さて、AMPの「SWAN LAKE」だが、これはビデオを見た人には今更説明するまでもないが、時代設定はマシュー・ボーンによると1950年から現在までのいつか(限定はされていない)であり、主役の王子、王妃達はどうみても英国王室。登場する白鳥/黒鳥は従来の女性ダンサーではなく、男性ダンサーが演じ、切なく悲しい話しが展開する。
ビデオ版「SWAN LAKE」が収録されたのは1996年のロンドン、ウェストエンドで、今回の見どころはあの映像から2年後どう変わったのか、どう演じられているのかという事であった。
ブロードウェイの中心地、42丁目のタイムズ・スクエアーから少し離れた52丁目にあるニールサイモン劇場は、こじんまりした劇場で、日頃はストレートプレイがかかっている劇場らしい。マシューがロンドンで良く使っているピカデリーシアターと同じく、見るのに大きすぎず丁度いいサイズの劇場である。
劇場街から少し離れた静かな劇場の内部は思った以上にシックで、落ち着いた感じがする。シャンデリアも美しく、舞台の上に描かれた壁画がアンティークな感じで美しい。
そんな環境の中、「SWAN LAKE」の幕が開いた。シンデレラの時と同じく、劇場に足を踏み入れた時から下りている、作品を象徴する絵が描かれた幕にライトが当たり、その奥に舞台が浮き上がる。悪夢にうなされる王子というおなじみのシーンが繰り広げられ、朝を迎えると同時に幕が上がる。
舞台は次々に場面が変わり、セットの入れ換えのスムーズさに改めて驚かされる。デザイナーのレズ・ブラザーストーンはやはり上手い。
王子の衣装はそのままだが、王妃の衣装は藤色で髪飾りもつき華やかになった。元英国ロイヤルバレエのポーター扮する王妃はビデオ版のチャドウィックに比べると少女の部分をかなり残した女性に仕上がっており、若い男達をはべらせる姿はいい年をした女性が男性に囲まれて喜んでいるというよりは、女の子がはしゃいでいる様で、母親でありながら、王室という特殊な場所で育った故にどこか大人になりきれていない女性という印象を与える。
そして王子はいつもの様に愛情に飢えている。
今回アメリカでの公演という事で、細かい所に変更が加えられている。王妃の肖像画はアンディーウォーホール風になり、アメリカ人に受けそうなジョークがあちこちに取り入られている。
ビデオ版では舞台を横切るだけだったコーギー犬は、劇中劇の劇場に移動する時に再度登場。王子のガールフレンドに噛みつき笑いを取る。更に彼は以前より手足が激しく動くようになっており、毛もふさふさになってリアルな犬になった。
劇中劇の森のトロールは以前よりグロテスクでちょっと下品になってしまった。
犬はともかく、ウェストエンド版に慣れた人間にとっては、恐らく分かりやすさが求められるアメリカ風に変えられた部分は、少し違和感を感じるだろう。くすくすくるあの笑いではなく、ずばっとくる笑いを狙っているのだ。
続くSWANK BARでは登場人物が少し入れ替わっている。イギリスの少年という姿をしていたウォーキンショーは大人になって来た事もあって、今回はリーゼントとジーンズというジェームスディーン風?の姿で登場。あまり苦労せずにバーに入れるようになった。
バーの中でガールフレンドと踊っているのはアフロヘアーの黒人男性。ウォーキンショー扮するリーゼントの男と踊るのは背の高い紫色のウィッグをかぶったドラッグクイーン(踊っている最中にウィッグがとれてばれる)ファンダンサーの衣装は中心のダンサーがピンクのうさぎのしっぽをつけ、その左右にはSWANK BARのシーンの最初に出てくるピンクのドレスを着たダンサーが二人ついている。このファンダンサーのシーンも以前よりセクシャルな感じで、笑いを取る。
SWANK BARのシーンでの音楽は、更にテンポアップしており、ノリが良くなり振付も激しさを増している。
そんな中、王子はひたすらかわいそうな目にあい、最後にはバーの外へ放りだされる。
ここから話しは幻想的なシーンに突入する。
自殺を決意して公園の湖に近づく王子。その前に突如現れた白鳥。
この時の背景の深い紺色の空と白い月、そして白い木の枝と二人の姿が美しい。アダム扮する白鳥が出てきた途端、今までの舞台の雰囲気は一変する。ビデオの時よりもより包容力を増したように見える白鳥に王子は魅せられ追いかける。その時のスコット・アンブラーとアダム・クーパーの掛けあいが以前にも増して親密になっていた。
白鳥を追う王子の目は純粋でひた向き、そして白鳥に出あえた喜びに満ちている。一方アダム扮する白鳥は王子の視線を受け止め、温かく包んでいる。白鳥の振りも少し変えられており、前にもまして鳥である事をこちらに連想させる手の動き、水から上がってきた事をイメージさせる足の動きが加わっている。
二人のデュエットは息がぴったりあい、もはや二人の間には振りを合わせているという意識はないように見える。お互いがお互いの存在を目ではなく、体全体で空気の中から感じ取り、一挙手一投足が分かっている。そんな一体感がある。
そして舞台の上の二人からは愛が感じられ、見ているこちらがせつなくなってくる。王子が白鳥にそっと近寄ってみると逃げ、どこにいったかと思うと今度はよりそって来る白鳥。二人が寄りそう度、こちらがドキっとしてしまう程、二人のデュエットは甘く切なく純粋で、矛盾するようだが官能的なのだ。
白鳥が飛び去ると、王子は目を輝かせて空を舞う白鳥の美しい姿を見守り、本人も追ってると気づかぬうちに体が自然に動いて追いかけていく。白鳥が数羽目の前に現れると、この中に彼の白鳥がいないかと王子は必死で探し、相手が野生の白鳥である事も忘れて近づく。この舞台での王子は、突然現れた白鳥たちを珍しく思い近寄る、または生き物として興味を示して近寄るのではなく、あくまでも彼の白鳥だけしか眼中にない状態で、彼の白鳥を探す為に他の白鳥達に近寄るのである。そしてそんな王子の思いに答える白鳥は包容力があり、父性を感じさせる。
王子が白鳥にしがみつく、その姿は子供のそれで、彼を優しく包む白鳥の翼は彼を優しく守るためのもの。この二人の微妙な関係を、アダム・クーパーとスコット・アンブラーは絶妙なバランスで演じきる。
暗く静かな深い夜の闇の中、4羽の白鳥に見守られた王子と白鳥のデュエットはますます美しさとせつなさを増し、私たちの心を揺さぶる。ほうとため息が出た瞬間、一気にその雰囲気を一変させる4羽のひなの白鳥がドタドタと足音をさせながら登場。例のダンスが始る。
今までの静けさはなくなり、この何とも言えない振り付けに観客からは笑いが起こった。この部分の変更はなく、原形のままである。ユーモアたっぷりの踊りにひとしきり会場が沸いた後、王子と白鳥のデュエットが再び始る。
あっと言う間に劇場の空気が変わり、観客は白鳥の姿に魅了される。しなやかに音もなく舞うアダムの白鳥は、夜の闇の中に美しく浮かび上がる。そして、また王子の前から姿を消し、彼を追って王子も舞台から消えていく。
続く4羽の白鳥(ビッグ・スワン)の振り付けには少し変更があった。基本的には同じなのだが、最後の退場の仕方が、ビデオ版では左右に舞台を横切るのに対して、NY版では横切る事なく各々がその場から舞台そでに入って行く。華やかさが少しなくなった感じがし、もしかするとこれは怪我をさせない為の変更なのかもしれない。
再び王子と白鳥が登場し、その他の全ての白鳥が舞台に出てくる。この時の王子は自殺を考えていたとは思えないほど喜びに満ち、生き生きとしている。生きる喜びを感じさせる王子と白鳥の軽やかなステップ。スコットの王子の目は相変わらず純粋な喜びで輝いていて、アダムの白鳥はそれに答えている。幸せな一時はあっと言う間に過ぎ去り、別れを告げる間もなく白鳥が消え、気づくと王子は元の公園で一人残される。
遺書を破り捨て、えさをやっている女性に思わずキスをして立ち去る彼の姿は、見ている全員が良かったと思わず感じてしまう程喜びに満ちている。その晴れやかな笑顔はスコットが演じる王子のピュアな心を感じさせるものだった。生きる希望に満ちた瞳はきらきらと輝き、白鳥との再会を信じて疑わないように見える。その子供のような純粋さが、これからの展開を知っている私たちの胸を傷め、一層せつなくさせる。
それにしても、こんな純粋な目が出来るスコット・アンブラーは凄い。このかわいさに白鳥は参ってしまったのかしらと思わせる程のピュアな瞳。アダム・クーパーとスコット・アンブラーの間には、もちろん舞台の上だけの話しであるが、恋愛関係が成り立っていると感じる公園のシーンは、拍手の渦の中スコットが舞台から立ち去り終わりを告げた。
そして、幕が下りた・・・
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