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拾遺集、拾参 Aus meinem Papierkorb, Nr. 13



絵描きになる! Maler werden! ― 『ラインの守り』 (11) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

10月のある日の午後、最新のパリモードを身にまとったシュナーケンベルク夫妻がカゼルネ通りをやってくる。きょうは戦争で片足を失ったフェルディナントが衛戍病院を退院して故郷に戻ってくる日である。自分たちの家に来るよう伝えたが、本人は姉のヨゼフィーネのところに帰るという。母と義父の住まいのあるケーニヒ通りは遠いと言う。

本当に歩けないのか、それとも来たくないのか。本当に歩けないなら車を用意するのに。母ティーナは子供たちがいつまでも自分の再婚を恨みがましく思っているような様子が気にかかる。子供たちの義父となった彼は、こんなにいい人なのに!

フェルディナントと末っ子のカール ―― この子は海軍に行って船と共に行方不明だ ―― とは長い間会っていない。この二人の息子がデュッセルドルフにいたのはもう6年も7年も前のことになる。兵営のそばを歩いていると、ティーナには前夫のことが思い出される・・・物思いにふけっていて危うく通り過ぎそうになったところで、小さな表示板を見つけた。

ヨゼフィーネ・コンラーディ、旧姓 リンケ
杖、パイプ、掃除用具、あらゆる種類の
軍人必需品

ドアの前、その看板の下にフリッツが立っていた。きょうは何かおろおろした様子だ。「叔父さんはいるよ。でもお母さんは悲しそうなんだ。」 夫妻は店に入る。椅子から松葉杖をついて立ち上がった息子に母ティーナは抱きつくが、息子は杖に手ががあるので母を抱けない。ヨゼフィーネの頬を涙が流れる。シュナーケンベルクも体をそむけ何度か鼻をすする。中身のないズボンの片脚を正視できないのだ。

母ティーナは「ああ、可哀想に、ああ、可哀想に」と泣き止まないが、フェルディナントは突慳貪に振り払い、「そんなに嘆かないで!」と、今の身に可能な限りですっくと立って、軍服の胸に掛かっている栄誉章を示す。「これはただでは貰えないんだよ。これが授与されたとき、衛戍病院じゃあ、盛大にお祝いしてくれたんだ。分かってくれるだろうが、こいつは特別な名誉なんだ!」

しかし、母も娘もお祝いは言わなかった。母はハンカチを顔に当てて座ったまま、娘は唇を震わせて弟を見つめるだけだった。ただシュナーケンベルクだけが握手をし、肩をたたき、「おめでとう! 勇敢な祖国の防衛者! 万歳、万歳!」と言った。フェルディナントは顔を輝かせ、その夜、義父の行きつけの店へ行く約束をした。

弟はいっぺんに義父に好意的になるが、ヨゼフィーネにはわだかまりがある。たしかに義父が示してくれた多くの親切には感謝するが、デュッセルドルフに帰ってから亡き父のことがしきりに思われるのだ。シュナーケンベルク夫妻が去った後、「ねえ、お父さんはどう言うでしょう」と思わず口に出すと、フェルディナントは勲章を手にして「お父さんだって、これが貰いたかっただろう」と言って、自分が負傷したときの顛末を、もう何度も語ったに違いない話しぶりで、話し聞かせるのだった。

それから当分の日々、近所の子供たち、女たち、店に買い物に来た元兵士に、さらには出かけていった居酒屋でもみんなにちやほやされ、彼は尊大になり、人に世話させるのが当然という態度になっていく。

ヨゼフィーネはいまだ喪服で過ごしている。しかし時々、衣装ケースを開けて昔を思い出す時間がある。中に亡夫が最後のクリスマスにプレゼントしてくれたものもある。まだサイズが合うかしらと身に着けてみる。なんだか気恥ずかしいし黒い喪服を脱ぐ手の指が震える。子供たちはどう言うだろう。ペーターはこれまでも、「お母さん、喪服はもう止せば。似合わないよ」と言っていた。ペーターの言うとおりだわ、喪服を脱いだからといってあの人のことを忘れた訳じゃない。

衣装ケースのほかに小さな木の小箱がある。娘時代のさまざまな小物の中にあった小型の本を手にしたとき、身震いした。かつて愛し合っていた人から貰った本だ。開いてみると、涙の跡が! 本の上で泣いたのだ。
なじかは知らねど心わびて
昔のつたえは ――
小声で口ずさむ。美しい歌だ。ゆっくりと本を閉じる。小箱には二枚の紙片もあった。一枚は亡夫コンラーディが詩を記してくれたカードだ。それを見ているとしきりに涙が流れる。夫のことでこんなに泣いたことはなかった。思い出がよみがえる。あの人は私を娶ってボーヴィンケルの小さな家に迎えてくれた。私のことを気遣ってくれ、非難めいた言葉は一度も口にしなかった。いつも静かで落ち着いていた。

向かいの衛兵所で声がして彼女は物思いから呼び起こされた。あら、もう巡視の時間かしら、フェルディナントはまだ戻らない。窓を開けて外を窺った。馬車も人影もなかった。どっしりとした兵営の建物が左右に広がっていた。
そのとき、おそらく生まれて始めてだろうが、この建物がいかにも醜いものに見えた。しかし彼女はその気持ちに抵抗した。とういうのもペーターがいつも、この退屈な兵営、これ以上汚らしいものはこの世にないと言い募るからそうなったのだ。まあ、そうかも知れない -- 建物の方に親しげな視線を送って -- それでも好きなのだ。突然、激しい衝動に襲われた、また一度入ってみたい、また一度あの重い扉を、あの営庭 -- 私の営庭 -- の扉を押してみたい、と。上の軍曹住居には誰か住んでいるのかしら?! 一度母に尋ねたことがあったが、母は顔をちらっと曇らせ、「知らないよ」と言うのみ。
母はきっとあの頃を思い出すことに何か物怖じするところがあったのだ。娘としてはそれはよくわかった。

Jetzt fiel's ihr auf, vielleicht zum erstenmal, wie häßlich eigentlich der Bau war. Aber sie wehrte sich gegen den Gedanken; denn den hatte ihr ja nur der Peter eingeblasen, der schimpfte immer über die langweilige Kaserne und fand sie so garstig, wie gar nichts anderes auf der Welt. Nun, mochte er -- sie nickte vertraulich hinüber -- ihr war sie trotzdem lieb. Eine plötzliche Sehnsucht überkam sie, einmal hinein zu dürfen, einmal sich wieder gegen das schwere Thor zu stemmen, das den Hof -- ihren Hof -- verschloß. Ob jemand oben in der Feldwebelwohnung wohnte?! Sie hatte schon einmal die Mutter danach gefragt, aber ein Schatten war über deren Gesicht geflogen: 'Ich weiß et nit.'
Die Mutter hatte eine gewisse Scheu vor den Erinnerungen an jene Zeit. Und die Tochter begriff das wohl. --
小箱ににあったもう一枚は死の直前に父の書き残した紙片。こちらは罫線の入った学習ノートの一枚だ。す べ て に 勝 る 名 誉!

夜更けに馬車のごろごろという音が聞こえて、フェルディナントがシュナーケンベルクに送られて帰ってきた。二人とも酔いつぶれている。どうやら義足を作ることになったらしい。二人とも上機嫌だった。

* * * * * * * * * * * * * * *

ヨゼフィーネの店は繁盛した。だから物価、特に肉の値段の高騰は激しいものの、人々の嘆き苦しむ声に同調することはなかった。この11月にデュッセルドルフはこれまでの第16連隊に代わって新しく第39連隊が駐留することになった。営庭は陽気な新兵で満ち溢れ、営舎は蜂の巣のように賑やかになった。
そして: リンケ -- リンケ -- この名前は16連隊ではよく知られていたが、それがまるで遺産のように39連隊にも伝えられた。リンケ、かつての軍曹、-- ヨゼフィーネ・リンケ、軍曹の娘、美人だ、ここで買わなきゃ!
Und: Rinke -- Rinke -- das war ein Name, der den Sechzehnern sehr geläufig gewesen, nun ging der wie ein Vermächtnis auf die Neununddreißiger über. Rinke, einstmaliger Feldwebel, -- Josefine Rinke, Feldwebelstochter, hübsche Frau, bei der mußte man kaufen!
子供たちは、下のフリッツヒェンはしっかり母の手伝いをしてくれるが、上のペーターときたら商いにはまったくセンスが無い。そして哀れなのは弟のフェルディナント。彼には何もかもが苦悩の種。それが単なる怠けなのか、本当に足が痛むのか、本人はいつも「ああ辛い、悲惨だ」と嘆いている。彼の気分は冬になって、いっそう悲観的になった。秋まではドアの前で座っているときに、子供たちや女たちも何かと声をかけてきたが、次第に傷痍兵に対する人々の関心も薄れていった。
「こんなものなのさ」と彼は吐き捨てるように言った、「連中は俺たちが体を張って戦ったことをもう忘れたのさ! その結果が13ターラーの傷痍年金だよ、これぽっちでどうなる? 何の足しにもなるものか。俺の脚の重さだけ金塊でくれよってことだ。それでも十分てことは無いがな。俺の脚、ああ俺の脚!」
"Natürlich," sagte er bitter, "jetzt vergessen sie, daß man seine Haut zu Markt getragen hat! Un dreizehn Thaler Invalidenpension, was is denn das? Gar nix. So viel wie mein Bein gewogen hat, müßten se mir in Gold geben, un dann wär' es auch noch nich genug. Mein Bein, ach, mein Bein!"
義父のシュナーケンベルクが世話をしてくれ、オーバービルクの腕扱き職人ブラントによる義足が出来上がってきた日、みなが集まって首尾はどうかと見守った。だが試着しての第一声は、面倒を見てくれた義父に礼を言うのも忘れて、「重い、鉛のように重い!」であった。「まあ、歩いてごらん」と母が言うが、「歩けない」と。義父は「あいつ、ブラントがしくじったんだな。訴えてやる。」

ヨゼフィーネは手を貸そうとするが、邪険に振り払って「ああ、死んだほうがましだ!」 そのときフリッツが母につぶやいた。「はじめに練習しなくちゃ、歩けないよね」。そうだ、そうだ、ブラントもそう言っていたと義父、そしてみながそのことに思い至った。シュナーケンベルクは「賢い子だ、堅信礼になったら金時計をあげる!」と褒めた。また義足を贈られた当人も、フリッツを招きよせてキスした。胸に希望が膨らんだのであった。母は感動して小さな子を見つめる。この子は父コンラーディから多くを受け継いでいる。冷静、思慮。そして名づけ親の弟フリードリヒから、実践的なものの見方を継いでいる。

ペーターの方を見ると、真っ青になって、とつぜん部屋を飛び出した。こういう光景は耐えられないのだ。繊細な心の持ち主だった。もう一度弟のフリードリヒと相談しなきゃと思った。来年1月から学校へやると決めていたが、だがペーターは「絵描きになりたい」と言い張る。ああ、デュッセルドルフに出てきたのは間違いだったかしら、ペーターにはボーヴィンケルにいたほうが良かったのではないだろうか。あちらに留まったとしてもやはり絵描きになる、と言い出しただろうか。

次の年の初め、フリードリヒがエッセンからやってきた。もっと早くにきてくれると思っていたが、クルップ社はパリ万博に出展する製品作りで繁忙を極めているとのこと。そのとき大きな企業はみな万博に出品する製品作りに余念がなかった。万国博覧会はあらゆる企業家の心をとらえる機会であった。フリードリヒも近いうちに、資金ができたら独立して事業を始めたいと考えていた。彼はこの間さまざまな発明をして、特許も一つ獲得していた。「いま僕は技工長だ。まだ若いし20年もしたら、クルップと張り合える。砲弾でなければ、鉄道線路で。鉄道は世界へ広がっていく。」

こんな怪気炎をひとしきり聞いた後、ヨゼフィーネはペーターの将来の話題に持ってゆく。彼の進路、絵描きになりたいという希望について話し合うことにする。ペーターを呼ぶが、どうやら家から逃げ出したらしい。本人が直接叔父と話すのがいいと思っていたが、本人がいない中でやむなく母が事情を説明する。
「で、姉さんはもう半分は賛成しているのだね、顔を見ればわかるよ。だったら、フィーナ、気でも触れたんじゃないか?」
彼女は顔を赤らめどう応えていいか分からなかった。というのも弟の顔は《絵描きだって、やれやれ、狂っているよ》と言っているようで、自分がどれだけ息子の希望を叶えてやりたがっているか、感じさせられたのだ。[中略]
「それほど馬鹿げたことでもないんじゃないかしら」と彼女は、ちょっと苛立って言った。「あの子には才能があるし。」
「才能ね」--フリードリヒはまったく動じることは無かった --「フィーナ、どうしたらいいかと訊かれたら、こう言いたいね。あの子には手に職をつけさせなさい、職人には黄金の未来が拓けているんだから。」

"Un du bis auch schon halb dafor, ich seh' et dir ja an. Fina, biste dan jeck?"
Sie wurde rot und wußte nichts darauf zu entgegnen, denn jetzt, wo der Bruder ein Gesicht machte, wie: 'Maler, puh, Verrücktheit', fühlte sie, wie sehr sie dem Jungen die Erfüllung seines Wunsches gegönnt hätte. [...]
"So en Tollheit ist dat doch nit," sagte sie endlich, ein wenig gereizt. "Er hat Talent."
"Talent" -- Friedrich ereiferte sich gar nicht -- "ich will dir wat sagen, Fina, wenn du mich frägst, dann sag' ich der, laß de Jung' en Handwerk lernen. Handwerk hat ene joldene Bodem [sic]."
これからの時代、才能のある人間なら機械工、技師にするのが一番いいとフリードリヒは主張する。でも、それは芸術ではないでしょうと言うと、機械も大芸術なのだ、きちんと動作させること、大砲を装着すること、鉄道のレールを敷くこと、坑道を掘ること、これは絵の具をべたべた塗って絵を描くなんかより凄いことなんだ。絵など、もし工業家が買ってくれなきゃ、どうなる、暖炉の燃料にもなるかい。本当にそれで生涯食っていける才能があるのか。下手な絵描きで飢えて過ごすのではないか。

ヨゼフィーネは黙ってしまう。才能があるかないか、誰にもわからない。そこへフェルディナントが口を挟む。あいつに才能は無い、まったく無い。そしてポケットから紙片を取り出して二人の前に広げた。「こんなものを見つけたんだ--クソ坊主め!」 それはフェルディナントが居酒屋で何人かの仲間とカード遊びをしているところを描いたもの、「あいつめ、道化面くらいしか描けない! 才能のかけらも無い!」 その絵を見るとしかし、酒を飲んでカードをしている様子が、わずかな筆の線ではっきりと見て取れる。右左に仲間がいる。フェルディナントの鼻が大きな胡瓜のようになって真っ赤な色が塗られている。大きすぎる口を開けて。

ヨゼフィーネはこみ上げる笑いをこらえきれずに噴出したので、フェルディナントは腹を立てて出て行ってしまった。フリードリヒも笑いそうになっていたが、弟が酒を飲んだりカード賭博をすることをはじめて知ったようだった。「ねえ、フリードリヒ、ペーターがまともな人間になるよう、援けてね!」姉弟はしばらく抱き合っていた。

ペーターが戻ってきた。「さあ、自分の思っていることを言いなさい」と声をかけるが、ペーターはうつむいて押し黙ったまま。叔父の言葉をじっと聞いていたので、絵描きになるなんぞの希望は馬鹿げたことと本人が納得したのだと思って、機械技師は満足して帰っていった。母が遠来の客のために特別に作った料理「鼻面と耳片」(*)と自家で漬け込んだザウアークラウトもペーターには味が分からなかった。頬の赤みはすっかり消えていた。

その夜、ヨゼフィーネが床に就こうとすると、息子の部屋から物音がする。しばらく様子を窺っていると、「工場、ああ、吐き気がする工場」と寝言が聞こえる。脚をつっぱって呻いている。「お母さん!」と叫ぶ。ヨゼフィーネがたまらず手で子供の頬を撫でる。するとすぐに目覚めて、
「お母さん、明かりを点けて、真っ暗じゃない! ああ、ぼくは夢を見ていたんだ、嫌な恐ろしい夢」-- 深いため息をついた -- 「お母さん、お母さん!」 激しく興奮して身体を前後に揺する。額と両手は熱くなっている。「お母さん、」 と突然叫んで固く抱きつく。「ぼくは本当に絵描きになってはいけないの?」
その必死な口ぶりが母の心を締め付ける。不安に震える手を自分の手で握り締めながら、ベッドの彼の横に腰を下ろした。暗闇の中で母の声は流れた、ビロードのように柔らかく。叔父が言ったことを繰り返して言った、なにもかもこと細かに説いた-- だが納得させることはできなかった。あくまでも「絵描き!」と言う。そう、そのときやっと彼は口を開いて話をすることができた。じゃあ、なぜ叔父さんにそう話さなかったの? [中略]
「あー、あの人たちときたら! 何にもわかっていないんだよ。金儲けのことしか考えていないんだから。お母さん、お母さん、ぼくはお母さんが青い服を着ているところ、金髪のお母さんを、額に入れて飾る絵を描くんだ、ありのままのお母さん、ぼくに笑いかけてくれるお母さんを描きたいんだ。絵描きになったら飢えたりしないよ。大丈夫だよ、いい、お母さん、いいかい?」 そして母の腕の中に飛び込んで激しくキスをするのだった。

"Mutter, mach doch Licht an, et is ja stichdunkel hier! Och, ich hab' jeträumt, so eklig, so gräßlich" -- er seufzte schwer -- "Mutter, Mutter!" In einer großen Aufregung warf er sich hin und her, seine Stirn und seine Hände glühten. "Mutter," sagte er plötzlich und packte sie fest an, "soll ich dann wirklich nit Maler werden?"
Sein Ton schnürte ihr das Herz zusammen. Seine unruhigen Hände in die ihren fassend, setzte sie sich zu ihm auf der Bettrand. Durch die Dunkelheit glitt ihre Stimme, weich wie Sammet. Sie wiederholte ihm, was der Onkel gesagt, sie setzte ihm alles auseinender, sie redete ihm zu -- es half nichts, er blieb dabei: 'Maler!' Ja, jetzt konnte er reden. Warum hatt er denn all das dem Onkel nicht gesagt?! [...]
"Och, de! De versteht da ja doch nix von. De denkt nur an Jeldverdienen. Mutter, Mutter, un ich möcht' dich doch malen in deinem blauen Kleid, mit deinem blonden Haar, auf en Altarbild, so wie du bist, un wie du mich anlachst! Verhungeren werd' ich schon nit, wenn ich Maler werd', davor bist du ja da, jelt, Mutter, jelt?" Er warf sich in ihre Arme und küßte sie stürmisch.
息子を抱きしめる腕の力が自ずと強まった。けれどもその希望を認めてやることはできなかった。「フリードリヒ叔父さんの言うことをよく聞きなさい。お前にアーヘンバッハやクナウス(**)のような才能がなければ、どうなる? 弟の面倒は? 私が年を取ったら--」と言うが、「お母さんが年を取る? そんなこと誰も想像できないさ。お母さんは年を取らないよ、いつまでも若いよ!」

「お願いだから、叔父さんの言うことを聞いて、そして -- 」と言いかけると、「やめて、お母さん、どうしても絵描きになってはいけないと言われても、ぼくは工場にはぜったい行かないよ。工場になんか行けないよ!」
* Schnüßkes und Oehrkes (Schnäuzchen und Öhrchen) はデュッセルドルフの郷土料理で、塩漬にした牛(豚?)の頭部(鼻面と小耳)を煮込んだものらしい。たっぷりのザウアークラウトを添えて食べる。
** Andreas Achenbach (1825-1910) , Ludwig Knaus (1829-1910) いずれも当時の著名な画家。


マラン・アタ Maran atha ― 『ラインの守り』 (12) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

例年ならデュッセルドルフで四旬節の中日(*)の市が立つころにはすでに春が訪れているはずだが、この年は冷たい雨ばかりが続き、運河の堤のスミレがまだ咲かず、ラインの水嵩も高くて、ホーフガルテンの木々も首をすくめたままだ。

兵営ではヴィルヘルム王の70歳の誕生日を祝う行事が盛大に行われる。ヨゼフィーネの店では白い皮手袋のクリーニングが増える。目端の利く弟のフリードリヒがクリーニングという副業を勧めたのだった。パレードや閲兵があるたびに仕事が舞い込む繁盛ぶり。兵士ばかりか士官まで店の常連客となった。

市民と軍隊の関係は、昔とは様変わりして、良好で近しくなっていた。国王の誕生日は市民も一緒になってお祝いした。人々に憎まれていた榴弾王子(**)ヴィルヘルムはいまや老齢の王で、しかも戦争となればいつも勝利を収める統治者であった。みな式典の始まりを告げるラッパを待ち受け、パレードには何千もの市民が押しかけた。学校は休校になった。

昨夜、軍楽隊の帰営行進が華やかに通りを進んでいるとき、多くの市民に混じってヨゼフィーネも子供と一緒に行進した。店に戻ると一等兵のフックレンブルッフが来ていた。ヴェストファーレン出身の若い兵士でヨゼフィーネに熱をあげ、最近も国王誕生祝賀会のダンスに誘ってきたのだ。断ったのだが、またも誘う。「じゃあ、ほんとうに、まったく、だめでしょうか、マダム・コンラーディ?」と、まるで自分の運命は全てその答えにかかっているかのような必死の表情だ。驚いたことに弟のフェルディナントも「行ったらいいよ。ずっとふさぎ込んで生きてきたのだから、ちょっとは楽しんでもいいだろう」と後押しする。きっとこの若い兵士から買収されてされているのだ。

そのとき下士官のシュミットが姿を現す。ベルリン出身で39歳の彼もヨゼフィーネにご執心で、つまり二人のライヴァルが顔を合わせたわけだ。シュミットも熱心に誘っているようだが、断られたのをみてフックレンブルッフは心の中で快哉を叫ぶ。シュミットが去って、ヴェストファーレンの若者は、自分も誘いを断られたものの、幸せな気分になった。だがそのあと主計士官が手袋のクリーニングを頼みに来て、これまた舞踏会へ誘う様子に、はらはらが続く。

ヨゼフィーネが多くの誘いをはねつけるのは、何より息子のペーターのためだった。弟のフリードリヒが見つけてきたグラーフェンベルク通りの親方の工場へ行くように言われて、ペーターは病気になった。「ああ、工場、工場! いやだ!」 あたりを徘徊し、顔から血の気が無くなり蝋のよう、医者に見せると萎黄病にかかった女の子と同じだと言われた。結局は、息子の希望に丸ごと沿うわけにもいかないので、塗装工のクレーマーの作業場へやることで折り合いをつけた。そこは一見アトリエとも見えるような所であり、塗装という仕事にはペーターもまずまず満足であった。さしあたりは塗装職人として建物や中庭の壁を塗る、そのあと油絵具へと進むのだ・・・

夏も盛りとなり、聖体祭もとっくに過ぎて、39連隊がハンメルブルクの戦いの記念祭を催すころには、ペーターは波打つ髪につば広のフェルト帽をかぶり、いっぱしの美術専攻生の風采になっていた。以前フリードリヒ叔父からもらったお金はすぐさまシュルテ画廊(***)の展示権の購入に使っていた。いまは鑑賞するだけだが、やがては自分の作品を展示するつもり ―― 母の絵を。平日は塗装の仕事、日曜日には母の肖像画を描く、そんな日々が始まっていた。

* * * * * * * * * * * * * * *

シュナーケンベルク夫妻はパリ万国博を訪れていた。帰りには買える限りのありとあるものを買いこんできた。ケーニヒスアレーの家はまるで展覧会場の形相を呈していた。玄関からしてペルシャの長絨毯であった。客間の絨毯はカイロのもの、家の隅と言う隅にはたん壺が置いてあり、それはココナッツの殻であった。

シュナーケンベルクは各国の君主も来訪すると聞いてパリ行きを決めたのだった。パリではナポレオン三世の皇后ウジェニーの気品と美貌に感銘を受けた。プロイセンのヴィルヘルム王妃アウグスタも素晴らしい女性だったが、ウジェニーには及ばなかった。シャンゼリゼ通りでクリノリンを身に着けシニョンの髪型の皇后を見かけたときの興奮。そして傍らの、短いズボンに赤い靴下のルル王子の可愛いこと!

パリ ―― パリはまさしく世界の首都であった! 多くのデュッセルドルフ市民はシュナーケンベルク夫妻と同様パリを訪れた。この夏はパリ詣でが良き趣味となった。また目端の利く商人はパリの品物をデュッセルドルフで売った。パリからの到来物こそ価値があるのだった。祖父母の買い求めてきた品物を見てペーターは眉をひそめた。高価なものばかりだろうが、なんとも趣味がよくないと見えた。パリの人びとはもっと進んでいる、特に芸術の分野では。プロイセンの首都へ行こうなどと誰も思わないのはなぜか。ベルリンには芸術などこれぽっちもないのだ!

ペーターはいつもパリ行きを夢見ている。クレーマー親方のもとでの年季が明けたらパリへ、喜びと、美と、芸術の都会へ行くのだ。そこで自分は塗装工から、本物の芸術家になるのだ。いまの職場もそこそこ満足だ。色彩があり、絵具の匂いがある。親方はペーターの上達ぶりに驚いている。仕事の一部は安心して任せられるのだった。型が決まった仕事はなお未だしだが自由に装飾する部分では「奴にはアイデアがある、才能もある!」と親方も舌を巻く腕前だった。

8月20日、国王ヴィルヘルムはケルンのフローラフェスタに臨席する途中、デュッセルドルフを訪れた。国王が駅に到着すると、教会の塔には巨大な W の文字が燃え上がった。庁舎も、イェーガーホーフも、兵営も、市役所も、光り輝いていた。特に「ホテル・プロイセン王子」のイルミネーションは大掛かりなものであった。盛大な歓迎行事が繰り広げられた。延々と続くたいまつ行列、セバスチアン防衛隊が先頭で、沿道の両側を埋めてゆく。

ヨゼフィーネはパレードを見るつもりはなかったが、母を訪ねる道で行列に行きあたった。つい先ごろまで王を罵っていた市民がいま歓声を上げていることに驚いたが、馬車の国王の姿を見て、「あの方が王様か、父が望みをかけていた支配者か」と思うと心の奥底で何か強く疼くものがあった。王は満面の笑みを浮かべている。ヨゼフィーネの心は熱くなった。「王様万歳」の叫びが湧き上がる。知らず知らず彼女も声を合わせて「王様万歳」と叫んでいた。

感動で呆然と立ち尽くしているところに、「おや、君も見に来たの?」と声をかけてきたのはシュナーケンベルクであった。ヨゼフィーネは「あのお方をご覧になって?」 とまだ興奮冷めやらぬ様子で尋ねた。
「見ましたとも。なんといいお方だろう」とシュナーケンベルクは言った。「感じのいい人だ。それにフォン・ビスマルクが一緒でないのがいい。あれがいると気分が悪くなったに違いない、なにせ ―― 」
話を中断した。「お母さんの所へ急いで行ってやって、フィーナ、今日は亡きヴィレムの誕生日なんだ。お母さんは朝から晩まで部屋に籠るんだ。本当に痛ましいよ。いつも言うんだ、ミサを一つ上げてもらいなさい、ふたつでもいい、もうとっくに亡くなって埋められているからってね。でもそれを言っちゃいけないんだ。すごく機嫌が悪くなるんだ。一日中泣き暮らすんだ。ほんと、たまらないんだから!」

"Och, eja, en janz nette Mann," sagte Schnakenbert. "Ene janz artige Mann. Et is ens jut, dat de von Bismarck nit mit derbei war, da wär' et unjemütlich jeworden, denn de --"
Er unterbrach sich. "Lauf ens bei de Mutter, Fina, du weißt doch, heut is dem selige Willem sein Jeburtstag, da is se janz aus 'm Häuschen. Och, jemmich! Ich sag' es ja immer, laß en Mess' für ihn lesen oder auch zwei, de is längst tot un begraben. Aber dat darf mer beileib nit sagen, dann wird se falsch. Se weint der janze Tag; et is wahrhaftijens Jott unjemütlich!"
彼はラーティング通りの酒場ユールへ行った。ヨゼフィーネはケーニヒスアレーへ向かう。行ってみるとシュナーケンベルク夫妻の家は電飾で光り輝いていた。中に入ると新しい家具がいっぱい。母は奥の部屋であった。失踪した息子ヴィルヘルムの誕生日にはいつも奥の間に閉じこもる。「あの子は戻ってくる、きっと、きっと戻ってくる。」 毎年一度、この日はここに籠って一年分の涙を流すのであった。

海軍に行っていた末っ子のカールが、何年も前に、いまは海軍二等兵曹として通報艦に乗っている、と便りをよこした。海軍では出世が速いというが、でもほとんど会えないし、音沙汰なしだから悲しいことだった。「あの子は戻ってくる、きっと、きっと戻ってくる」と呟き続けるが、母は末っ子のカールのことはあまり気にかけず、ただヴィルヘルムのことだけを思っているのがヨゼフィーネはよくわかっていた。夜になって母のもとを辞した。
ヨゼフィーネは寝苦しい夜を過ごした。夢にうなされた: 時には舗道の縁石に立って万歳を叫んでいた。時には母の部屋で座っていた ―― 《あの子は戻ってくる、きっと戻ってくる!》 しかし別の声が冷たく言う: 《二度と戻って来ない!》 ―― 国王が親しげにこちらに頷きかける、ヨゼフィーネも頷き返す。と、国王は手を伸ばして言う: 《お前は余に何を差し出すのか?》 ―― 王は彼女の心臓を掴んだ ―― 彼女は大声を上げる ―― その叫びとともに目を覚ましたが、全身が寝汗でじっとりと濡れていた。
In dieser Nacht schlief Josefine unruhig. Sie träumte: Bald stand sie auf dem Prellstein und schrie Hurra, bald saß sie in der dunklen Stube bei der Mutter -- 'Er kömmt wieder, sicher un jewiß, er kömmt wieder!' Aber eine andre Stimme sprach hart: 'Er kommt nie wieder!' -- Und dann nickte ihr der freundliche König zu, und sie nickte wieder. Da streckte der König die Hand aus und sprach: 'Was giebst du mir?!' -- Er griff nach ihrem Herzen -- sie schrie laut auf -- und wie sie schrie, erwachte sie, ganz in Angstschweiß gebadet.
翌日もパレードが行われ、多くの人が王の姿を見ようと、ゾルツハイム原野へ出かけた。午後には町は静かになった。王はシュルテ画廊の展示を観覧し従軍画家カンプハウゼンのアトリエをお訪ねになった。シュルテ画廊では一枚の絵をお買い上げになった。その絵のタイトルは 《新兵たち》 だった。

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デュッセルドルフは繁栄し豊かになっていた。商工業ではともかく芸術や公園造成ではライヴァル都市のケルンをはるかに凌ぐところまで来ていた。街の偉人を顕彰しようという機運も盛り上がったが、さて誰を選ぶのかとなるとなかなか一致しない。インマーマンの没した家にプレートをつけるか? 劇場監督だっただけじゃないか、騒動も起こしたし。ペーター・コルネリウスの記念像を建てることにはだれからも異議が出なかった。ハインリヒ・ハイネを推す人はあまり多くなかった。

しかし新しくできた鉄道橋を「ヴィルヘルム王橋」 König-Wilhelm-Brücke と命名すること、芸術アカデミーの祝賀祭とピウス9世 Pius IX の記念祭に予算を支出することには異論がなかった。カスパール・ショイレン教授は司教の50年祭を祝う水彩のポスターを描いた。街の裕福な市民の家にはこのポスターが貼られた。1869年の12月にはポスターにカトリック公会議を記念する飾りが付けられた。

1870年、前年と同様の穏やかな気分で新年が始まった ――
静かな池の水面に石が投げられたように、バチカン公会議は教皇不可謬説(****)を教義として布告して、新年の静けさが破られた。波紋は次第に大きくなり、不安の波が高まった。賛成の声、反対の声。町中で議論が沸き起こった、兵営でも、ヨゼフィーネの店の中でも。彼女は目を見張って兵士たちの議論を聞いていた。教皇が、人間が間違いを犯さないなんてありうるのだろうか?
昨年の10月からペーターも向かいの兵営にいる。修業時代は終わって、クレーマー親方は半年の休暇をくれた。この期間にすぐさま義務年限を果たす以上に賢明なことはあっただろうか。そうしたら自由の身、パリへ行かせてくれるよう母を説得するのだ ―― そしてパリで芸術家になるのだ!
Seit Oktober steckte der Peter auch drüben in der Kaserne. Seine Lehrzeit war um gewesen, der Meister Cremer hatte ihm ein halbes Jahr geschenkt. Was hätte er denn Klügeres machen können, als gleich seine Zeit abdienen? Dann war er's los, und dann würde er die Mutter schon herumkriegen, ihn nach Paris zu lassen -- und da würde er ein Künstler werden!
兵営での軍務はペーターにはもちろん面白いものではなく、演習はまったく無駄なことと思われた。それでも貧弱な身体だったのが却って良かったのか、過重な訓練を課されることがなく、また母の崇拝者が多くいたのも幸いして、無事に日々が過ぎていった。

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冬が去り、全デュッセルドルフが春を寿いだ。市民が群れを成して新緑の郊外へ、ハム村のヘッカーの居酒屋へ繰り出した。そこではライン川に新しく建設中の橋が見えて、そして名産のアスパラガスとマイワイン( Maiwein 車葉草で香りをつけたポンチ酒)が味わえるのだった。「絵具箱会」でも動きが始まった。古いヤコービ庭園の木々のざわめきに誘われヴィーナス池のカエルが鳴き始め、若い絵描きたちも喉を競った。ラインの流れは再び春の波立ちで古い旧城館の横を流れてゆく。ホーフガルテンではナイチンゲールが歌いくたびれている。

《マラン・アタ》という不可解な名前で、新聞紙上で倦むこと無く講演会への来場を呼び掛けている男は何を言おうとしているのだろう。「もうすぐわれらの主は光輝いて再来される! 」と宣べている。あれは狂ってる! と皆は思うが入場無料なので、面白半分で講演会に多くの人が押しかけた。

Der letzte Tag eines Verurteilten それ以外では町は何もなかった。全く何もなかった。ただある若い画家の、それまで名前が知られなかったミヒャエル・ムンカチィ(*****)という画家の絵《死刑囚の最後の日》が話題になった。人々は絵の前で半ば感動し半ば驚いて立ち止まった。ペーターも、自分とあまり歳の変わらない作者の絵を見て、熱い涙が溢れてきた。興奮して家に戻ると、母に熱く語るのだった。「お母さん、あれこそ絵画と言うものなんだ、お母さんも観なきゃいけない。あの男の、犯罪者の、こぶしを握って椅子に座る姿 ―― 祈祷書が床に落ちていて、様子を窺いにやってきた人々がみな男をじっと見ている ―― 子供が父と母の間にいる、何も分からずに。この母の姿、こんな絵は誰も描いたことがなかった。芸術とは何かが、わかったよ。ぼくもこんな絵を描くのだ!」

暑苦しい7月となった。朝から雷雨がやってきて昼には通り過ぎるが、雨が降っても涼しくならない。夕方も朝と同じ、夜も昼も灼熱の暑さだった。雷雨は至る所で農作物に被害をもたらした。農民は憂慮しながら自分の畑と稲光を振りまく空を見ている。苛酷な熱気がのしかかるように町の通りを覆っていた。

「マラン・アタ、時の兆しをしかと見よ!」と、あの奇妙な男が壇上で語った。講演会場のボックハレには、いまでは面白がって行く者だけでなく、余りにも異常な気候のため不安に囚われた聴衆が詰めかけるようになった。そんな折、町に漠然とした噂が流れ始めた。フランスがプロイセンに戦争を仕掛けている! 人々はにわかに信じなかったが、しかし噂は次第に広がっていった。冷静な人々は、いや、兵営が普段と変わらないから心配はない、もし何かあれば兵営に動きがあるはずだ、戦争なんて絶対あり得ない、スペイン王座の継承問題でさほどフランスがいきりたつようなことはない、と周りを安心させようとした。
しかし ―― 奇妙なことに ―― また市民を面食らわせる出来事が生じた。毎晩ホーフガルテンで若くて美しい声が聞こえる。朗々と響いてはるか遠くの茂みにまで届く。《奴らのものにはならないぞ、自由なドイツのライン川は!》
散歩の人びとは皆立ち止まって耳を澄ます。すぐに多くの人々が集まった。しかし聴衆がいくら喝采の拍手をしても歌い手は現れず、姿を見せないままだった。あれは何だ ―― どこから聞こえてきたのだ ―― どういうことなんだ?!

Aber -- merkwürdig -- es ereignete sich wieder etwas, was die Bürger stutzig machte. Abend für Abend ließ sich eine junge, schöne Stimmer im Hofgarten vernehmen, die, schmetternd und langgezogen, bis in die fernsten Büsche drang; 'Sie sollen ihn nicht haben, den freien, deutschen Rhein!'
Alle Spaziergänger blieben stehen und lauschten, es sammelte sich rasch viel Publikum; aber so sehr auch die Zuhörer Beifall klatschten, der Sänger ließ sich nicht sehen, er blieb verborgen. Was war das -- von wo kam das -- was sollte das bedueten?!
「マラン・アタ、時の兆しをしかと見よ!」 えもいえぬ不安が心に忍び寄ってきて、人々は息をひそめる。そのとき、暗雲垂れこめる空に雷光が走った。エムスでフランス大使のベネデッティがわが国王に、ナポレオンのとんでもない非礼な要求を突きつけたぞ! そして天をつんざく雷鳴のように、宣戦布告!

7月15日の午後、町の至る所にエムスから送られた国王の電報が張り出される。戦争だ、戦争だ! 「動員がかかった。しかしちょっと突然だ」とヨゼフィーネの店に来た下士官シュミットが言う。一等兵のフックレンブルッフもやってきて、「突発事故だよ!」と叫ぶ。兵隊たちも突然の宣戦を、なにか自然災害のように感じている。それで人々は最初は静かだったが、次第に興奮が高まっていった。

ライン川を寄こせなんてとんでもない奴らだ。《我々のラインだ ―― 奴らのものになるものか! 国王と祖国に神の祝福あれ!》 突然の熱狂が人々を捕えた。いまや市民と兵士の間に区別はなかった。誰もが侮辱され、大切なものに手出しされたと感じた ―― 王と祖国とライン ―― 道路を走り回って、居酒屋でテーブルを叩いて、声高に叫び声が挙がった。来るなら来い、悪党ども、フランス野郎!

しかし真剣に憂える顔もあった。フランスと戦うのは大変だ、子供の遊びじゃない。外でまだ幼い子供たちが棒を肩に担いで行進して過ぎるのを目にして、心が痛むのだった。若者たちはもう動員の準備が終えている、いつでも出発できる。
夜遅くまで兵営通りでは市民も軍服を身に着けたものも入り混じって落ち着かない様子で行き来していた。はじめに声を出したのは誰なのか、わかるものはいなかった。おそらく澄んだ子供の声だったが、ときおり野太い男の声も混じった ―― 7月の夜の、いまにも雨がき降りそうな生温かい闇を通して大声で朗々と響いていた、あの歌、《ラインの守り》が。
Bis in die Nacht hinein wogte es in der Kasernenstraße unruhig auf und ab, Bürgertracht und Uniform einträchtig bei einander. Wer zuerst angestimmt, wußte man nicht, helle Knabenstimmen mochten es wohl gewesen sein, aber kräftige Männerbässe fielen unverweilt ein -- durch die dunkelschwüle, gewitterbange Julinacht zog laut und klangwoll das Lied von der 'Wacht am Rhein'.
午後、母が取り乱してやってきた。夫は保養のためカールスバートへ出かけている。戦争の噂があるので、帰って来るよう手紙を出していたが、「フランス人は礼節ある人たちだよ、戦争なんかにならない、ナンセンスだ!」と返事を寄こしたという。一人きりの所へフランスが攻めてきたらどうしよう? とおろおろしている。ヨゼフィーネは母を落ち着かせ、フェルディナントと一緒に電報局へ行かせた。

夜遅くになってペーターが家に顔を出す。「戦争だよね、どう言っていた? 戦争だよね!」と声をかけると、陰鬱な顔で、ぼくも行かなきゃいけないんだと言う。ヨゼフィーネはこれまで息子の出征ということを本気で考えたことはなかった。いきなり恐怖が全身を走った。膝ががくがくして、よろめく身体を壁に手をついて支えた。押し殺した叫びを上げて息子を抱き締めた。息子はそれ以上何も言わず、向かいの兵営へと消えていった。
その夜ヨゼフィーネはずっと眠れなかった。夜遅く居酒屋から帰る者たちの騒ぎのせいではなく、夜中過ぎに荒々しく帰宅した傷痍軍人の喧騒のせいでもなかった。何か別のものが彼女の眠りを追い遣り、涙で枕を濡らせた。あのペーターも行かなきゃいけない! 朝の太陽が兵営の屋根を黄金に輝かせる頃になってやっと眠りに落ちた。
ごく短時間の眠りが与えられただけであったが、目覚めると力がみなぎっていた。父がベッドの脇に座っていてくれたのだ。 ――

Heute Nacht schloß Josefine kein Auge; nicht das Lärmen der spät aus den Wirtshäusern Heimkehrenden, nicht das Rumoren des Invaliden, der lange nach Mitternacht stürmisch Einlaß begehrte, raubten ihr die ruhe. Etwas andres vertrieb ihr den Schlaf und ließ ihre Thränen aus's Kissen fließen: der Peter mußte mit! Endlich, spät gegen morgen, als die Sonne das Dach der Kaserne längst mit Gold überschüttete, schlummerte sie ein.
Ein kurzes Stündchen Schlaf war ihr nur vergönnt, aber sie erwachte wunderbar gestärkt -- ihr Vater hatte an ihrem Bett gesessen. --
一夜明けて、昨日の興奮から覚めて市民の家々、飲食店、道路は、落ち着きを取り戻す。しかし静かな中で着々と準備が進められる。その日、動員令が発せられたのだ。若者の群れが兵営へと流れ込んでゆく。まだ幼い少年、大学入学を控えた生徒、若い徒弟たち・・・武器を持って行進できるのだろうかと心配になるような若者ばかり。しかし彼らはみな志願兵なのだ。

そのような若者が目の前を行くのを見てヨゼフィーネは大きな感動に捉えられた。おお、急ぐこと急ぐこと、きゃしゃで肩幅の狭い若者たち、息子よりも若い者も混じっている。こんな感情に襲われたことはかつてなかった。喜びであり同時に苦痛である感覚。自分の涙を恥じるのだった。

町中が動いていた。靴屋や仕立て屋に注文が殺到し、樽や箱が携帯食料事務所に集められ、大急ぎで様々な委員会が設置された。毛糸の下着がこの暑さにもかかわらず大量に買われた。赤十字の看護婦が戦傷者の受け入れ態勢を整え、6人の看護婦が戦場に行く準備を終えた。兵営では夜昼の区別が無くなった。士官たちは暇が無く兵士よりも忙しく任務に当たっていた。すべての家庭で大きな娘から幼い娘まで古布で繃帯を縫っていた。

ヨゼフィーネは自分の息子の出征準備に追われるだけでなく、あれやこれやを買い求めに店を訪れる多数の若者の応対に多忙だった。磨粉、靴墨、便箋、帳面、鉛筆、財布、嗅ぎタバコ。多くのものが小型の聖書を求めた。弟のフリードリヒは手助けに来てくれなかった。クルップ社も昼夜分かたず操業していて、各地からの注文に追われていた ―― 大砲、大砲また大砲、そして重火器。フランスとドイツだけでなく全世界が軍備に走っているようだった。

国民の「祈りの日」が定められ、その日はプロテスタントの教会は鐘を打ち鳴らし、カトリックの教会では荘厳ミサと午後に祈りの時が行われた。プロテスタントの牧師は質素な説教壇から「神が王と祖国と共にありますよう!」と叫び、「主が汝らを祝し守らんことを、主が汝らをみそなわして平安を与えられますよう、アーメン」と宣べた。カトリックの神父は絵画で飾られ乳香の漂う聖堂で「神が王と祖国と共にありますよう!」と叫び、十字を切った。「神の恩寵とすべての聖人のお執り成しが汝らにありますよう!」

ヨゼフィーネは仕事をしながら自分が何をしているのか分からなかった。機械的に身体が動いていただけである。考えることは息子のペーターのことばかり。ペーターはめったに家へは戻ってこなかった。美しい筆跡が重宝がられて、毎晩遅くまで軍曹のもとで書類書きに働かされていたのだ。
* 復活祭に先立つ四旬節の断食(節制)期間は灰の水曜日から始まるが、デュッセルドルフでは中間に「断食中日」 Halbfasten とか「薔薇の日」 Rosentag と呼ばれる中休みがある。
** ヴィルヘルム一世は1861年64歳で即位。皇太子時代のベルリン三月革命 (1848/49) の鎮圧にあたって捕虜にした多数の革命家や人民軍志願兵部隊を処刑して民衆の間で憎しみをもって榴弾王子 Kartätschenprinz と呼ばれた。しかし58年に国王代行となってからはリベラルな姿勢も示し、全土でひろく人気を得るようになった。
*** アレー通り (Alleestraße 42) で Eduard Schulte が書店と画廊を経営していた。現在も Haus u. Privatgalerie Schulte として同所にある。
**** 1870年の第1回バチカン公会議でピウス9世が教皇不可謬の教義 Dogma von der Unfehlbarkeit を認めさせた。カトリック教会以外のキリスト教諸教派(正教会・東方諸教会・聖公会・プロテスタント)は当然これを認めないが、ドイツ、オーストリア、スイスのカトリック教会の中からも疑問が示された。オーストリアを排除しフランスに勝利したプロテスタント・プロイセン主導のドイツ帝国への対抗という意味もあったとされる。
***** Mihály von Munkácsy (1844-1900) ハンガリー出身の画家。1868年から70年 までデュッセルドルフの芸術アカデミーでルートヴィヒ・クナウスに師事した。 'Der letzte Tag eines Verurteilten' はその間に描かれた。