〜 By Natsumu〜
:Photo by Ms Yayoi:
July 24,2004 : Matinee
Anthony | Sam Archer,Theo Clinkard,Ewan Wardrop | |
Glenda | Michela Meazza,Emily Piercy,Saranne Curtin | |
Prentice | Andrew Corbett,Eddie Nixon,Scotto Ambler | |
Sheila | Valentina Formenti,Madelaine Brennan | |
Speight | Alan Vincent,Eddie Nixon,Ewan Wardrop |
Anthony | Theo Clinkard,Richard Winsor,Ewan Wardrop | |
Glenda | Michela Meazza,Madelaine Brennan,Emily Piercy | |
Prentice | Andrew Corbett,Eddie Nixon,Steve Kirkham | |
Sheila | Valentina Formenti,Belinda Lee Chapman | |
Speight | Alan Vincent,Eddie Nixon,Ewan Wardrop |
Anthony | Sam Archer,Ewan Wardrop,Richard Winsor | |
Glenda | Michela Meazza,Emily Piercy,Saranne Curtin | |
Prentice | Scotto Ambler,Eddie Nixon,Steve Kirkham | |
Sheila | Valentina Formenti,Belinda Lee Chapman | |
Speight | Alan Vincent,Eddie Nixon,Ewan Wardrop |
ロンドンでのたった2週間の初演鑑賞をあきらめ、短期公演だったにも関わらず高い評価を受け、その年のオリビエ賞での受賞を目にして、再び見られなかった不幸を悲しむ事複数回。その舞台が何と来日!の報を聞いた時の喜びは言うまでもなく。残念ながらオリジナルキャストのウィル・ケンプは参加しませんでしたが、スコットをはじめとするお馴染みの主要メンバーが勢揃いとくれば、もういう事はありません。という訳で、今回最終公演とその前日、合計3ステージを見てきました。
まず、劇場に入って目に入るのは、いつもながら見事なレズ・ブラザーストーンのセット。相変わらず限られた空間の使い方が天才的に上手いです。一目見てロンドンだと分かるセットは、ビックベン、フォンブースに二階建てバスなどが上手く配置されています。独特な縮尺というかゆがみが計算されていながらさりげなく、ゆがんでいるのに自然に見え、何気なく置かれた広告のポスターからは自然に時代を感じ取れるという優れ物。
そして、何といっても今回お見事!だったのは階段でした。階段、玄関、シャワールーム、地下鉄、ストリップバー、もう階段七変化(こう書くと時代劇っぽい。笑)で、階段が一番の役者だったんじゃないかという勢い。回転する事で距離感も出してくれました。そして、「考察」でも書いた家具とその上にかかる白い布も秀逸。これはマシューのアイデアなのか、レズのアイデアなのか。とにかく、相変わらずブラザーストーンのセットは冴えてます。
さて、街の喧噪が聞こえていよいよ物語が開始。この「街の喧噪」といった、音楽ではなく音から始まるというのは、マシューの舞台では多く非常に演劇的だなと思わされるところ。シンデレラでは戦闘機の行き交う音、カーマンでは車の行き交う音で舞台が始まりました。
そしてアランの吹くトランペットの音が鳴り、登場人物が次々舞台に登場。これが、忙しい!話しには聞いていましたが、一度にアンソニー、グレンダ、プレンティス、シーラが登場してきます。しかも、それが×(カケル)3とか×2なので、11人???しかもスコット・アンブラーがその中に!!!!め、目眩が。。。
通常同じ動きをする両目が、この時ばかりは左右バラバラに動き出すんじゃないかと思うほど見るべき対象が大勢で、しかも皆意味深に動いてるいるので見逃せないし、スコットは見ないといけないし!!(誰も”スコットを見ろ!”と強制してないのですが・・・)忙しいったらありゃしない、という訳で、スコットが出なかった24日のソワレは2回目という事もあり、非常に落ち着いてみられましたが、これはもう、全てを一度に全て見るのは無理だと冒頭から諦めました。
とはいうものの、案外ストーリーそのものはシンプルで、一度見ただけでは理解出来ないというものでは無い。見ているうちに、何だそうなのか。やっぱり、これ以上複雑になってしまうと誰もついてこれないしね(笑)と思いの他ゆっくりな物語の流れに心地よさを感じ、今までのマシュー作品とは違う印象を受けました。何でしょう。落ち着いたというか心理劇な分、今迄の物語の早い展開に必死でついていく必要はなく、じっくり見られるのです。
考えてみてください。上演時間は90分ぐらいでも、今迄のマシュー作品の物語を言葉で説明すると非常に長い文章になるのです。それはそれだけ内容が沢山つまっているという事。カーマンの初演をロンドンで見た時は、そのスピードについていくのにぐったりなった記憶があります。シンデラもどんどん場面が展開していき、内容の濃い物語でした。
それに比べ、今回の作品は心理描写を細かく書くと長いものになりますが、あらすじは意外にシンプル。複数が一度に一人を演じていても作品として成り立つのは、この物語のシンプルさにあると思います。その分心理描写はより複雑で、一筋縄ではいかないのですが。
3人で1人を演じる事により、アンソニーのお着替えが朝夕同時進行で出来てしまうなど、一度に多くを語れて時間も短縮出来るなど、その構造も興味深く、またそれが面白い演出になっていてGood。より演劇的になったマシュー作品に納得し、大人な舞台に満足して、私が見たかったのはこういう舞台なのよ!!!と心の中で小躍りしてしまいました。
さて、まずはスコット。やはり、確実にお年を召してきてますが(笑)顔のしわが深くなった分、より表情が分かりやすくなりました。あはは。はぁ。出来るだけ長く舞台にあがり続けてくださいと祈るばかり。
でも、あいかわらず立ち姿はすらっとしていますし、なにより意地悪さがとっても素敵。冷酷な感じが良く出ていて、プレンティスの執拗な性格と、一種の狂気も良く伝わってきます。そして、アラン・ビンセント演じるスペイトに接する時のマゾヒスティックな陶酔の表情は忘れられません。白鳥でもストレンジャーに冷たくされた時に浮かべる、痛みに対する甘い陶酔のような表情が印象的でしたが。
とにかく、スコットのプレンティスは本人の意志で動いているとうのが良く伝わってきます。アンソニーに対する行動も、彼の個人的な怒りが原動力となっているのが良く分かるのです。説得力があり、表面的には表情が読みにくいのに、実は非常に感情表現豊なプレンティス。私の中では彼がオリジナルの中でもオリジナルで、ベーシックなプレンティスになりました。
それとは対照的なのがアンドリュー・コルベットのプレンティス。彼自身の性格のような気もするのですが、他人に対して非常に淡白な感じがして、まるでアンソニーを陥れるように人に依頼されてこの家にやって来たように見えます。ビジネスライクな冷たい行動というか、淡々と仕事をこなしているというか。粘着質な感じは全く感じられません。というより、人に怒りを感じるほど他人に興味があるようには見えない(笑)
同じ役でもキャストによって違ってくるのが醍醐味ですね。とにかく、私の中のアンドリュー・プレンティスは「陥れ請負人」という感じ。
そして、エディー・ニクソンもまたビジネスライク。でも、その淡々とした感じが案外セクシーで気に入ってしまいました。何というか、とっても男性的。くわえ煙草をしながら、無口で黙々と仕事をこなしていく男のイメージです。さすらい系というか、きっと何処でもこの人は生きて行けるんだろうなという感じ。でもイギリス感は薄いかもしれません。
そして、特筆すべきはスティーブ・カーカム!!!もう、スコットは私的に別格なので彼は除いてですが、プレンティスのベストキャラはカーカムでした。もうもう、これは絶対に中村勘九郎さんのところの小山三さん入ってる!!!と一人盛り上がってしまいました。(知ってる人は笑ってください。三世代に渡って中村さんちのお世話をしているおじさまです)
カーカムのプレンティスは、一言で言うなら「おばさんおじさん」。白鳥でのカーカムを私は「ざます報道官」と命名してましたが、今回はおばさんが入った、「おばさんおじさん」(笑)。しかも饒舌!
見ていると「もう、なんでしょうねまったく。この躾のなってない坊ちゃんは。しかたないわね。いやだよ、もうこの人は。ちゃんとしてくださいよ。まったく。ああ、もう、また!」と、ちょっとかすれ気味の甲高い男の声で、ずーっと小言を心の中で言いながらアンソニーのお世話をしているように見えてしょうがない。あのアクロバティックなスリッパ履かせ技とかの時です。そして、スペイトとバーで会ってる時は完全にいたぶられてました。怯えながら、でもかなりマゾヒスティックな雰囲気が出ていて、ちょっと危ない感じ。禁断の果実を前にしてドキドキしてるおばさんおじさんに見えてしまいました(笑)嘘っぽすぎるカツラもナイスでした。
さて、そのプレンティスに魅力を振りまいてしまった(?)人、スペイト。それを演じるアラン・ビンセント。この人の存在感は凄いです。大きいです。
何といっても、まずあの赤い電話ボックスのとのツーショット。その名も「スペイト」という曲のシーンです。登場した時から「ドーン」という感じで横にある電話ボックスを鷲掴み。(実際に鷲掴みできる訳はないのですが、そのように見えたという事です。あしからず)
「縮尺の関係で小さくなった電話ボックスの横に立つアランは電話ボックスよりずっと大きい」の図を見た時には「ゴ、ゴジラか・・・」と一人つぶやいてしまいました(笑)
という事はさておき、やはりゴーゴーダンスのおばか度に脱帽。参りました。本当に得難い、素晴らしいダンサーです!って前述のゴジラ発言の後では皆信じてくれなさそうですが、本当です。マシューにとって危険な男は、彼みたいなタイプなのでしょうね。
さて、おくればせながら主役のアンソニーです。まずはサム・アーチャー。舞台とは全然関係ない事なのですが、若かりし頃のケビン・ベーコンにちょっと似てませんか?フットルースの頃の彼をもっと面長にして細くしたらこんな感じかなと。そして、鼻の形とかが、「BANANA FISH」初期の頃の吉田秋生の描く絵に似てるなぁと、いつも思ってしまうのです。
それはともかく、アンソニーの不器用さが良く出ていました。控え目なのか感じないタイプなのか分かりにくいのもGoodでした。
アンソニーの坊ちゃん故の無自覚、ぴんと来ない子供っぽい天真爛漫さはリチャード・ウィンザーが担当という感じ。彼もすっかりマシューファミリーになったなぁと改めてしみじみ。くるみでリコリスを見た時からマシュー・ファミリーへようこそ!なおばか度経験値アップを見せてくれていましたが(笑)更に定着していました。
そしてユアン。でも、ユアンの場合はどうしても、アンソニーよりもやっぱりあのゲイカップルとゴーゴーダンサーズの印象が強いのです。あのエンブレムなでなでシーンといい、ゴーゴーのおばかな踊りといい、随所で彼のチャーミングさを見せつけられました。くるみのボンボンでのおばか度も相当でしたが、相変わらずやってくれます。飛ばしてます。参りました。魅力的です。
残る一人セオですが、ハンサムだなという印象以外、一度しか見てない事もあるのですが、余り記憶に残っていません。でも、アンソニーという役は実はある意味希薄な部分があるので、仕方がないのかもと思ったり。
その相手役グレンダ。このグレンダですが、アンソニーと比べると非常に大人に思えます。どこで彼等は知り合ったのか、ちょっと疑問に思うぐらい。アンソニーが年の割には子供っぽいという事なのかもしれませんが。それとも、単純にメンバーを見ても分かるように、アンソニー組よりグレンダ組の方が実年齢がアダルトだったからそう見えるのか(笑)
サラーンは相変わらず美しく、華があり大好きなダンサーです。強いようにみえて弱い女性をいつもながら上手く演じています。舞台で彼女を見る度、舞台以外での彼女とのギャップに驚きを覚えるのですが、今回もゴージャスで美しく、一見気の強いイギリス女性を魅力的に演じていました。全く物語とは関係ないのですが、グレンダのかける公衆電話は(故障してるのはなく)いつもちゃんとかかるのね、と変な所に感心していまいました。
そしてミカエラ。彼女もゴージャスさでは負けていません。華やかです。ツンとしたグレンダ担当という感じ。キメキメカップルの女性でもちょっと高飛車オーラが出ていて良かったです。
さて、エミリー。相変わらずスタイルは良く、ちょっとファニーフェイスでチャーミング。一番奔放なグレンダを演じていました。プライベートのパートーナーであるユアンと踊る姿は、やっぱりフィットしてるなぁと思ったり。
それにしても、吉本カップルのエミリーはとってもチャーミング。ジェスチャーゲーム、未だに記憶にしっかり残っています。あの人の良さそうな笑った顔が、いい人なんだろうなぁと思わせる、何ともいい味を出してました。
シーラも演じたマドレーヌのグレンダはちょっと地味でしたが、しっかり演じていました。
そして小悪魔、シーラ。ヴァレンティナもベリンダも魅力的。シーラという役のポジションを考えた時、映画「8人の女たち」のエマニュエル・ベアール演じたメイドをちらっと思い出しましたが、シーラは彼女よりずっと控えめ。でも、しっかり誘惑する方法は知っている小悪魔。このPWWと8人の小悪魔のタイプの違いは、イギリスとフランスの違いが出てるなぁという感じ。イギリスはいつもちょっと控えめです。クリケットセーターのシーン。ストレートの男性なら、抗いがたい魅力ですよね。風船を持って出てくるシーンではまだまだ子供っぽい所もあるように見えるのですが、風来坊風でもあり、結構したたかなのだろうと思わせてくれる、なかなか多面的なキャラクターです。
さて、今回改めて随所で気になったのは女性の「裸足」。クリケットセーターのシーンといい、グレンダとアンソニー二人だけのシーンといい、靴を脱いで裸足になる、最初から裸足でいる、素足で相手の体に触れるなど、足が多くを語っていました。
白鳥でもストレンジャーがナポリの王女の靴を色っぽく脱がせていましたが、マシュー作品ではこの「靴を脱がせる」シーンが良く登場します。
一線をなかなか超えられない婚約者アンソニーとグレンダは、二人きりで家に帰って来た時に恋人達の時間を過ごします。3人全員が揃うこのシーン。3組、総勢6人のダンサーが登場していて、それぞれのカップルごとに違う動きをします。エミリーのグレンダは素足で横たわるアンソニーの脇に触れるように歩いて行きます。サラーンのグレンダは靴を一度脱いでみます。ミカエラのグレンダは確信はないのですが、靴を一度も脱がなかったような気がします。結局グレンダが一線を超える事を良しとせず、靴を履いて出て行きこのシーンは終わるのですが、日本と違い靴を常に履いている文化圏にあって、靴を脱ぐというのは大きな意味があるのだと思わされるシーンでした。
そしてシーラのクリケットセーターのシーン。誘惑する彼女は最初から裸足です。そして、アンソニーは彼女の足から触れて行きます。マシューは足フェチ?(笑)と思ってしまうほど、足がキーになっていました。色っぽさを足で感じ、相手への思いを足で表現する、という感じでしょうか。
さて、この舞台を語る上でとても重要な要素音楽です。今回は全てテリー・デイビスのオリジナル作品です。実は弥生さんに発売されて間もない頃、CDをプレゼントして貰っていたので曲だけは舞台を見る前から知っていました。楽曲を聞いて、写真を見てもイメージが繋がるような繋がらないような状態だったのが、やっと今回の公演で全てのピースが埋まり完結しました。それは、この曲はこんなシーンだったのか!の連続でした。
一番意外だったのは、アンソニーのお着替えシーン。バロック調の音楽にこのシーンがくるのか!という感じ。でもお着替えも「形式美」で、形式美のある音楽とぴったりでした。
このシーン、見ていて随所で笑えるのですが、一番おかしかったのは「このシーンの製作過程」の個人的な妄想(?!)です。マシュー、スコット、その他の人で、洋服を着たり脱いだりしながらああでもない、こうでもないとやっていたのでしょうね(笑)
と、ちょっと脱線しましたが、とにかく音楽は見事なまでに全ての動き、全てのシーンにあっていました。そしていつものように、マシューの舞台は一度見てしまうと、音楽を聞いただけで頭の中でダンサーたちが踊ってくれるのです。お陰でCDが更に宝物になってしまいました。
最終日は他の日と違って色々遊びがあり、これもまた楽しみの一つでした。パーティーで出されるドリンクはカラフルなカクテル、パラソル付き!更に紅白のテープが階段から床まで長くかかっていました。それにまた絡まって遊んでるし!
グレンダの傘はチープな透明のビニール傘。他にも色々ありましたが、私としては、最終日だけに怪我をしてもいいと思ったのか?(それは無いですね。笑)アンソニーとの最終追いかけっこでスコットが凄い勢いで追いかけてるのが印象的でした。マジで立腹中かと思うぐらい(笑)「このこわっぱめっ!!!」という声が聞こえるほどに。
さて、つらつらと書き連ねてきましたが、とにかく「Play without words」は本当に言葉の無い演劇。そして、言葉がないからこそ、台詞というもので確定されてしまう世界がなく、言葉に縛られない広がりを持っています。
時間軸の設定、1役3人という特殊な演出、そしてオーダーメードのフィットした音楽に、一気にPlay without wordsの世界に連れていってくれるセットと衣装。そして、マシュー・ボーンが表現したいと思う物語を演じる事が出来る、高いレベルの役者であるダンサー達。全てが揃って初めて上演可能となる「Play without words」。
この充実感が素晴らしく、この作品はマシューの一つの到達点であり、New Adventuresの出発点となった作品である事が良く分かりました。と同時に、ほぼオリジナルキャストで来日した意味も分かりました。このメンバーでなければ、現時点では、この物語は演じる事が出来ませんね。
これからもマシュー・ボーンは、彼の好きなレビュー的な作品「くるみ割り人形」のようなものと、極めて演劇時な「Play without words」のような作品両方を作って行くのではないでしょうか。
彼が好きなもの、彼が作りたいものを自由に作れる環境が維持される事を祈るばかりです。充実した中で新たな作品を作り、新たな驚き、エモーショナルなものを、これからも我々に見せ続けて欲しいと思います。「ハイランド・フリング」も「シザー・ハンズ」も本当に楽しみです。
それにしても、あのジェスチャーゲームの答え。皆さん分かりました?
Consideration about "Play Without Words"を見る
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