ロンドン旅行記
〜帰国編〜


<10/14・午後〜10/15・午前>

飛行機のエンジンのゴーッという音に包まれる事数時間。その間、機内では食事が配られ、映画の上映がありと、いつものコースが進行中です。
イギリスからの飛行機なので、おいしくないかな?と思っていた機内食も思いのほかおいしく、英国航空の機内食は合格点だ!と記憶に留めます。一方、映画の方は私が嫌いな俳優&女優のハリウッド映画を2本も上映。
見たくもないので、ヘッドホンをつけずに眠りと覚醒の間だを行ったり来たりしていました。

しかし、そのうち機内の寒さに鼻がぐすぐすいい始めたのです。いつもの事ながら飛行機に乗る時、私はティッシュペーパーが必需品です。
更に、今回は既に風邪のベースが出来上がっているので、かなり苦しい状態になってしまいました。ティッシュももうそろそろ底をつきます。こうなっては最終手段。トイレのティッシュを貰ってくる攻撃にでるしかありません。
眠いのに、眠れない〜とティッシュとの格闘をしているうちに、何だかお腹が減ってきました。

見ると、横の通路にはいつの間にか、スチュワーデスが待機している場所を先頭に、長蛇の列が出来上がっています。そこから座席に帰って行く人の手には、必ずカップヌードルが握られていました。
そう言えば、お腹がすいた場合には、カップヌードルをくれると書いてあったなぁと思いだします。
「お腹すかない?」
私とは逆に一生懸命映画を見ていた友人に声をかけました。
「私、カップヌードルもらってくるけど、いる?」
「欲しいなぁ」
という訳で、久々に立ち上がり、むくんだ足でペタペタと歩いて通路へ。しばらく並んだ後、漸くスチュワーデスがいる場所に辿りつきました。

殺到する乗客とスティワーデスの攻防戦は凄まじく、後から後から人がわらわらとわいてきます。 ひたすらカップめんのビニールをめくるスッチーとお湯を入れるスッチー。
珍しい光景だと彼女らの、テキパキとしつつ殺気だっている手さばきを眺めていました。正しく空飛ぶウェイトレス状態です。今の彼女達から笑顔は消え去っています。
乗客の方もじっとはしていられない様で、あちこちからテーブルに手がのびてきて、お箸やスナックなどを取っていきます。
すると、一人の日本人スッチーが大きな声で言いました。
「お湯にも限りがありますので!」
これが逆作用となり、ますますカップヌードルを求める乗客が焦るようになってしまいました。
地上に下りたらカップヌードルなんて・・・という感じなのに、無いっていう事は凄いなぁと周りの様子を観察します。これではまるで争奪戦。
漸く私の番になり、しっかりカップヌードルをゲット。更にそこにあったスナック菓子までもらい、友人の待つ座席へ。それでもまだ通路には、乗客の列が続いていました。

浅い眠りを繰り返し続け、もういいかげん飛行機も飽たという頃、窓の外が明るくなってきました。
夜明けでしょうか。はるか彼方の空がオレンジ色に変わってきていました。後数時間で関西国際空港に到着です。
早く着かないかなぁとぼんやり窓の外を眺めている私の横で、友人はますます暗くなってきていました。未だ、彼女は立ち直れないどころか、着々と近づく家に恐怖が増して来ているようです。
ま、とにかく無事に帰れそうで良かったと私は再び眠りに落ちました。

朝食らしい機内食も終わり、いよいよ到着が近づいてきました。もうしばらくすると、あの海に浮かぶ空港、関空が見えてきます。
シートベルトのランプがつき、いよいよになってきました。さあ、数日前にあれほど必死に帰ろうと努力した日本への到着です。飛行機が海の上の旋回を始め、いよいよ着陸です。
高度をどんどん下げ、辺りは雲に覆われました。これを抜けると地上が見えるはずです。海が見え、空港が見えます。そして、滑走路が見え、空港のターミナルビルが見えました。下から尻餅をつくような衝撃がはしり、次に飛行機が止まりました。到着です。
一時は予定通り帰って来られないのではないかと思った日本に今、到着したのです。
日本だ!日本だ!とはしゃぐ私の横で、友人は再びため息をついていました。

荷物を受け取り、いつもの事ながらほとんど顔パスで税関を通りぬけてロビーへ出ます。そして、これまたいつもの様に私はスーツケースを自宅まで送る手続きを済ませました。
結構な重さになっている自分の手荷物を肩にかけ、更にスーツケースを含んだ荷物を全て持って帰るという友人の手荷物を、私が見かねて二つ持ちます。
せっかく荷物を送ったのに重たいなぁと再び、とほほとなりつつ、南海電車へ移動。スーツケースをがらがらとひっぱる友人をサポートして、始発駅なのでほとんど人の居ない車両に乗り込みました。相変わらず友人はずーんと落ち込んでいます。
「あー、どうしよう・・・すごくブルーだわ」
この頃には私ももう、ことごとく疲れていました。
「大丈夫だって」
とおうむの様に繰り返すばかり。漸く動きだした電車の窓から外をぼんやりと眺めていました。長い橋を抜け、電車はどんどん町中へ移動していきます。進むごとに乗客は増え、その都度私は日常に引き戻されていきます。乗ってくるのは同じ言語を持つ、黒い髪、黒い目の日本人ばかりです。そして制服を着た学生が乗って着ました。ますます日常へぐっと引き寄せられていきます。

終点のなんばで下り、再び荷物を担ぎます。ロンドン旅行の初日、何故かはぐれた思い出の場所を移動し、近鉄電車へ。このいつも使っている路線が更に私を日常へ戻して行きます。
見慣れた風景、見慣れた電車、そして人。町の匂い。家に着くまでに、私は急速に旅行以前の世界に引き戻されて行きます。

そして遂に友人と別れる場所に着ました。8日間の長い、長い、本当に長かった旅行の幕が今、閉じようとしています。
スーツケースを舗装の悪い歩道にてこずりながら引きずり、坂道を下る友人を、別れ道で私は待っていました。私の家へはここから歩いて5分ぐらいです。
よろよろと坂を下って来た友人に声をかけます。
「じゃあ、荷物これ」
そう言って友人の荷物を返しました。
「ありがとう」
ここから友人の家までは1分もかかりません。何か言いたげな、というより、一分でも家に帰る時間を引き伸ばしたいと思っているらしい友人の顔を見ながら、私は告げます。
「じゃあ、私帰るから。頑張ってね!」

今や、自分だけの荷物となり、心も体も軽くなった私は、はずむ様な足取りで家を目指して歩いていました。もうすぐ家です。もうすぐ、眠りにつけます。
これほどまでに疲労困憊した事は無かったと思いながらも、「家に着く」その事の嬉しさが私の歩調を速めています。

我が家が見えてきました。玄関のベルを押すと、母とナナ(犬)が私を出迎えてくれました。ゴールです。長い長い、いつの間にかサバイバルレースのようになってしまった旅が今、終わりました。ゴールです。

そして私は、自分の布団に倒れ込み、深い眠りに落ちて行きました。

〜あとがき〜

ロンドンから帰って来て、早いものでもう9カ月が経過しました。今思えば、私にとってこの旅は、普通ではなかなか出来ない経験をした、貴重なものでした。
この時、私はトラブルにはどう対処すればいいのかを学び、度胸もつけたと思います。

帰宅後、熱こそ出さなかったものの、一月近く風邪をこじらしてしまい本調子に戻るまで、かなりの時間を費やしました。
これほどまでに時差ぼけで苦しむ旅はないと思っていましたが、後から考えると風邪のせいだったのかもしれません。

友人は帰国したその日、こっぴどく説教をされ、御両親から命じられたらしく、お詫びの電話を私にかけてきました。
しかしその数日後、彼女らしくあっという間に立ち直り、今では私が「人格を疑われるからやめたほうがいいよ」と言っておいた『パスポート紛失事件』を人に会うたびに話している様です。
「みんな、びっくりするよー」
と笑いながら話してくれました。今となってはこの大ピンチも、お互いにとって、いい思い出に姿を変えています。

そして先日、彼女から電話がかかってきました。
「英語はやっぱり私には無理だわ」という話しの後、明るく彼女はこう言ったのです。
「それよりねえ、今度一緒にカナダに行かない?」

1998年7月31日 なつむ

☆☆☆長い間お付き合い下さいまして、ありがとうございました☆☆☆

・上の写真は、飛行機の窓から撮った夜明けです。(著者撮影)

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