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拾遺集、拾 Aus meinem Papierkorb, Nr. 10



ケーテ Käthe ― 『ラインの守り』 (1) ―

クラーラ・フィービヒ Clara Viebig (1860-1952) は19/20世紀転換期のベストセラー作家だった。アイフェル地方 ―― ドイツ西部からベルギー東部にかけて広がる標高の低い山地 ―― の郷土色あふれる作品でデビュー、ドイツの自然主義作家を代表する一人と見なされているが、たまたま友人に薦められて読んだエミール・ゾラの『ジェルミナール』(Germinal, 1885)に衝撃を受け、創作の方向が決定づけられたと自ら語っている。

『女の村』 Das Weiberdorf (1900) が出世作となった。普仏戦争のあと男たちがみなライン地方の鉄道建設の出稼ぎに出て、戻るのは6月29日の「ペトロ・パウロ」祭とクリスマスの年二回のみ。そんな普段は女だけになるアイフェル地方のある村の、女たちの奔放な生態を赤裸々に描いたので、当地の住民を侮辱するものだと非難が沸き起こった。カトリック教会は禁書リストに載せる(*)し、そのあと休暇で訪れた著者夫妻には警察の護衛がついたり、夫がホテルを出るときは拳銃を身に着けたとまで言われる。だがこのような騒ぎが却ってこの作品をポピュラーなものにした ―― 登場人物はみな強い訛りで語るので、ドイツ人でも土地の人間でなければ読みにくいのではなかろうか、と思われるが。

自分には故郷が三つあると彼女は語っている。生地トリーア、少女時代を過ごしたデュッセルドルフ、そして父母のふるさとポーゼンである。父はポーゼン政庁の上級参事官で、フランクフルト国民議会の議員でもあったが、トリーアに転勤となり、そこでクラーラが生まれた。父はそのあと首席参事官としてデュッセルドルフ勤務となったのである。

父亡きあと、1883年にベルリンへ移住して、まずは音楽学校で声楽を習うが、音楽の才能に見切りをつけ文筆業に専念する。このころ休暇は両親の親戚の地所のあるポーゼンで過ごす決まりであった。また少女時代に旅したアイフェルに惹かれ後々までよく訪れたので、ライン地方とポーゼンが作品の舞台となることが多い。もちろん人生の大半を過ごしたベルリンの物語(**)が数多くあるのは言うまでもない。

フィービヒが少女時代を過ごしたデュッセルドルフが舞台となる作品に『ラインの守り』 Die Wacht am Rhein (1902) がある。チルゲス夫妻が経営する居酒屋《美彩鳥》の一人娘カトリーナと駐留プロイセン軍の軍曹フリードリヒ・リンケが結婚し、さまざまな軋轢のなか、子供が産まれ育ってゆく物語である。ライン地方はおっとりとしたカトリック圏、そこにプロテスタントでがちがちのプロイセン魂の持ち主が入り込んできたのだから、衝突なしで済むわけがない。最初の子ヨゼフィーネが生まれた1830年から普仏戦争の終るまでの時代が物語の背景となっている。

『女の村』ほどではないが、この作品の文章もライン地方の方言に染められている。物語の冒頭は出産のシーンで、赤ん坊を取り上げた産婆ダウヴェンシュペックの心の声が語られる。昔からよく知る娘を夫となった軍曹がケーテと呼ぶことからして気に食わない。
《ケーテ》 ―― あの軍曹が妻を《ケーテ》と呼ぶことだけでもう腹立たしいことだった。プロイセンでは《ケーテ》が普通なのか知らないが、こっちじゃあ、ラインのほとりじゃあみんな《カトリーナ》か《トリーナ》か《トリン》と言うよ。あんな呼び方でこの若い娘の洗礼名を侮辱するなんて可愛そうだよ。でもそれとは違った呼び方を期待するのが無理だったのさ、ともかく《ルター派》の名前だものね。市民チルゲスなんだから自分の娘を嫁がせるときには、もうちょっとまともな男を選べただろうに。いったい何処にあるのかベルリン砂漠からやってきた馬の骨に遣っちまうなんて。
'Käthe' -- schon allein, daß der Feldwebel 'Käthe' zu seiner Frau sagte, war zum ärgern. Mochten sie in Preußen immerhin 'Käthe' sagen hier am Rhein sagte jedermann 'Kathrina' oder 'Trina' oder 'Tring'. Der armen, jungen Frau so den christlichen Taufnamen zu verschimpfieren Aber was konnte man von dem denn andres erwarten, der war ja ein 'Lutherscher'! Der Bürger Zillges hätte auch besser gethan, seine Tochter einem von hierzulande zur Frau zu geben, als dem, der dahergeschneit kam von Gott weiß wo, aus Sandwüste Berlin.
-- Clara Viebig: Die Wacht am Rhein (1902)
愛称 Koseform にもこれほどの地方差があるとは知なかった。そういえば『女の村』には他で見たことのない呼び名がいっぱい出てくる。脚が悪くて成人男子で唯一村に残る Peter Miffertd は Pitter、Pittchen など。その妻 Lucia は Zeih である。Lorenz Schneider の恋人で、妊娠したため今回の「ペトロ・パウロ」祭で慌てて式を挙げた娘は Bäbbche、Bäbbchen とか Bäbbi と呼ばれ、略さない形は Lenzen Bäbb とされるが、こんな名前があるのか。男たちの Nikla (Niklas Densborn)、Thom (Thomas Laufeld)、Mathes (Mathesen Martin) はあまり驚かないが、Nettche、Billa、黒髪の Vrun、ブロンドの Leis などの呼び名だけで登場する女たちがいて、これらの愛称はこの地方独特のものなのか、元の名前がなかなか想像できないものがあります。

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クララ・フィービヒの小説は国外でも人気でほとんどすべてのヨーロッパ言語に訳された。日本語にまで訳されたと本人が述べている(***)のを読み、驚いて調べてみると「世界女流作家全集」(モダン日本社 1941)第1巻 ドイツ篇(1)に『バルバラ』(森儁郎 訳)が入っているようだ。どの作品を訳したものか確認していないが、処女作のノヴェレ "Die Schuldige" (のちに "Kinder der Eifel" に収められる) が劇化されたときのタイトルが "Barbara Holzer" なので、この作かもしれない。

彼女の作品で題名だけが紹介されているものに『汝の罪を赦す』 Absolvo te がある。前川道介先生が訳されたワルター・ゲルタイス(Walter Gerteis、1921-1999)『名探偵は死なず/その誕生と歴史』(邦訳1962年、弘文堂)に「ドイツ語圏の比較的新しい」《犯罪小説》の作品としてリカルダ・フーフ「デルーガ事件」、レルネット=ホレーニア「バイデ・ジチーリエン」、エルンスト・ペンツォルトの「真珠」と並んでクラーラ・フィービヒ「Absolvo te」が挙げられている。(訳書151ページ)
* 不道徳な書として非難されたが、禁書リストには掲載されていないとの指摘もあるようだ。Sophie Lange: Clara Viebig stand nicht auf dem Index, in: Eifel-Jahrbuch 2008
** Clara Viebig: Berliner Novellen (1952) として短編集が旧東ドイツ Das Neue Berlin 社からも刊行されている。
*** Christel Aretz(Hrsg.): Clara Viebig "Mein Leben". Autobiographische Skizzen. (Hontheim 2002) S.194


デュッセルドルフ Düsseldorf ― 『ラインの守り』 (2) ―

前項に続いてクラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から。

窓から見下ろせる練兵場ではおりしも今生まれた赤ん坊の父親が、《ケーテ》の夫の軍曹が、兵隊を訓練している。この様子を見るにつけ、産婆ダウヴェンシュペックはデュッセルドルフがプロイセン領になったことが腹立たしいのである。自分が若いころには、ここは要塞でオーストリアとプファルツの人々がいたのに。最初に取り上げたのは要塞に勤務していたプファルツ士官の奥方の赤ん坊だった。
ほんと、とんでもないこと。あいつはプロイセン男で兵隊で、しかも異端者だ! デュッセルドルフが情けないことにプロイセンの国になってもう十何年だけど、どうにもしっくりこないよ。こんなプロイセン男が、まぎれ無きベルリン男が、舞い込んできて四週間前やそこらで、《美彩鳥》の娘を嫁にしちまうなんて。ラーティング通り(*)の者はみな大騒ぎだった。
Ne, das hatte keine Art: ein Preiß', ein Soldat, ein Ketzer! Wenn Düsseldorf nun auch schon leider Gottes seit über ein Dutzend Jahr' zum Preußenstaat gerechnet wurde, man würde sich selber nie daran gewöhnen. Und so ein Preuße, so ein unverfälschter Berliner, der eben erst vor vier Wochen hier hereingerochen hatte, der sollte die Tochter aus dem 'Bunten Vogel' freien?! Die ganze Ratingerstraße geriet darüber in Aufregung.
-- Clara Viebig: Die Wacht am Rhein (1902)
はるか東方の、《異端》のプロイセンがライン河畔に領地を持つのには複雑な歴史がある。神聖ローマ帝国は多数の聖・俗領邦から構成されていて、ライン河地域の中心は大司教領ケルン、その大司教座の置かれたケルン市は中世には帝国屈指の大都市であった。周辺には多くの小邦、公国、侯国があった。ユーリヒ公国、クレーフェ公国、ベルク公国、ゲルデルン公国、マルク伯領といった諸国である。ベルク公国の首都がデュッセルドルフだった。

1521年にユーリヒ公国、クレーフェ公国、ベルク公国、ラーフェンシュタイン、マルク、ラーフェンスベルクは統一してユーリヒ=クレーフェ=ベルク公国となりデュッセルドルフは共通の首都となった。次いで1539年に即位したヴィルヘルム五世 (1516-1592) の長女マリー・エレオノーレがプロイセンのアルブレヒト・フリードリヒと結婚した。また次女アンナはプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒと結婚したので、父の死後その領土に対する継承権を両国が主張することとなる。


Vereinigte Herzogtümer Jülich-Kleve-Berg (1540) Aus: Wikipedia.de
上掲の地図は統一公国の領域を示すもの。Bm. (Bistum) は司教区、Fbm. (Fürstbistum) は司教領、Erzbistum は大司教区/大司教領、Gft. (Grafschaft) は伯爵領、Hzgtm. (Herzogtum) は公爵領だ。小邦の割拠する様子が見て取れるであろう。
ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン・ヴィルヘルムが1609年に相続人なく没すると、後継をめぐりブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントとプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒとの間で紛争が生じた。1614年のクサンテン条約により公爵領はその両国で分割されることになり、かくてプロイセンはユーリヒ、クレーフェ、ベルク、ラーフェンスベルクの支配権を得たのだった。

いまだ「三十年戦争」の戦乱の続く1640年、ケーニヒスベルクでブランデンブルク選帝侯に即位したフリードリヒ・ヴィルヘルム(のちに「大選帝侯」と呼ばれる)は、東西に遠く離れた国土の一体的な統治を目指していろいろな施策を施した。ライン地方に滞在する顧問官に宛てた1651年の指令書の書き出しは以下の通り。
Unsere, Friedrich Wilhelms, von Gottes Gnaden, Markgrafen zu Brandenburg, des Heiligen Römischen Reichs Erzkämmerers und Kurfürsten, zu Magdeburg, in Preußen, zu Jülich, Cleve, Berg, Stettin, Pommern, der Cassuben und Wenden, auch in Schlesien, zu Grossen und Jägerdorf, Herzog, Burggraf zu Nürnberg, Fürsten zu Halberstadt und Minden, Grafen zu der Mark und Rabensberg, Herrn zu Ravenstein usw. neue Verordnung und Disposition, ...
-- Barbara Beuys: Der Große Kurfürst (1979, 1984)
Unsere と neue Verordnung に挟まれた、これも冠飾句というのか、まるで落語の寿限無のような長い称号だが usw.(etc. にあたるドイツ語)とあるからなおすべて唱え尽くしたわけではない。いかに複雑な領土構成だったかがわかろうというものだ。

1777年にプファルツ選帝侯が同じヴィッテルスバッハ家のバイエルン選帝侯をも継承。バイエルンはハプスブルク家のオーストリアとは覇を争うところがあったので、ナポレオン戦争でフランス側に立って戦い、1805年のプレスブルク条約によってシュヴァーベン地方とフランケン地方を獲得した上で王国に昇格した。1806年、西南ドイツ一帯の諸邦をまとめたライン同盟が作られ、バイエルンはこれに加わる。プロイセンはイエナ・アウエルシュタットの戦いで惨敗し、ティルジットの和約でエルベ川以西の領土を失った。

1813年、ライプツィヒの戦いでのナポレオンの敗退とともにライン同盟は解体した。1815年のウィーン会議でプロイセンは、ティルジット条約で失った領土に加えてザクセン王国の北半分、ヴェストファーレン、ラインラントを獲得して、これでもってデュッセルドルフがプロイセン領になったという次第。だから今回新たにプロイセン領になったのではなく、革命戦争以前の状態に復したのだ。しかしかつては現地の等族が大幅な自治権を持っていて、あまりプロイセン風に染められることはなかったようだ。やがてここに築かれた要塞は取り払われたが、下士官訓練学校は残され、プロイセン軍駐屯地としての機能が強められていった。

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『ラインの守り』の物語が始まる1830年は、プロイセンがクレーフェ、ベルクを回復して、すなわち産婆ダウヴェンシュペックの言う「デュッセルドルフが情けないことにプロイセンの国になって」15年目にあたる。
* 居酒屋《美彩鳥》のある Ratinger Straße はデュッセルドルフで最も古い通りの一つ。いまも飲食店が軒を連ねる。


ライン対シュプレー Rhein vs. Spree ― 『ラインの守り』 (3) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

長女ヨゼフィーネが洗礼を受けたのは「1830年8月のある日曜日」とされている。可愛くて活発な女の子に育った。一年遅れて長男ヴィルヘルムが生まれた。この子は虚弱だった。その次は女の子だったが、三週間しか生きられなかった。そして四人目も生まれた。

そのころにはヨゼフィーネは一人で祖父母を訪ねることができた。帰りには祖母は必ず甘いものを持たせてくれた。父軍曹は子供を甘やかさず雨でも冬でも外へやるので母は心配したが、娘は元気に育った。兵営にある住まいではいつも演習場の様子を窓から見下ろし、自宅が面している営庭「コート1」 Hof I で演習があれば近くのポンプ格納庫に乗っかるか、階段に腰かけて兵士の動きをなぞるのであった。父は夜、パイプに火をつけくつろぐとき、「位置につけ」と声をかける。待ち構えていた娘は削ったハシバミの枝を携えて駆け付ける。「武器を取れ」「弾を装填」「撃鉄を起こせ」などの命令にきびきびと応える。

父軍曹は、わが娘は七歳にして大抵の初年兵より立派だ、と満更ではない。一通りの実技を終えると学科である。報告は「簡単正確に」行うこと、軍隊の階級、武器による部隊名などなど。
そして父は威儀を正して訊ねる。「軍人の徳目はいくつあるか?」
「五つです!」
「全部言えるか?」
すると娘は目を輝かせて答えた。「誠実、勇敢、忠実、責任そして名誉!」

Und fragte der Vater ernst und gemessen: "Wie viel Elemente haben wir?"
"Fünf!"
"Wie heißen sie?"
So antwortete sie mit leuchtenden Augen: "Treue, Tapferkeit, Gehorsam, Pflichtgefühl und Ehre!"
それに引き換え、ひ弱で病弱、五歳になっても足元がおぼつかない長男ヴィルヘルムのことは、父は我慢がならない。ヨゼフィーネが弟を演習ごっこに誘うと、母親のスカートにしがみついて泣きわめく。父親は、これでは到底軍人になれないと不機嫌に言う。まるで自分自身の恥辱のように思われて、この子と話すときには思わずきつい口調になる。そうなると勢い母親は長男にはことさらに愛情を注ぐ。そして娘も弟を可愛がるのである。

ある日曜日の午後、家族の唯一の楽しみである散歩に出かける。ヨゼフィーネはしっかりと弟の手を引く。妻トリーナとしてはいくらかは着飾って市中の庭園喫茶に出かけて、ビールかワインを傾け楽団の演奏に耳を傾け、そのあと少し踊るというようなひと時が望ましいのだが、夫はただ橋を渡り川向うまで歩いて田舎びた質素な居酒屋で黒パンと濃いミルクを飲む、という過ごし方を求めるのである。

「ヤン・ヴィレム」像のあるマルクトプラッツまで来て、「税関門」 Zolltor の方へ降ってゆくと、もうそこにライン川が見える!
歓声を上げてヨゼフィーネは駆けだした。この長いシッフブリュッケ(*)の踏板が自分の足の下で微かに揺らぐのが、そして板と板の隙間から川の流れを見るのが堪らなく好きだった。まるでラインの香りに酔わされたように、えもいえない藻とタールと湿った木材の匂いに酔ったように走ってゆくのだった。頭をそらし丸い鼻の鼻翼を膨らませ、両腕を拡げラインの風に向かって歓喜の叫びを上げながら走った。そして風はひゅうひゅう彼女に吹きかかり、両頬は暖かくほんのり赤く輝くのだった。
Mit lautem Jauchzen stürmte Josefine voran; es machte ihr ein unsäliges Vergnügen, die Planken der langen Schiffbrücke unter ihren Füßen leis schwanken zu fühlen und durch die Ritzen das Wasser unter sich strömen zu sehen. Sie rannte dahin, als hätte der Rheinduft sie berauscht, dieser köstliche Geruch nach Tang und Teer und durchfeuchtetem Holz. Den Kopf zurückgeworfen, die Flügel der kleinen Stumpfnase gebläht, die Arme ausgebreitet, lief sie dem Rheinwind entgegen, hell Glückschreie ausstoßend. Und der Wind pustete sie an, daß ihre Bäckchen leuchtender strahlten in einem warmen, weichen Rot.

Schiffbrücke um 1850 (Aus: Wikipedia.de)

母トリーナの表情も明るくなっていた。橋を渡り切って振り返って見ると、それは美しい眺めだった。波止場沿いの建物の窓という窓が陽の光を受けて鏡のように輝き、その奥にはいくつもの教会の塔がそびえ、古い宮殿ががっしりとした威容を見せている。その赤みを帯びた壁が明るい緑の流れにちらちらと映っている。
デュッセルドルフっ子のトリーナは、「ほら見て、リンケ!」とうれしげに指さす。夫の方はシュプレーは川幅ならラインにそんなに負けていないし、あんな古臭い物置のような館なぞ、ベルリンの宮殿の足元にも及ばんぞと心では思うが、きょうはいつものプロイセン風の辛辣さは表に出さなかった。気持ちはヨゼフィーネだけに向いていた。
Stolz wies die Düsseldorferin hinüber. "Kuck ens, Rinke!" Er meinte zwar, die Spree gäbe dem Rhein an Breite nicht viel nach, auch könne sich der alte Rumpelkasten da mit dem Königsschloß zu Berlin nicht messen; aber er betonte heut doch nicht mit gleicher Schärfe, wie sonst bei jeder Gelegenheit, sein Preußentum. Sein Hauptinteresse war bei Josefine.
-- Clara Viebig: Die Wacht am Rhein (1902)
ヨゼフィーネは花咲き乱れる草原へ小鳥のように飛び込んで、大声をあげ草をなぎ倒し駆けまわる。弟ヴィルヘルムはやはり母のスカートにつかまったまま。父親が、姉を見習えと言って母から引き離そうとすると、ワーワー泣き出した。そこで息子を守るべく母親はヨゼフィーネを呼びつけ、「また何て荒っぽいの、このお転婆が」と手を上げると、「楽しいの」と言って眉ひとつ動かさず打たれる。歯を食いしばってキッと堪えているところを見て父親は「この娘には名誉心がある、俺の血を引いている!」と思うのであった。
* Schiffbrücke はデュッセルドルフと対岸を結ぶ浮橋。1839年に架けられ1898年に撤去された。


洪水 Hochwasser ― 『ラインの守り』 (4) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

日曜日の散策の折、軍曹一家はシッフブリュッケを渡って訪れたガーデン・カフェーで上官のフォン・クレールモン大尉の家族と偶然に出会ったことから、ヨゼフィーネは同い年のツェチーリェ嬢の遊び友達となった。またそのとき傍にいる男の子を見て、「子供なのに軍服を着ている! 本当の、本物の軍服!」と目を見張ったが、それはツェチーリェの兄ヴィクトールで、やがてはポツダムで近衛隊に入ることを目指す11歳の幼年学校生だった。

この日曜日以来、ヨゼフィーネはクレールモン大尉の家に毎日のように出入りする。ヴィクトールとも公園の塀をよじ登ったり、シュペ―の濠に降りて行って魚釣りをしたりカエルを捕まえたり紙舟を浮かべたりして遊んだ。父軍曹は身分の高い将校の家庭に出入りする娘の栄誉を誇らしく思ったが、母やラーティング通りの祖父母はむしろ貴族との交際を案ずるのである。

ある日のこと、普段より早く帰宅したヨゼフィーネはものを食べようとも遊ぼうともせず、母の問いかけにもただ黙って首を振るだけ。父軍曹が、「なんだ、ヨゼフィーネ、どうしたんだ?」と訊くと、彼女は激しく泣きじゃくりながら父の首に抱き付いた。ヴィクトールが幼年学校に戻って、町からいなくなったのだった。

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それから数年たって。軍曹一家には5番目、6番目の子供が生まれていた。狭い家に、生まれてすぐに亡くなった一人を除いて、5人の子供があふれる状態になったので、祖父母チルゲス夫妻が長男のヴィルヘルムを引き取って育てることになった。ヨゼフィーネは修道院学校に通って4年になり、母を助けて弟たちの面倒も見ている。父軍曹は学校のことはわからないので母親と祖父母に任せきりである。彼ももう40歳台、髪に白いものが混じってきて、ずっと続く平和な時代に焦慮している。1813年と14年の解放戦争の時は幼くて戦場に行けず、そのあとはひたすら訓練のみ。戦場で祖国のために身を投げ出す機会が来ることを熱望している。

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今日は12月6日、聖ニコラウスの日。四週間の休暇で自宅に戻っていたヴィクトールは、聖マルティヌスの祝日(11月11日)前夜、提灯(*)を掲げ持った子供たちが "Zint Mäten, Zint Mäten!" (Sankt Martin) と叫びながら練り歩く雑踏の中でヨゼフィーネと再会した。彼はすでに士官候補生になっていた。それから毎日のように会っていたのだが、明日はいよいよ部隊に帰る日である。ニコラウスの日に贈る風習となっている人型のパン菓子「ヴェックマン」を、さてどのようにしてヨゼフィーネに手渡せるか、朝から頭を悩ませている。

その年はラインの水かさが高くて、街の川に近い一帯は洪水に見舞われていた。ヴィクトールはその様子をヨゼフィーネと一緒に見たいと思っていた。兵営前の通りを行ったり来たりしていると、彼女が姿を見せた! だが末の弟のカールの手を引いている。「この子もラインを見たいというし、ラーティンガー通りの祖父母の店にも行かなきゃ、地下室が水浸しなの!」と彼女は言う。これから長らく会えなくなる最後の日なのに地下室の水を見るのが第一なのか、とヴィクトールは苦り切った。
彼の不機嫌には気づくこと無く、ヨゼフィーネは楽しげにおしゃべりする。あのね、毎年の年初め氷が流れて雪が解けるときには、水が地下室に上がってきて、町中の水路や運河が溢れ、向こう岸の草原も水に浸って柳の茂みがポツンポツンと立っているのが見えるの。でも冬の初めこんなに早く洪水が来ることってなかった。いまは道路も水浸しで ―― 彼女は嬉しそうに手を打って言う ―― 税関門やライン通りなんか小舟で行き来しているんですって。
Sie merkte nichts von sener Verstimmung, lustig schwatzte sie. Nun hatte sie schon alle Frühjahr, wenn das Eis trieb und der Schnee schmolz, das Grundwasser in die Keller steigen, sämtliche Gossen und Kanäle der Stadt übertreten und auf den Wiesen der andern Seite die Weidenbüsche wie vereinzelte Haarschöpfe herausstehen sehen; aber so früh im Winter war noch nie Hochwasser gewesen. Jetzt waren Straßen überschwemmt, und -- jubelnd klatschte sie in die Hände -- am Zollthor und in der Rheinstraße sollten sie mit Kähnen fahren.
さあ、見に行きましょう、見に行きましょう、とヨゼフィーネは彼を急き立てる。大勢の人々が河岸へ向かっている。次第に道が滑りやすくなってゆき、濡れた足跡だらけ。敷石の間からも水が浸みだし、カビ臭いにおいがする。更に進むと、マルクトプラッツあたりはもうヤン・ヴィレム像の足元も水がひたひたとなっている。通りの両側の家の窓からは女たちが顔を出している。男たちは小舟を操り、水やらパン屋らジャガイモを棒の先に掛けて窓まで伸ばしている。そして、そんな男たち女たちがみな、笑って、笑って、笑っている!

Christel Aretz(Hrsg.): Clara Viebig "Mein Leben".
Autobiographische Skizzen. Hontheim 2002


ラーティング通りの《美彩鳥》までやってくると、表は敷居まで水が来ている。玄関でヴィクトールは急いで「ヴェックマン」を彼女の手に押し付ける。家の中はまだ無事で祖母は三人を歓迎してくれる。祖父は、こんな時期に洪水になるなんて、最近デュッセルドルフがおかしくなったからこうなんだ、新しい道を作る、鉄道、工場・・・悪魔の仕業だよ、とぼやく中、孫娘はヴィクトールに合図して、二人で地下室に降りてゆく。真っ暗である。ヨゼフィーネはマッチを擦ってろうそくを灯す。
辺りの光景が目に入った。きらきら光る階段の数段下には、もう水が来ていた。インキのように黒く、じっと動くこと無く、広い天井の下にあった。大きな楕円形のたらいが階段の柱の脇で小舟のようにぷかぷかと浮かんでいた。
Jetzt sahen sie: wenige glitschige Stufen hinunter, und da war schon das Wasser. Schwarz wie Tinte, regungslos stand's unter dem Gewölbe. Eine große, ovale Waschbütte schaukelte wie ein Nachen am Treppenpfosten.
二人はたらいに乗り込んでゆらゆら水の上を漂う。ヴィクトールはぎごちない動きをして、たらいはぐるぐる回り、揺れ、底が階段の最下段にぶつかる。ろうそくが消える。たらいは横倒しになったが、ヴィクトールはヨゼフィーネをしっかりと抱え、階段に降ろす。そして彼女を抱いたまま、明日隊に戻ると告げる。
「僕のこと忘れないかい。」
「ない、忘れないわ!」
そして彼は彼女にキスをする。彼女はキスを返す。真っ暗闇の中で。彼は足が水につかっていることを感じない。彼女は膝までのスカートがびっしょり濡れているのを感じない。ただ感じていたのは、ひそかな戦慄が乙女の恥じらいとなって全身を疾駆していることだけ。

"Wirst du mich auch nicht vergessen?"
"Ne, och ne!"
Da küßte er sie, und sie küßte ihn wieder. Ganz im Dunkeln. Er fühlte nicht, daß seine Füße im Wasser standen. Sie fühlte nicht, daß ihr halblanger Rock durchnäßt war; sie fühlte nur den heimlichen Schauer, der ihr leise, in mädchenhafter Scham, über den jungen Körper rann.
-- Clara Viebig: Die Wacht am Rhein (1902)
―― この場面でもって『ラインの守り』第一巻が終わる。
* もともとはカボチャをくり抜いたランタンであったが、このころから次第に紙製に代わっていった。フィービヒの時代には日本の提灯が広く使われるようになっていたという。(Ch. Aretz(Hrsg.): Clara Viebig "Mein Leben", S.169)


十七歳 Siebzehnjährige ― 『ラインの守り』 (5) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

時は流れて1847年。リンケ軍曹の長女ヨゼフィーネは17歳になっていた。14歳で娘が学校を卒業すると、母トリーナは《美彩鳥》に足繁く通うようになった。下の子供たちも頻繁に祖父母をのもとを訪ねる。そこに預けられていたヴィルヘルムは仕立て屋へ徒弟奉公に出ていた。父軍曹には長男を家に連れ戻す理由は取り立てたなかった。父の関心はもっぱら長女ヨゼフィーネに向いていた。
健康で朗らかで誠実、十七歳の娘は父の目にそのような姿に映っていた。力強い腕で家事をこなしているところを見ると、父は喜びで心臓が高鳴った。よく台所のドアに忍び寄っては洗濯桶に向かっている娘の様子を窺った。衣服をたくし上げて立っていた。コルセットを脱いでブラウスの袖を見せて洗っていた。疲れを知らぬ丸々とした腕がアルカリ液の中に沈み、石鹸の泡が散ってブロンドの髪にまで飛んだ。そしてよく響く声でいつも歌っているのだ。朗々と楽しげに ―― 駐留する兵隊たちがみなこの娘に夢中になるのも不思議はなかった。
Gesund, wohlgemut und ehrlich, so stand die Siebzehnjärige vor des Vaters Augen. Das Herz pochte ihm vor Freuden, wenn er sie schaffen sah mit starken Armen. Oft schlich er heimlich hinter die Küchenthür und belauschte sie am Waschfaß. Hochgeschürzt stand sie, ihre Kleidertaille hatte sie ausgezogen und wusch in Hemdärmeln. Unermüdlich tauchten ihre runden Arme in die Lauge, die Seifenflicken spritzen ihr bis auf's blonde Haar; und immer sang sie mit schallender Stimme, so voll, so lustig -- kein Wunder, daß die ganze Kompagnie in sie verschossen war.
この娘の婿となるべき人間をリンケ軍曹は隊の中で物色していた。そして白羽の矢を立てたのがコンラーディ Conradi だ。体格は申し分なく、ブランデンブルク州ではないもののプロイセン出身であった。ケーニヒスベルク近郊の農家のせがれで、長男が農場を継いで、彼にはそこそこの金額を分け与えてくれていた。父軍曹は、自分は金のことは気にしないが、娘の将来にはそれは望ましい案配だと思った。

コンラーディは下士官として勤めてすでに12年になるが、このまま軍人を続けるのではなく国家憲兵になるべく準備していた。「憲兵も軍人とそう違いはあるまい」とリンケ軍曹は自分に言い聞かせた。

母トリーナは自分たち家族が、そろそろ老齢となった祖父母の店に移って、ヴィルヘルムが ―― 仕立て屋などになるより ―― 店を引き継いでくれたらと考えていたが、リンケには全くその気がなかった。上官もそろそれ別の仕事を考えたらどうだとほのめかす。周りの誰もが自分に生き方に敵対しているような、そのような状況がリンケを憂鬱な気分にさせていた。

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ある冬の日のこと。ヴィルヘルムは毎日曜日に奉公先から実家へ顔を出すのが、父から科せられた義務であった。その日、いつになっても来ないので皆が心配しているところ、たばこの臭いをぷんぷんさせてやってきた。徒弟仲間に無理強いされてたばこを吸ったのだ。それに酔っ払ってもいて、祖父母の店で気付けにビールを飲んだとのこと。

父軍曹は激怒した。厳しく問い詰め激しい勢いで折檻する。母も娘も懸命に父を止めようとした。母はこの頃では以前のように夫の言いなりになること無く、子供のこととなると臆せず自分の意見を主張する。娘も父を止めようとする。父はますますいきり立って「どこをほっつき歩いていたんだ?」ののしり、ついには母娘を部屋から追い出して鍵をかけ、息子のズボンを降ろさせて棒で何度も何度も打ち据えた。繰り返し、繰り返し。そしてしばしの静寂の後、「よし、もう行っていいぞ!」と言う父の声が母娘に聞こえた。

翌日夕刻、いったん帰宅した後、軍曹は雪に覆われた街をヴィルヘルムが徒弟奉公している仕立て屋へ出向く。昨夜は眠れなかったし、今日の昼間の勤務中も注意が散漫であることに気づいていた。息子の様子を確かめないとどうにも落ち着かないのであった。仕立て屋では職人はすでに仕事じまいをしていたが、ピッカルト親方だけが「この頃ときたら、連中は一時間でも残業するって気はないね。パリ風なのか、新流行なのか」とぶつくさ言いながらなお働いていた。軍曹が、うちの子は? と尋ねると、いないよとの答え。朝早く体の具合が悪いからしばらく実家に帰らせてもらいますといって荷物をまとめて出ていった、とのこと。

父軍曹は息を切らせて《美彩鳥》へ走る。老人二人が静かにストーブの前に座っていた。話を聴いて祖母は取り乱し夫に抱き付いて泣く。軍曹はまた外へ飛び出す。決まりの時間が近づいて彼は兵営に戻り大隊副官に報告義務を果たして、また探しに出るが、夜、町中は静まり返り、月光の中、深々と冷えこんでいる。ホーフガルテンのベンチで若者が眠り込み、凍死した、というような話も耳にした。父軍曹はホーフガルテンへ辿り着いてくまなく捜し歩く。「ヴィルヘルム! ヴィルヘルム!」と叫びながら。やがて、夜に走り回っても無意味だと思った。皇太子と皇太子妃がお住まいになっている宮殿が見えた。なお明かりがともっている。
心を落ち着け先へ進んだ。上から道を照らす明かりが穏やかな慰めのように彼を受け止めた。
誠実、勇敢そして忠実 ―― この三つ ―― 責任そして名誉 ―― だが名誉というのが一番大きなものだ!
あいつは、ヴィルヘルムは兵士ではないとしても、兵士の息子としても「名誉心」が何たるかを知っていなきゃならない、それを学ばねばならない。 ―― 軍曹は首を振った ―― 俺は厳しすぎたなんてことはないんだ!

Ruhiger ging er fort. Gleich einer sanften Tröstung nahm er noch einen Lichtschimmer von da oben mit auf den Weg.
Treue, Tapferkeit und Gehorsam -- diese drei -- Pflichtgefühl und Ehre -- aber die Ehre ist die größte unter ihnen!
Und war sein Wilhelm auch kein Soldat, als Soldatensohn mußte er wissen, was 'Ehre haben' heißt; er mußte es lernen. Nein -- der Feldwebel schütterte den Kopf -- zu streng war er nicht gewesen!
次の朝早く、彼はヴィルヘルムの失踪を妻に告げた。彼女はちっとも取り乱すことなく、息子は《美彩鳥》に戻っています、と言う。否、いなかったと言われても、昨日もマリア様の前で額づき、夜眠る前には守護天使に息子のことをお願いした彼女には確信があった。行ってみると果たして彼は夜中に戻っていた。飢えて、凍えて、老夫婦の家の窓を叩いたとのこと。ヴィルヘルムはベッドに寝かされていた。母が着いたあと小一時間して父がやってきた。父は息を殺してベットに近づく。昏々と眠っていた息子が身動きし聞き取れない言葉を口にした。「夢を見てるんだ」と祖父。「大丈夫だよ、お前」と母は息子の額の髪を撫でる。と、そのときヴィルヘルムは目を開いた。
しかし目を開けた彼はその場の誰をも見ていなかった。そして父の立っている方向へ彼の無表情な視線が向いたそのとき、目が大きく見開かれ ―― それはほんの一瞬で、すぐにおびえて目を閉じた。何か聞き取れない声を上げ、布団を頭の上まで引き上げて壁に向きを変えた。
Aber keinen von diesen sah der Erwachende. Da, wo der Vater stand, dahin richtete sich stier sein Blick. Seine Augen wurden überweit -- nur einen Moment, dann preßte er sie schaudernd zu. Mit einem unartikulierten Laut, die Decke ganz über Kopf ziehend, kehrte er sich stracks ab gegen die Wand.
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春になった。父軍曹の上官、フォン・クレールモン大尉の娘ツェチーリェ嬢の縁組が整った。お相手はフォム・ヴェルト氏。裕福な工場経営者の息子である。彼自身は金利で生活しているが、モーゼル河畔にワイン畑を持ち、ライン河畔に御殿を持っている。飢饉で苦しむアイルランド(*)の人々を支援するバザーで彼女を見染めたのである。

結婚式の日。ツェチーリェ嬢は同い年の幼馴染み、ヨゼフィーネはその晴れ姿を見たくて駆け付けた。式場のフォルカー通りの教会前は人ごみでごった返していたが、何とかすり抜け前へ出て待った。長い時間待ってようやく婚礼の一行が現れた。正装した人々が続く。そして新郎の父と母、先導の若い士官と令嬢たち、その先頭の士官が彼女にはもっとも素敵に見えた。そして、父に手を引かれて花嫁が現れ、小さな少女たちがその前に花を撒く。そのあとから義母と腕を組んで花婿。鐘が鳴り響く。人々は首を伸ばし、つま先立ちになる。花嫁が現れた。ヨゼフィーネは「まあ、きれい!」と声を上げそうになった。

娘が家に戻って興奮して様子を語るものだから、母もその夜、娘と連れ立って、披露宴会場のホテルへ見物に出かけた。やはり多くの人々が集まっていた。新郎新婦はその夜に新婚旅行に出発するとのこと、駅まで送る馬車がすでに待機していた。やがて扉が開き音楽が漏れ聞こえてきて、新郎新婦が登場したが、旅行用マントを羽織った姿で馬車に乗り込むと、すぐさま馬車は遠ざかってしまった。あっけなかったが、新郎新婦を導いてきた若い士官はしばらく馬車を見送って立っている。

そのときヨゼフィーネの後ろで、「あの方、新婦のお兄さんよ」という声が聞こえた。
えっ! あの素敵な、スマートな士官、ヴィクトールなの? ヨゼフィーネは心の底から笑ってしまった。本当だ、あれはヴィクトールだ。きょう教会の前で花嫁を先導してきたとき、あの時すぐに気付かなかったなんて。そうだあの人だ、あの人じゃないの! わたし、どこに目をつけていたのだろう? あの人が、本物が立っているじゃない!
士官は興奮冷めやらず満足そうだ ―― と、なにか口ずさんでくるっと振り向いた ―― チャーミングなこと ―― ちょっと高慢そうでもあり ―― りりしく毅然として! あのヴィクトールが!
彼女は嬉しくてもう少しで手を打ち鳴らしそうになった。つま先立ちになり背伸びをした。呼ばなきゃいけないかしら、と思った。ねえ、ここよ、ヴィクトールったら、私はここよ! と。

Was?! Der schöne, schlanke Offizier: Viktor?! Josefine lachte in sich hinein -- wahrhaftig, das war der Viktor! Daß sie den nicht gleich erkannt hatte in dem ersten Brautführer heute vor der Kirche! Das war er ja, das war er ja! Wo hatte sie denn nur ihre Augen gehabt? Da stand er leibhaftig!
Erhitzt war er und vergnügt -- jetzt trällerte er und drehte sich am Bärtchen -- lieb sah er aus -- auch ein bißchen hochmütig -- riesig forsch! Ne, der Viktor!
Sie hätte in die Hände klatschen mögen vor Vergnügen, stellte sich auf die Zehen und reckte sich; es war ihr, als müßte sie ihn anrufen: Du, pst, Viktor! Ich bin hier!
-- Clara Viebig: Die Wacht am Rhein (1902)
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* 1845年から1849年にかけてヨーロッパでジャガイモの疫病が大発生し、貧しいアイルランドは "Great Famine"(大飢饉)に襲われた。100万人を超える餓死者と出生率の低下、130万人のアメリカへの移民などで、飢饉以前に800万人を数えた人口は1911年には410万人にまで減少したと言われる。