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 博物館の敷地の中、東北隅に「鴎外の門」と呼ばれる門が残っています。森鴎外は大正6年に帝室博物館総長兼図書頭に任命されました。鴎外は翌年の大正7年から10年にかけて毎年11月に開かれる正倉院宝庫開封に立ち会うために奈良を訪れています。滞在中は公務の合間に社寺や旧跡を訪ね歩き、奈良五十首の歌を残しています。単身で赴任していた鴎外は東京に残してきた子どもたちに毎日のように手紙を書いていたようです。文豪の良き父親ぶりはこのほど二女の小堀杏奴の持ち物の中からたくさんの書簡が発見され、話題になりました。門は官舎に付属していたものですが、今はこの門だけが残されています。ここに立つと鴎外が通っていた頃にタイムスリップしそうです。門を開けると鴎外が出てきそうな、そんな気持ちにさせられます。
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