ロンドン旅行記
〜ラバッツ・アポロ・ハマースミス編〜


<10/11・深夜>

雨で目を細めながら、トラックに向かって走ります。すると、予想通り、大道具さんたちが荷物の出し入れをしていました。

「すみません、実は劇場内にパスポートを忘れて来たので、中に入れて欲しいのですが!」
雨の中、必死で叫びます。
「えっ?!ああ、どこに忘れたの?」
「トイレなんだけど」
「入っていいよ」
漸く追い付いた友人とドライバーに中に入ろうと告げます。まさか、こんな事で再び劇場内に足を踏み入れるとは思わなかったと思い、普通では入れない、舞台に足を踏み入れました。
ああ、こんな時じゃなかったら貴重な体験だったのに・・・ 舞台では20人ぐらいが作業をしています。残念ながらまだセットは全く組まれていません。道具が置かれ、シートが貼られている工事現場のような舞台から、客席に下り立ちました。トイレが会場内にあって良かったと改めて思います。
「どこのトイレ?」
「あそこよ」
三人揃ってレディース・トイレに入ります。中はまだ掃除されていません。少しは希望が出てきます。散らかったトイレの個室を一つ一つ見て回ります。しかし、どこにもバッグはありませんでした。
「無い、無い」
と繰り返す彼女に、落とし物で誰かが預けてくれているかも知れないと言って宥めます。

トイレから出ると、舞台では相変わらず作業が続いていました。ドライバーが作業をしている人から、劇場の管理人が待機している事を聞きだして来てくれました。
急いで今度は舞台横の、狭い狭い階段を上っていきます。2階ぐらい上った所に、小さな部屋がありました。三人で中をのぞき込むと、部屋の中にも男性が三人いました。
ドライバーが切りだしてくれます。まず、落とし物の届け出はないと言われました。
「どうしたらいいの?」
と聞くと、月曜日までマネージャーは出てこないし、明日は完全に劇場はクローズするから、とにかく月曜日の朝に電話して下さいとの事。今、私たちに出来ることは何もないという事でした。
事務所の電話番号を聞き、階段を降りて舞台に出ます。

すっかり元気の無くなった友人に、とりあえずすべき事はしたんだから、とにかく待とう、大丈夫出てくるよと励まします。
大道具さんたちにお礼を言い、再び雨の降るロンドンの街に出ました。大きな水たまりが出来ています。あの人達の作業は何時に終わるのかしらと思い、車に乗り込みます。

タクシーは再びホテルを目指して走りだしました。帰える道すがら、ドライバーはしきりに、
「大丈夫、月曜日には見つかるよ」
と繰り返して私たちを励ましてくれます。気を紛らわせる為にか、窓から見えるロンドンの街の案内までしてくれます。
「あれがハロッズだよ。行った?」
「ええ、今日行ったわ。チョコレートを買ったの。あそこのチョコはおいしいって聞いたから」
「そうかなぁ」
「そうは思わないの?」
「だって、あそこのは高すぎるよ」
そう言って、彼は何やらゴソゴソし始めました。そして、後手にキャンディーの様に紙に包まれたチョコレートを二つ、手渡してくれたのです。
「これは安くておいしいよ。買うんだったらこれがいいよ。名前覚えておいた方がいいよ」
そう言って、彼も一つ口にほうばりました。
「ありがとう。これ、ミント味とチョコがまざっているのね」
元気出しなよという気持ちのこもったチョコに、私は少しじんと来ました。ああ、こんな所でこんな事になってしまった。どうなるんだろう・・・・
途方に暮ながら窓から外を眺めます。

その時、ドライバーがオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」のテープをかけ始めました。私は何だか、せつなくなりました。

「これがピカデリーサーカスだよ」
タクシードライバーが外を見るように言いました。
「昨日はここに来たのよ」
外を見るとエロスの像がありました。昨夜を少し思いだします。今日もAMPの公演はあったのよね・・・
「ところで支払いの件なんだけど、彼から何て聞いているの?」
「往復で£34って聞いているんだけど」
「僕に払ってくれるの?彼に?」
「え?あなたによ。£34でいいんでしょ?」
「もちろんだよ」

だんだんホテルが近づいて来ました。友人がお金の用意をします。
「どれぐらい払ったらいいのかなぁ」
「深夜だしね。劇場までついてきてくれて、説明までくれたから£40ぐらい払う?」
「そうだね。でも、私£50札しか持っていない」
「ちょっと待って」
ドライバーの方に身を乗り出して話しました。
「こまかくなる?」
「大丈夫だよ」
「じゃあ、£50渡すから、£10おつりをくれる?」
「ああ、いいよ!」
どうやら喜んでくれたようです。タクシーがホテルの前に止まり、精算をします。
「月曜日には見つかるよ」
「ありがとう」

再びホテルのドアを押して中に入ります。先ほどのコンシェルジュはもう居ません。交代の時間が来たのでしょう。
カウンターの前を通り過ぎ、エレベーターに乗り込みます。
そして、今度こそは本当に、部屋へ辿り着きました。

・トラブル中につき、写真を撮っている場合ではありませんでした。
上の写真は本文とは関係ありませんが、セントポール寺院内部です。(著者撮影)

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