C83
優生保護法賠償裁判、判決主文は「請求却下」、判決理由は「時効」で、それだけ言えば必要・十分、“非人道的云々”は“不規則発言”

 11月30日と、12月1日の読売新聞は、
優生保護法をめぐる賠償請求訴訟の判決について、それぞれ「旧優生保護法は『極めて非人道的』違憲判断、強制不妊巡る賠償請求は棄却…大阪地裁」と、「旧優生保護法国賠訴訟 判決の要旨」と言う見出しで、それぞれ次の様に報じていました。
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旧優生保護法は「極めて非人道的」と違憲判断、強制不妊巡る賠償請求は棄却…大阪地裁
2020/11/30 20:45 読売

 優生保護法に基づく
不妊手術を強制されたとして、障害を抱える近畿地方の男女3人が国に計5500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、大阪地裁であった。林潤裁判長は、旧法が「極めて非人道的、差別的」と述べ、憲法違反と判断する一方、時間の経過で賠償請求権は失われたとして3人の請求を棄却した。原告側は控訴を検討している。

 旧法を巡る訴訟の判決は仙台、東京両地裁に次いで3例目。仙台地裁に次ぐ違憲判断となったが、先行の2例と同じく、賠償請求権が
不法行為から20年で消えるとする民法の規定「除斥期間」を理由に請求を認めなかった。

 判決によると、原告のうち
知的障害のある女性(77)は1965年頃、不妊手術を受けた。他の2人は聴覚障害を持つ70歳代の妻と80歳代の夫で、妻が74年、同意なく不妊手術をされた。

 林裁判長は仙台地裁と同様に、
同意のない手術を認めた旧法の規定を幸福追求権を定めた憲法13条違反とした。さらに、規定は「障害者らを合理的根拠なく差別するもの」とし「法の下の平等」を定めた憲法14条にも違反するとの判断を示した。その上で「手術から20年が経過した後の提訴で賠償請求権は消滅した」と述べた。

 旧法は
「不良な子孫の出生防止」を目的に制定。48〜96年まで全国で約2万5000人に不妊手術が行われた。
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旧優生保護法国賠訴訟 判決の要旨
2020/12/01 05:00 読売
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 旧優生保護法に基づく不妊手術を巡り、近畿地方の男女3人が国家賠償を求めた訴訟の大阪地裁判決の要旨は次の通り。

 【主文】

 原告らの
請求をいずれも棄却する。

 【旧法の
違憲性

 子を産み育てるか否かは、個人の生き方及び身体の健康に関わるだけでなく、これを希望する者にとっては、子をもうけることによって生命をつなぐという人としての根源的な願い、すなわち、
個人の尊厳と密接に関わる事柄だ。したがって、子を産み育てるか否かについて意思決定をする自由は、幸福追求権ないし人格権の一内容を構成する権利として憲法13条に基づいて保障される。

 旧法の立法目的は、専ら
優生上の見地から不良な子孫の出生を防止することだ。これは特定の障害ないし疾患を有する者を一律に「不良」であると断定するもので、極めて非人道的かつ差別的である。

 
強制不妊手術は、身体への強度の侵襲である上、生殖能力の喪失という重大で元に戻らない結果をもたらすものであるから、手術を受けるか否かは、本来、手術を受ける者の自由な意思決定に委ねられるべきである。それにもかかわらず、不妊手術の実施に本人の同意を要しないとする規定には、手段としての合理性も認められない。

 旧法の各規定は、特定の障害等を有する者に対して、子を産み育てるか否かの
意思決定をする自由及び意思に反して身体への侵襲を受けない自由を侵害するとともに、合理的な根拠のない差別的取り扱いをするものであり、明らかに憲法13条、法の下の平等を保障する14条1項に違反して違憲である。

 
【救済法を作らなかったことの違法性】

 
2018年1月に強制不妊手術に関する国家賠償を求める訴訟が仙台地裁で提起されたことを契機として、国会内で被害救済の在り方に関する議論が加速したが、それ以前には国会で具体的な議論が行われるなどした事情も認められない。

 厚生労働大臣が強制不妊手術の被害への対応に言及した04年3月当時、原告らが主張する救済法の立法措置をとることが必要不可欠であり、それが明白であったということはできない。したがって、この点に関する
国会議員立法不作為は、国家賠償法上、違法の評価を受けるものではない。

 
【除斥期間の適用】

 原告らが長期にわたり提訴できなかったのは、自己の受けた不妊手術が旧法に基づくものであることを知らされず、18年まで国家賠償を求める手段があることを
認識していなかったためである。この点について、原告らを責めることはできない。特に、強制不妊手術は、生殖能力の喪失という重大で元に戻らない結果をもたらし、原告らが被った精神的・身体的被害は誠に甚大である。

 したがって、除斥期間の経過により損害賠償請求権が当然に失われる
結果は受け入れ難いとする原告らの心情は、理解できるものである。

 しかし、
除斥期間の規定は、不法行為の被害者側の認識のいかんを問わず、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解される。不法行為をめぐる権利関係を長く不確定の状態に置くと、その間に証拠資料が散逸するなどの問題が生じ得る。そこで、一定の時の経過により法律関係を確定させ、被害者の保護と加害者と目される者の利害との調整を図ったのである。

 このような除斥期間の制度目的・趣旨に鑑みれば、被害者側の
主観的事情を考慮して例外を認めることは、基本的に相当ではない。

 原告らの
障害そのものは、国の不法行為によって生じたものではない。確かに、原告らが強制不妊手術の実施を長く認識できなかった背景には、障害者に対する社会的な差別や偏見の影響があったことがうかがわれ、旧法がそうした差別や偏見を助長したことも否定はできない。

 しかし、障害者
一般に対する差別や偏見は、様々な歴史的・社会的要因等が複合的に影響して創出・助長されるものであると考えられる。少なくとも、国が原告らが提訴できない状況を意図的・積極的に作り出したとまでは認められない。

 本件について、
除斥期間の適用を制限するのは相当ではない。

 
【結論】

 原告らの損害賠償請求権はいずれも
除斥期間の経過によって消滅したものであり、原告らの請求は理由がないから、これをいずれも棄却する。

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 11月30日の記事は、憲法13条、14条に言及していますが、これは言わば精神論であって、直接、今回の事件に結びつく条文ではなく、解釈次第でどうにでもなる条文です。それを条文にもある
「公共の福祉」を無視して、安易に・無条件に解釈・判断すれば、法律は何も制限できなくなります。制限しなければ不都合が生じると考えられる場面では当然制限は必要です。
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(憲法参考)
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、
法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
A 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
B 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
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 制限を課すことにより得られる
利益(公共の福祉=不良子孫の防止、健全な社会の維持)不利益(不妊手術を強制される障害者の苦痛)、制限を課さないことにより生じる利益(障害者が苦痛を受けない)不利益(公共の福祉=不良子孫の増加、社会の劣化)をトータルで比較して、どちらが大きいか、どちらを取るべきかという判断が必要になってくるのです。
 裁判所が「違憲」とするなら、これらの点を
整理した上で結論を出さなければなりません。
 
問答無用すべての制限を違憲とすれば、それで得られる利益(障害者が苦痛を受けない)を遙かに上回る不利益(公共の福祉、不良子孫の増加、社会の劣化)を甘受せよと言うことになってしまいます。

 1948年の法律制定当時は、障害者の不妊手術によって
社会が得られる利益は大きく障害者が蒙る不利益はそれよりも小さいと考えられていて、それ故、当時の欧米各国では、広く障害者の不妊手術が行われていて、それが日本にも及んできたのです。
 法律制定当時(当時は
アメリカの占領下、憲法は占領下の昭和21年制定)の日本では、欧米各国の価値観が日本を拘束していたと考えられます。

 
また、優生保護法は1948年、議員立法で、衆院では満場一致で可決成立したのであり、障害者に対する不妊手術に付いては、違憲性の議論はなかったと考えられます。これらの事情を考えれば、成立当時は違憲ではなかったと言えると思います。

 それが
誤りであると考えられるようになったのは、後日であり、比較的最近のことです。法律制定当時と現在では医学の進歩、道徳観の変化などにより、価値観が変わったのです。

 従ってもし、あくまで
優生保護法を否定したいのなら、それは「違憲だから」ではなく、憲法そのものの否定から始めるべきです。
 裁判所があくまで
“憲法の僕”であろうとする限り、優生保護法が成立の時に「違憲」であったとは言えません。“憲法の僕”である事と、「優生保護法の否定」両立しません。

 今回の判決は
「違憲」としていますが、いつからとは特に言っていません。であれば制定当時から「違憲」と解さざるを得ませんが、現在の価値観を基準にして、制定当時の価値観に基づいて制定された法律を、制定時に遡って違憲と断じるのはまさしく、“遡及”であり、法治の原則に反します。

 裁判所が今回の裁判で、
被告の請求20年経過していて“時効”として退けるなら、裁判所の違憲判断も法律制定から72年経過して“時効”と言うべきです。その方が法治国家として整合性のある判断です。

 そうでなく成立当時は違憲ではなかったが、
その後社会(価値観)が変化して不妊手術当時は違憲であるとして、“憲法解釈を変更”とするなら、原告側も根拠・理由を明確にして、そういう主張・立証が必要になります。

 原告は控訴の意向を示していますが、被告の国は「勝訴」しているので控訴できません。「判決」の結論(主文)に異存は無いが、判決の中で述べられた
一部の判断(非人道的云々などの部分)に不服であっても上訴できないと言う事は、この「非人道的云々などの部分」には判例としての拘束力はないと言う事の裏返しと言うことになります。(この点は以前 「C12 献穀祭訴訟、『判決理由』の効力」「C13 最高裁の政治的思惑」でも述べました)

 裁判所が軽々しく
違憲と断定しながら、憲法13条に明記されている「公共の福祉」に全く言及しなかったのは、“控訴”されないという安心感があったのかもしれません。拘束力の無い部分に大きな意義を見いだしているマスコミの報道は、「フェイク・ニュース」と言うべきです。

 判決文の中の「非人道的、差別的云々」の部分は、判決に必要な主文でも判決理由でもない、単なる判事の言い訳・自己顕示の意見・感想の表明に過ぎません。
 また、
現在の価値観で、72年前の法律制定当時の価値観を「非人道的、差別的」と断罪するのは、“遡及裁判”に他なりません。

令和2年12月5日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ