大峯奥駈道を行く トップへ 修験道とは 修行中守るべきこと 名称について 大峯山の四門 十界の修行 六波羅蜜の実践 行程表

十界の修行の中でも菩薩の六波羅蜜行というのが、最も大切な修行である。六波羅蜜は、六度ともいい、次の六つが身に付き、体得できたら彼の岸、即ち悟りの世界に渡るのである。波羅蜜とは到彼岸、完全な、絶対のという意味がある。

一、壇(だん) [布施] 波羅蜜(ばらみつ) 
霊場、行場などで先達がその歴史や由来を語り、法話するのが「法施(ほうぜ)であり、空腹のもの、渇した者に食料を分け、水筒の水を飲ますのが「財施(物施)である。苦しんでいる物の荷を持ち、落ち込んでいる者に精神的な支えをするのが「無畏施(むいせ)」である。

二、尸羅(しら) [持戒]波羅蜜(ばらみつ) 
戒とは規則である。先達、師僧の指示を守り、礼儀作法を重んじ峰中の規律をまもり、正しい行動は戒を保つことである。日常生活でも大事なことである。

三、孱提(せんだい) [忍辱] 波羅蜜(ばらみつ) 
暑い、空腹、疲れたなど自分勝手だけを言っていては修行にならない。よく苦しさを耐え忍び、辛抱し譲りあって修行する(生きて行く)ところに忍辱(にんにく)の行がある。

四、琵梨耶(びりや) [清進] 波羅蜜(ばらみつ)
勇気をもって善を行い、悪を絶ち切る心の作用を云い、これは精神を込めて努力するものであるる肉食しないことを清進というが贅沢を避け粗衣粗食をものともせず努力し、清浄な気分で修行に打ち込むところに清進の行がある。

五、禅那(ぜんな) [禅定] 波羅蜜(ばらみつ)
心を一所に定め、散乱させないことを禅那という。入峰修行の時、断崖絶壁でよそ事を考えるだろうか。一心に仏を念じね心一つにしてこそ禅定である。

六、般若 [智恵] 波羅蜜(ばらみつ)
私欲や邪見、執着を離れると、正見(正しく物事を観察する)の智恵が働いて、人が本来持っている心(仏の慈悲心)を発揮できる。山は正見智を磨くのに適している。

私達はこのような十界六度の世界を山中に於いて体得し、不健康な都会生活の塵を吹き払って健全な心身を練り、人格の向上、実行力の養成を計って人間道の確立を目指して、真剣な修行を積み、同時に日常生活に修行の成果を活かすべく努力するのである。
 
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