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拾遺集 Aus meinem Papierkorb



名前のジョーク Namenswitze

あの奇人ザフィールが「アマーリエ・ハーゲンさんとカロリーネ・ハーゲンさんの間は浮き浮き快適だ」と言って腰を下ろしたって、何のことか理解できますか?
またグラッベがへぼ作家テオドール・ヘル(本名カール・ヴィンクラー)をからかって、
「おつむがこちこちでぼんやりした者は澄明と名乗ることができる」って、どんな皮肉が利いているの? となりますね。
ドイツ語の地口、語呂合わせの類だから日本語に訳すのは無理でしょう。元のドイツ語で味わってください、と言うほかありません。

[...] Nur daraus erklären sich die Erfolge, die ein so zweifelhafter Literat wie M.G. Saphir in jenen Jahren errang. Freilich mußte sich auch der Witz dem Duodezformat einfügen, er dürfte nicht zu aggressiv, zu sarkastisch oder gar zersetzend sein. Da möchte ich vor allem auf die damals anscheinend innerhalb des süd- und norddeutschen Sprachgebiets gleich weit verbreiteten und beliebten Namenswitze als auf eine spezifische Biedermeiererscheinung hinweisen. Saphir setzte sich einmal zwischen ein Fräulein Amalie und Caroline Hagen mit der galanten Motivierung , daß zwischen A. Hagen und C. Hagen Behagen sei. Gegen den Pseudoromantiker Karl Winkler, der sich Theodor Hell nannte, stichelt Grabbe in ›Scherz, Satiere, Ironie‹ mit der Bemerkung, daß sich jemand, dem es "sehr winklig und düster im Kopfe ist, hell nennen könnte".
-- F.J.Schneider: Biedermeier und Literaturwissenschaft (1935)



だからです! Darum!

ドイツ演劇近代化の先駆けとなるノイベリン(ノイバー夫人)が自作戯曲を印刷したとき、その序文で、学識もない身分もない普通の女、ドイツ生まれの喜劇役者でしかありませんと自己紹介しながら、「演技のこと以外についてモノをいうのはおこがましいのに、それがまたどうして劇を書くのだ? と尋ねられれば、女たちお得意の だ か ら で す!と答えます・・・」
Hier hast du was zu lesen. Nicht etwan von einem grossen gelehrten Manne; Nein! nur von einer Frau, deren Namen du aussen wirst gefunden haben, und deren Stand du unter den geringsten Leuten suchen mußt: Denn sie ist nichts, als eine Comödiantin; von Geburt eine Deutsche. Sie kann von nichts, als von ihrer Kunst Rechenschaft geben: Wenn sie gleich so viel wissen sollte, daß sie einen jeden Künstler verstehen könnte; wenn er von seiner Kunst redet. Fragst du: Warum sie auch schreibt? So antwortet sie dir das, dem Frauenzimmer gewöhnliche, D a r u m !
-- Friederica Carolina Neuberin: Ein Deutsches Vorspiel (1734)

「なぜですか?」「どうして?」という質問に対する女性の答えは、「なぜでも!」とか「だからよ!」と、古今東西を問わずいつも同じだったのでしょうか。



婚約 Verlobung

昔から婚約といえば当事者の男女はもとより両家の合意で成立するものと思っていたが、そうとも言えないようだ。「13世紀、14世紀まで親類縁者も教会も婚約の過程に関与されねばならない、ということはなかった。男と女が結婚の約束を交わせば、それで法的なものとなった」とのこと。

Diese Öffentlichkeit ist nicht unbedingt ursprünglich. Noch bis ins 13. und 14. Jahrhundert mußten weder die Verwandten noch die Kirche am Vorgang des Eheversprechens notwendigerweise beteiligt werden. Das Eheversprechen gaben sich Mann und Frau, und als solches hatte es rechtliche Bedeutung.
-- Peter Blickle: Die Bauernhochzeit im Mittelalter (In: Uwe Schultz(Hrsg.): Das Fest, 1988)

それゆえ「中世の最も美しい詩は、このような意味において婚約成立のこととも解釈される」という。

Eines der schönsten mittelhochdeutschen Gedichte wird auch in diesem Sinne als Eheversprechen interpretiert:
dû bist mîn, ich bin dîn:
des solt dû gewis sîn.
dû bist beslozzen
in mînem herzen:
verlorn ist daz slüzzelîn:
dû muost immer darinne sîn.
「・・・あなたは閉じ込められたのよ/私の心の中に/鍵を失くしたから/いつまでも出られないわ」という詩句を可憐な乙女の恋心と受け取っていましたが、私たち婚約したのだからもう逃げられないわよ、という意味なのでしょうか?
そう言えば、ジェーン・オースチン Jane Austen の小説でも英国紳士階級の婚約は当事者だけで結ぶこととなっていた。小説の舞台は18、19世紀のイングランドだが。



どうして来たの? Wie kommst du hierher?

名優シュレーダーの両親の話である。
うだつの上がらないオルガニストの夫をベルリンに残し、妻シャルロッテはハンブルクで小さな劇団の座長をしていたが、ある日、突如夫が現れる。その時の会話。

「どうしてここに来たの?」とマダムは驚いて声をあげた。
「プロイセンの郵便馬車でさ、ロッテ。これが遅れたんだ。駅で待っていた連中のいらいらしていた様子ったら無かったぜ。ここらの人間は何だな・・・」
マダムは質問の仕方がまずかったと気付いた。「訊いているのはね、何の用があって来たのかってこと」

"Wie kommst du hierher?" stößt Madame hervor.
"Mit der preußischen Post, Lottchen. Sie hatte Verspätung. Die beim Posthause wartenden Leute waren schon recht ungeduldig und unwillig. Man scheint hierzulande --"
Madame fühlt, daß sie ihre Frage ungeschickt stellte. "Ich meine, was veranlaßte dich, hierherzukommen?"

-- Albert Petersen: Friedrich Ludwig Schröder. Des großen Schauspielers Werdezeit. 1929

面白いですね。
「どうして来たの?」という相手の質問を、来た理由ではなく「どのような方法で」と尋ねていると(わざと)誤解して、「バスで」とか「歩いて」とか答えるやり取りは、われわれもよくやりますね。
大阪だったら、「何で来たん?」「自転車で」「ちゃうちゃう、どうして来たんや?」「あわてて来たで」「アホか!」
これがドイツ語でも成立するとは。こんな会話がドイツでも古くからあったのか。



フェルウムウムテン? fellummummten?

前項に続いてペーテルセンの「シュレーダー伝」から。
一座(アッカーマンとシュレーダー母子)が冬のペテルスブルクへ向かう場面でエッと目をこする箇所に遭遇した。といっても物語の展開に驚いたのではなく、テキストの字面に面食らったのである。その部分をスキャンしたのが次の4行。2行目と3行目の長ったらしい単語、これは何?



しばらく眺めて、辞書を引いて、ようやく:
fellummummt が fell-um-mummt 「毛皮ですっぽり覆われた」であり、
hermelinumhüllt が hermelin-um-hüllt で、zobel- und とつながって「テンとアーミンの毛皮をまとった」であると判明した。

こんな箇所ではネイティヴのドイツ人でも目をパチクリするのではあるまいか。この「ウムウム」の羅列は尋常ではないし、アーミン(おこじょ)なんて単語、さほど目にする機会が多いとも思えないし・・・



ワインと砂糖! Wein und Zucker!

ルートヴィヒ・デフリントはドイツ演劇史上不朽の名優として知られるが、またE・T・A・ホフマンと親交を結び、いずれ劣らぬ異端児たる二人のこと、ベルリンの人々に多くの話題を提供した。とりわけ両者行きつけの酒場「ルター・ウント・ヴェーグナー」では人口に膾炙する数々のエピソード(*)を残している。
  * そのいくつかは、前川道介『愉しいビーダーマイヤー』(国書刊行会 1993)に紹介されている

ところで、あるデフリントの伝記中でちょっと気になる箇所があった。ある日、彼が王立劇場でいつものように全力を尽くした熱演のあと、ルター・ウント・ヴェーグナーにやってくる場面である。

給仕の一人が彼の許へ急いだ。名優ルートヴィヒは帽子と外套を脱ぎ、見るからに疲労困憊した様子で椅子に腰をおろし、放心状態で豊かな巻き毛に手をやった。それからあの漆黒の瞳で給仕を見据えて言った。「ワインと砂糖!」
「ただ今、はい、ただ今!」と答えて給仕は急ぎ離れた。
Einer der Kellner eilte ihm nach. Meister Ludwig legte Hut und Mantel ab, ließ sich, merklich abgespannt, auf einen Stuhl nieder und fuhr träumerisch mit der Hand durch die vollen Locken. Dann blitzte er den Kellner mit seinen kohlschwarzen Augen an und rief: "Wein und Zucker!"
"Gleich, Herr! Gleich!" entgegnete jener und eilte davon.

-- Heinrich Smidt: Der grosse Devrient. Ein deutsches Schauspielerleben. [Orginal erschien unter dem Titel "Devrient-Novellen", 1852]

ワインと砂糖、だって! これはどういうことだろうか? ワインに砂糖を混ぜて飲む? 砂糖を舐めながらワインを飲む?

劇場で演じた役のセリフを酒場で口にするということは彼にはよくあって、そのため本来「シェリー酒」を指していた Sekt の意味が変わってしまったというエピソードは有名である。
『ヘンリー四世』の飲んだくれ騎士ジョン・フォルスタッフは彼の一番の当たり役だが、第二幕第三場ではやたら繰り返し Giue me a cup of Sacke, Boy と叫ぶ。
福田恆存訳では「白を一杯持って来い、小僧」と、Sacke は白葡萄酒となっている。Sekt についてグリム辞書には trockenbeerwein, schwerer süszwein von weiszer oder goldgelber farbe aus Spanien ... 「貴腐ワイン、スペイン産の白または黄金色の濃厚な甘口ワイン」とあり、語源について das wort ist entlehnt aus franz. (vin) sec bez. ital. (vino) secco, bezeichnet also wein aus trocknen beeren; ebenso engl. sack と説明している。
ルター・ウント・ヴェーグナーで "Bring er mir Sekt, Bube" と命じられた給仕が、日ごろルートヴィヒが愛飲しているシャンペンを運んできたことからドイツ語 Sekt がだんだんと「発泡ワイン」の意味で広まっていったと言われる。

同じ『ヘンリー四世』第一幕第二場ではこんなセリフがある。
ポインズ「おはようございます、ハル。何だって、後悔屋さん? お話を伺いましょうか、砂糖入り葡萄酒の騎士ジョン殿?」(福田恆存訳)
Poines. Good morrow sweet Hal. What saies Monsieur remorse? What sayes Sir Iohn Sacke and Sugar:

Sacke and Sugar ... これだろうか? これがルートヴィヒの「ワインと砂糖!」なのだろうか?
フォルスタッフのせりふには yet a Coward is worse then a Cup of Sack with lime.「葡萄酒の辛味に石灰を使いやがったな・・・」と悪態をつくところもあり、ワインのこと、sec, sacke, Sekt の問題はさらに調査を進めないといけない、と決意した :-) 



愛用の方言 liebster Dialekt

今回はゲオルク・アルトマン『ルートヴィヒ・デフリント--ある俳優の生涯と作品』から。
舞台上の衣装、仮面、鬘、小道具などの効果、身ぶり、手や目の素晴らしい表情に触れた後、彼の発声、セリフ回しについて説明されます。弱い声から強い声、状況に応じて一語一語に、時には韻律を無視しても、固有の陰影を与えた語りで観客を魅了したようです。

フランス人役、ユダヤ人役のドイツ語はフランス人、ユダヤ人と区別がつかず、ポーランド人のアクセントも楽々と操り、ニュルンベルク方言、ベルリン方言も自家薬籠中のものであったが、なにより得意なのはザクセン方言でした。

しかし喜劇の役ではザクセン方言、それも上ザクセン方言を一番好んでいた。d を t 、b を p のように発音できたので、それで滑稽な誤解を生みだしたのである。"護衛 Garde" が "かるたの札 Karte" になったし―― b と p そして ü と i を混同することで "贖罪の büßende" マグダレーナが――筆が抗ってとても書くことができない。(*)
Sein liebster Dialekt in komischen Rollen war aber der sächsische, und zwar der obersächsische. Dadurch, daß er d wie t, b wie p sprechen konnte, holte er die lustigsten Mißverständnisse heraus. Aus der "Garde" wurde so eine "Karte" -- was aber bei ihm aus einer "büßenden" Magdalene durch Verwechselung des b und p und ü und i wurde -- das sträubt sich die Feder zu berichten.
-- Georg Altman: Ludwig Devrient. Leben und Werke eines Schauspielers, 1926
* 訳者注: **ßende Magdalene を訳すことは、キーボードが抗ってとてもできません!!


ホッテントット語 hottentottisch

アルトマンの『ルートヴィヒ・デフリント』からもうひとつ。
この俳優はフランス語やイディッシュ、またさまざまな方言に留まらず、ホッテントットの言葉まで話せた!?
あるヴォードヴィル(軽喜歌劇)の出し物で、彼は年を食った独身者に扮して登場し、わしは世界中の国々を旅してきた、どこの言葉もみな話せるぞと威張るところです。

その証拠にと彼はホッテントット語の二重唱を(パパゲーノ-パパゲーナのメロディーで)やってのける。相方のカロリーネ・バウアーはそれをデフリントの<作詞>でもって歌ってふざけるのである。彼はかすれたしわがれ声でこんな風に始める:
  「リチュ リ クルム ル ブリッチュ ブレッチュ チュム ツィ ...」
バウアー女史が同じく応酬し、そして両者が精一杯の声を張り上げて歌った:
  「ビム スクヴァム レッチュ ブ ナッチュ クヴァル ブルム シュヴァ ...」

Er beweist dies in einem hottentottischen Duett (Nach der Melodie Papageno - Papagene), und seine Partnerin Karoline Bauer hat sich den Spaß gemacht, es nach Devrients "Dichtung" aufzuzeichen. Er begann mit heiser krächzender Stimme:
  "Ritsch li clum ru britsch brätsch tschum tschi ..."
Die Bauer antwortete ähnlich, und dann sangen sie beide aus vollem Halse:
  "Bim squam letsch bu natsch qual brum schwa ..."

-- Georg Altman: Ludwig Devrient. Leben und Werke eines Schauspielers, 1926

このとき臨席の国王ならびに列する貴人の面々、みな笑いが収まらず、それからというものデフリントはベルリンでも、シャルロッテンブルクでも、ポツダムでも繰り返しホッテントットを演じさせられる仕儀と相成ったとのこと。

実際に「パッパッパッパ」のメロディでこれを声に出して歌ってみて、筆者も笑いが止まりませんでした。



バケツ・リレー lange Kette von Enthusiasten

名優シュレーダーの生まれた町シュヴェリーン Schwerin は演劇の盛んな街でした。1792年の出来事ですが、当時もっとも人気のあった女優ヴェルテン嬢 Demoiselle Werthen が天然痘にかかったのです。このニュースが知れたとき、町中がほとんど恐慌状態におちいりました。天然痘といえばペストと並ぶ悪魔の病気で、生命をとりとめても全身にあばたが残る恐ろしい疫病でした。 ヴェルテン嬢の場合、幸い軽症で収まって、彼女はもとの美肌を取り戻すべく毎日牛乳風呂に入ったようです。クレオパトラも好んだといわれる、肌に栄養を与える入浴法ですか。
そのときのことです。

毎朝きちんと新鮮な牛乳をヴェルテン嬢に届けるため、夜が白むとともに、女優の家のあるアポテーカー通りから、20分以上離れた保養地オストルフの牧場まで、彼女を崇拝する男たちが点々と配置についた。この熱狂的なファンは長いチェーンとなってオストルフで購って奇麗な手桶に汲んだ牛乳を次々リレーしていったのである。四分の一マイルを越える距離を延々と連なって牛乳桶を手渡してゆく光景はなかなかの見ものであったに違いない。
Damit nun die frische Milch an jedem Morgen rechtzeitig zu Demoiselle Werthen gelange, hatten sich die sie verehrenden Herren beim ersten Morgengrauen von ihrem Hause in der Apothekerstraße bis nach Ostorf, einem über zwanzig Minuten von der Stadt entfernt liegenden Vergnügungsorte, aufgestellt. Die Enthusiasten reichten sich nämlich in langer Kette die von Ostorf bezogenen Milch in zierlichen Eimer einer dem anderen zu. Sie müssen in ihrer über eine Viertelmeile langen Aufstellung, sich gegenseitig die Milcheimer zureichend, einen eigenthümlichen Anblick dargeboten haben.
-- Ludwig Brunier: Friedrich Ludwig Schröder. Ein Künstler- und Lebensbild (1864)(*)

微笑ましいと言うべきか、どうか・・・
女優と言えば、若くして人気を得ていたシュレーダーの義妹 Charlotte Ackermann が1775年、わずか17歳で亡くなった時はハンブルクでも大層な騒動となりました。町中に喪服姿があふれ、取引所が閉鎖され、葬儀には4000人の市民が参列、記念碑を建てる募金がまたたくまに700ターラーを超え・・・余りの興奮状態に市当局は記念碑の制作を差し止め、新聞に対して彼女を扱った記事の掲載を禁止したほどです。
それから半世紀後のベルリンでヘンリエッテ・ゾンターク Henriette Sontag が引き起こした大衆の熱狂 Sontags-Fieber は語り草になっていますが、こうしたフィーバーは決してビーダーマイヤー時代ばかりの現象では無いということでしょう。
* 最近 (2010年2月) この本の新版が出た。Amazon によると出版社は Nabu Press で、
ペーパーバック: 434ページ、ISBN: 978-1144286161 とのこと。
ペーパーバック: 414ページ、ISBN: 978-1144631275 という版もリストされている。


猿か豚か Affe oder Schwein

前項に続いて Brunier の Schröder 伝からもう一つ。
筆者は言う。名優シュレーダーの最大の功績はシェークスピア劇を、その真の価値をドイツに知らしめたことである。フランスなどロマンス語系の諸国でこの偉大な劇作家が受け入れられたとは言えない。ヴォルテールなどはハムレットのことを「酔っぱらった野蛮人の脳髄の産物」と呼んでいる。しかしシェークスピアを認めない者は同国人の中にもいる、としてトーマス・ライマー Thomas Rymer の「猿の方がシェークスピアより趣味がある」(*) との発言を紹介する。
  * おそらく Short View of Tragedy (1693) からの引用であろう。

筆者は続ける。こういう誹謗中傷はあらゆる天才が甘受しなければならない宿命で、たとえば偉大な音楽家ベートーヴェンをドイツの同国人シヒト Johann Gottfried Schicht がもっとひどい表現で貶めている、と言う。

トーマス・ライマーはどんな猿でもシェークスピアより趣味豊かだと言ったが、定評ある教会音楽の作曲家として、またライプチヒは聖トーマス教会の偉大なセバスチャン・バッハの後継者として知られるシヒトはベートーヴェンを「音楽の豚」と呼んでいる。
Wenn Thomas Rymer behauptet, daß jeder Affe mehr Geschmack besitze, als Shakespeare, so nannte Schicht, der bekannte Componist anerkennungswerther Werke der Kirchenmusik und Nachfolger der großen Sebastian Bach zu St. Thomas in Leipzig, Beethoven ein "musikalisches Schwein".

両者を比べればベートーヴェンの方が気の毒だと言うのである。その理由は:

一つには「豚」は「猿」より侮辱的だし、もう一つにはトーマス・ライマーは同国人シェークスピアをじかに猿だと言っているのではなく、ただ猿の方がシェークスピアより趣味がある、と言っているだけ。他方作曲家シヒトはベートーヴェンをあけすけに「音楽の豚」と呼んではばかるところが無い。
Einmal ist "Schwein" beleidigender als "Affe", und zweitens nennt Thomas Rymer seinen Landsmann Shakespeare nicht geradezu Affe, sondern behauptet nur, daß ein Affe mehr Geschmack besitze, als Shakespeare; während der Componist Schicht nicht anstand, Beethoven auf die unmittelbarste Weise als "musikalisches Schwein" zu bezeichnen.
-- Ludwig Brunier: Friedrich Ludwig Schröder. Ein Künstler- und Lebensbild (1864)

猿は豚よりましだ、までは良しとしましょう。だけど「お前は猿だ」と言われるより「猿にも劣る」と言われる方が侮蔑の度が低い、という論拠は納得ゆくでしょうか。まじめな顔でこんな理屈を持ちだされると、応対に困りますよね。