、見事に「10代のロミオ」を演じていました。少
年らしいみずみずしさが、ダイレクトに伝わってくるのです。本当に、素晴らしい!
今まで何人もロミオを見てきましたが、これほどまでに設定年齢そのものと感じさせ
てくれるロミオは初めてです。
そして、ジュリエットのイゾルト・ランドヴェ。残念ながらリフトされた時、「妖精のように軽やか」とはいきませんでしたが、好感の持てるジュリエットでした。彼女もまた14歳というジュリエットの年齢を感じさせる若さ、そして変化していく様を観客に伝わるように表現していました。
さて、これも書いておかねばなりません。伝説的なバレリーナ、マリシア・ハイデがキャピュレット夫人で出演していました。エレガントな佇まいと同時に、ティボルトの死のシーンでの激しさが印象的でした。
そして、シュツットガルトバレエ団の男性陣!これが、とても素敵でした。非常に粒ぞろいで、スタイルも良く、こう言っては何ですが、思った以上にいいのです。すっかりこのバレエ団が、私のチェック項目に入ってしまいました。東京でしかやらなかった『じゃじゃ馬ならし』も見たかったと残念に思います。
とにかく、一幕ごとが非常に短く感じられる、集中力が途切れない完成された舞台でした。幕間ごとに「面白いね!」と一緒に見た人たちと喜びあっているうちに終わってしまったという感じです。
終幕後、拍手がなかなか鳴り止まず、初めて見る光景ですが、オケの人達もスタンディングで惜しみない拍手を送っていました。次回の来日時にも必ず見に行こうと思っています。
前作「失われた故郷」から待つ事6年。べつに原作が止まっていたわけではなく、
翻訳家の柿沼瑛子さんが「ヴァンパイヤ クロニクルズ」で有名なアン・ライスの翻
訳で忙しかったから伸び伸びになっていた(と私は解釈)「ヘンリー・リオス シリ
ーズ」の4作目が本書です。アメリカでは2001年に6巻目でシリーズ完結してい
ます。
もう日本では翻訳されないのかと諦めていたところ、漸く出版されました。でも、1作目の翻訳が10年前に出版されているので既に絶版になっているという、恐ろしいシ
リーズでございます。この本から読み始めて遡りたい人は図書館か古本屋へどうぞと
いう事なのでしょうか。っと、一言嫌味を言ってから、さあ始めます。
主人公ヘンリー・リオスはロスに住む弁護士ですが、ヒスパニックでゲイであると いう、マイノリティーでもあります。更に、元アルコール中毒患者で、どこかに闇の 部分を抱えながら若い恋人ジョシュアと暮らしています。かなり腕のいい弁護士なの ですが、彼の性格上各段リッチではなく仕事に忙殺される日々を送っている。そう、 ワーカホリックと言ってもいいほどに・・・
この小説のジャンルはミステリーで、ヘンリーが手がける事件の謎解き、事件解決
が一作ごとに綴られているのですが、事件のみならず人間関係、人物描写が非常に興
味深いシリーズです。
デビュー当時のヘンリーはまだアル中でボーという依頼人と恋に落ち死に別れます。2作目以降、ある事件がきっかけでHIVポジティブの魅力的な青年ジョシュアと知り合い、彼との関係もこのシリーズの重要な内容になってきます。ジュシュアの両親へのカミングアウト、そしてHIVポジティブであるという現実。ヘンリーはジョシュアを常にサポートし、同棲を始めます。そしてこの4作目のテーマは父親と息子、人種問題、そしてAIDSです。
と書くと、とても重たいテーマで読みたくないと思うかもしれませんが、テーマは
ヘビーでも感じるのは「せつなさ」。この一言に尽きると思います。
とにかく1作目からそうですが、何しろ「せつない」話しなのです。今回も、もう、せつなくて、せつなくて。この私が(以前も書いたと思いますが、人が亡くなるドラマでは泣けない派です。動物が死ぬのは号泣ですが)ほろりと泣いてしまいそうなほど、せつない話しでした。でも、これは今までのいきさつを知った上での、苦しいほどのせつなさなのですが。
人生のままならなさ、そして、それでもどうにか折り合いをつけて生きていかなけ ればならない、生きていくんだという人間の強さが、ここには描かれています。 これから彼等はどう生きていくのか。ますます続編が気になります。そして、今後こ の作品には一つの死がこれから訪れます。それは悲しみを伴う事ですが、主人公と同 じく我々読者も受け入れなければなりません。
作者のマイケル・ナーヴァは主人公と同じくカミングアウトしている、ヒスパニッ
ク系アメリカ人の弁護士です。この作品を書き上げた時点で、彼は今後ミステリーを
書かないと宣言しました。それ以降、いわゆる普通の小説を発表しています。
本シリーズはデビュー作にして、彼の出世作です。ですが、彼にとってこのシリー
ズはそれ以上の意味があるように私には感じられます。
ほとんどの作家がそうであるように、彼は自分自身の解放の為にこの物語を書き始
めたのではないでしょうか。ある種のカミングアウト、もしくは書くことにより乗り
越えていく、心の整理をつけた作品としてこの作品を見た場合、このシリーズの筆を
止めた事、作家としての方向を変えたという事実に説明がつくような気がします。
とにかく、アメリカの多面的な社会を垣間見るという面からも、本シリーズはお薦
めです。
胸がとってもせつなくなりたい人もぜひ。とりあえず第1作目「このささやかな眠り」を求めて、図書館か古本屋に行ってください(笑)
私は、出来れば次回作の翻訳が数年後にならない事を祈りつつ、もう一度1作目か
ら読み返してみようかと思っています。
・PS・
その後、願いが通じたのか(笑)現在(2002年春)1作目から再版されています。
MOVIE・ロード・オブ・ザ・リング/MOVIE・私に近い6人の他人
MOVIE・フロム・ヘル/MOVIE・メメント/PLAY・初春大歌舞伎(外郎売)
思い起こしてみれば、○部作と言われるシリーズものの映画で私は満足したためしがない・・・
あれだけ待った「スターウォーズ エピソード1」は、例の伝説的に有名なオープニングを見たっだけで目が潤むほど勝手に感動したのだけれど、見終わる頃には長年映画を撮らないでいたらルーカスも焼きが回ったとがっかりして怒っていた(アミダラが意味もなくお召しかえするのはフィギュアを売る為なのか?!とか、C
G以外見る物はない。これはCGの見本市か?と悪態をついたのは私です)、あれだ
け指折り数えて公開を待った「ハリー・ポッターと賢者の石」はカタログのような内
容の希薄さにがっかりした上に、賢者の石のプラスチックまるだしのちゃちさにトド
メを刺されてさめざめと泣きたく(実際には泣かずに陰でブーイング)なってしまっ
たし。
という訳で、3部作になる「ロード・オブ・ザ・リング」(原作の邦題「指輪物語」
)も楽しみだけどまたがっかりしちゃう可能性もあると、ものすごーく大きな期待を
出来るだけセーブして試写会に臨みました。
さて結果はと言うと、シリーズもので初めてです!大満足です!!見終わった時から、また劇場で観たいと思いました。3月2日の公開まで待つのは長〜いっ。人が何と言おうと、私はこの映画好きです。では、何がそんなに良かったのか、やめろと言われても多いに語らせていただきます。
まず、感心したのは文庫本にして4冊分という長編『指輪物語 旅の仲間』を2時間58分という長さにクールにまとめた脚本。いや、まとめたというより、原作のエッセンスをベースに、新たに創造したという表現がしっくりくるかもしれません。 でも似て非なるものではなく、これは間違い無くトールキン(原作者)の『指輪』です。
原作ファンに何と言われてもいい。私は映画の方が原作よりもシャープでテンポが
良くて好きです。ロール・プレイング・ゲームにいらいらきちゃう私のような者には、映画の脚本のテンポがとっても合っているのです。
そして、相手に分かりやすく、要領よく指輪
の起源を最初に語るというのも良かったと思います。捨てるところ、残すところがちゃんと分かっている脚本です。
次に、ピーター・ジャクソン監督。よくぞ彼が撮ってくれたと感謝してしまいました。
まあ、某映画と違って原作者が故人なのでそういう意味での枷はないのでやりやすか
ったのかもしれませんが、どう撮るのか、これはどういう話しでどういう映画にする
のかが、しっかりと彼には見えているというのがこちらに伝わってきます。クリエイターとしての強い意志、強い信念を感じさせられます。
3部作をまとめて一度に撮ってしまうという、まず普通は絶対にやらない手法を貫いたのは、彼がこの作品の事を良く理解し、しっかりとしたビジョンを持っている事の現れだと思います。
次に、ニュージーランドでのロケが素晴らしい。本当に美しい国だというのが分かりました。トールキンの世界にぴったりな場所だと思います。そしてニュージーランドのスタッフも優れています。CGといい、衣装、小道具といい、丁寧な仕事をしています。彼等もまたクリエーターとして半端な物は絶対に作らないと信念を貫いています。
ここで、CGについても触れておきましょう。まず、どうやって撮ったのかと不思議に感じたのは登場人物たちの大きさが余りに自然なこと。この映画は強大な力を持つ指輪をめぐる、4つの種族、9人の男達の旅の話しなのですが、種族によって体のサイズが4つに分かれるのです。
まず主人公フロドのホビット族。彼等が一番小さく身長は90cmぐらい。次にドワ
ーフ族、その次に魔法使い、そして人間とエルフが同じサイズとなります。彼等が同
じ画面で実に自然に映し出されているのです。映画が始ってすぐ、魔法使いガンダル
フにフロドが久々に再開するシーンで、余りにも自然に飛付いているのを見て、どう
やって撮ったのかしら?と何気ないシーンながら驚いてしまいました。
その他にもCGをあちこちに多用していますが、時間切れで画像が粗雑になってしまったという事はなく、ファンタジーの世界の生き物を描いていても取って付けたような、あるいは子供だましの雰囲気を醸し出す事もなく、ちゃんと存在しています。そして、観客はCGを沢山見せられていながら、CGって凄いね〜とは思わず、トールキンの世界だわ〜と楽しむ事が出来るのです。これは重要なことです。
さて、お待たせしました!って私が勝手に興奮しているだけですが、キャスティングです。これが、私がまた見たいと思っている大きな理由。
まず主役のフロド・バギンズを演じるイライジャ・ウッド。私が好きなタイプでは
ないのですが、フロドにはぴったり!あの珍しいほど青い瞳ときれいな肌がとって
も無垢で、指輪を託されし者にぴったりなのです。見ているうちに彼が好きにな
る程に。
ホビット族が揃うと、なんともかわいらしく、そして彼らの意志の強さに感
動してしまいます。そう。旅の冒頭、ガンダルフがフロドの決断力、行動力に感動したように。
さて、イアン・マッケラン演じる魔法使いガンダルフ。相変わらず、いい役者です
。彼をキャスティングした人は偉いっ!だって、かなり歳を取っているのは明らかなのですが年齢不詳、チャーミングでオーラがあるというガンダルフに必要な要素を全部網羅しているのですから。巨大な魔の者と一人でやりあっても十分戦えるという説得力を出せる役者なんて、そうそう居るもんじゃありません。困難に出あっても、彼がついていれば大丈夫という安心感を醸し出しています。
次にフロドの親友サムを演じるショーン・アスティン。その昔スピルバーグの映画
「グーニーズ」で喘息持ちのひ弱な男の子を演じていたなんて思えないほど、小太り
でおじさんになっていましたが(笑)サムのひたむきさが良く出ていました。いい脇
役の俳優になったと思います。
残る二人のホビット族、ビリー・ボイド演じるピピン、ドミニク・モナハン演じるメ
リーも、ドジさ加減、人の良さ、純粋さなどちょうどいい感じでした。ドワーフ族ギムリのジョン・リス=デイヴィスも小さいながらも力持ちの雰囲気が良く出ています。
次はきれいどころに行きましょう。エルフ族のレゴラスを演じるオーランド・ブル
ーム。ちょっとあごのラインがごついのですが、それ以外の部分は、私の好きなフランスのアイスダンス・スケーター、グエンダル・ペーゼラに似てるのです!ってそれがどうしたって言われればそれまでですが。(笑)弓の名手でなかなかかっこいいキャラクターです。「いくらつがえても無くならない矢」という突っ込みは、彼にしちゃいけません。
似てると言えば、人間ボロミアを演じるショーン・ビーン。所々で浅野忠信
に似ている表情が見え隠れ。これもそれがどうした!?ですね。脱線しました。ともかく、彼は人間の心の弱さ、指輪の恐ろしさを語るキャラクターを好演しています。
もう一人の人間アラゴルンを演じるヴィゴ・モーテンセン。彼は舞台でも活躍している、味のあるいい役者です。近年はハリウッド映画にも度々出ているようです。骨格は私好みではないのですが、目が非常に魅力的。思慮深く、旅の仲間のリーダー的存在をしっかり演じていました。映画を見ているうちに、また私のチェックリストに入るいい俳優が見つかったと嬉しくなった次第です。
さて、一人一人旅の仲間を追ってきましたが、ここからが一番重要なポイント。何が良かったって、この9人のチームワークがとてもいいのです!映画の中だけでなく、本当に運命共同体というか、彼等の固い絆がスクリーンから伝わってきました。
事実彼等は撮影中すっかり固い友情で結ばれたらしく、全員揃ってエルフ語で「9」の字のタトゥーを入れたそうです。63歳のイアン・マッケランまでがですよっ!!役者に記念になるものを体に刻ませる(しかも自発的というより、勝手に)決心をさせる映画なんて、そうあるものじゃありません。
2人しか居ない女優、リブ・タイラーが近寄りがたい程の結束と言った程、9人はしっかり撮影合宿(あえて合宿と呼ぶ)でスクラムを組んでいたようです。当然の事ながら、それがしっかりスクリーンに映し出され、見る者を10人目の旅人の気分にさせてしまうのです。これはこの映画の成功した、本当に重要な要素です。
とにかく、本作はCG技術を見せるのでも、スリリングさを売るだけの冒険物語でもなく、原作のテーマと同じく、人の心を描いた作品です。
人の心の弱さ、闇と、人を信じる、愛するという2つの面を描いた非常にヒューマンな映画なのです。それ故見終わった後思いだすのは映像ではなく、9人の仲間たち、彼らの心なのです。
「ロード・オブ・ザ・リング」は上映時間ほぼ3時間という長編映画ですが、私には長く感じませんでした。それよりもむしろ見終わった途端、始まったという感覚を覚えたのです。そう、彼らの旅がスタートしたように、私の心の旅も彼等と共に始まってしまったのです。つまり、3部作全てを見るまで、私の旅もまだ終われないのです。何せ心だけは10人目の旅の仲間ですから。
2002年3月2日、日本での全国ロードショーが始まる「ロード・オブ・ザ・リング」。ぜひこの壮大な物語を映画館のスクリーンで見てみてください。きっとのめり込んで見ている自分に気付くはずです。トールキンの世界にどっぷり漬かる為には、やはり映画館がお薦めです。
それにしても、現時点で既にかなり売れている原作ですが、映画を見終わった途端、続きが気になって私のように第二部『二つの塔』を求めて書店に向かってしまう人は今後ますます増えるのでしょうね。
"地球上の全ての人は誰でも6人を辿るとつながるそうよ---たった6人の隔たり"-公 開時のプレスより-
1993年の公開当時、ニューズウィークの映画評が印象的で、気になる事何と9年。「フロム・ヘル」のパンフレットでヘザー・グラハムの経歴に本作の題名を見つけ、「またこの作品名が出てきた。やっぱり見たい」と思って何気なく新聞を広げたところ、何とその日のNHKBS2ミッドナイト映画劇場の放送が「私に近い6人の他人」!こんなこともあるのね〜と思わず小躍りしてしまいました。
前々からニューズウィークの記事で当時評判だった舞台を映画化したものであるというのは知っていたのですが、この映画は本当に戯曲的で、魅力的。
最初の舞台はセントラル・パークが見下ろせるアパートの一室。眺望や室内の調度品から推測するに、アッパーイーストサイドの高級アパートです。(住宅の値段とセントラルパークには密接な関係にあるので)その取り澄ましたような部屋の中で、騒ぎたてる一組の中年カップル。今起きたばかりのようで、ガウン姿で部屋中を、殺されかけただの無くなってる物はないかだのと叫びながら歩き回っています。
そして結局何も盗られていないと分かると、今度はばたばたと誰のだか忘れてしまったけれど、招待されている結婚式にとりあえず向かうのです。
次の場面は式の後のホームパーティー。そこで会った人達に、自分達が体験したある出来事について話しはじめます。
昨夜、彼等の子供の同級生だという身なりのいい黒人青年が怪我をして突然訪ねて
来て、応急処置の御礼に素晴らしいイタリア料理を作ってくれたというのです。
彼は実に魅力的な青年で、ウィットにも富みなかなかの論客。しかも何と俳優、シドニー・ボワチエの息子だという告白までしてくれました。夜もふけ、彼が暇乞いをする頃には、一晩泊まっていけと申し出るほど大人達はすっかり魅了されてしまいます。そして明け方。彼を泊めた部屋から物音がするのに気づきドアを開けると、何と青年は男娼を連れこんでいたのです。
その瞬間から必死に追い出しにかかる夫婦。弁解をする青年をとにかく締め出し、そして盗られた物はないかという、映画の最初の騒ぎが始るのです。
果たして、彼は一体誰だったのか?そんな疑問を抱えている中、同じ経験をした人が、彼等の知人に次々と現れて・・・
というのが、この物語のあらすじです。さて、この気になる黒人青年を演じているのが、今やすっかりセレブの仲間入りをしているウィル・スミス。「インディペンデンス・デイ」で注目を浴び、「メン・イン・ブラック」「ワイルド・ワイルド・ウエスト」といった作品で主役をはる娯楽俳優(あら、失礼)あのウィル・スミスなのです。
これが、物凄くいい!彼ってこんなにいい役者だったのねと、目からうろこが落ちる思いでした。彼のスタートといってもいいこの映画が、一番いい役者だというのが分かる作品だったというのは何ですが、本当に実力の程が良く分かる作品なのです。
中年夫婦は物理的に盗まれた物はなにもありませんでしたが、心の一部を彼に占拠されてしまった・・・そう納得させる魅力がウィル・スミスにはあふれています。
ところでこの映画は、「彼は何者だったのか」という謎解きの話しではなく、アメ
リカ社会、そして人の心を取りあげた問題作です。
ある日突然現れた魅力的な青年と、実子との心の距離は、どちらが自分に近いのかと考えさせられる母親。ヤッピーと
いわれる人達の日常への疑問。階層、階級、成功者と言われる人達の心にぽっかり開
いた空虚さを作品は描き出します。そして、映画のラスト。黒人青年はその後、一体
どうなったのか。それをはっきりと明かす事なく映画は終わっていくのです。
9年の長きに渡り気になっていた映画を見て、やっとどういう話しなのかわかった
と安堵したのもつかの間、今度はやりきれない思いを伴って彼がどうなったのかがと
ても気になる私がとり残されてしまいました。
映画の中でストッカード・チャニング演じる高級アパートに住む夫婦の妻、ウイザの心にウィル・スミス演じるポールがしっかりと住み着いてしまったように、どうやら私の心の一部にもポールが住み着いてしまったようです。
ドナルド・サザーランド、イアン・マッケランといった豪華な脇役を配して丁寧に作られたこの映画。あなたの心もポールの訪問を受けてみてはいかがでしょうか?
「切り裂きジャックは一体誰だったのか?」ミステリーファンのみならず、世界中の人が少なからず興味を持っているに違いない、この世界的に有名な迷宮入り事件。その謎の答えの一つを提示したのがこの映画「フロム・ヘル」です。
時は1888年、ビクトリア朝。同時代に「シャーロック・ホームズ」や「ジキル博士とハイド氏」といった作品が誕生し、エレファントマンが生きた時代だったと言えば、時代の空気がわかってもらえるでしょうか。
切り裂きジャックは実際に起きた事件で、短期間に5人の女性が犠牲になりました。
そのいずれも凶器は鋭利な刃物。しかも、書くのをはばかられるほどの惨殺死体にな
って発見されたのです。そして、犠牲者の共通点はただ一つ。全員が娼婦でした。
この事件が100年以上経った今も風化せず、人々の口に上るのはなぜなのか。それ
は残忍な殺しの手口と、5人の犠牲者で犯行がぴたりと止まったこと。そして、犯人
がつかまっていないという3つの事実に起因しています。
この事件を推理する時、この3点が矛盾せず説明できる理由が必要となります。
「フロム・ヘル」ではスコットランドヤード警察側から事件を追い、この3つの謎
を全てクリアする答えを提示しました。ここで書いてしまうのは、余りにも無粋なの
でやめますが、これはなかなか興味深く、矛盾の少ない推理です。
そして、ともすればB級、C級ホラーもどきの映画に成り下がってしまう内容を双子
の兄弟であるアレン&アルバート・ヒューズ監督は非常に上手く料理し、後味も良い
作品に仕上げています。
まだ新人だと言ってもいいぐらいなのに、既に作品は完成度が高く、絶妙なバランス感覚をもち、優秀なスタッフを集める力を持っている彼等。久々に注目の監督登場です。
この映画は、いかにビクトリア朝のロンドンの闇は暗く危険であったのか、その空 気の重さまでもを我々に伝えてきます。余りにも現代とは違う荒廃した町の影像に、 ついついロンドンである事を忘れてしまうのですが、時々映るセントポール寺院、国 会議事堂、テムズ川、そしてバッキンガム宮殿が間違い無くここはロンドンであると 主張してきます。
そして、このテーマを取り上げる時に避けては通れない惨殺死体。この扱いもなか
なか巧みです。
いかに犯人の手口が残忍なものであったのかを、目を背けたくなるほど精巧に作りこんだ死体を用意した上でグロテスクすぎないように、でも何があったのかは分かるようにカメラワークとライティング、そしてCGを駆使して映し出しています。
このテーマを取り上げる時、惨殺死体の影像が映画の質を決めてしまうと言っても過言ではないだけに、これは重要なポイントです。
次にキャスティング。これも成功しています。事件に繋がる予知夢なようなものを
見る特殊能力を持つアバーライン警部を演じるジョーニー・デップ。彼でなければこ
の設定に説得力がなく、薄っぺらできわものな作品になってしまうのではないでしょうか。いい役者だなと、デップ好きな私はまた好きになってしまいました。
そして、ヘザー・グラハム。彼女の可憐な美しさはヒロインを演じるのにぴったりです。主演女優の条件の一つ、スクリーンから一人ずば抜けて光り輝くというのを体現してくれています。
その他、アバーライン警部の良き理解者ゴッドレイ巡査部長のロビー・コルトレーンやイアン・ホルムといった脇を固めるキャストもいい俳優が揃っています。
見終わった後、しみじみと良かったねと語る、心にいつまでも残るという類の映画ではありませんが、中だるみのない良く出来た映画であり、映画館に足を運んでも損をしたとは思はない作品でした。これからヒューズ監督の作品はこまめにチェックするつもりです。
ある日ある事がきっかけで、自分の記憶が10分ごとにリセットされるようになって しまったら、あなたはどうしますか?
「メメント」は何者かに襲われ、その日を境に記憶がキープできなくなってしまった男の話しです。彼の毎日は「妻殺しの犯人に復讐する事」が全て。零れ落ちる記憶を何とかして留めようと彼はメモをとり、写真を撮り、自分の体に大事だと思われる事をタトゥーにして刻み込みます。果たして彼は復讐を遂げることが出来るのか?
というのがこの映画の大まかな筋立てです。これだけだと「特殊な記憶喪失」という
事以外はありきたりな話しに聞こえますが、一筋縄にはいかないのが「メメント」な
のです。
巷では「3回見ないとわからない」と言われ、アメリカのみならず日本でも上映館では連日沢山の人がつめかけています。 ここまで人を呼び寄せているものは何なのか。この映画の成功の要因。それは映画 の構造、手法にほかなりません。
今までにも「パルプフィクション」や「ジェーコブス・ラダー」のように時間軸の
入れ替えの妙という映画はありましたが、「メメント」は更に時間の入れ替えを細か
に行い、まるでバックステッチ(進行方向にまっすぐに縫い進むのではなく、一針分
進んだ所から針を出し、一針戻った所に針を通して1ステッチとする方法)のように
、短い単位で少しずつ戻りながら進んで行くのです。
あるいは、一つの話しを細かいパーツに分け、トランプのように切って並べたよう
だと言いましょうか。でも全てがばらばらでは訳が分からなくなってしまうので、関
連のあるカード同士は近い配列になっています。
一つの決められたテーマをもとに作られたショートフィルム群の集合体とも言える メメント。それを見る我々は、記憶を留める為にポラロイドを撮り、その写真に添え 書きを続けるガイ・ピアース演じる主人公のレナードと同様に、細心の注意を払って 細かいディテールを記憶し、頭の中でショートフィルムの順番を並び替えていく事に なるのです。
この傷はいつ出来たのか。このタトゥーはいつ入れたのか。窓はいつ割れたのか・
・・など、それが時系列に並び替える為の鍵になる。そして、レナードを取り巻く人
達の嘘と真実を見分ける手がかりはどこにあるのか?
とにかく気が抜けず、それ故に、映画を見終わった後の疲労感は普通の映画よりずっと濃いものになりました。そして、最後に待っているのは驚きの事実。
このラストのサプライズは、同じではないのですが大ヒットした「シックスセンス」
を私に思い出させました。
細かいディテールは見逃した所もあったかと思いますが、映画そのものは一度見た だけでは分からないというようなものではありません。それよりも、私が感じたのは 日ごろ何とも思わずに自然に行っている脳の働き「記憶」というものの大切さです。
「メメント」は、記憶障害というハンディを持つ事を疑似体験する映画だとも言えま
す。レナードにとって記憶はタトゥーであり、メモであり、ポラロイド写真という断
片でしかありません。そして、我々も映画の断片を見て何が起こったのかを推測して
いくのです。
この映画という昔からあるメディアを使って精神的疑似体験を生み出す手法を見出
した新人監督(まだこの作品が2本目です)クリストファー・ノーランが、次にどん
な映画を撮るのか、これからが楽しみです。
しかし、ガイ・ピアースはシャープになってました。プリシラに出てたなんて、会場
に居た人何人が分かったかしら。
巷でマダムキラーの名を付けられていると言っても過言ではない(何せ 瀬戸内寂聴さんから玉三郎さんまでですから。えっ?後の方はマダム じゃないって?)市川新之助の舞台を初めて見て参りました。 そう、「おーいお茶」のCMですっかり有名になった、次の団十郎を約束されている彼でございます。
失礼ながらお父様の団十郎は海老蔵の頃から私苦手でして、その息子さんははっきり言って気にもしていなかったのですが、教育テレビで「新之助さんは先代の団十郎さんに良くにている!」とうっとりモードで力説されている方のコメントを聞いてから、とても興味を覚え(先代は美しくて有名な方でしたから)た矢先、「天守物語」をテレビで見て、いつか絶対に舞台で見たいと思うようになっていたのです。
と、相変わらず長い前置きはさておき、幸運にもチケットを頂いたので初新之助、外郎売を観て参りました。
さて、新春という事もありひときは色鮮やかな舞台の幕が開き、主役を除く登場人物が勢ぞろい。ここで驚いたのは、舞台の上の二つの看板。「外郎売」と「新之助」の字が書かれています。歌舞伎の舞台でこういう光景はあるのかもしれませんが、私としては初めてで、松竹の新之助を盛りたてようという気迫のようなものを感じさせられました。
しばらくしていよいよ新之助が登場。観客が俄かにざわめき立ちます。やはり
凄い人気です。花道から出てきた途端、オペラグラスを構える観客。その中の一人が
私(笑)
外郎売とは別に口上があり、「にらみ」も披露してくれて観客はやんや、やんやの大喜び。遠目なので裸眼では見えませんが、オペラグラスの中の彼はやっぱり騒がれるのが納得のルックスです。顔もなかなかきれいに描けています。うーん。きれいだわ。そして、細い!
3階から見下ろす形なので姿はいまいち良く分かりませんが、お父さんに比べて声も通りが良く、「わーい、これからが楽しみ〜」とうきうきしてしまいました。
「外郎売」の早口言葉のような台詞を詰まることなく無事言い終え、衣装も変わり、目も耳も楽しませてくれてあっという間に30分の舞台が終わってしまいます。まだ20代前半というだけあって動きも演技もまだとても若いのですが、これからの成長が期待される、役者らしい役者「市川新之助」。
数年後に控えた「海老蔵」襲名までにますます磨きをかけて、更に私たちを楽しませてください。