Biography of Matthew Christopher Bourne


 映画と舞台好きな両親、ジューン&ジム・ボーンの長男として、 1960年1月13日ロンドンに生まれる。 母ジューンと父ジムに5歳の誕生日連れて行ってもらった 『サウンド・オブ・ミュージック』が、ミュージカル映画 との出会いとなった。

 7、8歳の頃には学校の仲間と「シンデレラ」を上演。 男女の役柄が入れ替わっているというその舞台では、マシューの弟 ダンがシンデレラを、マシューは意地悪な姉を演じた。 11歳の頃には「ボーナディアン・シアター・グループ」という演劇 グループを結成。舞台作りに夢中になる。 13歳の頃から、舞台好きのサイモン・カーターという友人とともに、 38番のバスに乗ってウェストエンドの劇場に通い詰める。 その当時集めたスター達のサインは、未だ大切に保管されている。

学校が嫌いだったという彼は、大学に進む事はなくBBCに就職。書類整理 などの事務的な仕事についた。その後The Royal National Theatre にあったThe Keith Prowse ticket agencyに移り、劇場の案内係となる。

19歳の時、初めてバレエをコヴェント・ガーデンで見る。その時の演目は、「白鳥の 湖」であった。その後、彼は何度もコヴェント・ガーデンに足を運ぶ事になる。 言うまでもなく、後年アダム・クーパーやサラ・ウィルドーといった後に彼の舞台で 主役を務めたダンサー達も、彼はここで見出している。

 1982年22歳になった彼は、遅いスタートではあるがダンスを学ぶべく、ラーバンセンターに入学。劇場、ダンス、そして古典的なミュージカルの知識を深め、1986年ダンスと劇場についての学士を取得。そして、1987年ラーバンセンター時代の友達の助けを借り、Adventures in MotionPictures(AMP)を創立した。

 AMP初の作品は『DOSE YOUR CRIMPLENE GO ALL CRUSTY WHEN YOU RUB?』で、1988年にはLONDON&Time Out special awardを受賞している。
 以降意欲的に作品を発表。1987年『Overlap Lovers』、1988年『Spitfire』『Buckand Wing 』、1989年『The Infernal Gallop 』、1991年『Town & Country 』(Barclay's NewStages award受賞)、1992年『Deadly Serious 』『The Percys of Fitzrovia 』、そして同年1992年遂に「クラッシック・バレエを元に独自の世界を作り出す」というスタイルを生み出し、『The Nutcracker』を発表。AMP版の「くるみ割人形」は、孤児院が舞台となっている。

 1993年にはテレビ用の作品として、『Late Flowering Lust』 (BBC/TV ) 、 『Drip-A Narcissistic Love Story』 (BBC TV)の作品を発表。 『Drip』ではマシュー・ボーン自身もダンサーとして出演。同 作には、スコット・アンブラー、エタ・マーフィットといったAMP製作サイドの主 要メンバー全員がダンサーとして出演している。本人に直接聞いたところによると、 『Drip』は時間切れで、余り見て欲しくない作品らしいが、Dance for the Camera awardを受賞している。

 続く1994年には 『ラ・シルフィード』のAMP版、『Highland Fling』を発表。妖精の見えるジェームスはドラック中毒だという、独自の解釈を展開。原点に戻り、出演者が創設時と同じ人数の、たった7人という舞台であった。
 同年、マシューはミュージカル『キャッツ』や『オペラ座の怪人』などで名高い名プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュのミュージカル『オリバー!』の振り付けを担当。この時の出演者に、ビデオ版『Swan Lake』で幼少の王子を演じたアンドリュー・ウォーキンショーがいた。

 そして、1995年。遂に彼を一躍世界的な振付家に押し上げた作品『Swan Lake』を発表。1995年はマシューにとって公私ともに転機となった年で、AMPプリンシパルダンサー、アーサー・ピタとのプライベートでのパートナー・シップをスタートさせたのも同年である。

 『Swan Lake』は『Sleeping Princess 』(1926年)の記録を抜き、ウェスト・エンドでのバレエ作品最長公演記録を樹立。1996年ローレンス・オリビエ賞に輝く。
1999年には同作品でブロードウェイデビュー。その公演によりマシュ―・ボーンは2つのトニー賞を獲得した。余談だが、その時のプレゼンテーター、ミュージカル『キャバレー』で前年のトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞した英国俳優アラン・カミングは、かつてのマシュ―のフラットメイトで、授賞式では舞台の上で二人、ビッグハグで喜びあっていた。

1997年には『Cinderella』 を発表。舞台美術・衣装デザイン部門ではあるが、オリビエ賞を受賞。1999年にはLA公演も成功させる。

 2000年、3年ぶりの新作『The Car Man』を発表。この2000年から2001年にかけてもまた彼にとって、大きなターニングポイントとなる。
まず、2000年入って早々に、AMPは2002年以降オールド・ヴィック劇場を本拠地として活動する予定であることが発表される。 この劇場での初の公演が『The Car Man』になったのだが、次第にAMP内部に変化 が起こっていた。

 『Cinderella』 から『The Car Man』の発表まで3年という時間がかかってしまったという事からも分かるように、1997年から彼らはイギリス、ヨーロッパ、アメリカツアーを開始し、この『Swan Lake』 『Cinderella』 2作品にかかりっき りになっていた。
 これはあくまで私の推測であるが、この頃からツアーに時間をとられ新作を発表できない状況にクリエイターとして疑問を感じるマシュー・ボーンと、彼の長年の 仕事上のパートナーであるプロデューサー、キャサリン・ドアとの間に溝が出来始め たと思われる。

 そして遂に2001年9月、マシュー・ボーンは『CarMan』『Swan Lake』『Cinderella』の3作品とAMPという名前をキャサリン・ドアに残し、新しいカンパニー「New Adventurs」を設立。未だAMPに芸術監督という名を残しているが、今後マシューはAMPの為に新作を提供する事は無いと断言している事からも分かるように、事実上キャサリン・ドアと決別、AMPを手放す決断を下した。(注;詳しくは”Matthew Bourne & NEW ADVENTURS News & Information”の2001年9月6日、9月9日の記事をご覧ください)

 New Adventursには、AMPの核であったスコット・アンブラー、エタ・マーフィット、そしてAMPの代表作の舞台・衣装デザインを担当していたレズ・ブラザーストーンが参加。AMPのブレーンがこの「New Adventurs」に移行した形となった。
このカンパニーは、舞台とフィルム作品を発表する予定である。また、マシューは 依頼された舞台への振付の提供を続けて行くとしている。

 1987年から彼が育て上げたAMPを事実上手放し、また一からのスタートになるとインタビューで答えたマシュー・ボーンであるが、言うまでもなく世間は放ってはおかない。
2001年3月から公演が始まった話題のミュージカル「マイ・フェア・レディ」に振付家として参加。大ヒットとなったこのミュージカルで、彼は2002年第26回ローレンス・オリビエ賞BEST THEATRE CHOREOGRAPHERを見事授賞。また、AMPの劇場となる予定であったオールドヴィック劇場との関係もより強固なものとなり、現在 AssociateDirector(準監督)を務めている。

 New Adventursとしての作品の発表は2002年2月現在ではまだされていないが、現在ディズニーの依頼を受け、ミュージカル『リトル・マーメイド』や、ティム・バートンの映画『シザーハンズ』の舞台化に取り組んでいる。
これからの彼の更なる活躍に、期待したい。


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