Top > Nachlasse > Papierkorb-Index > Papierkorb 14

拾遺集、拾四 Aus meinem Papierkorb, Nr. 14



シュピッヘレン Spicheren ― 『ラインの守り』 (13) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

この夏一番のきれいに晴れ渡った日曜の朝だった。きょうはデュッセルドルフの若者たちが出征する日、コンラーディ未亡人の小さな庭の板囲いに白バラの花束が掛かっている。それはとめどない涙のために重く垂れ下がっているように見える。この夜、ヨゼフィーネは一睡もしなかった。ペーターは最後の夜、軍曹の特別の計らいで自宅で過ごすことを許された。疲労困憊のペーターは昏々と眠った。ベットの脇に座ってヨゼフィーネは深夜から空が白むまでまで息子の手を握っていた。かつて幼い頃に病気で臥しているとき、また悪夢にうなされたときのように。息子からひと時も目を離さず、涙がとめどなく頬を流れるのにも気づかずに。

家の中ではペーターの伯父と弟のフリッツが出立の準備を手伝っていた。ヨゼフィーネは一人で見送りたかったので外で待った。息子が出てきた。すでに身なりは整っていたが背嚢はまだ手に持っていた。具合はどう? と尋ねても、答えること無く、母の視線を避けるように地面を見ていた。顔は唇まで真っ青であった。身体は小刻みに震えていた。
「怖いの、ペーター?」と声を絞り出して言った。腕を脇によけて、震える手で顎を持ち上げた。「怖いのね!」
「そうだよ!」 声を詰まらせて叫んだ。そして母の身体を伝って滑り下りるように膝をつき、両腕をまわして抱きしめ、ヘルメットを被った頭を胸に押し付けてきた。

"Bis du bang, Peter?" stieß sie heraus, ließ seinen Arm fahren und hob ihm mit bebender Hand das Kinn in die Höhe. "Du bis ja bang!"
"Ja, ja!" Er schrie es jäh heraus mit erstickter Stimme, und, an ihr niedergleitend, warf er sich auf die Kniee, schlang beide Arme um ihren Leib und drückte den behelmten Kopf an ihre Brust.
片脚を無くした叔父さんが間近にいる、ぼくもこんな悲惨なことになるのか! それとも死んでしまうか。こんなに若く、21歳だよ! 将来の計画、夢、何一つ実現しないんだ。ほら、空の青いこと、太陽が微笑んで小鳥がさえずっている、楽しんでいる。なのに、ぼくは戦争に行かなきゃいけない。ぼくは何か罪を犯したのだろうか? と絶望的なまなざしで母を見る。罪だなんてとんでもない、栄誉でしょう、多くの若者が喜んで出征するのに怖がっていてどうするのと説得するが、「喜んでなんかいない、口だけで万歳と叫んでいるんだ」と呟く。

母は、今度ばかりは違う、みんな誇りを持って行くのです。もしお前の祖父がまだ生きていたら、名誉とは何かを教えてくれたのに。今回は王様のためにだけ戦うのではないのです、私たち市民ひとりひとりのために戦うのです。怖がるなんて恥ずかしいこと、鉄砲の音が聞こえたら塹壕の中で臥せていなさい ―― そうしたらまた家に帰って来られます。
「落ちつきなさい、ペーター、落ち着くのよ! 不安なんかすぐに消えるから、今朝だけです。よく眠っていないから、こういうのに慣れていないからね。いいかい」 ―― 息子の両手を包むように握って胸に押し付けた ―― 「撃ち殺されることはありません、お母さんを信じなさい、撃ち殺されることはありません。私は未亡人でお前が私の長男で、私の」 ―― こみ上げてくるものがあったが、それを呑み込んだ ―― 「撃ち殺されることはありません、また戻ってきます!」
"Bis still, Peterken, bis still! Die Angst jeht vorbei, dat is nur heut morjen so, du has zu wenig Schlaf jekriegt, und du bis noch nit dran jewohnt. Lieber Sohn," -- sie faltete ihre Hände um die seinen und drückte sie so an ihr Herz -- "sie schießen dich ja nit tot, jlaub' mir, sie schießen dich nit tot. Ich bin en Witfrau, un du bis mein Ältester, mein" -- es kam ihr etwas in die Kehle, aber sie schluckte es herunter -- "sie schießen dich nit tot! Du kömmst wieder !"
本当にそうなんだろうか、そう言っているだけなのだろうかと、ペーターは母の顔を見る。これまで一度も見せたことのない表情であった。目には涙を浮かべていたが、微笑んでいる。微笑むことができるんだ! そしてこれまで耳にしたことのない言葉、それは呪文であり、同時に懇願であった。母の眼差しはペーターの目の奥深くまで差し込む。父がかつて自分に教えたことを、いまは息子に与えるのだ。《誠実、勇敢、忠実、責任そして名誉!》
「ぼくはだめだ、」ため息をついた。「ぼくには金輪際できない。お母さんに話したあの絵、《死刑囚の最後の日》のこと覚えている? もう女房子供のことすら目に入らない。ぼくも同じなんだ。ぼくはきっと死ぬ、二度と戻ってこない!」
母は《戻ってきます》とはもう言わなかった。いっそう力強く全身をすっくと伸ばし、視線はさんさんと朝日の射す空を見上げた。
それは無言の祈りであった。
「さあ、行きなさい」と彼女は言った。

"Ich kann nit," seufzte er, "wahrhaftijens Jott, ich kann nit. Weißte, dat Bild, von dem ich dir erzählt hab', 'Der letzte Tag eines Verurteilten'? De kümmert sich auch nit mehr um Weib und Kind. So is et mir. Ich muß sterben, ich komm' nie wieder!"
Sie sagte jetzt nicht mehr; 'du kömmst wieder', aber sie reckte sich noch straffer auf in ihrer ganzen stattlichen Größe, und ihr Blick richtete sich zum strahlenden Morgenhimmel.
Es war wie ein stummes Beten.
"Un nu jeh," sagte sie.
母は白いバラをヘルメットに挿して息子を見送った。
特別列車の仕立てられたオーバーカッセル駅まで向かう出征兵士の行進には大勢の町の人びとが随いて歩いた。ペーターは母が門口で立っている自宅の前を行進してゆく。通り過ぎる間際、母は駆け寄って一片の紙切れを息子の手に押しつけた。「これを持っていきなさい! さよなら、ペーター、さよなら!」

ヨゼフィーネはその日はどのようにして過ごしたか、覚えがなかった。店の品物も雑然となっていて、一つ一つ並べ直さなければならなかった。しかし夜になると、夜になると、悲しみが襲ってきた。泣きながらペーターのベッドの横に跪きその頭が載っていた枕にキスした。長い間そうした後、窓辺に立って兵営を見た。森閑として明かりの見える窓はなかった。
あの子たちは戻ってくるだろうか?! 《撃ち殺されることはありません》 とためらう息子に言った、 《戻ってきます!》 と。ああ! 両手を捩りあわせ、底なしの不安に苛まれ夜の空に高く差し上げた。
Ob sie je wiederkamen?! 'Se schießen dich nit tot,' hatte sie dem zagenden Sohn gesagt, 'du kömmst wieder !' O, mein Gott! Jetzt rang sie die Hände empor zum nächtlichen Himmel in tötlicher Ungewißheit.
各地からの出征兵士がデュッセルドルフを通り過ぎてゆく。昼も夜も列車が若者を運んでゆく。シュナーケンベルクは軍事輸送の合間を縫って二日二晩がかりでカールスバートから、ぼろぼろになって戻ってきた。そして、この艱難辛苦の旅行のつけはフランスに支払わせてやる、とばかりに獅子奮迅の働きをした。終日ヴァッサー駅で駆けまわって列車の出征兵士にさまざまな品物を配り続けた。煙草、これは上等の葉巻だった、《前進! パリを目指して! ドイツの兵士のための戦の歌、エーミル・リッターハウス(*)による》という小冊子、コニャックと薬草酒のボトル、下痢防止のウールの腹巻などだ。そして多くの委員会のトップで働き、あらゆるアピールに名前が欠けることはなかった。金に糸目はつけなかった。子供はいない、何のために貯金が必要だ?

教会、修道院では修道女が炊き出しなど奉仕活動に奔走した。兵営は将校クラブと食堂が清掃され塗装し直され、消毒されて衛戍病院になっていた。演習場にはバラックの建物が立った。ヨゼフィーネは絶えず向かいの兵営の様子を見ていた。まもなく最初の傷痍兵が送られてくるだろう。そうした時にふと胸が締め付けられることがあった。ペーターはこれまで三度便りを寄こしていた。戦時ハガキに鉛筆書きの簡単なものだが、その一行一行、一語一語から息子が落ち着いた状態であることは分かった。所属部隊はアイフェルを通ってトリアーに行軍しているようだ。

店は暇になってヨゼフィーネはすることもなく、家中を、庭から納戸まで歩き回っていた。屋根裏には彼女の肖像画が置いてあった。木箱から取り出し、その前に座り込んだ。それはこちらに笑いかけていた。堪らず、震える手で木箱に戻した。

家にいても落ち着かず、弟のフェルディナントと息子のフリッツが店番をするからと言うので、兵営へ行くことにした。以前の、とうの昔に休職していた中佐が衛戍病院の指揮官の任に着いていて、彼女を親しく迎えてくれた。旧姓を言うと、リンケ、リンケか、覚えている、兵士の血筋ならここはぴったりだ。そして一番大きな区域の担当に当てられた。第一営庭、すべての建物、かつての軍曹住区、士官クラブも含むブロックだった。

そこにはすでに病人が送り込まれていた。行軍に耐えられなかった病弱者であった。これから怪我人が運ばれてくるだろう。戦況についてはまったく情報が伝わらなかった。8月の初めまで重苦しい状態が続いていた。と、そこへ突如掲示が張り出された。
《ワイセンブルクにおける皇太子軍の血みどろの、輝かしい勝利》
この素晴らしくて恐ろしい衝撃が収まらないうちに、第二弾である、
《ヴェルトにおける勝利の戦い》
勝利だ、勝利だ、町中が歓声と興奮に包まれた。はじめは損害のことを、《血みどろ》を気にするものはいなかった。人々は新聞社に押しかけた。フランス人を何人殺した、捕虜は何人か、大砲は何門捕獲したか? 人々は詳しく知りたがった。8月7日から8日にかけて何時間もの戦勝祝いが続いた。眠ることなんか誰が考えたろう、勝利だ、勝利だ! 《マラン・アタ ―― 主の再来は近い!》 と叫んでいたあの男の言う通りだ、最後の審判がフランス人に下されたのだ。

ヨゼフィーネも誇らしかった、自分の息子も武器を取っていたのだ。しかし夜になり辺りが静まると心が締め付けられる。ペーターはどこにいたのだろう。最後の便りはザール川の露営地から届いた。どの方角に行軍するのか分からないと書いている、どうして自分にわかるだろう。どこにいるの、ペーター? 報道によると8月6日にシュピッヘレン(**)で戦闘があったとのこと。シュピッヘレンてどこ、おかしな名前だ。下の息子フリッツが学校で使う地図帳を取り出してきて、二人して顔を寄せ合って探したが見つからない。フリッツは、あそこには詳しい地図が張り出してあるから、と言って新聞社に向かった。

息を切らせて戻ってきたフリッツは「シュピッヘレンは小さな村なんだ ―― 地図にはシュピッヘル山が載っていて、そこに印がついていた ―― ザールブリュッケンからあまり遠くないところ」と報告する。ヨゼフィーネの膝ががくがくとなった。ペーターが最後に便りを寄こしたのはザールからだった。その近くで戦闘があった! ああ、短くても、一行でも、一語でもいいから、あの子の便りが届かないものか。

そうしたときに列車と船で最初の怪我人が運ばれてきたので、むしろ気が紛れた。フランス兵、将校、ズワーブ兵(***)、トルコ兵も混じっていた。多くの市民が押し寄せて、「フランス人だ、悪党だ、極悪人だ!」とその様子を眺めた。街灯の柱に昇ったり、屋根のひさしにぶら下がった子供たちがフランス兵に悪態をつく。靴墨を塗ったような黒い兵士、長身を汚れたマントでくるんだ兵士が、歯をかたかた鳴らしているのを見て、怒号は大きくなった。「おお、歯をむき出しているぞ、あんな獣をナポレオンはわれらの兵士にけしかけたのか?!」
「奴らを殺せ、汚い獣を殺せ!」
警察が来て、輸送を指揮する下士官たちが剣を抜いたので、事なきを得た。

多くの傷病兵が兵営まで馬車で運ばれるなかに、担架で運ばれる死者を目にして群集は後ずさりした。輸送途中に息絶えたのだろう、ドイツ兵なのか、フランス兵なのか、毛布で覆われた担架から片手がだらりと垂れ下がっていた。群集の雰囲気は一変した。叫びやまない子供を街灯の柱から降ろしてお尻をひっぱたく市民がいた。
しんと静まる中を行列は進んでいった。静かに、静かに! 次々に新しい傷病兵がラインから上がってくる。車で、担架に乗せられ、そして辛そうによろよろと歩く者たち。頭を布で巻かれた者が包帯で腕を巻かれた者につかまってよろめき進む。みな、プロイセンもバイエルンもフランスの軍服も入り乱れて ―― 哀れで、悲惨で、落ち込んで。軽傷者、重傷者、さまざまだがみな疲労困憊、ため息をつき、うめき声を上げて。 ――
Im tiefsten Schweigen setzte der Zug seinen Weg fort. Still, still! Immer neue kamen vom Rhein herauf, Wagen, Bahren und mühsam Daherschreitende. Der, mit dem umwickelten Kopf, sich taumelnd auf den stützend, der den Arm in der Binde trägt. Alles durcheinender, preußische, bayrische und französische Uniformen -- Arme, Elende, Beladene. Leichtverwundete, Schwerverwundete, aber alle todesmatt, seufzend, in Schmerzen ächzend. --
兵営のベットはすぐに全部ふさがった。医師がカテーテルを消毒し、新しい繃帯に手を伸ばす。看護の修道女が忙しく立ち回る。ヨゼフィーネも丈夫な腕で病人をベットに載せるのを手伝う。額に汗して働き詰めでものを考えることはできなかった。そして夜は、ペーターが出征して以来初めて夢を見ることもなく、ぐっすりと眠った。

シュピッヘレンの詳しい報告が届いた。
《想像を絶する規模の激戦。銃火で39部隊の兵士に大きな損害。》
町に衝撃が走った。39部隊、われわれの若者たちだ! それまで勝利に沸いていた人々の心が急激に醒めた。シュピッヘレンも勝利であったが、歓声を上げる者はなかった。ヨゼフィーネはこの報せを知らずにある重傷者のベットで働いていた。若いフランスの旗手だった。隣のベットで看護していた修道女がヨゼフィーネに話しかけてきた。
「家へお帰りなさい」と穏やかに言った。「お昼を済ませて、それに少しはお休みにならなければいけません。」
「あなたは、シスター?」
修道女は明るい表情であった:
「え、私ですか! 私は慣れております。それに表で男の子があなたのことを尋ねていましたよ。お子さんだと思います。」
「フリッツが? 何の用だろう?」 ヨゼフィーネが急に立ち上がったので、ベットの旗手が目を彼女の方に向けた。
「シッ!」修道女は肩を手で押さえた。「シッ! もうシュピッヘレンのことをお聞きですか?」
「シュピッヘレン?」 ヨゼフィーネはぎょっとして相手を見つめた。
「シュピッヘレンで惨憺たる戦闘があったのです、」 若い修道女はいとも穏やかな口調だったので、その声はまるでそよ風のように耳を撫でた。

"Gehen Sie nach Haus," sagte sie sanft. "Sie müssen Mittag essen und auch ein bißchen ruhen."
"Und Sie, Schwester?"
Die Nonne sah heiter drein:
"O, ich! Ich bin das ja gewöhnt. Und da ist auch ein Jung' draußen, der fragt nach Ihnen. Ich glaub', es ist Ihr Sohn."
"De Fritz? Wat will de?!" Josefine fuhr so hastig empor, daß der Fahnenträger die Augen nach ihr rollte.
"St!" Die Nonne legte ihr die Hand auf die Schulter. "St! Haben Sie schon von Spicheren gehört?"
"Spicheren?" Josefine blickte sie erschrekct an.
"Bei Spicheren ist eine mörderische Schlacht gewesen," sagte die junge Nonne so sanft, daß ihre Stimme wie ein Hauch das Ohr umschmeichelte.
若い修道女は静かに続けた。これが戦争というもの、こうして亡くなった方は、キリスト教徒としての死、永遠の生に旅立つのです。
* Friedrich Emil Rittershaus (1834-97)
** シュピッヘレン Spicheren(フランス語でスピッシュラン) はロートリンゲン(ロレーヌ)地域モーゼル県の独仏国境の町。戦闘でフランス軍は2万5千のうち320の死者、1660の負傷者、2100の捕虜を出したが、勝者であるプロイセン軍も総勢2万のうち死者850、負傷者4000を数えた。
*** Zuave 1830年ころから仏領アルジェリアで編成されたベルベル Berber 種族(北アフリカのモロッコ、アルジェリアなどに住む)から成る歩兵部隊の隊員。


伝言が ein Gruß ― 『ラインの守り』 (14) ―

クラーラ・フィービヒ『ラインの守り』から、続き。

息子の安否の報せは来ない。このあいまいな状態は何とかならないかと思うものの、いや、もうあいまいなことはない、恐ろしく確実なんだと思い直した。営庭で出会った時の中佐の無言の握手にもそれを感じた。8月12日には、ペーターが生きていたら便りを寄こすはずと、ヨゼフィーネは喪服を探し出して着用した。それ以外の服は着る気がしなかった。衛戍病院で黙々と、一心不乱に働いた。階段を昇り、降り、ベットからベットへ歩き続けて、足が腫れ上がっていることにも気づかない。修道女たちから、少しお休みなさいと言われるが首を振って階段を昇り、降り、ベットからベットへ歩き続ける。

8月13日の夜、暖かい夜気が営庭のカエデの木を包んで静まり返るなか、ヨゼフィーネの耳に女性の悲嘆の声が、続いて中佐の強く説得する声が聞こえてきた。
「奥様、ここにはいません、請合います! 奥様、落ちついてください! 無意味に興奮なさっています、彼はいません!」
二人の心配そうな娘の声が懇願した;
「ママ、ここにはいないって、聞いたでしょう! ママ、お家に帰りましょう、さあ、さあ! パパが報せを送ってくださいます! 行きましょう、さあ!」
「奥様、どうしてお疑いになるのですか。もしここにいれば、本官が知らないはずがありません!」
「でも、戦場で一緒にいた人たちがここにいます。負傷して! この人たちはあの子を知っていました。何か知っているに違いありません!」 悲嘆の声が一層高まった: 「この人たちに尋ねたいのです!」
「奥様、大変お気の毒ですが、入ることは許されておりません ―― 殊にこんな遅くには ―― 本官は ―― 奥様、明日早くもう一度探させます ―― 」
「私が尋ねなければなりません! いま、すぐに!」

"Gnädige Frau, hier ist er nicht, ich versichere Sie! Gnädige Frau, beruhigen Sie sich doch! Sie regen sich unnütz auf, er ist nicht hier!"
Zwei ängstliche Mädchenstimmen baten;
"Liebe Mama, hier ist er nicht, du hörst es ja! Mama, komm doch nach Haus, bitte, bitte! Papa wird ja Nachricht schicken! Komm doch, Mama, bitte!"
"Gnädige Frau, wie können Sie nur zweifeln? Wäre er hier, ich müßte es doch wissen!"
"Aber Leute sind doch hier, die mit ihm in der Schlacht waren, Berwundete! Die haben ihn gekannt. Ach, sie müssen ihn ja kennen!" Der laute Klageton wurde noch lauter: "Die will ich fragen!"
"Gnädige Frau, so sehr ich bedaure, der Eintritt ist nicht gestattet -- besonders so spät -- ich -- gnädige Frau bemühen sich vielleicht morgen früh noch einmal --"
"Ich muß sie fragen! Gleich, jetzt!"
急ぎ足で階段を昇ってくるのがわかった ―― いくら引き留めても無駄だった ―― 最初の部屋のドアが開けられ、ほっそりした婦人が飛び込んできた。ヴェールを上げベットの列を見渡した。婦人はヨゼフィーネを見た。
「ここに私の息子、私のオイゲンはいますか?」
「この方はご子息を探していらっしゃる。フォム・ヴェルト少尉もシュピッヘレンに行っていた」と中佐は説明して看護の者に目くばせした。「ここにはいません、奥様 ―― 失礼」と外へ連れ出そうと、中佐は婦人に腕を差し出した。

"Ist hier mein Sohn, mein Eugen?"
"Die gnädige Frau sucht ihren Sohn. Der Leutnat vom Werth war mit bei Spichenren," sagte der Oberstleutnant erklärend und blinzelte der Pflegerin zu. "Er ist nicht hier, gnädige Frau -- darf ich bitten?" Er bot der Dame den Arm, um sie wegzuführen.
婦人は耳を貸さなかった。飛ぶようにベットからベットへと進んで、寝床を一つ一つ覗き込んで行った。すべての部屋すべての区画を、階段を昇り降り、見て行った。二人の娘は泣きながら後を追い、そして中佐も後についてゆくほかなかった。ヨゼフィーネも無意識に、引かれるようについて行った。最後のベットまで探し求めて、振り向き、「ここにはいない!」と胸の張り裂けるような声で叫んだ。そして喪服のヨゼフィーネを見た。
二人の母は目と目を見つめ合った。
「あなた ―― 喪に服していらっしゃる?」 とフォム・ヴェルト夫人はつかえつかえ言って、その表情が恐怖でひきつった。「どなたの ―― 喪に?」
「私の息子のため!」
「あなたの息子のため?!」
悲嘆の声を上げて貴婦人はヨゼフィーネの腕に倒れ込んだ; 胸の張り裂けるような嗚咽にむせんで言った:
「私のオイゲンはシュピッヘレンに行っていました。何の便りもありません。夫が向うへ行って、息子を探しています ―― ああ、あの子!」
ヨゼフィーネは黙っていた。しかし全身が震えていた。この方が、あの美しいフォム・ヴェルト夫人、あの裕福なフォム・ヴェルト夫人? なんと哀れな様子! これが、かつてともに学校で机を並べたツェチーリエ・フォン・クレールモン?! いくら探しても昔の面影はなかった。美しさはすっかり泣き払われてしまっていた。
「まだ覚えてらっしゃいます?」 彼女は悲しみに沈んで囁いた。「私はヨゼフィーネ・リンケです。」
「リンケ ―― ヨゼフィーネ ―― リンケ ―― ああ、フィーナ、フィンヘン!」 不幸な婦人は手を揉みいだいた。「ああ、フィーナ、私たち何という目にあったことでしょう!」
彼女はわっと泣きだした。しかしヨゼフィーネは泣けなかった。

Auge in Auge sahen sich die beiden Mütter.
"Sie sind in -- Trauer?" sagte Frau vom Werth stockend, und im Ausdruck de Entsetzens krampften sich ihre Züge zusammen. "Um -- wen?"
"Um meinen Sohn!"
"Um Ihren Sohn?!"
Mit einem Wehlaut fiel die elegante Dame Josefine in die Arme; sie schluchzte herzbrechend:
"Mein Eugen war mit bei Spicheren, wir haben keine Nachricht, mein Mann ist hingereist, er sucht ihn -- o, mein Got, mein Sohn!"
Josefine blieb stumm, aber sie zitterte am ganzen Leib.
das war die schöne Frau vom Werth, die reiche Frau vom Werth? Jetzt so arm wie sie! Das war die Cäcilie von Clermont, die einst mit ihr auf der Schulbank gesessen?! Sie suchte und fand keine Ähnlichkeit mehr, alle Schönheit war weggeweint.
"Kennen Sie mich noch?" flüstert sie traurig. "Ich bin die Josefine Rinke."
"Rinke -- Josefine -- Rinke -- ah, Fina, Finchen!" Die unglückliche Frau rang die Hände. "Ach Fina, was ist uns geschehen!"
Sie löste sich auf in Thränen. Aber Josefine konnte nicht weinen.
ようやくツェチーリエはヨゼフィーネに導かれて階段を降りた。営庭のカエデの木の下で、星空のもと、なおひととき泣き続けた後、娘に支えられて待機している馬車に向かった。

翌日の新聞で、初めてシュピッヘレンの戦傷者、死者、不明者に関する公式の記録が発表された。大きな数字であった。死者の中に歩兵ペーター・コンラーディの名があった。不明者の中にフォム・ヴェルト少尉の名があった。しばらく後に家族による死亡告知が新聞に出て、彼もやはり戦死者だったことが知れた。野戦病院で亡くなっているのを父親が見つけ、辛苦辛労をしのいで遺体を運び帰った。間違いなく本人なのか確かめようにも、もう棺の蓋を開けることが許されなかった。それでも母親には墓に花を供え涙を流すという慰みは与えられた。ペーターがどこに埋葬されたのか、誰もヨゼフィーネに言うことはできなかった。

兵営の病院は患者で溢れていた。無限に多くのベットが必要だと思われた。留置された捕虜まで営庭の演習場に借り出され、寝台を設えるのを手伝わされた。各方面から、現金、衣料、食料品が集まった。ハム村の裕福な農民は車一杯の野菜とジャガイモを運んできた。週の市からも貧しい農民が手押車一杯の卵とバターを提供した。

ヨゼフィーネは毎日、町一番の立派な果物を作っている〈ブレンツェン母さん〉の所へ行って、果物を貰ってくる。いつもは評判の粗野な女性だが、ヨゼフィーネをにっこり迎えて「あなたの患者さんのためね」と、特別大きなブドウの房と選りすぐりのナシをたっぷり提供してくれる。「これを持って行って。若者たちが美味しいと食べてくれたら嬉しいから。また明日ね!」

こうして傷の発熱で喉の渇きに苦しむ多くの傷病兵は〈ブレンツェン母さん〉に助けられた。ヨゼフィーネが果物を持って現れると多くの兵士の目が輝いた。とくにフランス兵たちの喜び。しかしヨゼフィーネはそこを通り過ぎる。全員にわたる分量はなかった。彼女が受け持っていたフランスの旗手の様態が悪くなっていたが、この頃では修道女に委ねていた。

ところが今日、修道女が彼女のもとへ駆けてきた。「もうブドウはありませんか? あのフランス兵がブドウを欲しがっていると思うんです。あなたを目で探しています。涙を一杯溜めて。」ヨゼフィーネは残り一房しかなく、別の患者用にと思っていたが、「あのフランス兵、もう長くはないでしょう」と修道女は言う。
ヨゼフィーネは最後の一房を持ってためらいながら、ほとんどいやいやながら行った。得もいえぬ渇望の表情でフランス兵はこちらを見て、乾いた唇を動かした。
「ブド ―― ブド ―― !」
それはもごもごとした、言葉というより願望の表れであった。大きな瑞々しい一粒をかろうじて開いた口に押し入れた。そして次々と粒を摘んで、一房全部が芯だけの丸裸になるまで与え続けた。兵はほっとため息をつき、か細く〈メルシー!〉と言って目をつぶった。

Da ging Josefine und holte die Traube, zögerund, fast widerwillig. Mit einem unbeschreiblichen Ausdruck von Gier sah ihr der Franzose entgegen und bewegte die trockenen Lippen:
"Des rai -- des rai --!"
Das war nur ein unartikuliertes Stammeln, mehr ein Wunsch als ein Wort. Eine große, saftige Beere drückte Josefine ihm in den mühsam ein wenig geöffneten Mund; und so fort, alle Beeren, bis die Traube nur noch ei leeres Gerippe war. Mit einem Seufzer und einem gehauchten 'merci!' schloß er die Augen.
「可哀そうに、故郷の家にはブドウ園があったのかも知れませんね」と修道女は言うが、可哀そうな若者は他にもいる、フランスに殺された私のペーターは・・・と思うのだった。だがそれからは毎日ヨゼフィーネは朝夕にブドウを運び続けた。フランス兵が口にする食べ物はそれだけであった。いつも自分を待ち受けているのがわかったが、言葉をかけることはできなかった。血まみれのペーターの影が両者を隔てていた。三日目の夜、ブドウを与えていると、必死の願いの表情で彼女を見つめ、その視線は顔から黒い服にまで辿った。そして懸命の力で頭を少し持ち上げ言った。
「Pau -- vre mère!」
何、なんて言ったの?!彼女は固まったように座っていた。私のこと、それとも自分の母親のこと?! 分からなかったが、どちらでも同じだった。可哀そうなお母さん ―― 可哀そうなお母さん ―― 突然心臓を締め付けていたたががはじけ飛んだようだった、そして長い間失っていた涙が、両眼からぼろぼろと溢れ出て、視界をぼんやりとさせた。
それはもう敵の旗手、憎いフランス人の顔ではなかった ―― それはただ息子、一人の母親の息子であった! Pauvre mère! ―― この言葉が彼女の心の奥深くを打った。

"Pau -- vre mère!"
Was, was hatte er gesagt?! Sie saß wie erstarrt, ganz erschrocken. Meinte er sie, oder dachte er an seine Mutter?! Sie wußte es nicht, es war auch gleich. Arme Mutter -- arme Mutter -- da sprang ihr plötzlich etwas wie ein Reifen vom Herzen, und lang entbehrte, heftige Thränen stürzten ihr jäh aus den Augen und blendeten ihren Blick.
Das war nicht mehr der feindliche Fahnenträger, ein verhaßtes, französisches Gesicht -- das war nur ein Sohn, auch einer Mutter lieber Sohn! Pauvre mère! -- das hatte sie getroffen in innerster Seele.
翌朝早くブドウを持って兵営に出かけると、フランスの旗手はすでに息を引き取っていた。町はずれのデュースブルク通りの墓が拡張されて最初に埋葬された一人となった。

* * * * * * * * * * * * * * *

マルス=ラ=トゥールで大勝利を収めた。町ではまた鐘が打ち鳴らされ花火が打ち上げられ、市長が市役所のバルコニーから国王万歳、国軍万歳と三回叫んだ。そしてまた兵営のベットが窮屈になり、音楽堂が新しい衛戍病院に仕立てられた。そしてグラヴロットの輝かしい勝利が続いたが、町では歓声とともに悲鳴も上がった。ここには39連隊の兵士が投入されていたからだ。

8月22日、7隻の船が負傷者を運んできた。多くのベットは空になっていた。戦場に戻るもの、戦闘能力なしとして故郷に帰るもの、あるいは静寂の地に運ばれるもの ―― そして700床のベットが新しい負傷兵で埋まった。看護の女性は皆疲れを知らないかのように働き続けた。ヨゼフィーネも同様だった。今回の負傷者の中によく知る二人が含まれていた。下士官シュミットと一等兵フックレンブルッフも運び込まれてきたのだ。彼女をめぐる二人のライヴァルはいまは隣同士のベットに寝ていた。手榴弾の破片で頭部に傷を受けた下士官と、銃弾で胸を撃ち抜かれた一等兵。

ヨゼフィーネが急いでベットに行くと、シュミットは彼女をじっと見つめた。その眼は気遣わしげでうるんでいた。「お伝えすることがあります」と、少し言いよどみ口髯をなでて、「ひとつ伝言があります!」と告げた。ヨゼフィーネは「誰から?」と尋ねたが、誰からの伝言かはもちろんわかった。ペーター以外の誰であろう! 彼女はベットの横で思わず膝をつき、痙攣の発作を起こしたように手を揉みしだいた。「ああ、ペーターからのね!」 彼はうなずいて、上着を取らせて、そのポケットから小型のノートを取り出した。そして中に挟んであった紙片を探し出した。
「英雄的な最期でした!」
彼女は深く息をついた。胸が張り裂けるような大きな息をした。そして奪うようにその紙片を手に取った。
彼女は大声を上げた。それは出征のため行進してゆく最後の時に、息子の手に押し付けた父のノート片だった!
これを遺言として父は死出の旅にのぼった。
〈すべてに勝る名誉!〉とある、その下に、血で、記されていた;
〈お母さん、さようなら〉 ―― ――
「見事な本物の名誉でした」とシュミットは言った。「こいつは立派な男でした、最期まで!」

"Er starb wie ein Held!"
Da seufzte sie tief auf, als sollte der Atem ihre befreite Brust sprengen, und riß gierig den Zettel an sich.
Laut schrie sie auf: das war ihr Zettel, ihres Vaters Zettel, den sie dem Sohn in letzter Stunde zugesteckt beim Ausmarsch!
Und er hatte das Vermächtnis angetreten.
Da stand; 'Über alles die Ehre!' und darunter gekritzelt, mit Blut;
'Liebe Mutter, adjüs.' -- -- --
"Ehre, wem Ehre gebührt," sagte Schmidt. "Der Junge war 'n janzer Kerl, bis zum Tode!"
彼女はそのしわくちゃの黄ばんで血潮の付いた紙片を身に着けて過ごした。それが力を与えてくれた。しかししばらくしてそれを娘時代と結婚時代の思い出を収めてある裁縫箱に仕舞った。もうそのような護符が無くても落ち着いた心で過ごすことができた。石のように固まった心ではなく、泣くことができるようになっていた。

ヨゼフィーネは多くの兵士に手紙の代筆を頼まれた。多くは母親への便りであった。口述筆記をしながら、弱々しい声ながら、母を思う心が強い言葉だった。そして各地から、はるか遠方からも返事が届いた。それらは誤字だらけ、たどたどしく綴られた文章であったが、息子の体調への気がかりと愛情と再会の願いに溢れていた。

ある日、シュミットも何か思いつめたような表情で代筆を頼んできた。弾丸が耳を掠め、周りで戦友が斃れてゆく中で、誓ったことがあると言う。
つまり私は故郷に娘っ子を待たせています、この子はパンケ川のほとりに住んでいます。いや見せびらかすほどの娘ではありません。貧乏だし、あなたのように、奥さん、美人でもありません。それで ―― えぇ、この娘は私の男の子を産んでくれたのです。ですので、奥さん、どうか手紙を書いていただけませんか、結婚したいと思っていると。このことが気がかりで、自分で手紙を書いて良いと言われるまで待てないんです。
Also: ich habe da nämlich en Mächen zu sitzen, an de Panke wohnt se, jroßer Staat ist jerade nich mit se zu machen, arm is se man, und auch lange nicht so hübsch wie Sie, werte Frau! Na -- aber se hat nu mal 'nen Jungen von mir! Also, haben Se die Jüte, werte Frau, schreiben Se schon man los: ich wer' ihr heiraten. Es drückt mir's Herz ab, ich kann nich warten, bis ich alleene schreiben darf.
* * * * * * * * * * * * * * *

黒・白・赤の旗が町中を覆っていた。波浪のように、寄せては砕ける波の音楽のように、セダン、セダン! とざわめいていた。吹き寄せる風のように、セダン、セダン! と。誰が喜ばないだろうか?!
皇帝ナポレオンを捕虜に。
セダンでマクマオン(*)の軍勢は降伏!
'Gefangennahme des Kaisers Napoleon.
Kapitulation der Armee Mac Mahons bei Sedan!'
真夜中近くに最初の報せがデュッセルドルフに届いた。人々はベットから跳ね起き、通りに飛び出した。通りで、広場で人々は手を握り合い、抱擁しあった。涙を流しながら喜んだ。皇帝が捕虜になった、一番大きな軍勢が降伏した、さあ、平和だ、平和だ!
翌朝、数えきれない人数の学校の生徒が通りを練り歩いた。白い髯の画家カンプハウゼン(**)がピンクの顔色の子どもたちの先頭に立って鼓手隊と一緒に行進した。花冠をつけた男の子女の子が透き通った声で歌った:
〈轟く叫び、雷鳴のごとし ―― 〉(***)

Am kommenden Morgen zogen unzählige Schulkinder durch die Straßen; Maler Camphausen mit seinem weißen Bart hatte sich an die Spitze der rosigen Jugend gestellt und marschierte voran mit dem Trommlerchor. Und die bekränzten Knaben und Mädchen schmetterten aus hellen Kehlen:
'Es braust ein Ruf wie Donnerhall --'
すべての教会で祈りがあげられ、すべてのオルガンが感謝の調べを奏でた。祈りの中に「皇帝が、皇帝が捕虜になった!」の声が重なった。兵営では醸造家の寄付で一樽のビールが運び込まれた。飲める者はみな飲み、ワインの杯を打ち合わせる者もいた。シュナーケンベルクも上等のワインを数本抱えて駆け付けた。ヨゼフィーネに、「フィンケン、君の患者に特別の贈り物だ」と囁いてエプロンの下に押し込んだ。

片脚を無くした弟も、店のショー・ウインドウを旗で飾りたてた。激戦地を描いたハンカチ、王や皇太子、モルトケとローン(****)、さらにフォン・ビスマルクを描いたものをその旗にしていて、軽傷で外出できる兵士たちが買っていった。「脚さえあれば行進に加わるんだが」と嘆くものの、例の「ザール川を渡っていたんだ・・・」という武勇伝はもう話さなくなった。それは今回の大きな戦争の前では小さく霞んでしまい、多くの重傷者の前で自分の嘆きは沈黙させられた。時々姉に附いて兵営にゆき、少しでも手伝うのだった。

息子も時々は母と一緒に出掛けた。ちょうど学校でフランス語を習っているので、母の片言のフランス語が通じないときに、通訳として役立った。多くのフランス兵に頭を撫でられた。"Ah, merci, mon petit, Dieu vous bénisse!" フリッツは敵の中にたくさんの友ができた。

ある日の午後、営庭で器楽が響き渡った。最初の鉄十字章がデュッセルドルフの兵営に届いて、授与式が行われたのだ。その受賞者は下士官シュミットだった。ヨゼフィーネが上から見ていると、頭に包帯をしたまま正装したシュミットの胸に中佐が鉄十字章をつけ、修道女が英雄にワインを供した。中佐はシュミットの杯に当てて、そして高く差し上げて、演説をした。それは次の言葉で締めくくられた。「われらの中に立つ、この勇士に万歳、フランスを平身低頭させたわれらが軍に万歳、われらの英雄、国王陛下に万歳!」

病室にも演説の一言一言、華やかな音楽が聞こえた来た。ヨゼフィーネは窓を閉めた。その部屋は重傷者ばかり、それもほとんどがフランス兵だった。中には壁に向かい、枕で両耳を抑える若い兵もいた。"Oh ma patrie, ma pauvre patrie!" と叫ぶ声が彼女の耳を打った。

そのとき別の部屋から修道女が息せき切って駆けてきて彼女に言った。フックレンブルッフの容態が悪くなった、と。彼は今は一人で寝かされていたが、そこはかつての軍曹住居で台所として使っていた部屋だった。「もっと高くして、もっと!」とあえいでいた。クッションを幾つも重ねて背に当ててもらっていたが、まだ息が苦しいのだ。ヨゼフィーネはベットの縁に座って、苦しむ患者を腕で支えた。自分の死期が近いのを知ってか、彼は聖餐を求めたという。

牧師が到着して、聖餐の式を執り行ったが、患者はもはやパンを嚥下することはできず、ブドウ酒を飲み下すこともできなかった。そのとき、一瞬、下の音楽が途切れた。牧師は手を拡げて、祝福の言葉を述べ、アーメン、と唱えた。ベットの周りの修道女たちも跪いて手を差し上げて「アーメン、アーメン」と唱えた。日の光が次第に明るく射しこんで病室とベットと死に行く者を黄金色に輝かせた。
* Marie Edme Patrice Maurice de Mac-Mahon (1808-93) アイルランド系の軍人、政治家。アルジェリアのフランス外人部隊司令官、クリミア戦争、イタリア統一戦争で功績を上げる。普仏戦争ではアルザス軍を率いて戦う。セダンの敗北のあと、共和制政府の軍総司令官としてパリ・コミューンを鎮圧、1873年に大統領に選出された。
** Wilhelm Camphausen (1818-85) デュッセルドルフの画家。普仏戦争に画家として従軍した。
*** 『ラインの守り』の出だしの一節。
**** Albrecht von Roon (1803-79)


墓参り Kirchhof ― 『ラインの守り』 (15) ―

荒れ模様の秋の日、これほど強く風が吹きつけるのは珍しいことだった。例年のケーヴェラアー聖母巡礼(*)の行進が、こんな悪天候に見舞われることはめったに無かった。だが敬虔な巡礼を足止めさせたのは、雨でも風でもなく、次から次へとデュッセルドルフを通ってゆく列車でもなかった。それは、すでに多くの犠牲者の像が壁に掛かっているチャペルで、増え続ける像の前で祈る人々の不安な心であった。

ジャガイモの茎・葉は黒く、畑にはかびくさい臭いが漂う。コウノトリはハム村の草地に集まり、ツバメは飛び去り、夜は凍える寒さとなった。人々の中に深い失望があった。セダンのあとも戦争は終わらない。貨車何両もの毛糸のシャツ、毛糸の靴下、毛糸の腹巻がデュッセルドルフから戦場へと送られた。人々は不安な面持ちでライン川に霧が立ち、消えるのを見た。降りやまない雨に首を振り、洟をすすり鼻を赤くさせながら通りを歩いていた。
長引く戦争に人々は心底うんざりしていた。来る日も来る日も何千人もが目を皿にしてしつこく新聞を覗き込む:〈メッス近辺で小競り合い、パリ方面変化なし〉 ―― いつも同じ決まり文句。それじゃ、それじゃ何かい?! 可哀そうな若者たちはクリスマスすら家で祝えないのか?
Man war des langen Krieges recht herzlich müde. Täglich bohrten sich tausende begieriger Augen in die Spalten der Zeitung: 'Kleine Ausfälle bei Metz, nicht Neues vor Paris' -- das war die stete Losung. Wann denn, wann denn endlich?! Sollten die arman Jungen nicht einmal Waihnachten zu Hause feiern?
不安に囚われた人びとは、ある夜、北西の空に現れたオーロラを見て、不吉な兆候ではないかと恐れるのだった。不気味な光が、大きく異様な形になり、赤く縁どられてライン川の上に懸かっていた。何でこんなところに? 北極からラインに迷って来たのか? これは血を意味している、もっと多くの血が流れるのだ。

「メッス占領!」 待ちに待った報せがようやく届いたが、セダンのときほどのお祝いムードにはならなかった。人々はとにかく和平を求めていた。11月は厳しい寒さがきて、ジャガイモは高くなり、キャベツの価格も高騰した。父が後備軍に出兵した家の子どもは、自分と母親と飢える兄弟姉妹のためにスープ鍋を持って裕福な家を回った。子どもはホーフガルテンで木の枝を拾い集め、町の裕福な人々の協会は焚き木を分配した。いまは包帯を紡ぐだけでなく、靴下を編み、上着を縫い、シャツを裁断し、外套を仕立て直して、遠くに兵を送り出している家族に送った。

兵営には最初の患者はもうほとんどいなくなっていた。鉄十字章に輝いたシュミットも部隊に戻って行った。パリに入城する、それが彼の夢だった。そして彼女と、あの〈ユステ〉と結婚する。ヨゼフィーネが代筆したプロポーズに対して承諾の返事を、男の子の「パパさん!」という文字も書き添えた返事を、もらっていたのだ。

ライン川は氷を浮かべて流れていた。雪の中、外套も靴も無く、足にぼろ切れを巻いただけの惨めなフランス兵の捕虜がやってきた。ぼろ布すらなく裸足の者も多かった。ヴェーゼルの要塞、ミンデン、ヴァーナー・ハイデのキャンプから雪で覆われたアイフェルの高地を歩いてきたので、途中で斃れる者も少なくなかった。そういった列の一つをヨゼフィーネは営庭で迎えた。

冬の氷雨に濡れそぼれて、どろどろの雪の練兵場に放り出された。みな生死のはざまを漂う有様に見え、じっさい瀕死の者もいた。何とかたどり着いたものの、ここで息絶えたものは厩舎の藁の上へ運ばれた。みな歯をかちかち鳴らし、凍えて青白く、足から血を流していた。修道女たちの持つ熱いスープの入ったブリキ鉢を奪いとって頭から被るようにして飲み込んだ。
多くの見物人がその場にいたが、泣いている者が少なくなかった。突然、貧しい労働者が自分の靴を脱いで、足にぼろ布しか巻いていないフランス兵の一人に、なんてことだと呪いの言葉を吐いて差し出した。ほかの者たちも呪いの声を挙げた。呪うのは敗者ではなかった、敗者は呪う言葉を吐くほどの力すら残っていなかった ―― 勝者が戦争を呪った。和平だ、和平だ! 金銭を持ち合わせている者はみな献金した。
Es hatten sich zahlreich Zuschauer eingefunden, nicht wenige unter ihnen weinten. Ein armer Arbeiter zog plötzlich seine Stiefel aus und reichte sie einem der Franzosen, der nur Lappen um die Füße gewickelt hatte; dabei fluchte er. Und auch andre stießen Verwünschungen aus -- nicht die Besiegten, die hatten nicht einmal Kraft mehr zu einer Verwünschung -- sie, die Siegreichen, verwünschten den Krieg. Nur Friede, Friede! Was man an Geld hatte, gab man her.
ヨゼフィーネは家へ帰って、供出できるものを探した。シャツ、靴下、上着、ペーターの遺品は、この貴重な神聖な思い出の品々は出すつもりはなかったが、それも供出した。醜い黒い兵士がぼろぼろのズボンを脱ぎ捨て、歯をむき出してペーターのズボンを穿いた。蒼白の軍楽隊の指揮者がペーターの父の遺品である外套に身を包んだ。ヨゼフィーネはすべてを差し出した。

* * * * * * * * * * * * * * *

暗鬱な冬の息苦しい時が続く中、弟のフリードリヒが来てぽっと喜びの明かりをもたらしてくれた。そろそろクルップ社を辞めて独立する準備を進めている、自分は技術担当として経営担当の一人と共同で鉄道の枕木とレールを作る工場を興すという計画で、出資者も決まり、戦争が終われば始めるという契約を結んだとのこと。
「そうなんだ」とこみ上げる喜びに浸って話を結んだ。「昔だったらこんなに簡単ではなかった、一介の機械工がこんな地位に就くなんてね! でも今日ではそれができる。産業界では 《こいつは何ができるか?》 だけが問われるのだ。いいかい、お前」 ―― 興味深そうに耳を傾けているフリッツの頭に手を載せて ―― 「お前はきちんと修業しなければいかんよ! 技術部長という地位は ―― まだ当分お前の世話はしてやれないが、お前だって自分で工場の社長になれるのもそんなに遠い話じゃないんだ!」
"Ja," schloß er mit aufquellender Freude, "dat wär' früher nit e so leicht passiert, nur ene simple Schlosser, und so en Stell'! Aber heutzutag' jeht dat. In der Industrie wird nur jefragt: 'Wat leist' de Mann?' Hör', du, meine Jung'" -- er legte dem interessiert lauschenden Fritz die Hand auf den Kopf --, "du sollst ordentlich in de Lehr'! Direktor -- dat is mir noch lang' nit jenug für dich, selber dein 'hören muß sie, die Fabrick!"
義父のシュナーケンベルクは大喜びで、もし開業のための保証金が必要なら出すよ、と申し出たが、「いや、結構です、保証金は要らないんです。クルップの技術者ということで、それで十分なんです!」とのこと。たしかにクルップ社なら立派に保証人になれた。クルップが製造した大砲はフランスの要塞に襲いかかり、抵抗する気力を失わせた。

人びとはパリの降伏をいらいらして待っていた。パリさえ陥ちれば和平が来るのだが。クリスマスが来たが、穏やかなクリスマスの歌は荒々しい軍楽にかき消された。それでも子供たちはクリスマスの歌を歌い、兵営でも歌声が響き、士官室だった部屋に大きなモミの木を据えようと修道女たちが飾りつけするのを、ヨゼフィーネも手伝った。埃っぽい物置の片隅から、 Gloria in excelsis deo!(**) という文字を切り抜いた飾りつけが引っ張り出され、モミの木に取り付けられた。
ヨゼフィーネはまったく知らなかったことだが、プレゼントを配る段になってモミの木に灯りが煌々と灯った時、いきなり飾りつけ文字が目に飛び込んできて驚喜で心臓が止まるほどだった ―― それは息子の手になるものだ! ペーターの作った飾りがこの兵営に残っていた:〈Gloria in excelsis deo!〉
Josefine hatte nichts davon gewußt, nun sah sie es plötzlich bei der Bescherung im vollen Lichterglanz, und das Herz stand ihr still vor freudigem Schreck -- das war ja das Werk ihres Sohnes! Das war von ihm übrig geblieben hier in der Kaserne: Gloria in excelsis deo!
修道女が歌うクリスマスの歌に、ヨゼフィーネも声を合わせて歌った。フランス兵たちもじっと耳を傾けていた。ドイツのクリスマス行事は馴染みのないものだったが、子供のようにリンゴやクルミに両手を差し出し、干しぶどうパンには、「ああ、白パンだ! メルシー、白パンだ、素晴らしい!」と喜ぶのだった。そして自分たちも参加すると言って、手に包帯を巻いた一人と頭に包帯を巻いた一人が歌って踊った。おどけた仕草にみな腹を抱えて笑った。

1月18日、ヴェルサイユでヴィルヘルム王が統一ドイツの帝冠を戴いた。ライン川のざわざわ流れる水音に岸辺の歓声が混じりあった。人々が長らく空しくも望んでいた願いが成就した! 何のためにバリケードを築いたのか? 何のために抑圧に耐えてきたのか? 何のために若者を戦場に送ったのか? すべてはこのためだった。昔の48年世代も、赤色民主派も、ともに歓呼した。誰もが喜んだ。いまだに負傷兵が帰って来るし、いまだに新しい後備軍が出陣するが、もう戦闘はないのだ。雪解けの陽気が訪れた。ヨゼフィーネの庭にもムクドリのつがいが訪れ、ナシの木に取り付けてある箱に巣作りを始めた。白いハトが庇に巣を作るのもそう遠くないだろう。

2月28日、全ドイツに公電がもたらされた ―― 和平!

* * * * * * * * * * * * * * *

第39連隊の兵士たちは思うほど早くは戻ってこなかった。春たけなわとなりラインの川面が陽を浴びてきらきら輝き、ホーフガルテンではスミレが咲き、ケーニヒスアレーのマロニエもつぼみを持つ頃になって、ようやく 《帰ってくるぞ! 6月初めに帰ってくるぞ!》 との声が上がった。

帰還兵をどう迎えるか、わがデュッセルドルフの勇士をどのように歓迎するか。祝砲や鐘を打ち鳴らすのは言うまでもなく、すべての建物に旗をなびかせ、凱旋アーチを組み立て、関税門も緑の木の葉で飾り、道路の舗装も急いで補修する、居酒屋の主人は新たに酒樽を仕入れ、主婦は屋根裏から地下室まで磨き立て、靴職人は刺繍を入れた室内履きをショウウインドウに飾り、庭師は月桂樹の木に改めて肥料を施し、指物師は凱旋アーチに金槌を振るい、お針子は夜なべして若い娘や子供たちのための白い服を縫い、ヴァイオリニストは新しい弦を張り、ラッパ奏者は音を確かめ、鼓手は連打の練習をし、詩人は詩作する。みんなが忙しく立ち働いていた。

病院の役目を終えた兵営は、再び白く漆喰を塗られ、掃き清められ、ピカピカに磨かれた。兵営を去るのはヨゼフィーネには辛いことだった。最後の患者と握手をして故郷へ送り出したあと、彼女はかつての軍曹住居にしばらく佇み、窓辺に立って演習場を見下ろした。これからまた多くの兵士がここで訓練を受けることだろう、しかし私が愛した者たちはもう一人もいないのだ。
窓台に手をついた。一瞬、へなへなと崩れそうになった。ここで、かつてゼラニウムの株が窓を飾っていたこの場所で、子供の時また娘時代にはよく 《見張り》 に立ったし、父が 《13年の物語》 を話してくれたのだった ―― ああ、父がどう話したのだったか?
《そして黄金のブローチも腕輪もない者は美しい髪を切ってそれを祖国に捧げた。》
本当に素敵に感じたので ―― はっきりと覚えている ―― 自分も祖国のために喜んで髪の毛を切ろうと思ったものだった。
「ああ ―― !」
いま胸から漏れたのは身震いするため息だった。両手をどきどきする胸に当てた ―― 自分はそれ以上に捧げたのだ。

Sie hielt sich mit der Hand am Fensterbrett, für einen Augenblick wurde ihr schwach. Hier an dieser Stelle, hinter den roten Geranienstöcken, die einstmals die Scheiben geziert, hier hatte sie oft als Kind und oft als Mädchen Auslug gehalten, hier hatte ihr der Vater das Märchen von Anno dreizehn erzählt -- ei, wie hatte er doch gesagt?
'Und die keine goldenen Broschen und Armbänder hatten, ließen sich ihr schönes Haar abschneiden und opferten das für's Vaterland.'
Das hatte so herrlich geklungen, und -- sie erinnerte sich dessen wohl -- da hatte sie sich auch gern ihr Haar abscneiden lassen wollen für's Vaterland.
"Ach --!"
Es war ein zitternder Seufzer, der jetzt ihrer Brust entfloh, beide Hände drückte sie gegen das hämmernde Herz -- sie hatte mehr geopfert.
ヨゼフィーネも帰還兵を迎える準備を始めた。店の品物をそろえ、飾りを取りつける。39連隊が帰ってきたら、皆が欲しがるものを用意しとかなくっちゃ。欲しがるものはわかっていた。皇帝ヴィルヘルムの肖像が描かれた陶器の火皿のパイプ、荷物にくっつけて故郷に持ち帰る無骨な杖、戦闘シーンの描かれた大きなハンカチ。彼女は春の光の下で熱心に働いた。店を花づなで飾って、《心からの歓迎》 という文字を入れた。ペーターがいたら、きれいにやってくれたろうに! 突然涙がぽろぽろこぼれた。ペーターは戻ってこないのだ!

部隊が帰還する前の最後の日曜日、早朝、予定の地位に就いたフリードリヒが来た。シルクハット、キッド皮の手袋をつけた立派な身なりに迎えたみなは驚いた。「戦争は終わった、こんな地位に昇るなんて、ぼくの無鉄砲な夢は実現した。これを見たらおやじはどう言っただろう? 今日はぼくの最初の祝日だ。みんなで墓参りに行こう!」

3人兄弟姉妹とフリッツが父親(フリッツには祖父)の墓参りに出る。木々の緑は深まり、マロニエの木はもう大きな影を投げている。並木通りの菩提樹は芳香を放ち、黄金の蕾は開き始めている。蝶が舞い、ミツバチがやってきた。街は帰還兵を迎える喜びに包まれている。人々はみな、窓に飾る花束を作るため、庭の花をごっそり切っていた。サンザシとキングサリ、アイリスとシャクヤク、最後のライラックと最初のバラ。人々はみな息子の帰りを、父親の帰りを待ちわびていた。町中が、ボルカー通りもラーティンガー通りも、町中の空気が期待に震えていた。

ヨゼフィーネは二人の兄弟に挟まれて歩く。脚を失ったフェルディナントは制服で身を整えてフリッツを横に従えた。こうすれば杖が無くとも歩けるのだった。ホーフガルテンでは小鳥がさえずり、ジャスミンやほかの花々の香りが強く漂っていた。ラインの水音は風の音と合わさって軽やかなメロディーを奏でていた。

町から離れた墓地にも喜びの空気が感じられた。道は熊手でかきならされ雑草が刈り取られていた。墓はきれいに飾られていた。多くの帰還兵が戦友の墓参りに来るのだろう。姉妹は広い道を歩いて中央の十字路に来た。右も左もバラがいっぱいでかぐわしい芳香にうっとりさせられる。ヨゼフィーネは久しぶりに来たのだが、黒っぽい台座の上に白い大理石の立派な記念碑が建っているのを見て驚いた。

記念碑の前で長いヴェールを被った婦人が跪いていた。立ち上がり深くうなだれて、一人の士官の腕にすがってゆっくりと歩んできた。フェルディナントが不動の姿勢を取るところ、士官は礼を述べて行った。若い大佐だった。目がきらきら輝く細身の美しい男だった。「みんな、胸の勲章を見たか? 第一級鉄十字章だったぞ!」とフェルディナントは興奮して言った。ヨゼフィーネは見ていなかった。後ろから行く平服の優雅な男性も、二人の喪服の若い娘も見ていなかった。婦人のこともヴェールで誰か分からなかった。しかしすれ違いざまにちらと見た大佐の顔に注意を引かれた。
誰だったかしら? 知っている方じゃない? そして ―― 突然身体を貫くものがあった ―― 矢のように記憶が戻ってきた ―― 間違いない: ヴィクトールだったのだ!
Wer war das?! Den mußte sie doch kennen? Und da -- plötzlich durchfuhr es sie -- die Erinnerung kam rasch wie ein Pfeil -- jetzt wußte sie's: das war der Viktor gewesen!
ヴィクトールが妹のツェチーリエと戦死した甥の墓参りに来ていたのだ。ああ、ヴィクトール ―― ! ヨゼフィーネの口元に微笑が浮かんだ。なんと立派なこと ―― もう大佐だって! しかし懐かしい顔は昔のまま、ただあれほど陽気で満ち足りた表情ではないが。もう長い年月が過ぎた。軽くため息をついた、この年月で自分の青春が過ぎ去ったのだ! ぼんやりと立ち尽くしていた。そういえば今朝、鏡の前で髪を梳いているとき、金髪の中に白いものが混じっているのを見つけたのだった。

フリッツが袖を引くので、弟たちがずっと先に進んでいるのに気付いて、大股で後を追った。リンケ軍曹の墓はいまはもう孤立してはいなかった。周りに花も植えられていた。古いプロイセンの墓の周囲には新しい墓が、フランス人とドイツ人の墓が並んでいた。フリードリヒは父の墓に月桂樹の花冠を置いた。ヨゼフィーネはその前で跪いた。辺りは木の葉のすれる音もなく、雲が厚く、静かだったが、その時一陣の強い風がラインから吹き付けてきて、川の音が聞こえてきた。風はあっという間に雲を吹き飛ばし、太陽がまぶしく地上を照らした。
《いまお日様が出ました、お父さん、見える?!》 ヨゼフィーネはなんだか父の眠る地中の暗い所へ大声で呼びかけなければ、という気持ちになった。亡き父に対するあどけない愛情が彼女を熱くした。そして呟いた:
「誠実、勇敢、忠実、責任そして名誉 ―― お父さん、ありがとう!」

'Jetzt scheint die Sonn', Vater, siehst du?!' Es war Josephine fast, als müsse sie ihm das laut hinunterrufen in seine dunkle Kammer. Eine kindliche Liebe ergriff sie heiß zu dem Toten. Sie murmelte:
"Treue, Tapferkeit, Gehorsam, Pflichtgefühl und Ehre -- liebe Vater, ich dank' dir!"
もしまた夢の中に国王が現れて 《お前は余に何を差し出すのか?》 と手を伸ばしてきたら、自分の息子、何千もの母の息子の墓越しに手を伸ばして、王にこの広い美しい土地を示す。そしてこの真昼の日のもとの大きな、統一したドイツを示して ―― 誇らかに言うのだ:
 《これを捧げました!》
* ケーヴェラアー Kevelaer デュッセルドルフから50キロほど東北のクレーフェ郡にある、17世紀以来の巡礼地。病気や怪我が奇跡的に快癒したという言い伝えがある。
ハインリヒ・ハイネの『帰郷』に Die Wallfahrt nach Kevlaar というバラッドがある。
** Gloria in excelsis deo! 〈天のいと高きところには神に栄光あれ!〉『ルカによる福音書』によるミサ曲「グローリア」の冒頭の句。
―― 『ラインの守り』終わり ――