H130
「移民」を「外国人との共生」とごまかして、密かに進められる日本の「移民受け入れ」

 2月24日の読売新聞は、「外国人との共生 有識者会議設置」と言う見出しの、小さい記事で次の様に報じていました。
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H130-1

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 記事は
「政府は」で始まり「政府は」で終わっていますが、記事の中に所管官庁の名や、部局などが何も書かれていません。責任者も担当者も何も書かれていません。

 この記事を書いた記者は
どこで誰から取材したのでしょうか、取材先をなぜ書かないのでしょうか。匿名を条件の取材なのでしょうか。それではこの記事の中に、秘密にしなければならない事があるのでしょうか。

 この記事をホームページに転載するために、読売新聞の
デジタル版で記事を探しましたが、見当たりませんでした。ローカルニュースでもないのに、なぜデジタル版に記事がないのでしょうか。記事を残したくない何かがあるのでしょうか。

 この記事に対して不信感を抱いたので、ネットで調べ、下記の記事を見つけました。
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(外国人との共生社会の実現のための有識者会議の開催について) 
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/gaikokujinzai/kaigi/pdf/yusikisya_kaigi_gaiyou.pdf

H130-2

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 「外国人との共生社会の実現のために」と、最初から大上段に振りかざしていますが、「外国人との共生社会」とは何か、未だ正式に言及されたことはなく、その定義も実現の必要性、妥当性も、国民の間でも議会に於いても合意が形成されたことはないと思います。しかるにいきなりその「実現」が既定の課題であるかのように議論を進めるのは、暴論と言うべきです。

 仮に
「実現」が既定の課題であったとしても、ここで「背景」として具体的に挙げられているのは、「新型コロナ」だけであり、これはワクチンが行き届けば、やがて解消(解決)する問題です。これ以上有識者を集めて何を議論しようというのでしょうか。
 何の
「背景」もないにも拘わらず、ただコロナに便乗して「共生、共生」と連呼するのは、初めから「共生ありき」の議論であり、論じたいのは「単なる労働問題」ではなく、「移民」の問題なのではないのでしょうか。

 
「共生」とは極めて曖昧な「俗語」であり、この点について何も触れることなく、議論を進めようとするのは、まともな役所、役人のする事とは到底考えられず、深い闇の存在を窺わせます。また、「社会を構成する一員として受け入れると言う視点」を前提にしていますが、これも不用意であり、そんな前提について国民の間で合意は成立していません。それを前提にするというのは、民主政治の大原則に反した暴走と言うべきです。

 日本国内で外国人を
「社会を構成する一員」とするのは、外国人が外国人でなくなることを意味する可能性が高いと考えられます。つまり移民ではないかと言うことです。さらに「社会を構成する」と簡単に言いますが、「社会」と「国家」は重なり合う部分があり、社会の一員が国家の一員と混同される可能性があると思います。
 社会の一員を国家の一員から排除することは、「差別」の議論を呼ぶ可能性があり、これらの点から以前在日韓国人が主張し,その後国内の反対により立ち消えになった
“地方参政権”が、「社会の構成員」に言葉(論点)を換えて蒸し返される可能性も排除できません。

 
安倍政権下の平成30年の、外国人労働者の受け入れ拡大に向けた入管難民法改正の審議に際しては、当初より移民政策ではないかとの疑念が絶えませんでしたが、安倍総理は否定していました。そしてその当時は「共生」という言葉は出ていませんでした。

 しかるに、最近になって
「共生」が頻繁に使われるようになったのは、実質的移民政策を実現するに際して、「政策」の実態を隠して、反対論を封じ込める為の“方便”として使用されていると考えられます。

 そう考えると、読売新聞が記事で報道するに当たり、
所管官庁名も、担当部局も、担当者もすべてを隠した意図は、予定されている「共生」の実態が“移民”であることがばれることを防ぎ、国民の批判の矛先が向かうべき方向(標的)を隠すためであることが読み取れて来ます。

 この文書「資料1−1」ですが、右上の隅をよく見ると下記の様に小さく記載されていることに気付きます。
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H130-2-2 (上記H130-2の右上部分を拡大)

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 ここにある「出入国在留管理庁」の英語表記は、「Immigration Services Agency of Japan」となっていますが、
「Immigration」の元々の意味は「移民」です。
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H130-3

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 この文書のポイントは徹底した
秘密主義(国民無視)です。

 有識者や会議の議事は
原則非公開とされているが、その理由が全く触れられていません。「外国人との共生」が、外交・安保上の機密に関わるとは考えられず、非公開とする正当な理由があるとは考えられません。単に反対意見を回避することだけが目的と考えられますが、それは民主主義の原則である「公開」の原則に反します。

 
法務省は近年(マスコミとグルになって)、この移民問題に限らず、法律(民法など)の改定に際して、業界(司法)関係者(いわゆる有識者)の意見だけで法案をまとめ、法案審議は極力短縮(省略)して、議論の暇を与えず成立を図るという非民主的な姿勢が顕著です。
 
その為一般国民法律が成立してから、詳しい解説を聞かされるというのが実態です。これは民主主義国家のあるべき姿ではありません。

 例えば英国では
「EU離脱」について、国民投票を実施し、大方の予想を裏切って「離脱賛成派」が勝利を収めました。多くの政界、経済界の首脳は「離脱反対」でしたが、当時のキャメロン首相も、後を継いだメイ首相も反対派であったものの、国民投票の結果を尊重し、それに従いました。

 日頃何かに付けては、
「欧米では・・」、「ドイツでは・・」、「ノルウェーでは・・」などと、欧米の自分に都合のところだけをつまみ食いして、自己の正当化を図るのがマスコミ、高級官僚や“有識者”達の常ですが、自分にとって都合の悪いところは「無視」しています。
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H130-4


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 この図を見ると「出入国在留管理庁が行う関係者
ヒアリング」という部分がありますが、ヒアリングの対象者に一般国民は含まれているのでしょうか。視野に入っていないのではないでしょうか。国家(国民)の構成に拘わる重大問題に、直接の関係者(と言うより受益者)の言い分だけ聞いて(あるいは重視して)、議論を進めるのは国民軽視と言うべきです。

 ここでも、
「外国人との共生社会の実現」という言葉が、繰り返し強調されています。
 既に述べたように安倍総理は明確に、政府の政策は「いわゆる
移民を受け入れるものではない」と明言して来ましたが、「いわゆる」の意味については回答は拒否しました。
 (参照 H102「いわゆる移民ではない」と詭弁を弄し、国民を欺く安倍総理の人格に疑問符 H107「いわゆる移民ではない」と、国民に嘘をついた安倍総理。その嘘に目をつぶる一方で、正直者(欧州などの移民反対の政治家)を“ポピュリスト”と罵倒する読売新聞)

 当時から
「移民疑惑」は絶えなかったのです。それから時間が経つにつれて、「外国人との共生」と言うことが折りに触れて聞こえてくるようになりましたが、それが何を意味するかは明確にされることはありませんでした。

 そういう経緯を考えると、今回の
「政府」「外国人との共生社会の実現」動きは、マスコミ有識者達を巻き込んだ、確信的悪意に基づく、国民に対する背信行為と言うほかはないと思います。

令和3年3月1日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ